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じゅうねんしき信号しんごう拳銃けんじゅう

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じゅうねんしき信号しんごう拳銃けんじゅう
くすりしつ開放かいほうした状態じょうたい
じゅうねんしき信号しんごう拳銃けんじゅう
種類しゅるい 信号しんごう拳銃けんじゅう
製造せいぞうこく 日本の旗 日本にっぽん
年代ねんだい 1920年代ねんだい-1940年代ねんだい
仕様しよう
口径こうけい 35mm
銃身じゅうしんちょう 120mm
使用しよう弾薬だんやく 信号しんごうだん
装弾そうだんすう 1はつ
作動さどう方式ほうしき ダブルアクション
歴史れきし 
設計せっけいねん 1919ねん大正たいしょう8ねん9がつ
製造せいぞう期間きかん 1921ねん大正たいしょう10ねん)-1945ねん昭和しょうわ20ねん
配備はいび期間きかん 1921ねん大正たいしょう10ねん)-1945ねん昭和しょうわ20ねん
配備はいびさき 大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう にちちゅう戦争せんそうだい世界せかい大戦たいせん
製造せいぞうすう 7,800ちょう以上いじょう
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じゅうねんしき信号しんごう拳銃けんじゅう(じゅうねんしきしんごうけんじゅう)は、大日本帝国だいにっぽんていこく設計せっけい製造せいぞうされた信号しんごう拳銃けんじゅうで、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん採用さいようした唯一ゆいいつ信号しんごう拳銃けんじゅうである[1]

開発かいはつ[編集へんしゅう]

研究けんきゅう1918ねん大正たいしょう7ねんまつから開始かいしされた。設計せっけい当初とうしょ口径こうけい26mmであったが、光量ひかりりょう不足ふそくだったため拡大かくだいされて、1919ねん大正たいしょう8ねん)9がつ口径こうけい35mmの試作しさくじゅう完成かんせいした。1920ねん大正たいしょう9ねん)1がつひかりだん研究けんきゅうちゅう爆発ばくはつ事故じここしたため、発射はっしゃ同時どうじ信号しんごうだん点火てんかする型式けいしきから、発射はっしゃ50mんだのち点火てんかする形式けいしきへと信号しんごうだんあらためられた[2]

設計せっけい[編集へんしゅう]

ダブルアクションによりげきはっする単発たんぱつ拳銃けんじゅうで、中折なかおしきなのでラッチ操作そうさによる銃身じゅうしん開放かいほう自動的じどうてきはいさいかちされる[1]拳銃けんじゅう本体ほんたいふくろ収容しゅうようし、ひもかたにかけて携帯けいたいする。信号しんごうだん装填そうてん確実かくじつであった場合ばあい銃身じゅうしんのラッチがげきてつ前進ぜんしんさまたげ、信号しんごうだん信管しんかん打撃だげきできない構造こうぞうになっている[2]

信号しんごうだん全備ぜんび重量じゅうりょうが150-200gであり、推薬に小粒こつぶやく2gをもちいる。信号しんごうだんそこせん中央ちゅうおうどうもうけられており、なるもえ導火どうかさく封入ふうにゅうされている。薬莢やっきょう底面ていめん文字もじ符号ふごうしるされてたましゅ表示ひょうじしている。また、夜間やかん使用しようのために、薬莢やっきょうのリムの部分ぶぶん筋目すじめれられ、これによってたましゅ識別しきべつできる[2]。これらの信号しんごうだんは、金属きんぞくケースに格納かくのうされて輸送ゆそうされた。発射はっしゃ2.5びょうやく50m地点ちてん)に点火てんかする。信号しんごうだんは、ながさ119.5-120.0mmの金属きんぞくとうで、けむりざいまたはひかりざい充填じゅうてんしたかみとう格納かくのうされている。種類しゅるいりゅう(30秒間びょうかん発火はっかする昼間ひるまよう発煙はつえん信号しんごうだん黄色おうしょくくろの2種類しゅるい)・つるしぼし(20-30秒間びょうかん発光はっこうする落下傘らっかさんづけ発光はっこうだんあかしろみどりの3種類しゅるい)・流星りゅうせい(5-8秒間びょうかん発光はっこうする発光はっこうだんあかしろみどりの3種類しゅるいがあり、それぞれに発光はっこうだん1個いっこいちぼし発光はっこうだん3三ツ星みつぼしがある)がある[3]。これらをもちいることで、昼間ひるまで2,200-4,000m、夜間やかんで2,000-8,000mの部隊ぶたいとコミュニケーションをとることが可能かのうとされたが、天候てんこうければ昼間ひるまで8km、夜間やかんでは25kmで目視もくしすることができた[1]

信号しんごうよう薬剤やくざいには以下いかもの使用しようした[2]

運用うんよう[編集へんしゅう]

1921ねん大正たいしょう10ねん)に制式せいしきされ、地上ちじょう部隊ぶたい航空こうくうたい配備はいびされた。しかし、同年どうねん制式せいしきされたじゅうねんしき擲弾筒てきだんとうにも信号しんごうだん用意よういされており、さらに1929ねん昭和しょうわ4ねん)にはちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう制式せいしきされると、じゅうねんしき擲弾筒てきだんとう信号しんごうだん発射はっしゃとうとして機甲きこう部隊ぶたい配備はいびされた。さらに、はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとうよう信号しんごうだんもあったため、擲弾筒てきだんとうことなり武器ぶきとしての汎用はんようせいおとじゅうねんしき信号しんごう拳銃けんじゅうおおくは配備はいびされなかった[1]もっぱら、擲弾筒てきだんとうゆうしない航空機こうくうき搭載とうさいされ、撃墜げきついした日本にっぽん陸軍りくぐんからほんじゅう入手にゅうしゅしたアメリカぐんは、救難きゅうなん信号しんごう専用せんよう信号しんごう拳銃けんじゅう認識にんしきしていた。

大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんでも航空機こうくうきよう信号しんごうじゅうとしてもちいられ、真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきどきだいいち攻撃こうげきたい攻撃こうげき合図あいずにもじゅうねんしき信号しんごう拳銃けんじゅうもちいられた[4]。なお、艦艇かんていけには、川口かわぐちりん鉄砲てっぽう火薬かやくてんげん株式会社かぶしきがいしゃ川口かわぐち)に中折なかおれしき単発たんぱつ信号しんごうじゅうきゅうななしき信号しんごう拳銃けんじゅう)、萱場かやば製作所せいさくしょ水平すいへいれんしきさんれんしき信号しんごうじゅうきゅうじゅうしき信号しんごう拳銃けんじゅう英語えいごばん)を製造せいぞうさせて配備はいびしていた[5]

生産せいさん終戦しゅうせんまでおこなわれ、7,800ちょう以上いじょう製造せいぞうされた。運用うんようすうすくなく、緊急きんきゅう機密きみつせいひく兵器へいきであったため輸出ゆしゅつ提案ていあんされており、1935ねん昭和しょうわ10ねんごろ刊行かんこうされた日本にっぽんぐん武器ぶき輸出ゆしゅつカタログである、泰平たいへい組合くみあいカタログにも掲載けいさいされている[1]1941ねん昭和しょうわ16ねん)12がつにおいて1ちょうあたりの単価たんか基準きじゅんてい予価よか)は125えんだった[6]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)の時点じてんで、信号しんごうだんの1はつあたりの単価たんか以下いかのとおりである[7]

  • りゅう黒色こくしょく黄色おうしょく) - 2えん20ぜに
  • つるしぼししろあかみどり) - 2えん20ぜに
  • 流星りゅうせいいちぼししろみどり) - 2えん5ぜに
  • 流星りゅうせいいちぼしあか) - 2えん
  • 流星りゅうせい三ツ星みつぼししろ) - 2えん15ぜに
  • 流星りゅうせい三ツ星みつぼしあかみどり) - 2えん10ぜに

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 宗像むねかた和広かずひろ兵頭ひょうどうじゅうはち編著へんちょ日本にっぽん兵器へいき資料集しりょうしゅう 泰平たいへい組合くみあいカタログ』ミリタリー・ユニフォーム8 並木なみき書房しょぼう 1999ねん ISBN 4-89063-117-8
  2. ^ a b c d 佐山さやま二郎じろう ちょ小銃しょうじゅう 拳銃けんじゅう 機関きかんじゅう入門にゅうもん光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ 2008ねん ISBN 978-4-7698-2284-4
  3. ^ まる編集へんしゅう へん日本にっぽん兵器へいきそうあつまり太平洋戦争たいへいようせんそうばん 陸海空りくかいくう光人みつひとしゃ 2002ねん ISBN 4-7698-1065-2
  4. ^ 源田げんたふうまず』 サンケイ出版しゅっぱん 1982ねんのちに『パールハーバー 運命うんめいにち にちべい開戦かいせん真実しんじつ幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ 2001ねん ISBN 4-344-40131-X再版さいはん
  5. ^ 信号しんごうじゅう - 日本にっぽん武器ぶき兵器へいき.jp
  6. ^ 陸軍りくぐん兵器へいき本部ほんぶ昭和しょうわ16ねん12月 兵器へいき臨時りんじ価格かかくひょう(かぶと)』昭和しょうわ16ねん12月。アジア歴史れきし資料しりょうセンター A03032157800)
  7. ^ 陸軍りくぐん兵器へいき本部ほんぶ兵器へいき臨時りんじ価格かかくひょう(おつ)』昭和しょうわ18ねん5がつから6がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター A03032158000

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]