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|別名 べつめい =
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|生年月日 せいねんがっぴ =[[1801年 ねん ]][[2月 がつ 21日 にち ]]
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|墓所 はかしょ 座標 ざひょう =
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|記念 きねん 日 び =[[10月 がつ 9日 にち ]](カトリック教会 きょうかい )<br>[[8月 がつ 11日 にち ]](イングランド国教 こっきょう 会 かい )
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|聖人 せいじん 称号 しょうごう =[[福 ぶく 者 しゃ ]]
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|列 れつ 福 ぶく 決定 けってい 者 しゃ =[[ベネディクト16世 せい (ローマ教皇 きょうこう )|ベネディクト16世 せい ]]
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|教皇 きょうこう 名 めい =
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'''ジョン・ヘンリー・ニューマン'''(John Henry Newman, [[1801年 ねん ]][[2月 がつ 21日 にち ]] - [[1890年 ねん ]][[8月 がつ 11日 にち ]])は、[[19世紀 せいき ]][[イングランド]]の[[神学 しんがく 者 しゃ ]]で、[[イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]の[[司祭 しさい ]]から[[カトリック教会 きょうかい |カトリック]]に改宗 かいしゅう して[[枢機卿 すうききょう ]]となった人物 じんぶつ である。2010年 ねん 9月 がつ に[[列 れつ 福 ぶく ]]され、[[福 ぶく 者 しゃ ]]と認定 にんてい された。
'''ジョン・ヘンリー・ニューマン'''(John Henry Newman, [[1801年 ねん ]][[2月 がつ 21日 にち ]] - [[1890年 ねん ]][[8月 がつ 11日 にち ]])は、[[19世紀 せいき ]][[イングランド]]の[[神学 しんがく 者 しゃ ]]で、[[イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]の[[司祭 しさい ]]から[[カトリック教会 きょうかい |カトリック]]に改宗 かいしゅう して[[枢機卿 すうききょう ]]となった人物 じんぶつ である。2010年 ねん 9月 がつ に[[列 れつ 福 ぶく ]]され[[福 ぶく 者 しゃ ]]、2019年 ねん 10月 がつ 、[[聖人 せいじん ]]と認定 にんてい された。
== 経歴 けいれき ==
== 経歴 けいれき ==
[[ロンドン]]に生 う まれる。[[オックスフォード]]で[[イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]の[[司祭 しさい ]]を務 つと めていたが、[[イタリア]]旅行 りょこう から帰国 きこく 後 ご の[[1845年 ねん ]]にカトリック教会 きょうかい に改宗 かいしゅう 、最終 さいしゅう 的 てき には[[枢機卿 すうききょう ]]になった。当時 とうじ [[オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく ]]では宗教 しゅうきょう に関 かん して激 はげ しい論争 ろんそう が繰 く り広 ひろ げられており([[オックスフォード運動 うんどう ]])、[[フランス革命 かくめい ]]の影響 えいきょう を受 う けた[[啓蒙 けいもう 思想 しそう ]]に対 たい し、保守 ほしゅ 派 は は反発 はんぱつ していた。ニューマンもその一人 ひとり であったが、[[神学 しんがく ]]の研究 けんきゅう を進 すす めているうち、カトリック教会 きょうかい に惹 ひ かれるようになり、改宗 かいしゅう するに至 いた った。[[第 だい 1バチカン公 こう 会議 かいぎ ]]の際 さい にも、ニューマンは[[教皇 きょうこう 不可 ふか 謬説]]を全面 ぜんめん 的 てき に擁護 ようご した。
[[ロンドン]]に生 う まれる。[[オックスフォード]]で[[イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]の[[司祭 しさい ]]を務 つと めていたが、[[イタリア]]旅行 りょこう から帰国 きこく 後 ご の[[1845年 ねん ]]にカトリック教会 きょうかい に改宗 かいしゅう 、最終 さいしゅう 的 てき には[[枢機卿 すうききょう ]]になった。
当時 とうじ [[オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく ]]では宗教 しゅうきょう に関 かん して激 はげ しい論争 ろんそう が繰 く り広 ひろ げられており([[オックスフォード運動 うんどう ]])、[[フランス革命 かくめい ]]の影響 えいきょう を受 う けた[[啓蒙 けいもう 思想 しそう ]]に対 たい し、保守 ほしゅ 派 は は反発 はんぱつ していた。ニューマンもその一人 ひとり であった。
ニューマンの基本 きほん 的 てき 主張 しゅちょう は、[[イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]は、初代 しょだい 教会 きょうかい 以来 いらい の使徒 しと 的 てき 伝統 でんとう を継承 けいしょう するものであり、ローマ・カトリック教会 きょうかい とプロテスタント教会 きょうかい の中道 ちゅうどう を歩 あゆ む唯一 ゆいいつ の真正 しんせい なる教会 きょうかい であるという点 てん にあった。[[カトリック教会 きょうかい |ローマ・カトリック教会 きょうかい ]]ももちろん伝統 でんとう 的 てき な教会 きょうかい だが、中世 ちゅうせい 以降 いこう 、さまざまな迷信 めいしん 、腐敗 ふはい の内 うち にあり、過度 かど な教皇 きょうこう 絶対 ぜったい 主義 しゅぎ によって古代 こだい 教会 きょうかい 以来 いらい の権威 けんい を継承 けいしょう する資格 しかく を失 うしな ってしまった。プロテスタント諸派 しょは は、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく という歴史 れきし 的 てき 事業 じぎょう に着手 ちゃくしゅ したにもかかわらず、古代 こだい 教会 きょうかい からの使徒 しと 的 てき 継承 けいしょう 性 せい を放棄 ほうき したために、やはり真正 しんせい なる教会 きょうかい としての資格 しかく を失 うしな っている。その点 てん 、[[イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]は、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく を経験 けいけん しつつも、古代 こだい からの使徒 しと 性 せい を正 まさ しく受 う け継 つ いでいる。このようなニューマンの理解 りかい は、おそらく彼 かれ がローマ・カトリック教会 きょうかい に転 うたて 会 かい し、[[枢機卿 すうききょう ]]となった後 のち にでさえも変 か わることはなかったであろう。<ref>{{Cite book|title=Sosetsu kirisutokyoshi. 3 kin gendai hen.|url=https://www.worldcat.org/oclc/676106628|publisher=Nihon Kirisuto Kyodan Shuppankyoku|date=2007.8|isbn=978-4-8184-0633-9|oclc=676106628|others=Sasagu Arai, Akira Demura, Teruo Kuribayashi, Renta Nishihara, Makoto Mizutani, 献 けんじ 荒井 あらい }}</ref> しかしながら、当時 とうじ のイングランド国教 こっきょう 会 かい 自身 じしん が国家 こっか の言 い いなりに陥 おちい っていることを批判 ひはん して[[オックスフォード運動 うんどう ]]を展開 てんかい した。
[[神学 しんがく ]]の研究 けんきゅう (具体 ぐたい 的 てき にはキリスト単 たん 性 せい 論 ろん など)を進 すす めているうち、カトリック教会 きょうかい に惹 ひ かれるようになり、改宗 かいしゅう するに至 いた った。[[第 だい 1バチカン公 こう 会議 かいぎ ]]の際 さい にも、ニューマンは[[教皇 きょうこう 不可 ふか 謬説]]を全面 ぜんめん 的 てき に擁護 ようご した。
[[聖 せい 公会 こうかい ]]において信徒 しんと の役割 やくわり が重視 じゅうし されていたのに対 たい し、[[カトリック教会 きょうかい ]]における信徒 しんと の地位 ちい の低 ひく さと教育 きょういく のなさに愕然 がくぜん としたニューマンは、「教会 きょうかい は聖職 せいしょく 者 しゃ と信徒 しんと との共同 きょうどう 体 たい である」との信念 しんねん から、信徒 しんと に対 たい する尊敬 そんけい と理解 りかい を示 しめ し、教育 きょういく のある信徒 しんと の重要 じゅうよう 性 せい をことあるごとに説 と いた。こうしたニューマンの考 かんが えは[[第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ ]]の理念 りねん の先駆 せんく とも言 い い得 え るものであったが、当時 とうじ は多 おお くの非難 ひなん ・批判 ひはん に遭 あ った<ref name="itonaga">[http://www.mr826.net:8080/psi/blog/archives/2010/11/25 新福 しんぷく 者 しゃ ニューマンと信徒 しんと の地位 ちい ・養成 ようせい 問題 もんだい (折々 おりおり の想 おも い 糸永 いとなが 真一 しんいち 司教 しきょう のカトリック時評 じひょう )] {{ja icon}}</ref>。
[[聖 せい 公会 こうかい ]]において信徒 しんと の役割 やくわり が重視 じゅうし されていたのに対 たい し、[[カトリック教会 きょうかい ]]における信徒 しんと の地位 ちい の低 ひく さと教育 きょういく のなさに愕然 がくぜん としたニューマンは、「教会 きょうかい は聖職 せいしょく 者 しゃ と信徒 しんと との共同 きょうどう 体 たい である」との信念 しんねん から、信徒 しんと に対 たい する尊敬 そんけい と理解 りかい を示 しめ し、教育 きょういく のある信徒 しんと の重要 じゅうよう 性 せい をことあるごとに説 と いた。こうしたニューマンの考 かんが えは[[第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ ]]の理念 りねん の先駆 せんく とも言 い い得 え るものであったが、当時 とうじ は多 おお くの非難 ひなん ・批判 ひはん に遭 あ った<ref name="itonaga">[http://www.mr826.net:8080/psi/blog/archives/2010/11/25 新福 しんぷく 者 しゃ ニューマンと信徒 しんと の地位 ちい ・養成 ようせい 問題 もんだい (折々 おりおり の想 おも い 糸永 いとなが 真一 しんいち 司教 しきょう のカトリック時評 じひょう )] {{ja icon}}</ref>。
[[1991年 ねん ]]にはその業績 ぎょうせき を称 とな えて[[尊者 そんじゃ ]]として認定 にんてい されており、[[2010年 ねん ]]9月 がつ の[[教皇 きょうこう ]][[ベネディクト16世 せい (ローマ教皇 きょうこう )|ベネディクト16世 せい ]]の英国 えいこく 公式 こうしき 訪問 ほうもん <ref>[[ヘンリー8世 せい (イングランド王 おう )|ヘンリー8世 せい ]]がローマ教会 きょうかい と袂 たもと を分 わ かって以来 いらい 、教皇 きょうこう が英国 えいこく を公式 こうしき 訪問 ほうもん したのはこれが初 はじ めて。[[ヨハネ・パウロ2世 せい ]]の英国 えいこく 訪問 ほうもん は非公式 ひこうしき 訪問 ほうもん 。</ref>の際 さい に[[列 れつ 福 ぶく ]]された<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/10403660 Pope's Coventry visit moved to Birmingham] 24 June 2010 BBC News</ref>。教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい は列 れつ 福 ぶく 式 しき の説教 せっきょう において、ニューマンの信徒 しんと 教育 きょういく 論 ろん について指摘 してき している<ref name="itonaga" />。
[[1991年 ねん ]]にはその業績 ぎょうせき を称 とな えて[[尊者 そんじゃ ]]として認定 にんてい されており、[[2010年 ねん ]]9月 がつ の[[教皇 きょうこう ]][[ベネディクト16世 せい (ローマ教皇 きょうこう )|ベネディクト16世 せい ]]の英国 えいこく 公式 こうしき 訪問 ほうもん <ref>[[ヘンリー8世 せい (イングランド王 おう )|ヘンリー8世 せい ]]がローマ教会 きょうかい と袂 たもと を分 わ かって以来 いらい 、教皇 きょうこう が英国 えいこく を公式 こうしき 訪問 ほうもん したのはこれが初 はじ めて。[[ヨハネ・パウロ2世 せい (ローマ教皇 きょうこう )| ヨハネ・パウロ2世 せい ]]の英国 えいこく 訪問 ほうもん は非公式 ひこうしき 訪問 ほうもん 。</ref>の際 さい に[[列 れつ 福 ぶく ]]された<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/10403660 Pope's Coventry visit moved to Birmingham] 24 June 2010 BBC News</ref>。教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい は列 れつ 福 ぶく 式 しき の説教 せっきょう において、ニューマンの信徒 しんと 教育 きょういく 論 ろん について指摘 してき している<ref name="itonaga" />。
[[2019年 ねん ]]7月 がつ 1日 にち 、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿 すうききょう を含 ふく む5名 めい の福 ぶく 者 しゃ の[[列聖 れっせい ]]が決定 けってい した。教皇 きょうこう [[フランシスコ (ローマ教皇 きょうこう )|フランシスコ]]は、5名 めい の福 ぶく 者 しゃ の列聖 れっせい 式 しき を10月13日 にち に執 と り行 おこな うことを発表 はっぴょう した<ref>[https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2019-07/canonizzazione-nuovi-santi-13-ottobre.html?fbclid=IwAR1-O3K6YWlMwQxi7lmDm65uPUlJafixoSQ877NZuIAvOA9HQM_IvL5_stM 今年 ことし 10月 がつ に、ニューマン枢機卿 すうききょう ら、5人 にん の列聖 れっせい 式 しき Vatican News(2019年 とし 7月 がつ 1日 にち )]</ref>。
[[2019年 ねん ]]7月 がつ 1日 にち 、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿 すうききょう を含 ふく む5名 めい の福 ぶく 者 しゃ の[[列聖 れっせい ]]が決定 けってい した。教皇 きょうこう [[フランシスコ (ローマ教皇 きょうこう )|フランシスコ]]は、5名 めい の福 ぶく 者 しゃ の列聖 れっせい 式 しき を10月13日 にち に執 と り行 おこな うことを発表 はっぴょう した<ref>[https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2019-07/canonizzazione-nuovi-santi-13-ottobre.html?fbclid=IwAR1-O3K6YWlMwQxi7lmDm65uPUlJafixoSQ877NZuIAvOA9HQM_IvL5_stM 今年 ことし 10月 がつ に、ニューマン枢機卿 すうききょう ら、5人 にん の列聖 れっせい 式 しき Vatican News(2019 年 とし 7月 がつ 1日 にち ) ]</ref>。
2019年 ねん 10月 がつ 13日 にち 、バチカン・サン・ピエトロ広場 ひろば で他 た の福 ぶく 者 しゃ 4人 にん と共 とも に列聖 れっせい された<ref>[https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2019-10/canonizzazioni-cinque-nuovi-santi-20191013.html ニューマン枢機卿 すうききょう ら5人 にん の列聖 れっせい 式 しき 、バチカンで Vatican News(2019年 ねん 10月 がつ 13日 にち )]</ref>
== 著書 ちょしょ ==
== 著書 ちょしょ ==
{{wikisource author|John Henry Newman|ジョン・ヘンリー・ニューマン}}
{{wikisource author||ジョン・ヘンリー・ニューマン}}
=== 国教 こっきょう 会 かい 時代 じだい ===
=== 国教 こっきょう 会 かい 時代 じだい ===
* ''Arians of the Fourth Century'' (1833年 ねん )
* ''Arians of the Fourth Century'' (1833年 ねん )
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* ''Development of Religious Error'' (1885年 ねん )
* ''Development of Religious Error'' (1885年 ねん )
* ''[[:en:Grammar of Assent|Grammar of Assent]]''
* ''[[:en:Grammar of Assent|Grammar of Assent]]''
=== 日本語 にほんご 訳 やく ===
*『ニューマン枢機卿 すうききょう の黙想 もくそう と祈 いの り』 長倉 ながくら 禮子 あやこ 訳 やく ・解説 かいせつ 、[[知泉 ちせん 書 しょ 館 かん ]]、2013年 ねん
*『聖母 せいぼ マリア 第 だい 二 に のエバ』 日本 にっぽん ニューマン協会 きょうかい 編 へん 訳 やく 、教 きょう 友 とも 社 しゃ 、2013年 ねん
*『心 しん が心 しん に語 かた りかける ニューマン説教 せっきょう 選 せん 』 日本 にっぽん ニューマン協会 きょうかい 訳 やく 、[[中央 ちゅうおう 出版 しゅっぱん 社 しゃ ]]、1991年 ねん
*『大学 だいがく で何 なに を学 まな ぶか』[[ピーター・ミルワード]]編 へん 、田中 たなか 秀人 ひでと 訳 やく 、[[大修館書店 たいしゅうかんしょてん ]]、1983年 ねん
== 評伝 ひょうでん ・研究 けんきゅう ==
*オーウェン・チャドウィック『ニューマン』 川中 かわなか なほ子 こ 訳 やく 、コンパクト評伝 ひょうでん シリーズ:[[教 きょう 文 ぶん 館 かん ]]、1995年 ねん
*長倉 ながくら 禮子 あやこ 『ジョン・ヘンリ・ニューマンの文学 ぶんがく と思想 しそう 』[[知泉 ちせん 書 しょ 館 かん ]]、2011年 ねん
*[[川中 かわなか なほ子 こ ]]『J・H・ニューマン研究 けんきゅう 』教 きょう 友 とも 社 しゃ 、2015年 ねん
== 脚注 きゃくちゅう ==
== 脚注 きゃくちゅう ==
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{{デフォルトソート:にゆうまん しよん へんり}}
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[[Category:19世紀 せいき のカトリック聖職 せいしょく 者 しゃ ]]
⚫
[[Category:
19世紀 せいき イ
ングランド の
神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:19世紀 せいき のキリスト教 きりすときょう 神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:19世紀 せいき のカトリック神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:19世紀 せいき イングランドの著作 ちょさく 家 か ]]
[[Category:19世紀 せいき イングランドの小説 しょうせつ 家 か ]]
[[Category:19世紀 せいき イングランドの詩人 しじん ]]
[[Category:19世紀 せいき イングランドの哲学 てつがく 者 しゃ ]]
[[Category:19世紀 せいき の音楽家 おんがくか ]]
[[Category:イギリスの西洋 せいよう 中世 ちゅうせい 学者 がくしゃ ]]
[[Category:イングランドの枢機卿 すうききょう ]]
[[Category:イングランドの枢機卿 すうききょう ]]
[[Category:聖 せい 公会 こうかい の聖職 せいしょく 者 しゃ ]]
[[Category:聖 せい 公会 こうかい の聖職 せいしょく 者 しゃ ]]
⚫
[[Category:イ
ギリスの
神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:聖 せい 公会 こうかい の神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:聖 せい 公会 こうかい の神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:カトリック教会 きょうかい の神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:カトリック教会 きょうかい の神学 しんがく 者 しゃ ]]
[[Category:イングランド国教 こっきょう 会 かい ]]
[[Category:ア ングロ・カトリック ]]
[[Category:19世紀 せいき の学者 がくしゃ ]]
[[Category:イングランド国教 こっきょう 会 かい の歴史 れきし ]]
[[Category:イギリスの著作 ちょさく 家 か ]]
[[Category:カト リック教会 きょうかい の聖人 せいじん ]]
[[Category:聖 せい 公会 こうかい の棄教者 しゃ ]]
[[Category:キリスト教 きりすときょう 弁 べん 証 しょう 家 か ]]
[[Category:キリスト教 きりすときょう 弁 べん 証 しょう 家 か ]]
[[Category:キリスト教 きりすときょう 哲学 てつがく 者 しゃ ]]
[[Category:アリストテレス哲学 てつがく 者 しゃ ]]
[[Category:経験 けいけん 論 ろん の哲学 てつがく 者 しゃ ]]
[[Category:認識 にんしき 論 ろん の哲学 てつがく 者 しゃ ]]
[[Category:カトリックの哲学 てつがく 者 しゃ ]]
[[Category:徳 とく 倫理 りんり 学者 がくしゃ ]]
[[Category:賛美 さんび 歌 か 作家 さっか ]]
[[Category:福 ぶく 者 しゃ ]]
[[Category:福 ぶく 者 しゃ ]]
[[Category:説教 せっきょう |人 ひと ]]
[[Category:キリスト教 きりすときょう 書籍 しょせき の著作 ちょさく 家 か ]]
[[Category:イギリスの歴史 れきし 小説 しょうせつ 家 か ]]
[[Category:オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく の教員 きょういん ]]
[[Category:オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく の教員 きょういん ]]
[[Category:ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの教員 きょういん ]]
[[Category:オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく トリニティ・カレッジ出身 しゅっしん の人物 じんぶつ ]]
[[Category:シティ・オブ・ロンドン出身 しゅっしん の人物 じんぶつ ]]
[[Category:シティ・オブ・ロンドン出身 しゅっしん の人物 じんぶつ ]]
[[Category:1801年生 ねんせい ]]
[[Category:1801年生 ねんせい ]]
ジョン・ヘンリー・ニューマン (John Henry Newman, 1801年 ねん 2月 がつ 21日 にち - 1890年 ねん 8月 がつ 11日 にち )は、19世紀 せいき イングランド の神学 しんがく 者 しゃ で、イングランド国教 こっきょう 会 かい の司祭 しさい からカトリック に改宗 かいしゅう して枢機卿 すうききょう となった人物 じんぶつ である。2010年 ねん 9月 がつ に列 れつ 福 ぶく され福 ぶく 者 しゃ 、2019年 ねん 10月 がつ 、聖人 せいじん と認定 にんてい された。
ロンドン に生 う まれる。オックスフォード でイングランド国教 こっきょう 会 かい の司祭 しさい を務 つと めていたが、イタリア 旅行 りょこう から帰国 きこく 後 ご の1845年 ねん にカトリック教会 きょうかい に改宗 かいしゅう 、最終 さいしゅう 的 てき には枢機卿 すうききょう になった。
当時 とうじ オックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく では宗教 しゅうきょう に関 かん して激 はげ しい論争 ろんそう が繰 く り広 ひろ げられており(オックスフォード運動 うんどう )、フランス革命 かくめい の影響 えいきょう を受 う けた啓蒙 けいもう 思想 しそう に対 たい し、保守 ほしゅ 派 は は反発 はんぱつ していた。ニューマンもその一人 ひとり であった。
ニューマンの基本 きほん 的 てき 主張 しゅちょう は、イングランド国教 こっきょう 会 かい は、初代 しょだい 教会 きょうかい 以来 いらい の使徒 しと 的 てき 伝統 でんとう を継承 けいしょう するものであり、ローマ・カトリック教会 きょうかい とプロテスタント教会 きょうかい の中道 ちゅうどう を歩 あゆ む唯一 ゆいいつ の真正 しんせい なる教会 きょうかい であるという点 てん にあった。ローマ・カトリック教会 きょうかい ももちろん伝統 でんとう 的 てき な教会 きょうかい だが、中世 ちゅうせい 以降 いこう 、さまざまな迷信 めいしん 、腐敗 ふはい の内 うち にあり、過度 かど な教皇 きょうこう 絶対 ぜったい 主義 しゅぎ によって古代 こだい 教会 きょうかい 以来 いらい の権威 けんい を継承 けいしょう する資格 しかく を失 うしな ってしまった。プロテスタント諸派 しょは は、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく という歴史 れきし 的 てき 事業 じぎょう に着手 ちゃくしゅ したにもかかわらず、古代 こだい 教会 きょうかい からの使徒 しと 的 てき 継承 けいしょう 性 せい を放棄 ほうき したために、やはり真正 しんせい なる教会 きょうかい としての資格 しかく を失 うしな っている。その点 てん 、イングランド国教 こっきょう 会 かい は、宗教 しゅうきょう 改革 かいかく を経験 けいけん しつつも、古代 こだい からの使徒 しと 性 せい を正 まさ しく受 う け継 つ いでいる。このようなニューマンの理解 りかい は、おそらく彼 かれ がローマ・カトリック教会 きょうかい に転 うたて 会 かい し、枢機卿 すうききょう となった後 のち にでさえも変 か わることはなかったであろう。[1] しかしながら、当時 とうじ のイングランド国教 こっきょう 会 かい 自身 じしん が国家 こっか の言 い いなりに陥 おちい っていることを批判 ひはん してオックスフォード運動 うんどう を展開 てんかい した。
神学 しんがく の研究 けんきゅう (具体 ぐたい 的 てき にはキリスト単 たん 性 せい 論 ろん など)を進 すす めているうち、カトリック教会 きょうかい に惹 ひ かれるようになり、改宗 かいしゅう するに至 いた った。第 だい 1バチカン公 こう 会議 かいぎ の際 さい にも、ニューマンは教皇 きょうこう 不可 ふか 謬説 を全面 ぜんめん 的 てき に擁護 ようご した。
聖 せい 公会 こうかい において信徒 しんと の役割 やくわり が重視 じゅうし されていたのに対 たい し、カトリック教会 きょうかい における信徒 しんと の地位 ちい の低 ひく さと教育 きょういく のなさに愕然 がくぜん としたニューマンは、「教会 きょうかい は聖職 せいしょく 者 しゃ と信徒 しんと との共同 きょうどう 体 たい である」との信念 しんねん から、信徒 しんと に対 たい する尊敬 そんけい と理解 りかい を示 しめ し、教育 きょういく のある信徒 しんと の重要 じゅうよう 性 せい をことあるごとに説 と いた。こうしたニューマンの考 かんが えは第 だい 2バチカン公 こう 会議 かいぎ の理念 りねん の先駆 せんく とも言 い い得 え るものであったが、当時 とうじ は多 おお くの非難 ひなん ・批判 ひはん に遭 あ った[2] 。
1991年 ねん にはその業績 ぎょうせき を称 とな えて尊者 そんじゃ として認定 にんてい されており、2010年 ねん 9月の教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい の英国 えいこく 公式 こうしき 訪問 ほうもん [3] の際 さい に列 れつ 福 ぶく された[4] 。教皇 きょうこう ベネディクト16世 せい は列 れつ 福 ぶく 式 しき の説教 せっきょう において、ニューマンの信徒 しんと 教育 きょういく 論 ろん について指摘 してき している[2] 。
2019年 ねん 7月 がつ 1日 にち 、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿 すうききょう を含 ふく む5名 めい の福 ぶく 者 しゃ の列聖 れっせい が決定 けってい した。教皇 きょうこう フランシスコ は、5名 めい の福 ぶく 者 しゃ の列聖 れっせい 式 しき を10月13日 にち に執 と り行 おこな うことを発表 はっぴょう した[5] 。
2019年 ねん 10月 がつ 13日 にち 、バチカン・サン・ピエトロ広場 ひろば で他 た の福 ぶく 者 しゃ 4人 にん と共 とも に列聖 れっせい された[6]
国教 こっきょう 会 かい 時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
Arians of the Fourth Century (1833年 ねん )
Tracts for the Times (1833年 ねん - 1841年 ねん )
British Critic (1836年 ねん - 1842年 ねん )
On the Prophetical Office of the Church (1837年 ねん )
Lectures on Justification (1838年 ねん )
Parochial and Plain Sermons (1834年 ねん - 1843年 ねん )
Select Treatises of St. Athanasius (1842年 ねん 、1844年 ねん )
Lives of the English Saints (1843年 ねん - 1844年 ねん )
Essays on Miracles (1826年 ねん - 1843年 ねん )
Oxford University Sermons (1843年 ねん )
Sermons on Subjects of the Day (1843年 ねん )
カトリック改宗 かいしゅう 後 ご [ 編集 へんしゅう ]
Essay on the Development of Christian Doctrine (1845年 ねん )
Retractation of Anti-Catholic Statements (1845年 ねん )
Loss and Gain (小説 しょうせつ 、1848年 ねん )
Faith and Prejudice and Other Sermons
Discourses to Mixed Congregations (1849年 ねん )
Difficulties of Anglicans (1850年 ねん )
Present Position of Catholics in England (1851年 ねん )
Idea of a University (1852年 ねん 、1858年 ねん )
Cathedra Sempiterna (1852年 ねん )
Callista (小説 しょうせつ 、1855年 ねん )
The Rambler (編集 へんしゅう 、1859年 ねん - 1860年 ねん )
Apologia Pro Vita Sua (1866年 ねん 、1865年 ねん )
Letter to Dr. Pusey (1865年 ねん )
The Dream of Gerontius (1865年 ねん ) - これをテクストとして、エドワード・エルガー がオラトリオ 『ゲロンティアスの夢 ゆめ 』を作曲 さっきょく した(1900年 ねん 初演 しょえん )。
An Essay in Aid of a Grammar of Assent (1870年 ねん )[7]
Sermons Preached on Various Occasions (1874年 ねん )
Letter to the Duke of Norfolk (1875年 ねん )
Five Letters (1875年 ねん )
Sermon Notes (1849年 ねん - 1878年 ねん )
Select Treatises of St. Athanasius (1881年 ねん )
On the Inspiration of Scripture (1884年 ねん )
Development of Religious Error (1885年 ねん )
Grammar of Assent
『ニューマン枢機卿 すうききょう の黙想 もくそう と祈 いの り』 長倉 ながくら 禮子 あやこ 訳 やく ・解説 かいせつ 、知泉 ちせん 書 しょ 館 かん 、2013年 ねん
『聖母 せいぼ マリア 第 だい 二 に のエバ』 日本 にっぽん ニューマン協会 きょうかい 編 へん 訳 やく 、教 きょう 友 とも 社 しゃ 、2013年 ねん
『心 しん が心 しん に語 かた りかける ニューマン説教 せっきょう 選 せん 』 日本 にっぽん ニューマン協会 きょうかい 訳 やく 、中央 ちゅうおう 出版 しゅっぱん 社 しゃ 、1991年 ねん
『大学 だいがく で何 なに を学 まな ぶか』ピーター・ミルワード 編 へん 、田中 たなか 秀人 ひでと 訳 やく 、大修館書店 たいしゅうかんしょてん 、1983年 ねん
評伝 ひょうでん ・研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
オーウェン・チャドウィック『ニューマン』 川中 かわなか なほ子 こ 訳 やく 、コンパクト評伝 ひょうでん シリーズ:教 きょう 文 ぶん 館 かん 、1995年 ねん
長倉 ながくら 禮子 あやこ 『ジョン・ヘンリ・ニューマンの文学 ぶんがく と思想 しそう 』知泉 ちせん 書 しょ 館 かん 、2011年 ねん
川中 かわなか なほ子 こ 『J・H・ニューマン研究 けんきゅう 』教 きょう 友 とも 社 しゃ 、2015年 ねん
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