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さんねんしき機関きかんじゅう

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さんねんしき機関きかんじゅう
さんねんしき機関きかんじゅう前後ぜんごひさげ棍はじゅうからはずされ、ゆか直接ちょくせつかれている。
概要がいよう
種類しゅるい 機関きかんじゅう
製造せいぞうこく 日本の旗 日本にっぽん
設計せっけい製造せいぞう 南部なんぶ麒次ろう
南部なんぶ銃器じゅうき製造せいぞうしょ中央ちゅうおう工業こうぎょうげんミネベアミツミ
性能せいのう
口径こうけい 6.5mm
銃身じゅうしんちょう 737mm
使用しよう弾薬だんやく さんはちしき実包じっぽう
装弾そうだんすう 30はつだんいた
作動さどう方式ほうしき ガスあつ作動さどう方式ほうしき
ロッキングブロックしき
全長ぜんちょう 1,220mm
重量じゅうりょう 25.6kg
発射はっしゃ速度そくど 500はつ/ぶん
銃口じゅうこう初速しょそく 740 m/s (2,400 ft/s)
有効ゆうこう射程しゃてい 1,700 m(照準しょうじゅん目盛めもり最大さいだい2,200 m)
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さんねんしき機関きかんじゅう(さんねんしききかんじゅう)は、1914ねん大正たいしょう3ねん)に制式せいしきされた、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん以下いか陸軍りくぐんという)の制式せいしき機関きかんじゅうである。生産せいさん当初とうしょ東京とうきょう砲兵ほうへい工廠こうしょうおこなわれ、のち東京瓦斯とうきょうがす電気でんき会社かいしゃ生産せいさん委託いたく推定すいてい3000ていつくられた。大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんでもさんねんしきほうおよさんねんしき機銃きじゅう名称めいしょう使用しようされていた。

開発かいはつ経緯けいい[編集へんしゅう]

陸軍りくぐんはそれまで世界せかい各国かっこく評判ひょうばんのよかった機関きかんじゅうホチキス機関きかんじゅう」の使用しよう弾薬だんやくさんじゅうねんしき実包じっぽう変更へんこうじょうフランスから輸入ゆにゅうまたは国産こくさんしたしき機関きかんほうと、それをもと南部なんぶ麒次ろう改良かいりょうくわえたさんはちしき機関きかんじゅう使用しようしていた。

しかし銃身じゅうしん過熱かねつすることにより銃身じゅうしん寿命じゅみょうみじかいといった欠点けってんがあった。そのため明治めいじ末期まっきはいると銃身じゅうしん冷却れいきゃく水冷すいれいしき採用さいようしたが、野戦やせんには不向ふむき(冷却れいきゃくすい確保かくほ困難こんなんおよ重量じゅうりょう増加ぞうか)であるため放熱ほうねつ効果こうかたかめた空冷くうれいしき機関きかんじゅう開発かいはつ徐々じょじょ研究けんきゅううつっていった。

さんねんしき機関きかんじゅう登場とうじょう[編集へんしゅう]

1909ねん明治めいじ42ねん)、当時とうじ、いくつもの銃器じゅうき開発かいはつおこなってきた南部なんぶ麒次ろうはこの時期じき主力しゅりょく機関きかんじゅう開発かいはつすすめた。当時とうじ機関きかんじゅう欠点けってん操作そうさ複雑ふくざつで、機関きかんこわれやすい、銃身じゅうしん放熱ほうねつ不備ふびなどがあげられた。そこで南部なんぶ麒次ろうはこれらの欠点けってん極力きょくりょく修正しゅうせいし、1914ねん大正たいしょう3ねん)にさんねんしき機関きかんじゅうとして制式せいしき採用さいようさんはちしき機関きかんじゅうくらべると以下いかてん修正しゅうせいされた。

  • 破損はそんしやすい閉鎖へいさにくあつにして破損はそんふせいだ。また破損はそんしても簡単かんたん交換こうかんできるように改良かいりょう
  • ゆうそこ改良かいりょうし、薬莢やっきょう破損はそん雷管らいかん脱落だつらく防止ぼうし
  • だんいたおく機構きこう歯車はぐるましきから水平すいへい往復おうふく運動うんどうしき変更へんこうして、おくだんちゅうたもてだんいたがることを防止ぼうし
  • だんいた加工かこう精度せいどあまさからたま装填そうてんしてもぐにまえいていないことがあったがそれを修正しゅうせい
  • ぬり装置そうちあぶられの容量ようりょうして銃弾じゅうだんだけでなく機関きかんにもぬりあぶらされるようにした。
  • だんいた挿入そうにゅうこう下部かぶにガイドローラーを装備そうび保管ほかん運搬うんぱんりたためば、挿入そうにゅうこう防塵ぼうじんカバーとしても利用りようできる。
  • はいさいかちこう防塵ぼうじんカバーを装備そうびまった状態じょうたいのカバーはゆうそこ前後ぜんごどうすると自動的じどうてきひらくが、そのひらいたままとなるので、再度さいどしゅめる必要ひつようがある。
  • げきはつ不良ふりょうふせぐためにボルトの後退こうたいりょく不足ふそくときはボルトが前進ぜんしんしないようにした。
  • 銃身じゅうしん空冷くうれい効果こうかたかめるため放熱ほうねつフィンを増加ぞうかした。
  • 銃身じゅうしん放熱ほうねつとうべつ部品ぶひんとし、銃身じゅうしん外側そとがわ放熱ほうねつとう内側うちがわ密着みっちゃくさせるための緊定かん装備そうびし、銃身じゅうしん交換こうかん容易よういにした。ただし敵前てきぜん迅速じんそく銃身じゅうしん交換こうかんすることまでは意図いとしていない。
  • 三脚さんきゃくふくちの姿勢しせいのまま容易よういたか調整ちょうせいできる様式ようしき変更へんこうした。またひさげ棍(運搬うんぱんようハンドル)やぼうたてけることができるようになった。
  • 銃床じゅうしょうとピストルグリップをはいし、両手りょうて支持しじするにぎ変更へんこうした。
  • 一説いっせつには、薬莢やっきょうくすりしつへの防止ぼうしためさんはちしき実包じっぽうげん装弾そうだん使用しようした。

さんねんしき機関きかんじゅう開発かいはつ初陣ういじんかざったのは1919ねん大正たいしょう8ねん)にこったシベリア出兵しゅっぺい寒冷かんれいにおいても確実かくじつ作動さどうするさんねんしき機関きかんじゅう兵士へいしあいだでかなり評判ひょうばんかった。

その満州まんしゅう事変じへんだいいち上海しゃんはい事変じへんにちちゅう戦争せんそういたるまで活躍かつやくしている。また日々ひび機関きかんじゅう整備せいびをきちんとおこなことにより、すうひゃくはつっても故障こしょうすくないといった信頼しんらいせいがあった。この機関きかんじゅうたい南部なんぶ麒次ろうも「さんはちしき機関きかんじゅう射手しゃしゅ技量ぎりょう性能せいのう左右さゆうしたが、さんねんしき機関きかんじゅうだれっても性能せいのうわらない」という名言めいげんのこしている。のちにかれはこの功績こうせきで、くんとう瑞宝章ずいほうしょう授与じゅよ、さらに工学こうがく博士はかせ学位がくい取得しゅとくした。

さんねんしき機関きかんじゅう、その[編集へんしゅう]

仮設かせつ対空たいくうじゅうけたさんねんしき機関きかんじゅう

さんねんしき機関きかんじゅう導入どうにゅうにより陸軍りくぐん野戦やせんにおける機関きかんじゅう使用しよういき拡大かくだいした。しかしだいいち世界せかい大戦たいせんのち発展はってんしてきた戦車せんしゃ航空機こうくうきといった兵器へいきたいしては力不足ちからぶそく目立めだはじめた。

6.5mmだんというしょう口径こうけい弾薬だんやく使用しようするほんじゅうは、たしかに人間にんげん相手あいて戦闘せんとうでは威力いりょく発揮はっきしたが相手あいて装甲車そうこうしゃではまったくたなかった。1925ねん大正たいしょう14ねん)には対空たいくうようさんきゃくせた「高射こうしゃ機関きかんじゅう」が採用さいようとなったが、その照準しょうじゅん射距離しゃきょり600mに固定こていされており、最大さいだい射程しゃていでも高度こうど1000mを速度そくど200km/h以下いか(これはだいいち世界せかい大戦たいせん以前いぜん航空機こうくうき性能せいのう)で航空機こうくうき相手あいてでないと有効ゆうこうではかった。さらに使用しよう弾薬だんやくには曳光弾えいこうだんく、対空たいくう射撃しゃげきをしても何処どこ射撃しゃげきしているかわからない、修正しゅうせい射撃しゃげき出来できないといった欠点けってんあらわれた。そのためにちちゅう戦争せんそうではアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくソビエト連邦れんぽう航空機こうくうき装備そうびした中国ちゅうごくぐん飛行ひこうたいにはこんひと効果こうかく、じゅういちねんしきけい機関きかんじゅう登場とうじょうや、さんねんしき機関きかんじゅう改造かいぞう口径こうけいげたきゅうしきじゅう機関きかんじゅう登場とうじょうにより1933ねん昭和しょうわ8ねん)からさんねんしき機関きかんじゅう生産せいさんられた。

ただきゅうしきじゅう機関きかんじゅう自体じたいがすぐにはぜん部隊ぶたいにはわたらなかったため生産せいさん中止ちゅうしもしばらくはかく部隊ぶたい使用しようされた。

車載しゃさいよう改造かいぞうした「改造かいぞうさんねんしき機関きかんじゅう」(6.5mm)が、ルノーかぶとがた戦車せんしゃルノーおつがた戦車せんしゃマーク A ホイペットちゅう戦車せんしゃはちきゅうしきちゅう戦車せんしゃ搭載とうさいされた。

試作しさくがたとはべつに、きゅうしきじゅう機関きかんじゅうの7.7mmのきゅうしき実包じっぽう使用しようできるように改造かいぞう1931ねん昭和しょうわ6ねん)3がつ以降いこう)されたさんねんしき機関きかんじゅう存在そんざいし、きゅうしきじゅう機関きかんじゅう併用へいようされていた。改造かいぞうがたじゅう本体ほんたいに「あらため」の文字もじ刻印こくいんされていた。改造かいぞうがたさんねんしき機関きかんじゅうきゅうしきじゅう機関きかんじゅうとしてあつかわれた。

なお、当時とうじ記録きろく写真しゃしん現存げんそんするじつじゅうたいして戦後せんごけられた説明せつめいには、さんねんしききゅうしきとが混同こんどうされている場合ばあいがあるので注意ちゅうい必要ひつようである。

航空こうくう機関きかんじゅうへの転用てんよう[編集へんしゅう]

さんねんしき機関きかんじゅうは、陸軍りくぐんはつ航空機こうくうきよう旋回せんかい機関きかんじゅう原型げんけいにもなった。

さんねんしき機関きかんじゅうぬのだんたいきゅうだん方式ほうしき改造かいぞうした試製しせい機関きかんじゅうは、1918ねん大正たいしょう7ねん)3がつしきろくがた偵察ていさつ搭載とうさいされ試験しけんおこない、4がつから部隊ぶたい運用うんよう開始かいしされた。

しかしわったのちぬのだんたいが、かぜでばたついてからまったりするなど不具合ふぐあい原因げんいんになることや、発射はっしゃ速度そくどひくいことなどの不満ふまんがあった。

そこでのちに、挿弾(クリップ)きゅうだん方式ほうしきで、連装れんそうによって発射はっしゃ速度そくどを1400 はつ/ぶんたかめた、はちきゅうしき旋回せんかい機関きかんじゅう開発かいはつされることになった。

海軍かいぐんでの運用うんよう[編集へんしゅう]

さんねんしき機銃きじゅうとしてみねふうがた駆逐くちくかんはじ大正たいしょう時代じだい建造けんぞうされた艦艇かんていには対空たいくう装備そうびとして搭載とうさいされていた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]