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よんしき自動じどう小銃しょうじゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
よんしき自動じどう小銃しょうじゅう
アメリカぐん接収せっしゅうされたよんしき自動じどう小銃しょうじゅう
よんしき自動じどう小銃しょうじゅう
種類しゅるい はん自動じどう小銃しょうじゅう
製造せいぞうこく 日本の旗 日本にっぽん
設計せっけい製造せいぞう 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう、ワシノせい
年代ねんだい 1945ねん
仕様しよう
口径こうけい 7.7×58 mm
銃身じゅうしんちょう 540 mm
使用しよう弾薬だんやく きゅうきゅうしき普通ふつう実包じっぽう[1][2]
装弾そうだんすう 10はつ固定こていしきばこがた弾倉だんそう
作動さどう方式ほうしき ガスあつ作動さどうしき
全長ぜんちょう 1074 mm
重量じゅうりょう 5.4 kg
銃口じゅうこう初速しょそく 740 m/s
有効ゆうこう射程しゃてい 最大さいだい照尺しょうしゃく 1,200 m
歴史れきし 
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう だい東亜とうあ戦争せんそう
製造せいぞうすう やく180 ちょうじゃく
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よんしき自動じどう小銃しょうじゅう(よんしきじどうしょうじゅう)は、1944ねん昭和しょうわ19ねん)に大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん開発かいはつしたはん自動じどう小銃しょうじゅうである。しばしばType 5しき)などともばれる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

原型げんけいとなったM1ガーランド

よんしき自動じどう小銃しょうじゅうは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくせいM1ガーランド日本にっぽん海軍かいぐんがコピーしたものである。おも以下いかのような差異さいがある。

  • M1ガーランドは.30-06スプリングフィールドだんもちいるが、よんしきは7.7mmだんもちいる。
  • M1ガーランドは特徴とくちょうてきエンブロック・クリップもちいる8連発れんぱつ固定こてい弾倉だんそうそなえていたが、よんしきはこがた固定こてい弾倉だんそうには5連発れんぱつストリッパー・クリップ2つをもちいて10はつ装填そうてんできる。レシーバー左側ひだりがわめんのクリップ・弾薬だんやく強制きょうせい排出はいしゅつようボタンも不要ふようとなった。
  • M1ガーランドのリアサイトはダイヤルをまわして上下じょうげ左右さゆう調整ちょうせいおこな方式ほうしきだが、よんしき従来じゅうらい日本にっぽんせい軍用ぐんよう小銃しょうじゅうおなじく、しるべじゃく前後ぜんごにスライドさせて上下じょうげ射距離しゃきょり)を調整ちょうせいするタンジェント・サイトであった。ただし、よんしきでもリアサイトでの左右さゆうダイヤル調整ちょうせい可能かのう
  • じゅうからゆかにかけての上下じょうげささえきん上下じょうげ分割ぶんかつしき銃床じゅうしょうかわどおし・ゆかばんきゅうきゅうしき小銃しょうじゅう様式ようしきである。

元々もともと落下傘らっかさん部隊ぶたい配備はいびすることが想定そうていされていたが、設計せっけい時期じきだい東亜とうあ戦争せんそう末期まっきだったこともあり、試作しさく本格ほんかくてき生産せいさんおこなわれることはなかった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

日本にっぽんぐんにおけるはん自動じどう小銃しょうじゅう開発かいはつだい世界せかい大戦たいせんまえからはじまっていた。1931ねん南部なんぶ麒次ろう創業そうぎょうした南部なんぶじゅう製造せいぞうしょけい機関きかんじゅうはん自動じどう小銃しょうじゅう設計せっけいおよび試験しけんかんする契約けいやく軍部ぐんぶむすんだ。このさい南部なんぶ複数ふくすう設計せっけいあん提出ていしゅつしたものの、十分じゅうぶん性能せいのうそなえたものはなかった。どう時期じき、2種類しゅるい6.5mm口径こうけいのガスあつ作動さどう方式ほうしきはん自動じどう小銃しょうじゅう試作しさくされている。陸軍りくぐん東京とうきょう砲兵ほうへい工廠こうしょう日本にっぽん特殊とくしゅこうがけたモデルは、アメリカせいピダーセン自動じどう小銃しょうじゅう模倣もほうしたものだった[3]一方いっぽう東京瓦斯とうきょうがす電気でんき工業こうぎょうがけたモデルは、チェコせいZH-29はん自動じどう小銃しょうじゅう模倣もほうしたものだった[4]。しかし、このうち前者ぜんしゃはオリジナルのアメリカせいピダーセンと同様どうよう装弾そうだん機構きこう不良ふりょうなやまされ、後者こうしゃ命中めいちゅう精度せいど問題もんだいがあるとされた。また、従来じゅうらいのボルトアクションしき小銃しょうじゅうくらべて高価こうかだったこと、日本にっぽん工業こうぎょうりょくでは部品ぶひん弾薬だんやく十分じゅうぶん供給きょうきゅうむずかしいこと、銃弾じゅうだん無駄むだになるとかんがえる将校しょうこうおおかったことなどから、軍部ぐんぶはん自動じどう小銃しょうじゅうたいする関心かんしんうすれつつあったが、1936ねんにちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつがこれを決定けっていづけた。主力しゅりょく歩兵ほへいじゅうだったさんはちしき歩兵ほへいじゅう生産せいさんさい優先ゆうせんされたため、はん自動じどう小銃しょうじゅうかんする計画けいかくは1941ねんごろまで凍結とうけつされることとなる[2]。1941ねんからふたたはじまった陸軍りくぐん主導しゅどうはん自動じどう小銃しょうじゅう開発かいはつは、1943ねんなかごろ中止ちゅうしされた[5]

海軍かいぐんによるはん自動じどう小銃しょうじゅう開発かいはつ[編集へんしゅう]

1943ねんごろ日本にっぽん海軍かいぐんでは落下傘らっかさん部隊ぶたい火力かりょく強化きょうか検討けんとうするにあたり、アメリカせいのM1ガーランドをさい設計せっけいして配備はいびすることを計画けいかくした。以後いご、1945ねん4がつまで各種かくしゅ改良かいりょうおよび試作しさくつづけられた[1]

海軍かいぐんによるはん自動じどう小銃しょうじゅう開発かいはつは、陸軍りくぐんがわ計画けいかく中止ちゅうしけて開始かいしされたともされる。元々もともと横須賀よこすか舞鶴まいづるの3海軍かいぐん工廠こうしょう共同きょうどうして自動じどう小銃しょうじゅう開発かいはつおこな予定よていだった。しかし、いずれの海軍かいぐん工廠こうしょうにもこの計画けいかく余力よりょくはなく、最終さいしゅうてきには横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうのみが開発かいはつてられた。また、開発かいはつどう海軍かいぐん工廠こうしょう機関きかんじゅう工場こうじょうおこなわれたが、当時とうじ機関きかんじゅうおよび機関きかんほう需要じゅようきわめておおきく、優先ゆうせんひく小銃しょうじゅう開発かいはつ機関きかんじゅう/機関きかんほう製造せいぞう時間じかんおこなわれることとされた[5]

開発かいはつにあたって、海軍かいぐんはアメリカせいM1ガーランドを7.7x58mmだん仕様しようさい設計せっけいすることを検討けんとうした。M1ガーランドは、1942ねんのマニラのたたかいののちいち定数ていすう鹵獲ろかくされており、その一部いちぶ海軍かいぐん入手にゅうしゅ日本にっぽん本土ほんどへとかえっていた。1944ねん初頭しょとう、M1ガーランドを7.7x58mm仕様しよう改造かいぞうした評価ひょうかよう試作しさくじゅう10ちょう制作せいさくされた。これがその試験しけんにてすぐれた評価ひょうかおさめたことで、本格ほんかくてきなコピーじゅう設計せっけいはじまった[5]

最初さいしょのコピーじゅうは、製造せいぞう能力のうりょく確認かくにんねて、評価ひょうかようM1ガーランドの改造かいぞう並行へいこうして設計せっけいおこなわれた。その海軍かいぐんはこれにいくつかの改良かいりょうくわえたものをよんしき自動じどう小銃しょうじゅうとして採用さいようし、実地じっち試験しけんのための調達ちょうたつおこなった。中国ちゅうごく太平洋たいへいよう各地かくち展開てんかいした地上ちじょう部隊ぶたい落下傘らっかさん部隊ぶたいにこの小銃しょうじゅう配備はいびし、長期ちょうきわた実地じっち試験しけんおこなうことが予定よていされていたとわれているものの、実際じっさいにはきわめてかぎられた範囲はんい規模きぼでしかおこなわれなかった[5]

実地じっち試験しけんでは部品ぶひん破損はそん、7.7x58mmの反動はんどう不足ふそくによる動作どうさ不良ふりょう、これに関連かんれんしたきゅうだん不良ふりょうなどの問題もんだい報告ほうこくされたが、一定いってい成功せいこうなされ、本格ほんかくてき生産せいさんうつることとなった。横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうでは生産せいさんおこな余力よりょくがなかったので、愛知あいちけんのワシノせいにこれをまかせる計画けいかくてられた。1945ねん後半こうはん調査ちょうさおこなったアメリカ陸軍りくぐん報告ほうこくしたところによれば、ワシノせいには部品ぶひん製造せいぞう設備せつびがなく、横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうからはこまれたとおぼしき部品ぶひん組立くみたてて製造せいぞうおこなっていたという。そのため、問題もんだい発生はっせいしても対応たいおうできる技術ぎじゅつしゃ社内しゃないにおらず、そのたび横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうからの指示しじつことを余儀よぎなくされた。こうしてよんしき自動じどう小銃しょうじゅうはほとんど製造せいぞうされないうちに、海軍かいぐんからワシノせいたいし、小銃しょうじゅう製造せいぞう中止ちゅうしして航空機こうくうきエンジンの製造せいぞう協力きょうりょくするようにとの指示しじおこなわれた。敗戦はいせん、アメリカ軍人ぐんじん調査ちょうさおとずれた時点じてんで、ワシノせいでは航空機こうくうきエンジンの製造せいぞうへの転換てんかんなかばまですすんでいたにもかかわらず、敗戦はいせん間際まぎわ混乱こんらんのため、すで不要ふようになったはずの小銃しょうじゅう部品ぶひん製造せいぞう設備せつびはこまれていたという[5]戦後せんご日本にっぽん進駐しんちゅうしたアメリカ陸軍りくぐん部隊ぶたいが、ワシノせい工場こうじょうにていくらかのよんしき自動じどう小銃しょうじゅう回収かいしゅうした。また、横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうからも一部いちぶ回収かいしゅうされている[1]

製造せいぞうすうきわめてすくなく、正確せいかくには不明ふめいだが、いくつかの数字すうじげられている。アメリカぐんが100ちょう程度ていど接収せっしゅうしたという報告ほうこく[1]てられたのは125ちょう以下いかという推測すいそく[1]、ワシノせい工場こうじょうに150ちょうぶん部品ぶひんはこまれ、このうち50ちょうほどがてられていたという報告ほうこくなどがある[5]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

ほんじゅう現存げんそんひんは、そのほとんどが戦利せんりひんとしてアメリカ軍人ぐんじんによりアメリカ本国ほんごくされたものとかんがえられており、博物館はくぶつかんでは全米ぜんべいライフル協会きょうかい運営うんえいするNRA国立こくりつ銃器じゅうき博物館はくぶつかん英語えいごばんや、ワイオミングしゅうコーディ所在しょざいするコーディ銃器じゅうき博物館はくぶつかん英語えいごばんなどに所蔵しょぞうされているほか、個人こじん所蔵しょぞうのものが時折ときおり銃器じゅうきオークションに出品しゅっぴんされることがあり、そのおおくは20,000あめりかドル以上いじょうという非常ひじょう高額こうがく価格かかく取引とりひきされているという[6]

戦後せんご豊和工業ほうわこうぎょうにて64しき7.62mm小銃しょうじゅう開発かいはつたずさわった津野つのせら光男みつおは、著書ちょしょなかほんじゅうを「よんしき小銃しょうじゅう」と記述きじゅつしており、自身じしんともに64しき小銃しょうじゅう開発かいはつたずさわった技術ぎじゅつしゃすくなからぬかずが、ほんじゅうはじめとする日本にっぽん試製しせい自動じどう小銃しょうじゅうたずさわった経験けいけんゆうしていたこと[7]、64しき小銃しょうじゅう制式せいしき採用さいよう名古屋なごや造兵ぞうへいしょうもと陸軍りくぐん技官ぎかんよりほんじゅう技術ぎじゅつ資料しりょうおおくをゆずけ、これが64しき小銃しょうじゅう量産りょうさん設備せつび構築こうちくおおいに役立やくだてられたことなどをのこしており[8]M1ガーランドM1カービンなどべいぐん供与きょうよ警察けいさつ予備よびたいおよ保安ほあんたい制式せいしき小銃しょうじゅう英語えいごばん維持いじ整備せいびや、戦中せんちゅうきゅうきゅうしき短小たんしょうじゅうたずさわった豊和工業ほうわこうぎょう実績じっせきわせ[9]ほんじゅう存在そんざいが64しき小銃しょうじゅう開発かいはついしずえひとつになったものとして肯定こうていてき評価ひょうかくだしている。

米国べいこくがわ記述きじゅつには言及げんきゅうされていないが、試製しせい自動じどう小銃しょうじゅうかぶとおよおつどう時期じき日本にっぽん特殊とくしゅこうにより試作しさくされたガスあつ反動はんどう併用へいようしき試製しせい自動じどう小銃しょうじゅうへい[10][11]も、設計せっけい主任しゅにん河村かわむら正彌まさや戦後せんご62しき7.62mm機関きかんじゅう開発かいはつ指揮しき直接ちょくせつっており、ほんじゅう共々ともども戦後せんご自衛隊じえいたい制式せいしき火器かき開発かいはつなかでもおおきな足跡あしあとのこした。

一方いっぽう、webサイト『日本にっぽん武器ぶき兵器へいき』を主宰しゅさいし、戦前せんぜん様々さまざまきゅう日本にっぽんぐん銃火じゅうかるいさい評価ひょうかおこなっている須川すがわかおるつよしは、ほんじゅうを「ガーランド方式ほうしきじゅう」と記述きじゅつしている。須川すがわは、制式せいしき採用さいようライセンス生産せいさんとすること前提ぜんていに、レミントン・アームズジョン・ピダーセン英語えいごばんや、チェコズブロヨフカ英語えいごばんしゃより許諾きょだく試製しせいおこなわれた[よう出典しゅってん]試製しせい自動じどう小銃しょうじゅうきのえおよおつことなり、ほんじゅうまったくのデッドコピーであること問題もんだいてんとして指摘してきした[注釈ちゅうしゃく 1]。また、スミソニアン博物館はくぶつかんなどでいくつかの現物げんぶつ観察かんさつしたものの、いずれも環状かんじょうあきらもんあなちいさすぎてまともにねらいがけられないなど、つくりが粗末そまつ形式けいしき刻印こくいん存在そんざいしなかったという。くわえて、スミソニアン博物館はくぶつかん所蔵しょぞうされているものは、使用しよう弾薬だんやくが.303(7.7mm×56R)だとわれたとしており、須川すがわはこのてんから、ほんじゅう大戦たいせん末期まっき海軍かいぐん艦艇かんてい航空機こうくうき喪失そうしつしたのち余剰よじょうとなったとめしき機銃きじゅうようの7.7mm×56Rだん転用てんようするべく、横須賀よこすか工廠こうしょう豊川とよかわ工廠こうしょう協力きょうりょく企業きぎょう開発かいはつしたものと推測すいそくし、64しき小銃しょうじゅう開発かいはつさい豊和工業ほうわこうぎょう提出ていしゅつしたほんじゅう図面ずめん偽物にせものであると主張しゅちょうしている[12]

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

漫画まんが[編集へんしゅう]

最後さいご狙撃そげきへい秋本あきもとおさむ 
しき」として登場とうじょう主人公しゅじんこうもと陸軍りくぐん狙撃そげきへいであるが所持しょじしている。作中さくちゅうM1ガーランドのコピーであると言及げんきゅうし、戦争せんそうちゅうだれ出来できなかったと言及げんきゅうしている。

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

レッドサン ブラッククロス』 
日本にっぽん陸軍りくぐん装備そうびとして登場とうじょう。ただし作中さくちゅう歴史れきし現実げんじつことなるため、ほんじゅうは「20はつ英軍えいぐん共用きょうよう7.62mm口径こうけいだん装填そうてんした、着脱ちゃくだつしき弾倉だんそう使用しようする完全かんぜん国産こくさんじゅう」という現実げんじつことなったものになっている。合衆国がっしゅうこくからはM1ガーランド盗作とうさくではないかと文句もんくけられている。

ゲーム[編集へんしゅう]

バトルフィールドシリーズ
BF1942
日本にっぽんぐん工兵こうへい装備そうびとして「しき」の名前なまえ登場とうじょうする。装填そうてん方式ほうしきマガジンしきになっている。
BF1943
日本にっぽん海軍かいぐん小銃しょうじゅうへい装備そうびとして「Type 5 Semi-Automatic Rifle」の名前なまえ登場とうじょうする。
BFBC2
しき自動じどう小銃しょうじゅう」の名称めいしょうでシングルプレイにのみ登場とうじょうする。日本にっぽん海軍かいぐん使用しようするが、主人公しゅじんこう鹵獲ろかくして使用しよう可能かのう

Enlisted

日本にっぽんぐん通常つうじょうツリーとして登場とうじょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ただし、戦時せんじにおける他国たこくせい兵器へいき模倣もほうくに陣営じんえいわずおこなわれており(イギリスランチェスターたん機関きかんじゅうドイツパンツァーシュレックMP3008、アメリカのT24ひとしほんじゅう特有とくゆう問題もんだいとはえない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e RIFLE, MILITARY - JAPANESE RIFLE TYPE 5 (COPY OF U.S. M1) 7.7MM SN# 53”. Springfield Armory Museum. 2016ねん7がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Japanese Garand WWII Semi-Automatic Rifle”. NRA Museums. 2016ねん7がつ31にち閲覧えつらん
  3. ^ RIA: Japanese Army Pedersen Copy Trials Rifle - ForgottenWeapons.com
  4. ^ RIA: Japanese ZH-29 Copy by Tokyo Gas & Electric - ForgottenWeapons.com
  5. ^ a b c d e f 'Japanese Garand': The Story of the Type 4”. American Rifleman. 2021ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ Japanese Type 4 Garand copy - ForgottenWeapons.com
  7. ^ 津野つのせら光男みつおまぼろし自動じどう小銃しょうじゅう ろくよんしき小銃しょうじゅうのすべて』光人みつひとしゃISBN 4-7698-2490-4、4ぺーじ
  8. ^ 津野つのせら光男みつおまぼろし自動じどう小銃しょうじゅう ろくよんしき小銃しょうじゅうのすべて』光人みつひとしゃISBN 4-7698-2490-4、162ぺーじ
  9. ^ Our History (Howa Machinery Firearms Dept.) - 豊和工業ほうわこうぎょう
  10. ^ RIA: Japanese Trials Gas-Operated Pedersen Rifle - ForgottenWeapons.com
  11. ^ EXTREMELY RARE PRE-WWII EXPERIMENTAL SEMI-AUTO MILITARY RIFLE -
  12. ^ 日本にっぽんはん自動じどうじゅう - 日本にっぽん武器ぶき兵器へいき.jp
  13. ^ arisakatype99page - Carbines for Collectors.com
  14. ^ フランシス・C・アーラン、ドス・H・ホワイト、スタンレー・ジーリンスキー 『The Early Arisakas』 2006ねん、AK Enterprises、ISBN 0-9614814-5-5、95ぺーじ
  15. ^ コーワンズ・オークションズ「Rare Japanese Type 35 Experimental Rifle」 - bidsquare.com

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]