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|配備期間=1921年(大正10年) - 1945年(昭和20年) |
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== 設計 == |
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[[ダブルアクション]]により撃発する単発拳銃で、中折れ式なのでラッチ操作による銃身開放で自動的に排莢される<ref name="munakata" />。 |
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[[ダブルアクション]]により撃発する単発拳銃で、中折れ式なのでラッチ操作による銃身開放で自動的に排莢される<ref name="munakata" />。 |
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拳銃本体は袋に収容し、紐で肩にかけて携帯する。信号弾の装填が不確実であった場合、銃身のラッチが撃鉄の前進を妨げ、信号弾の信管を打撃できない構造になっている<ref name="sayama">佐山二郎 著 『小銃 拳銃 機関銃入門』光人社NF文庫 [[2008年]] ISBN 978-4-7698-2284-4</ref>。 |
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信号弾は、金属ケースに格納されて輸送された。発射後2.5 秒後(約50 m地点)に点火する。信号弾は、長さ119.5 - 120.0 mmの金属筒で、煙剤または光剤を充填した紙筒と[[落下傘]]が格納されている。種類は'''龍'''(30 秒間発火する昼間用発煙信号弾、黄色・黒の2 種類)、'''吊星'''(20 - 30 秒間発光する落下傘付の発光弾、赤・白・緑の3 種類)、'''流星'''(5 - 8 秒間発光する3点の発光弾、赤・白・緑の3 種類)がある<ref>『丸』編集部 編『日本兵器総集太平洋戦争版 陸海空』 [[光人社]] [[2002年]] ISBN 4-7698-1065-2</ref>。これらを用いることで、昼間で2,200 - 4,000 m、夜間で2,000 - 8,000 mの部隊とコミュニケーションをとることが可能とされたが、天候が良ければ昼間で8 km、夜間では25 kmで目視することができた<ref name="munakata" />。 |
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信号弾は全備重量が150gから200gであり、推薬に小粒薬2gを用いた。信号弾の底栓中央部に火道が設けられており、緩燃導火索が封入されている。薬莢底面に文字と符号が記されて弾種を表示している。また夜間の使用のために、薬莢のリムの部分に筋目が入れられ、これによって弾種を識別できる<ref name="sayama" />。これらの信号弾は、金属ケースに格納されて輸送された。発射後2.5 秒後(約50 m地点)に点火する。信号弾は、長さ119.5 - 120.0 mmの金属筒で、煙剤または光剤を充填した紙筒と[[落下傘]]が格納されている。種類は'''龍'''(30 秒間発火する昼間用発煙信号弾、黄色・黒の2 種類)、'''吊星'''(20 - 30 秒間発光する落下傘付の発光弾、赤・白・緑の3 種類)、'''流星'''(5 - 8 秒間発光する3点の発光弾、赤・白・緑の3 種類)がある<ref>『丸』編集部 編『日本兵器総集太平洋戦争版 陸海空』 [[光人社]] [[2002年]] ISBN 4-7698-1065-2</ref>。これらを用いることで、昼間で2,200 - 4,000 m、夜間で2,000 - 8,000 mの部隊とコミュニケーションをとることが可能とされたが、天候が良ければ昼間で8 km、夜間では25 kmで目視することができた<ref name="munakata" />。 |
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信号用の薬剤には以下の物を使用した。 |
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* 黒色 塩素酸カリウム、ナフタリン |
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* 黄色 硫黄、鶏冠石 |
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* 白色 アルミニウム |
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* 赤色 炭酸ストロンチウム |
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* 緑色 塩素酸バリウム<ref name="sayama" /> |
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== 運用 == |
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研究は大正7年末から開始され、大正8年9月に口径35mmの試作銃が完成した。設計当初は口径26mmであったが光量不足であるため拡大されたものである。大正9年1月、光弾の研究中に爆発事故を起こした。これにより発射と同時に信号弾に点火する型式から、発射後50m飛んだ後に点火する形式へと信号弾が改められた<ref name="sayama" />。 |
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[[1921年]](大正10年)に制式化され、地上部隊や航空隊に配備された。しかし、[[1929年]](昭和4年)に[[八九式重擲弾筒]]が制式化され、[[十年式擲弾筒]]が信号弾発射筒として機甲部隊に配備された。さらに、八九式重擲弾筒用の信号弾もあったため、擲弾筒と異なり武器としての汎用性に劣る十年式信号拳銃は多くは配備されなかった<ref name="munakata" />。専ら、擲弾筒を有しない航空機に搭載され、撃墜した日本陸軍機から本銃を入手した[[アメリカ軍]]は、救難信号打ち上げ専用の信号銃と認識していた(アメリカ軍は航空無線技術が発達しており、通常の作戦時には無線で編隊のコミュニケーションをとっていたため)。 |
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[[1921年]](大正10年)に制式化され、地上部隊や航空隊に配備された。しかし、[[1929年]](昭和4年)に[[八九式重擲弾筒]]が制式化され、[[十年式擲弾筒]]が信号弾発射筒として機甲部隊に配備された。さらに、八九式重擲弾筒用の信号弾もあったため、擲弾筒と異なり武器としての汎用性に劣る十年式信号拳銃は多くは配備されなかった<ref name="munakata" />。専ら、擲弾筒を有しない航空機に搭載され、撃墜した日本陸軍機から本銃を入手した[[アメリカ軍]]は、救難信号打ち上げ専用の信号銃と認識していた(アメリカ軍は航空無線技術が発達しており、通常の作戦時には無線で編隊のコミュニケーションをとっていたため)。 |
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[[大日本帝国海軍]]でも航空機用信号銃として用いられ、[[真珠湾攻撃]]時の第一次攻撃隊の攻撃合図にも十年式信号拳銃は用いられた<ref>[[源田実]]『風鳴り止まず』 サンケイ出版 [[1982年]](後に『パールハーバー 運命の日 日米開戦の真実』 [[幻冬舎文庫]] [[2001年]] ISBN 4-344-40131-X に再版)</ref>。 |
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[[大日本帝国海軍]]でも航空機用信号銃として用いられ、[[真珠湾攻撃]]時の第一次攻撃隊の攻撃合図にも十年式信号拳銃は用いられた<ref>[[源田実]]『風鳴り止まず』 サンケイ出版 [[1982年]](後に『パールハーバー 運命の日 日米開戦の真実』 [[幻冬舎文庫]] [[2001年]] ISBN 4-344-40131-X に再版)</ref>。 |
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生産は終戦まで行なわれ、7,800丁以上が製造された。運用数も少なく、緊急度の低い兵器であったため、輸出も提案されており、[[1935年]](昭和10年)頃に刊行された日本軍の武器輸出カタログである、[[泰平組合]]カタログにも掲載されている<ref name="munakata" />。 |
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生産は終戦まで行なわれ、7,800丁以上が製造された。運用数も少なく、緊急度の低い兵器であったため、輸出も提案されており、[[1935年]](昭和10年)頃に刊行された日本軍の武器輸出カタログである、[[泰平組合]]カタログにも掲載されている<ref name="munakata" />。昭和16年12月において1挺あたりの単価(基準定予価)は125円だった<ref>陸軍兵器本部 『昭和16年12月 兵器臨時価格表(甲)』 昭和16年12月。アジア歴史資料センター A03032157800)</ref>。 |
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昭和18年の時点で、信号弾の一発あたりの単価は以下のとおりである。 |
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* 竜(黒色)2円20銭。 |
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* 竜(黄色)2円20銭。 |
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* 吊星(白)2円20銭。 |
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* 吊星(赤)2円20銭。 |
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* 吊星(緑)2円20銭。 |
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* 流星一ツ星(白)2円5銭。 |
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* 流星一ツ星(赤)2円。 |
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* 流星一ツ星(緑)2円5銭。 |
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* 流星三ツ星(白)2円15銭。 |
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* 流星三ツ星(赤)2円10銭。 |
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* 流星三ツ星(緑)2円10銭<ref>陸軍兵器本部 『兵器臨時価格表(乙)』 昭和18年5月から6月。アジア歴史資料センター A03032158000</ref>。 |
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== 参考文献 == |
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== 参考文献 == |
十年式信号拳銃(じゅうねんしきしんごうけんじゅう)は、大日本帝国で設計・製造された唯一の信号拳銃で、大日本帝国陸軍が採用した唯一の信号拳銃である[1]。
設計
ダブルアクションにより撃発する単発拳銃で、中折れ式なのでラッチ操作による銃身開放で自動的に排莢される[1]。
拳銃本体は袋に収容し、紐で肩にかけて携帯する。信号弾の装填が不確実であった場合、銃身のラッチが撃鉄の前進を妨げ、信号弾の信管を打撃できない構造になっている[2]。
信号弾は全備重量が150gから200gであり、推薬に小粒薬2gを用いた。信号弾の底栓中央部に火道が設けられており、緩燃導火索が封入されている。薬莢底面に文字と符号が記されて弾種を表示している。また夜間の使用のために、薬莢のリムの部分に筋目が入れられ、これによって弾種を識別できる[2]。これらの信号弾は、金属ケースに格納されて輸送された。発射後2.5 秒後(約50 m地点)に点火する。信号弾は、長さ119.5 - 120.0 mmの金属筒で、煙剤または光剤を充填した紙筒と落下傘が格納されている。種類は龍(30 秒間発火する昼間用発煙信号弾、黄色・黒の2 種類)、吊星(20 - 30 秒間発光する落下傘付の発光弾、赤・白・緑の3 種類)、流星(5 - 8 秒間発光する3点の発光弾、赤・白・緑の3 種類)がある[3]。これらを用いることで、昼間で2,200 - 4,000 m、夜間で2,000 - 8,000 mの部隊とコミュニケーションをとることが可能とされたが、天候が良ければ昼間で8 km、夜間では25 kmで目視することができた[1]。
信号用の薬剤には以下の物を使用した。
- 黒色 塩素酸カリウム、ナフタリン
- 黄色 硫黄、鶏冠石
- 白色 アルミニウム
- 赤色 炭酸ストロンチウム
- 緑色 塩素酸バリウム[2]
運用
研究は大正7年末から開始され、大正8年9月に口径35mmの試作銃が完成した。設計当初は口径26mmであったが光量不足であるため拡大されたものである。大正9年1月、光弾の研究中に爆発事故を起こした。これにより発射と同時に信号弾に点火する型式から、発射後50m飛んだ後に点火する形式へと信号弾が改められた[2]。
1921年(大正10年)に制式化され、地上部隊や航空隊に配備された。しかし、1929年(昭和4年)に八九式重擲弾筒が制式化され、十年式擲弾筒が信号弾発射筒として機甲部隊に配備された。さらに、八九式重擲弾筒用の信号弾もあったため、擲弾筒と異なり武器としての汎用性に劣る十年式信号拳銃は多くは配備されなかった[1]。専ら、擲弾筒を有しない航空機に搭載され、撃墜した日本陸軍機から本銃を入手したアメリカ軍は、救難信号打ち上げ専用の信号銃と認識していた(アメリカ軍は航空無線技術が発達しており、通常の作戦時には無線で編隊のコミュニケーションをとっていたため)。
大日本帝国海軍でも航空機用信号銃として用いられ、真珠湾攻撃時の第一次攻撃隊の攻撃合図にも十年式信号拳銃は用いられた[4]。
生産は終戦まで行なわれ、7,800丁以上が製造された。運用数も少なく、緊急度の低い兵器であったため、輸出も提案されており、1935年(昭和10年)頃に刊行された日本軍の武器輸出カタログである、泰平組合カタログにも掲載されている[1]。昭和16年12月において1挺あたりの単価(基準定予価)は125円だった[5]。
昭和18年の時点で、信号弾の一発あたりの単価は以下のとおりである。
- 竜(黒色)2円20銭。
- 竜(黄色)2円20銭。
- 吊星(白)2円20銭。
- 吊星(赤)2円20銭。
- 吊星(緑)2円20銭。
- 流星一ツ星(白)2円5銭。
- 流星一ツ星(赤)2円。
- 流星一ツ星(緑)2円5銭。
- 流星三ツ星(白)2円15銭。
- 流星三ツ星(赤)2円10銭。
- 流星三ツ星(緑)2円10銭[6]。
参考文献
関連項目