タグ : モバイル編集 へんしゅう モバイルウェブ編集 へんしゅう
(9人 にん の利用 りよう 者 しゃ による、間 あいだ の31版 はん が非 ひ 表示 ひょうじ )
1行 ぎょう 目 め :
1行 ぎょう 目 め :
{{Expand French|Oriflamme de Saint-Denis|date=2021-02}}
オリフラム([[Oriflamme]]:仏 ふつ )は、[[中世 ちゅうせい ]][[フランス王国 おうこく ]]の王 おう 旗 き ([[軍旗 ぐんき ]])で語源 ごげん は[[ラテン語 らてんご ]]の"Aurea flame"「黄金 おうごん の炎 ほのお 」に由来 ゆらい する。
[[ファイル:Battle_of_Poitiers.jpg|サムネイル|[[ポワティエの戦 たたか い]] 1356. 絵 え の左上 ひだりうえ にオリフラムが見 み られる]]
元 もと は、聖 せい ドニの旗 はた であり、宗教 しゅうきょう 的 てき な「聖 せい なる旗 はた 」の意味合 いみあ いも兼 か ねる。
'''オリフラム''' ({{lang-fr-short|Oriflamme}}) は、[[中世 ちゅうせい ]][[フランス王国 おうこく ]]の王 おう 旗 き ([[軍旗 ぐんき ]])で語源 ごげん は[[ラテン語 らてんご ]]の"Aurea flamma"「黄金 おうごん の炎 ほのお 」に由来 ゆらい する。 元 もと は、[[聖 せい ドニ]]ないし、[[サン=ドニ大 だい 聖堂 せいどう ]]の旗 はた であり、宗教 しゅうきょう 的 てき な「聖 せい なる旗 はた 」の意味合 いみあ いも兼 か ねる<ref>{{Cite web|url=http://www.xenophongroup.com/montjoie/orifl-fa.htm|title=Oriflamme Society|accessdate=2005-10-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20051028022144/http://www.xenophongroup.com/montjoie/orifl-fa.htm|archivedate=2005-10-28}}</ref> 。
{{multiple image
⚫
|
footer
=
2
種類 しゅるい のオリフラムの
再現 さいげん 。また、これらの
他 ほか に
単 たん に
赤 あか の
無地 むじ の
旗 はた も
存在 そんざい していたとされる。
| width = 80
| image1 = Oriflamme.svg
| image2 = Oriflamme1.png
}}
[[中世 ちゅうせい ヨーロッパ]]では、様々 さまざま な[[小 しょう 国家 こっか ]]([[侯 ほう 国 こく ]]や[[公国 こうこく ]]のような)が[[独立 どくりつ ]]、[[臣従 しんじゅう ]]しては取 と り込 こ まれたり、滅亡 めつぼう したりなどするような駆 か け引 ひ きや寝返 ねがえ り、小規模 しょうきぼ から大 だい 規模 きぼ な紛争 ふんそう や非公式 ひこうしき な戦闘 せんとう が多数 たすう ある中 なか 、フランス王国 おうこく が国家 こっか を挙 あ げ、王 おう の名 な のもとにの[[戦争 せんそう ]]をするときに使用 しよう された。
オリフラムが掲 かか げられた戦場 せんじょう では、一切 いっさい の[[捕虜 ほりょ ]]を許 ゆる さず、オリフラムが下 さ げられるまでその効力 こうりょく が続 つづ いたと言 い い、国 くに を挙 あ げての無慈悲 むじひ な覚悟 かくご の現 あらわ れは、フランス軍 ぐん を鼓舞 こぶ し、おおいに士気 しき を高 たか めたという。
また、自軍 じぐん の士気 しき だけではなく、敵 てき 軍 ぐん の士気 しき を下 さ げる効果 こうか もあり、とりわけ敵 てき 軍 ぐん の王公 おうこう 貴族 きぞく にとっては、古 ふる くからヨーロッパの大国 たいこく であったフランス王国 おうこく を敵 てき に回 まわ し、一切 いっさい の容赦 ようしゃ 、恩赦 おんしゃ が与 あた えられないという事実 じじつ を突 つ きつける恐怖 きょうふ の対象 たいしょう でもあった。
[[中世 ちゅうせい ヨーロッパ]]では、様々 さまざま な小 しょう 国家 こっか ([[侯 ほう 国 こく ]]や[[公国 こうこく ]]のような)が[[独立 どくりつ ]]、臣従 しんじゅう しては取 と り込 こ まれたり、滅亡 めつぼう したりなどするような駆 か け引 ひ きや寝返 ねがえ り、小規模 しょうきぼ から大 だい 規模 きぼ な紛争 ふんそう や非公式 ひこうしき な戦闘 せんとう が多数 たすう ある中 なか 、フランス王国 おうこく が国家 こっか を挙 あ げ、王 おう の名 な のもとにの[[戦争 せんそう ]]をするときに使用 しよう された。 オリフラムが掲 かか げられた戦場 せんじょう (特 とく に[[百 ひゃく 年 ねん 戦争 せんそう ]]中 ちゅう )では、一切 いっさい の[[捕虜 ほりょ ]]を許 ゆる さず、オリフラムが下 さ げられるまでその効力 こうりょく が続 つづ いたと言 い い、国 くに を挙 あ げての無慈悲 むじひ な覚悟 かくご の現 あらわ れは、フランス軍 ぐん を鼓舞 こぶ し、おおいに士気 しき を高 たか めたという <ref>Robert Southey (1841) '' Joan of Arc: a poem'', Longman et autres. [[iarchive:JoanOfArc1841/page/n322| p. 280]]</ref> また、自軍 じぐん の士気 しき だけではなく、敵 てき 軍 ぐん の士気 しき を下 さ げる効果 こうか もあり、古 ふる くからヨーロッパの大国 たいこく であったフランス王国 おうこく を敵 てき に回 まわ し、一切 いっさい の容赦 ようしゃ 、恩赦 おんしゃ が与 あた えられないという事実 じじつ を突 つ きつける恐怖 きょうふ の対象 たいしょう でもあった。とりわけ、通常 つうじょう なら捕虜 ほりょ にされた場合 ばあい 、身代金 みのしろきん で釈放 しゃくほう されるという手立 てだ てがあった王公 おうこう 貴族 きぞく にとっては、捕虜 ほりょ が一切 いっさい 許 ゆる されないという事実 じじつ は一般 いっぱん の兵 へい より更 さら なる恐怖 きょうふ の対象 たいしょう であった。
歴史 れきし 的 てき に王 おう の旗 はた として、初 はじ めてオリフラムが言及 げんきゅう されたのは[[11世紀 せいき ]]の[[古 こ フランス語 ふらんすご 叙事詩 じょじし ]]([[武勲 ぶくん 詩 し ]])シャンソン・デ・ローラン(Chanson de Roland:仏 ふつ ) (vv. 3093-5)である。最初 さいしょ の呼 よ び名 な はロメイン(Romaine)で、その後 ご 、モンジョワエ(Montjoie)と名 な を変 か える。伝記 でんき によれば、[[カール大帝 たいてい ]](シャルルマーニュ、Charlemagne:仏 ふつ )が黄金 おうごん の[[ランス]]を持 も った[[騎士 きし ]]が[[サラセン]]を[[聖地 せいち ]]から焼 や き尽 つ くし追放 ついほう するという預言 よげん に基 もと づき、聖地 せいち に持参 じさん したとされる。
⚫
これは
当時 とうじ 、
騎士 きし や
王公 おうこう 貴族 きぞく が
馬 うま に
乗 の って
戦 たたか うこと、ランスが
馬上 もうえ 槍 やり であること、そして
騎兵 きへい の
存在 そんざい が[[フランク
王国 おうこく ]]/
中世 ちゅうせい フランス
王国 おうこく にとって、
戦場 せんじょう での、ないし、
戦場 せんじょう でなくても
彼 かれ らの
存在 そんざい 意義 いぎ そのもののちからと
尊厳 そんげん の
象徴 しょうちょう であることから、ランスの
存在 そんざい が
重要 じゅうよう であったことが
伺える
。また、その
旗 はた よりランスの
方 ほう が
重要 じゅうよう 性 せい が
高 たか いことを
踏 ふ まえると、
旗 はた 自体 じたい は
専 もっぱ らランスの
飾 かざ りであり、「オリフラムの
旗 はた そのもの」ではなく、「オリフラムを
携 たずさ えたランス」に
特別 とくべつ 性 せい があった。
故 ゆえ に、「オリフラムの
旗 はた そのもの」が
重要 じゅうよう となるのは、
時代 じだい と
共 とも に
騎兵 きへい 以外 いがい に
戦場 せんじょう での
雌雄 しゆう を
決 けっ する
戦法 せんぽう が
数多 かずおお く
増 ふ え、ランスの
象徴 しょうちょう 性 せい が
薄 うす まることで、
旗 はた そのものの
意味合 いみあ いが
強 つよ まる
後 のち の
時代 じだい のことと
考 かんが えられている。
フランス語 ふらんすご では、「''オリフラム''」という用語 ようご は、オリジナルの形式 けいしき に関連 かんれん して、先 さき のとがった端 はし を持 も つバナーを意味 いみ するようになる。
== 伝説 でんせつ の起源 きげん ==
⚫
{{multiple image |footer=2
種類 しゅるい のオリフラムの
再現 さいげん 。また、これらの
他 ほか に
単 たん に
赤 あか の
無地 むじ の
旗 はた も
存在 そんざい していたとされる。
|width=80|image1=Oriflamme.svg|image2=Oriflamme1.png}}
⚫
歴史 れきし 的 てき に王 おう の旗 はた として、初 はじ めてオリフラムが言及 げんきゅう されたのは[[11世紀 せいき ]]の[[古 こ フランス語 ふらんすご 叙事詩 じょじし ]]([[武勲 ぶくん 詩 し ]])[[シャンソン・デ・ローラン]](Chanson de Roland:仏 ふつ ) (vv. 3093-5)である 最初 さいしょ の呼 よ び名 な はロメイン(Romaine)で、その後 ご 、モンジョワエ(Montjoie)と名 な を変 か える。伝記 でんき によれば、[[カール大帝 たいてい ]](シャルルマーニュ、Charlemagne:仏 ふつ )が黄金 おうごん の[[ランス]]を持 も った[[騎士 きし ]]が[[サラセン]]を[[聖地 せいち ]]から焼 や き尽 つ くし追放 ついほう するという預言 よげん に基 もと づき、聖地 せいち に持参 じさん したとされる <ref>{{Cite book|title=A Distant Mirror|last=Tuchman|first=Barbara|year=1978|publisher=Penguin|isbn=0140054073|page=148}}</ref>これは
当時 とうじ 、
騎士 きし や
王公 おうこう 貴族 きぞく が
馬 うま に
乗 の って
戦 たたか うこと、ランスが
馬上 もうえ 槍 やり であること、そして
騎兵 きへい の
存在 そんざい が[[フランク
王国 おうこく ]]/
中世 ちゅうせい フランス
王国 おうこく にとって、
戦場 せんじょう での、ないし、
戦場 せんじょう でなくても
彼 かれ らの
存在 そんざい 意義 いぎ そのもののちからと
尊厳 そんげん の
象徴 しょうちょう であることから、ランスの
存在 そんざい が
重要 じゅうよう であったことが
うかが える
<ref>[http://www.heraldica.org/topics/france/oriflamm.htm Heraldica.org]</ref> また、その
旗 はた よりランスの
方 ほう が
重要 じゅうよう 性 せい が
高 たか いことを
踏 ふ まえると、
旗 はた 自体 じたい は
専 もっぱ らランスの
飾 かざ りであり、「オリフラムの
旗 はた そのもの」ではなく、「オリフラムを
携 たずさ えたランス」に
特別 とくべつ 性 せい があった。
故 ゆえ に、「オリフラムの
旗 はた そのもの」が
重要 じゅうよう となるのは、
時代 じだい と
共 とも に
騎兵 きへい 以外 いがい に
戦場 せんじょう での
雌雄 しゆう を
決 けっ する
戦法 せんぽう が
数多 かずおお く
増 ふ え、ランスの
象徴 しょうちょう 性 せい が
薄 うす まることで、
旗 はた そのものの
意味合 いみあ いが
強 つよ まる
後 のち の
時代 じだい のことと
考 かんが えられている。
== 歴史 れきし ==
オリフラムは1124年 ねん に[[ルイ6世 せい (フランス王 おう )|ルイ6世 せい ]]によって最初 さいしょ に使用 しよう され、1415年 ねん にアジャンクールでの戦 たたか いで最後 さいご になる<ref>Richard W. Barber (1984) ''The Penguin guide to medieval Europe'', Penguin Books. [https://books.google.com/books?id=A9MYAAAAYAAJ&q=Oriflamme+Agincourt+no+quarter&dq=Oriflamme+Agincourt+no+quarter&pgis=1 p. 224]</ref>が、そのバージョンは18世紀 せいき までサンドニ修道院 しゅうどういん に残 のこ っていた。 <ref>{{Cite book|title=The Complete Book of Heraldry|last=Slater|first=Stephen|year=2002|publisher=Hermes House|isbn=1846819601|page=30}}</ref>
ルイ6世 せい は、以前 いぜん の[[トゥールのマルティヌス|聖 ひじり マーティンの]]旗 はた を、聖 ひじり デニスの墓 はか の周 まわ りに浮 う かび、ダゴベルト王 おう によって修道院 しゅうどういん に与 あた えられたと言 い われている聖 ひじり デニス修道院 しゅうどういん のオリフラムに置 お き換 か えた。12世紀 せいき まで、旗手 きしゅ はコンテドベクシンである。サンドニに誓 ちか ったように、修道院 しゅうどういん の一時 いちじ 的 てき な擁護 ようご 者 しゃ で、ヴェクサンを買収 ばいしゅう したルイ6世 せい は旗手 きしゅ になるが戦争 せんそう が始 はじ まるとすぐにルイ6世 せい は聖 ひじり デニスで聖体 せいたい 拝領 はいりょう を受 う け取 と り、聖人 せいじん の墓 はか から標準 ひょうじゅん を取 と り、それを戦闘 せんとう に持 も ち込 こ んだ。
オリフラムとは別 べつ に、[[15世紀 せいき ]]までは「青地 あおじ に黄金 おうごん の百 ひゃく 合 ごう =[[フルール・ド・リス]]」というデザインの「[[聖 ひじり マルタン]](マルタン=テュール)の旗 はた 」が「王家 おうけ への忠誠 ちゅうせい 、もしくは王家 おうけ そのもの」を示 しめ す旗 はた であった。一方 いっぽう 、オリフラムの宗教 しゅうきょう 的 てき な「聖 せい ドニの旗 はた 」という意味合 いみあ いは薄 うす れつつも、微 かす かに残 のこ りながら、主 おも に「フランスの王家 おうけ による怒 いか り/戦争 せんそう 」の意味合 いみあ いが増 ま していった。聖 ひじり マルタンの旗 はた 、オリフラム、両 りょう 旗 はた は[[ジャンヌダルク]]が考案 こうあん 、使用 しよう した「白地 しろじ に[[百 ひゃく 合 ごう ]](正確 せいかく には[[アヤメ]]か[[アヤメ属 ぞく |アイリス]])の花 はな =前述 ぜんじゅつ の聖 ひじり マルタンとは別 べつ のフルール・ド・リス」に取 と って代 か わられる形 かたち で無 な くなり、意味合 いみあ いもこの一 ひと つの旗 はた に統合 とうごう された。
こんにちのフランス語 ふらんすご において、オリフラムという言葉 ことば は元 もと の意味 いみ に基 もと づきながらも、元 もと のオリフラムのデザインでないものも含 ふく め「終 お わりを示 しめ す旗 はた /印 しるし /兆候 ちょうこう 」という意味 いみ で使 つか われることもある。
== 外観 がいかん ==
== 戦場 せんじょう での意義 いぎ ==
== ポルトオリフラム ==
=== ''オリフラムの''注目 ちゅうもく すべき''担 にな い手 て '' ===
== 文学 ぶんがく におけるオリフラム ==
== 大衆 たいしゅう 文化 ぶんか のオリフラム ==
== 参考 さんこう 文献 ぶんけん ==
{{Reflist}}
[[Category:フランスの軍事 ぐんじ 史 し ]]
[[Category:旗 はた ]]
{{DEFAULTSORT:おりふらむ}}
ポワティエの戦 たたか い 1356. 絵 え の左上 ひだりうえ にオリフラムが見 み られる
オリフラム (仏 ふつ : Oriflamme ) は、中世 ちゅうせい フランス王国 おうこく の王 おう 旗 き (軍旗 ぐんき )で語源 ごげん はラテン語 らてんご の"Aurea flamma"「黄金 おうごん の炎 ほのお 」に由来 ゆらい する。 元 もと は、聖 せい ドニ ないし、サン=ドニ大 だい 聖堂 せいどう の旗 はた であり、宗教 しゅうきょう 的 てき な「聖 せい なる旗 はた 」の意味合 いみあ いも兼 か ねる[1] 。
中世 ちゅうせい ヨーロッパ では、様々 さまざま な小 しょう 国家 こっか (侯 ほう 国 こく や公国 こうこく のような)が独立 どくりつ 、臣従 しんじゅう しては取 と り込 こ まれたり、滅亡 めつぼう したりなどするような駆 か け引 ひ きや寝返 ねがえ り、小規模 しょうきぼ から大 だい 規模 きぼ な紛争 ふんそう や非公式 ひこうしき な戦闘 せんとう が多数 たすう ある中 なか 、フランス王国 おうこく が国家 こっか を挙 あ げ、王 おう の名 な のもとにの戦争 せんそう をするときに使用 しよう された。 オリフラムが掲 かか げられた戦場 せんじょう (特 とく に百 ひゃく 年 ねん 戦争 せんそう 中 なか )では、一切 いっさい の捕虜 ほりょ を許 ゆる さず、オリフラムが下 さ げられるまでその効力 こうりょく が続 つづ いたと言 い い、国 くに を挙 あ げての無慈悲 むじひ な覚悟 かくご の現 あらわ れは、フランス軍 ぐん を鼓舞 こぶ し、おおいに士気 しき を高 たか めたという [2] また、自軍 じぐん の士気 しき だけではなく、敵 てき 軍 ぐん の士気 しき を下 さ げる効果 こうか もあり、古 ふる くからヨーロッパの大国 たいこく であったフランス王国 おうこく を敵 てき に回 まわ し、一切 いっさい の容赦 ようしゃ 、恩赦 おんしゃ が与 あた えられないという事実 じじつ を突 つ きつける恐怖 きょうふ の対象 たいしょう でもあった。とりわけ、通常 つうじょう なら捕虜 ほりょ にされた場合 ばあい 、身代金 みのしろきん で釈放 しゃくほう されるという手立 てだ てがあった王公 おうこう 貴族 きぞく にとっては、捕虜 ほりょ が一切 いっさい 許 ゆる されないという事実 じじつ は一般 いっぱん の兵 へい より更 さら なる恐怖 きょうふ の対象 たいしょう であった。
フランス語 ふらんすご では、「オリフラム 」という用語 ようご は、オリジナルの形式 けいしき に関連 かんれん して、先 さき のとがった端 はし を持 も つバナーを意味 いみ するようになる。
2種類 しゅるい のオリフラムの再現 さいげん 。また、これらの他 ほか に単 たん に赤 あか の無地 むじ の旗 はた も存在 そんざい していたとされる。
歴史 れきし 的 てき に王 おう の旗 はた として、初 はじ めてオリフラムが言及 げんきゅう されたのは11世紀 せいき の古 こ フランス語 ふらんすご 叙事詩 じょじし (武勲 ぶくん 詩 し )シャンソン・デ・ローラン (Chanson de Roland:仏 ふつ ) (vv. 3093-5)である 最初 さいしょ の呼 よ び名 な はロメイン(Romaine)で、その後 ご 、モンジョワエ(Montjoie)と名 な を変 か える。伝記 でんき によれば、カール大帝 たいてい (シャルルマーニュ、Charlemagne:仏 ふつ )が黄金 おうごん のランス を持 も った騎士 きし がサラセン を聖地 せいち から焼 や き尽 つ くし追放 ついほう するという預言 よげん に基 もと づき、聖地 せいち に持参 じさん したとされる [3] これは当時 とうじ 、騎士 きし や王公 おうこう 貴族 きぞく が馬 うま に乗 の って戦 たたか うこと、ランスが馬上 もうえ 槍 やり であること、そして騎兵 きへい の存在 そんざい がフランク王国 おうこく /中世 ちゅうせい フランス王国 おうこく にとって、戦場 せんじょう での、ないし、戦場 せんじょう でなくても彼 かれ らの存在 そんざい 意義 いぎ そのもののちからと尊厳 そんげん の象徴 しょうちょう であることから、ランスの存在 そんざい が重要 じゅうよう であったことがうかがえる [4] また、その旗 はた よりランスの方 ほう が重要 じゅうよう 性 せい が高 たか いことを踏 ふ まえると、旗 はた 自体 じたい は専 もっぱ らランスの飾 かざ りであり、「オリフラムの旗 はた そのもの」ではなく、「オリフラムを携 たずさ えたランス」に特別 とくべつ 性 せい があった。故 ゆえ に、「オリフラムの旗 はた そのもの」が重要 じゅうよう となるのは、時代 じだい と共 とも に騎兵 きへい 以外 いがい に戦場 せんじょう での雌雄 しゆう を決 けっ する戦法 せんぽう が数多 かずおお く増 ふ え、ランスの象徴 しょうちょう 性 せい が薄 うす まることで、旗 はた そのものの意味合 いみあ いが強 つよ まる後 のち の時代 じだい のことと考 かんが えられている。
オリフラムは1124年 ねん にルイ6世 せい によって最初 さいしょ に使用 しよう され、1415年 ねん にアジャンクールでの戦 たたか いで最後 さいご になる[5] が、そのバージョンは18世紀 せいき までサンドニ修道院 しゅうどういん に残 のこ っていた。 [6]
ルイ6世 せい は、以前 いぜん の聖 ひじり マーティンの旗 はた を、聖 ひじり デニスの墓 はか の周 まわ りに浮 う かび、ダゴベルト王 おう によって修道院 しゅうどういん に与 あた えられたと言 い われている聖 ひじり デニス修道院 しゅうどういん のオリフラムに置 お き換 か えた。12世紀 せいき まで、旗手 きしゅ はコンテドベクシンである。サンドニに誓 ちか ったように、修道院 しゅうどういん の一時 いちじ 的 てき な擁護 ようご 者 しゃ で、ヴェクサンを買収 ばいしゅう したルイ6世 せい は旗手 きしゅ になるが戦争 せんそう が始 はじ まるとすぐにルイ6世 せい は聖 ひじり デニスで聖体 せいたい 拝領 はいりょう を受 う け取 と り、聖人 せいじん の墓 はか から標準 ひょうじゅん を取 と り、それを戦闘 せんとう に持 も ち込 こ んだ。
オリフラムとは別 べつ に、15世紀 せいき までは「青地 あおじ に黄金 おうごん の百 ひゃく 合 ごう =フルール・ド・リス 」というデザインの「聖 ひじり マルタン (マルタン=テュール)の旗 はた 」が「王家 おうけ への忠誠 ちゅうせい 、もしくは王家 おうけ そのもの」を示 しめ す旗 はた であった。一方 いっぽう 、オリフラムの宗教 しゅうきょう 的 てき な「聖 せい ドニの旗 はた 」という意味合 いみあ いは薄 うす れつつも、微 かす かに残 のこ りながら、主 おも に「フランスの王家 おうけ による怒 いか り/戦争 せんそう 」の意味合 いみあ いが増 ま していった。聖 ひじり マルタンの旗 はた 、オリフラム、両 りょう 旗 はた はジャンヌダルク が考案 こうあん 、使用 しよう した「白地 しろじ に百 ひゃく 合 ごう (正確 せいかく にはアヤメ かアイリス )の花 はな =前述 ぜんじゅつ の聖 ひじり マルタンとは別 べつ のフルール・ド・リス」に取 と って代 か わられる形 かたち で無 な くなり、意味合 いみあ いもこの一 ひと つの旗 はた に統合 とうごう された。
こんにちのフランス語 ふらんすご において、オリフラムという言葉 ことば は元 もと の意味 いみ に基 もと づきながらも、元 もと のオリフラムのデザインでないものも含 ふく め「終 お わりを示 しめ す旗 はた /印 しるし /兆候 ちょうこう 」という意味 いみ で使 つか われることもある。
^ “Oriflamme Society ”. 2005年 ねん 10月 がつ 28日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2005年 ねん 10月 がつ 25日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Robert Southey (1841) Joan of Arc: a poem , Longman et autres. p. 280
^ Tuchman, Barbara (1978). A Distant Mirror . Penguin. p. 148. ISBN 0140054073
^ Heraldica.org
^ Richard W. Barber (1984) The Penguin guide to medieval Europe , Penguin Books. p. 224
^ Slater, Stephen (2002). The Complete Book of Heraldry . Hermes House. p. 30. ISBN 1846819601