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しき擲弾

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
しき擲弾およびしきさんみりめーとるたい戦車せんしゃ小銃しょうじゅう擲弾。したしきよんみりめーとるたい戦車せんしゃ小銃しょうじゅう擲弾。擲弾内部ないぶにはライフリングられている。いち〇〇しき擲弾ガス一部いちぶ導入どうにゅうして手榴弾しゅりゅうだん発射はっしゃするのに比較ひかくし、ほん擲弾銃口じゅうこうからのエネルギーをじかもちいる

しき擲弾(にしきてきだんき)は、日本にっぽんぐん使用しようしたさんはちしき歩兵ほへいじゅうおよびきゅうきゅうしき短小たんしょうじゅうけ、これらの小銃しょうじゅうから特殊とくしゅ対戦たいせんしゃ擲弾せるようにした兵器へいきである。

概要がいよう

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ほん擲弾は、ドイツせいのシースベッヒャー擲弾発射はっしゃ派生はせいがたである。この擲弾のためには弾薬だんやく2種類しゅるい量産りょうさんされたともされる。30mm口径こうけい小銃しょうじゅう擲弾および、もっと大型おおがたの40mm口径こうけい小銃しょうじゅう擲弾である。これらは両方りょうほうともしき呼称こしょうされた。この擲弾銃身じゅうしんぜんはし装着そうちゃくされ、クランプしき装置そうちによって適正てきせい位置いち固定こていされた。特別とくべつ先端せんたんりたたまれた空包くうほう、あるいはたまけた弾薬だんやくがこの擲弾発射はっしゃするためにもちいられた。

擲弾の後部こうぶみぞまえもってきざまれており、擲弾ライフリングわされた。このライフリングは擲弾の飛行ひこう回転かいてん確実かくじつなものとしてこれに安定あんていせいあたえ、また、回転かいてんしき信管しんかん作動さどう状態じょうたいいた。擲弾は2種類しゅるいともほぼ同一どういつ信管しんかん採用さいようし、信管しんかんは擲弾の後部こうぶまれていた。着弾ちゃくだん慣性かんせいによりげきはり前進ぜんしんし、起爆きばく装置そうち内部ないぶまれたげきはりバネの反発はんぱつりょくしのけた。

だん開発かいはつ1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ、ニーメラー少佐しょうさ技術ぎじゅつ導入どうにゅうにより開始かいしされた。6月に研究けんきゅう計画けいかく策定さくていし、7がつ小銃しょうじゅうよう擲弾の発射はっしゃ試験しけん実施じっしした。30mm タだん威力いりょくちいさいために試製しせいにとどまり、40mm タだん少数しょうすう生産せいさんわったとするせつがある。これはよりだい威力いりょくの45mm タだん完成かんせいしたためであった。威力いりょくは、直射ちょくしゃによる命中めいちゅう場合ばあい、40mm擲弾が50mm装甲そうこうぜんたま貫通かんつう、60mm装甲そうこう半数はんすう貫通かんつうした。貫通かんつうすると12-15mm程度ていどあなひらき、このあなから高温こうおんだかあつガス鋼板こうはん破片はへん高速こうそく[1]

30mm対戦たいせんしゃ擲弾 40mm対戦たいせんしゃ擲弾
全長ぜんちょう 162.56mm 180.34mm
たまたいぜん部長ぶちょう 96.52mm 106.68mm
たまたい前部ぜんぶ直径ちょっけい 30.48mm 40.64mm
たまたい部長ぶちょう 73.66mm
ちょんしげる 229.635g 368.55g
炸薬さくやくりょう 49.896g 99.295g
炸薬さくやく種類しゅるい 50% TNT/50% RDX
貫通かんつう性能せいのう

生産せいさん補給ほきゅう

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1942ねん昭和しょうわ17ねん7がつ21にち陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶたいし、8がつ10日とおかまでに40mm タだんを300はつ、30mm タだんを300はつ製造せいぞうするよう依頼いらいおこなわれた。内訳うちわけは、本物ほんもの炸薬さくやくおよび信管しんかん装着そうちゃくした弾薬だんやくを200はつ炸薬さくやく信管しんかんのものが100はつずつである。また、8がつ下旬げじゅんまでにタテしき擲弾)を30ちょう製造せいぞうするよう指示しじされたほか、わざほん試験しけんようとしてかく口径こうけい弾薬だんやくを1,500はつずつ製造せいぞうするようもとめた。内訳うちわけは1,000はつほん炸薬さくやくほん信管しんかん、500はつ代用だいようだんである。さらに実用じつよう試験しけんようとして30mm弾薬だんやく製造せいぞうめいじられた。数量すうりょうほん炸薬さくやくほん信管しんかん弾薬だんやくが350はつ代用だいようだん700はつである[2]

同年どうねん9がつには至急しきゅう以下いか数量すうりょう生産せいさんするよう指示しじがなされた。さんはちしき小銃しょうじゅうもちいタテ照準しょうじゅんきで10,000ちょう、これは、ライフリングてんが18たんとされた。また、30mm タだん弾薬だんやく生産せいさんすうが100,000はつ代用だいようだんが20,000はつとされた[3]9月4にちラバウル派遣はけんされていただい17ぐん指揮しきしたおき部隊ぶたいへの補給ほきゅう品目ひんもくには、いち〇〇しき擲弾、600ちょうという内容ないよう存在そんざいする。また、9月9にち追加ついか品目ひんもくちゅうには、さんはちしき小銃しょうじゅうようタテしき擲弾)、10ちょう、および40mm タだん弾薬だんやく、400はつ内容ないようられる[4]10月8にち、40mm タだん発射はっしゃやくとう2,000はつ陸軍りくぐん兵器廠へいきしょうからだい17ぐん指揮しきおき部隊ぶたいおくられた[5]

こうした補給ほきゅうすうたい生産せいさん順調じゅんちょうではなく、40mm タだん1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ時点じてん毎月まいつき10,000はつ生産せいさんわたしが要望ようぼうされたが、4ヶ月かげつつき平均へいきん実績じっせきは4,860はつぎなかった[6]

実戦じっせん

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1943ねん昭和しょうわ18ねん)12月にきたグロスターみさきたたかではM4ちゅう戦車せんしゃの1りょうが40mm「タだん」で砲塔ほうとう後部こうぶ貫通つらぬきとおされるも、死傷ししょうしゃさず無事ぶじ後退こうたいしたとの記録きろくがある[7]。 12月31にちづけ日本にっぽんぐんせんくん速報そくほうでは「『ニューブリテン』とう『ツルブ』方面ほうめん戦闘せんとう於イテぼう中隊ちゅうたいてき火炎かえん戦車せんしゃ攻撃こうげきヲ受ケ全員ぜんいん玉砕ぎょくさいセルモノノ如シ てきノ此ノたね戦車せんしゃ使用しよう今後こんご逐次ちくじ活発かっぱつスベク対策たいさくニハまんぜんスルヲようス なお『タだん』ハ効果こうかだいナルヲ以テ使用しようほう習熟しゅうじゅくセシムルノようアリ」とつたえている。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ作成さくせいされた『南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん関係かんけい電報でんぽうつづり』ではだい8方面ほうめんぐんだい17ぐんだい18ぐんだい4航空こうくうぐん電報でんぽうによるブーゲンビルとうたたかでの戦闘せんとう報告ほうこくをまとめている。南太平洋みなみたいへいようブーゲンビルとうでは連合れんごうぐん上陸じょうりくしてタロキナみさき飛行場ひこうじょう建設けんせつした。日本にっぽんぐんはこれを阻止そしし、飛行場ひこうじょう建設けんせつにはこれを奪取だっしゅしようと攻撃こうげき実施じっしした。これらはだいいちだいタロキナ作戦さくせんばれる。だいタロキナ作戦さくせん日本にっぽんがわ呼称こしょう「タ」ごう作戦さくせんにおいてだい8方面ほうめんぐんつよし部隊ぶたいだい17ぐんおき部隊ぶたいだい18ぐんもう部隊ぶたい戦車せんしゃようする永久えいきゅう陣地じんちたいする攻撃こうげきかえした。同年どうねん3月25にちつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょうは「タ」ごう作戦さくせん教訓きょうくんとして以下いか内容ないよう電報でんぽうにより報告ほうこくした。真下ました支隊したい方面ほうめんに76mmほう装備そうびしたちゅう戦車せんしゃ出現しゅつげんし、これにたいしてタテしき擲弾)およびタだん投入とうにゅうした。威力いりょくおおきいものの操作そうさいん死傷ししょうおおく、歩兵ほへい部隊ぶたい全員ぜんいんほん擲弾しき擲弾)のあつかいに習熟しゅうじゅくするよう教育きょういくすることが必要ひつようかんがえられた。重火器じゅうかき山砲さんぽう突入とつにゅうゆるして破壊はかいされる場合ばあいおおく、この見地けんちからもタテとタだん配備はいび必要ひつようとされた[8]

3月29にちおき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうによるせんくん報告ほうこくでは、タテおよびタだんは、けい戦車せんしゃ非常ひじょう有効ゆうこうだがちゅう戦車せんしゃには効果こうかうたがわしいこと、威力いりょく増強ぞうきょう数量すうりょう増加ぞうか要望ようぼうされた[9]

3月30にちつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょうによるタロキナ作戦さくせんせんくんでは、タだんとタテ威力いりょく相当そうとうおおきいことがふたたべられている[10]投入とうにゅう条件じょうけん連合れんごうぐん火砲かほうおよび迫撃はくげきほう支援しえんおこなわれるトーチカ陣地じんちたいして日本にっぽんぐん歩兵ほへい浸透しんとう攻撃こうげきするものだった。この陣地じんち前面ぜんめんにはせい地帯ちたいがあり、4-6じょう程度ていど鉄条てつじょうもうもうけられ、マイクロフォンによるしゅうおんほどこされていた。陣地じんち内部ないぶには戦車せんしゃ配置はいちされ、日本にっぽんぐん攻撃こうげきたいして反撃はんげきおこなった。トーチカには機関きかんじゅう装備そうびされた[11]。こうした条件下じょうけんかにおいては、射程しゃてい関係かんけいから擲弾自衛じえい火器かきであるにぎないと評価ひょうかされた。肉薄にくはく攻撃こうげき最終さいしゅう手段しゅだんであるが、このときのてき戦車せんしゃには磁気じきたいする防御ぼうぎょぶつ搭載とうさい肉薄にくはく阻止そし鉄条てつじょうもう装備そうびほどこされた[12]日本にっぽんぐん歩兵ほへい装備そうびするけいおよび重機じゅうきではこうした陣地じんちへの攻撃こうげき火力かりょく不足ふそくしていた。ことにトーチカと戦車せんしゃ排除はいじょ必要ひつようであり、参謀さんぼうちょう直接ちょくせつ火力かりょく重視じゅうしした戦術せんじゅつ転換てんかん山砲さんぽう速射そくしゃほう投入とうにゅうすることが必要ひつようであると指摘してきしている。タだんおよびタテはその火力かりょくおおきく評価ひょうかされ、かく戦闘せんとうぐんへの自衛じえい火器かきとして配備はいびのぞまれた[13]

昭和しょうわ20ねん6がつ、ブーゲンビルとうだい6師団しだん野砲やほうへいだい6連隊れんたいだい3大隊だいたい大隊だいたい副官ふっかんをしていた将校しょうこう回想かいそうによると、大隊だいたいにははつぶん受領じゅりょうされたが、一発いっぱつ重傷じゅうしょうった兵士へいし自爆じばくするさいうしなわれ、のこりの一発いっぱつ同年どうねん7がつ14にち実戦じっせん使用しようされた。30mさきてき戦車せんしゃめがけて発射はっしゃしたさいキャタピラに命中めいちゅうし、戦車せんしゃかたむいてうごかなくなった。 小銃しょうじゅうだんちがって水平すいへいばず、迫撃はくげきほうのように曲線きょくせんえがいてび、射程しゃていが50mしかないことから「正確せいかく命中めいちゅう期待きたいするほう無理むり」「ほかに成功せいこうしたれいかなかった」とこの人物じんぶつ酷評こくひょうしている[14]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 佐山さやま小銃しょうじゅう』159-160ぺーじ
  2. ^ 兵器へいききょく銃砲じゅうほう『「タ」たま調ちょうべんなみ下付かふけん』3画像がぞう
  3. ^ 兵器へいききょく銃砲じゅうほう兵器へいき調達ちょうたつけん』3画像がぞう
  4. ^ 兵器へいき補給ほきゅうかんするけん』3画像がぞう、12画像がぞう
  5. ^ 兵器へいききょく銃砲じゅうほう弾薬だんやく補給ほきゅうけん』3画像がぞう
  6. ^ 補給ほきゅうへいせいほん器材きざい『14.補給ほきゅう連絡れんらく事項じこう 昭和しょうわ19ねん2がつ5にち』10画像がぞう
  7. ^ 歴史れきしぐんぞう2019ねん10がつごう43ぺーじ「アメリカ海兵かいへい戦車せんしゃたい 島嶼とうしょつちかった強靭きょうじん突破とっぱ戦術せんじゅつ
  8. ^ だいよん航空こうくうぐん参謀さんぼうちょうおき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (5) 』11画像がぞう
  9. ^ おき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうもう部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (6) 』1画像がぞう
  10. ^ おき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうもう部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (6) 』19画像がぞう
  11. ^ おき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうもう部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (6) 』12-15画像がぞう
  12. ^ おき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうもう部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (6) 』19-20画像がぞう
  13. ^ おき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうもう部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (6) 』20画像がぞう
  14. ^ 別冊べっさつおくにん昭和しょうわ兵器へいきだい図鑑ずかん156ぺーじ対戦たいせんしゃ秘密ひみつ兵器へいき”タだんはつおも

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐山さやま二郎じろう小銃しょうじゅう 拳銃けんじゅう 機関きかんじゅう入門にゅうもん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ)、2008ねん
  • TM-E 30-480, Handbook on Japanese Military Forces. United States War Department 
  • 兵器へいききょく銃砲じゅうほう『「タ」たま調ちょうべんなみ下付かふけん昭和しょうわ17ねん7がつ21にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C01000479700
  • 兵器へいききょく銃砲じゅうほう兵器へいき調達ちょうたつけん昭和しょうわ17ねん9がつ3にち - 昭和しょうわ17ねん9がつ5にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C01000503600
  • 兵器へいききょく銃砲じゅうほう弾薬だんやく補給ほきゅうけん昭和しょうわ17ねん10がつ8にち - 昭和しょうわ17ねん10がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C01000734500
  • 兵器へいき補給ほきゅうかんするけん昭和しょうわ17ねん9がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C01000617600
  • 補給ほきゅうへいせいほん器材きざい『14.補給ほきゅう連絡れんらく事項じこう 昭和しょうわ19ねん2がつ5にち昭和しょうわ19ねん2がつ5にち - 昭和しょうわ19ねん2がつ10日とおか。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C12121792700
  • だいよん航空こうくうぐん参謀さんぼうちょうおき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (5) 』昭和しょうわ19ねん3がつ23にち - 昭和しょうわ19ねん3がつ29にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C12122387900
  • おき部隊ぶたい参謀さんぼうちょうもう部隊ぶたい参謀さんぼうちょうつよし部隊ぶたい参謀さんぼうちょう南東なんとう太平洋たいへいよう方面ほうめん だい8方面ほうめんぐん だい17.18ぐん だい4航空こうくうぐん 関係かんけい電報でんぽうつづり 昭和しょうわ19ねん3がつ (6) 』昭和しょうわ19ねん3がつ29にち - 昭和しょうわ19ねん4がつ3にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C12122388000

関連かんれん項目こうもく

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