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2007年2月25日 (日) 12:20時点における版
河井 醉茗(かわい すいめい、1874年5月7日 - 1965年1月17日)は、日本の詩人。本名、又平。堺市生れ。
「文庫」の記者として詩欄を担当し、多くの詩人を育てる。また雑誌「女性時代」「詩人」を刊行するなどして口語自由詩を提唱した。詩集に『無弦弓』『塔影』など。
経歴
1874年5月4日、大阪府堺市北旅籠町に生れた。父は又平、母はせいで、呉服商を営んでいた。幼名は幸三郎。1881年錦西小学校入学。18歳で「少年文庫」などに詩などの投稿を重ねる。20歳のときに詩「亡き弟」が初めて「少年文庫」に掲載され、以後「文庫」(「少年文庫」改題)の記者として、1907年に退くまで詩欄を担当する。また「よしあし草」の詩歌欄を編集。1901年に詩集『無弦弓』を刊行。
このほか「女子文壇」「新少女」の編集に当たり、「文庫」を退いた後は「詩人」を発行し口語自由詩、散文詩を推進。また日本詩人協会や大日本詩人協会の創立にも参加したり、女性時代社をおこして「女性時代」を刊行するなど、昭和期において詩の発展に尽力した。1937年、芸術院会員。ほか、日本詩人クラブ、日本文芸家協会名誉会員。1965年1月17日、急性心臓衰弱のため没した。
著書
- 詩集
- 無弦弓(1901年1月、内外出版協会)
- 塔影(1905年3月、金色社)
- 弥生集(1911年3月、天佑社)
- 醉茗詩集(1923年7月、アルス)
- 紫羅欄花(1932年7月、東北書院)
- 真賢木(1943年12月、金尾文淵堂)
- 花鎮抄(1946年10月、金尾文淵堂)
関連項目