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一式いっしきじゅう機関きかんじゅう

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一式いっしきじゅう機関きかんじゅう
概要がいよう
種類しゅるい じゅう機関きかんじゅう
製造せいぞうこく 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
設計せっけい製造せいぞう 日立ひたち兵器へいき
性能せいのう
口径こうけい 7.7mm
銃身じゅうしんちょう 589mm
使用しよう弾薬だんやく 7.7mm きゅうきゅうしき普通ふつう実包じっぽう
装弾そうだんすう 30はつだんいた
作動さどう方式ほうしき ガスあつ作動さどう方式ほうしき
ロッキングブロックしき
全長ぜんちょう 1077mm
重量じゅうりょう 31 kg(じゅう本体ほんたい15kg、三脚さんきゃく16kg)
発射はっしゃ速度そくど 550はつ/ぶん
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一式いっしきじゅう機関きかんじゅう(いっしきじゅうきかんじゅう)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん1942ねん昭和しょうわ17ねん)に制式せいしき採用さいようしたじゅう機関きかんじゅうである。

開発かいはつ経緯けいい[編集へんしゅう]

一式いっしきじゅう機関きかんじゅう採用さいよう以前いぜん日本にっぽん陸軍りくぐんでは、きゅうしきじゅう機関きかんじゅう主力しゅりょくじゅう機関きかんじゅうとしており、じゅう機関きかんじゅうよう弾薬だんやくきゅうしき実包じっぽう使つかっていた。しかし、1939ねん昭和しょうわ14ねん)に採用さいようされたきゅうきゅうしきけい機関きかんじゅうおよびきゅうきゅうしき小銃しょうじゅうは、きゅうしき実包じっぽうとはことなるきゅうきゅうしき実包じっぽう使用しようされることとなった。このきゅうきゅうしき実包じっぽう外形がいけいじょうきゅうしき実包じっぽう完全かんぜん互換ごかんせいっていたが、けい機関きかんじゅうよう反動はんどうおさえる目的もくてきそうやくらしてあるため、威力いりょく低下ていかしていた。弾道だんどう特性とくせい変化へんかして照準しょうじゅん不適合ふてきごうとなるため、きゅうきゅうしき実包じっぽうきゅうしきじゅう機関きかんじゅう最適さいてき弾薬だんやくとはえず、今後こんご弾薬だんやく生産せいさん補給ほきゅうじょう不都合ふつごうしょうじることになった。

また、日本にっぽん陸軍りくぐん部隊ぶたい戦闘せんとう単位たんい大隊だいたい基準きじゅんにした火力かりょく運用うんようから、大隊だいたい火器かきかく歩兵ほへい中隊ちゅうたい分派ぶんぱしての中隊ちゅうたい中心ちゅうしんとしたものへと移行いこうした結果けっか大隊だいたい火器かき中核ちゅうかくになってきたじゅう機関きかんじゅうは、はげしい運動うんどうをする中隊ちゅうたいよう機関きかんじゅうへと変化へんか余儀よぎなくされていくこととなった。大隊だいたいには速射そくしゃほう歩兵ほへいほうにも対応たいおうした充実じゅうじつした行李こうりがあり、じゅう機関きかんじゅう中隊ちゅうたいにも日本にっぽんぐんにしては非常ひじょう充実じゅうじつした弾薬だんやく小隊しょうたいいていたため、従来じゅうらい密度みつどたか後方こうほう支援しえんじゅう機関きかんじゅうあたえられていた。ところが、歩兵ほへい中隊ちゅうたい小規模しょうきぼ分派ぶんぱすると、このような密度みつどたか支援しえん体制たいせい期待きたいできなくなるのである。そこで、大隊だいたいじゅう機関きかんじゅう中隊ちゅうたいはそのままに、あらたにかく中隊ちゅうたいにも最初さいしょからじゅう機関きかんじゅう配備はいびする構想こうそうしょうじた。

しん構想こうそうおうじた急速きゅうそく増産ぞうさんかんがえた場合ばあい既存きそんきゅうしきじゅう機関きかんじゅうは、製造せいぞう工程こうていじゅうくらおお大量たいりょう生産せいさんかない構造こうぞうという問題もんだいがあった。かく中隊ちゅうたいでの運用うんようかんがえると、運動うんどうせいきゅうしき重機じゅうきよりもさらたか必要ひつようがあった。歩兵ほへい中隊ちゅうたいけに照準しょうじゅんのみきゅうきゅうしき実包じっぽうわせたきゅうしきじゅう機関きかんじゅうあらたに製造せいぞうすることはオーパースペックで不経済ふけいざいであるばかりでなく、運用うんようじょう混乱こんらんまねくことが予測よそくされた。

そこで日本にっぽん陸軍りくぐんは、おもきゅうきゅうしき実包じっぽう運用うんようするに十分じゅうぶん程度ていどの、きゅうしきじゅう機関きかんじゅうよりもかる安価あんか量産りょうさんきのじゅう機関きかんじゅう開発かいはつ開始かいしした。1940ねん3がつ最初さいしょ試作しさくがた完成かんせい。この最初さいしょ試作しさくがたはピストルグリップとちょく銃床じゅうしょうきゃくち、MG08じゅう機関きかんじゅう類似るいじしたそりがたじゅうわされており、いくつかの相違そういてんはあるが、のち試製しせいさんしきけい機関きかんじゅうばれる[1]きゅうきゅうしきけい機関きかんじゅう後継こうけいけい機関きかんじゅうきわめて酷似こくじした外見がいけんゆうしていた。この最初さいしょ試作しさくがたじゅう安定あんていせい不足ふそくしており、作動さどう不良ふりょう多発たはつしたことから、同年どうねん6がつには改良かいりょうされたそりがたじゅうとスペードグリップに変更へんこうされただい試作しさくがたがテストされている。このだい試作しさくがたではきゅうきゅうしきけいたラッパがたのフラッシュハイダーが装着そうちゃくされていたが、従来じゅうらいきゅうしき運用うんようほうことなるそりがたじゅう不評ふひょうで、最終さいしゅうてきにはきゅうしき重機じゅうき共用きょうよう可能かのう三脚さんきゃくきゅうしき重機じゅうきおなたた可能かのうなハのがたグリップが採用さいようされたより保守ほしゅてき形状けいじょう試作しさくがた1942ねん昭和しょうわ17ねん)に完成かんせいし、一式いっしきじゅう機関きかんじゅう名称めいしょう陸軍りくぐん制式せいしき採用さいようされた。制式せいしき採用さいよう時期じき皇紀こうきで2602ねんなのだが、しきとせず一式いっしき命名めいめいされている。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

外見がいけんきゅうしきじゅう機関きかんじゅう参考さんこうにしていたためあま変化へんかはないが、主用しゅよう弾薬だんやくきゅうきゅうしき実包じっぽうあらためたことやかく部品ぶひん簡略かんりゃくしている。具体ぐたいてきには銃身じゅうしん放熱ほうねつフィンを大幅おおはばらして軽量けいりょうし、だんいたまわりではガイドローラーや弾薬だんやくぬり装置そうちなどが省略しょうりゃくされている。その結果けっかきゅうしきくらべてじゅう本体ほんたいで10kg前後ぜんこう三脚さんきゃくふくめたじゅう全体ぜんたいでは20kg以上いじょう軽量けいりょう成功せいこうした。放熱ほうねつフィンが減少げんしょうしたこと銃身じゅうしん過熱かねつしやすくなるため専用せんよう工具こうぐもちいることきゅうしきよりも容易ようい銃身じゅうしん交換こうかん出来でき構造こうぞう採用さいようされたが、きゅうろくしきけい機関きかんじゅうのような独立どくりつしたラッチレバーによる固定こていほうや、62しき7.62mm機関きかんじゅうなどのように銃身じゅうしんのキャリングハンドルをねたクイックリリースをもちいる構造こうぞうではないため熟練じゅくれんした兵士へいしでも銃身じゅうしん交換こうかんにはおおむね1ふん前後ぜんこう時間じかんようするとされた。じゅうには運動うんどうせい考慮こうりょからよんきゃくしきためされたが、最終さいしゅうてきにはきゅうしき類似るいじした三脚さんきゃくしきえらばれた。三脚さんきゃく自体じたい軽量けいりょう改良かいりょうがおこなわれており、水平すいへい旋回せんかい角度かくどきゅうしきの33.5から45向上こうじょうしている。間接かんせつ射撃しゃげき対空たいくう射撃しゃげき見越みこした仰角ぎょうかくれること従来じゅうらいどおりであった。安全あんぜん装置そうちきゅうしきの押鉄そのものをみぎ回転かいてんさせること安全あんぜん装置そうちける構造こうぞうから、機関きかん左側ひだりがわ下部かぶ独立どくりつした操作そうさレバーを操作そうさする方式ほうしきあらためられた。それ以外いがい構成こうせいきゅうしきとは変更へんこうはなく、依然いぜんとしてだんいたによるきゅうだん機構きこうのままだった。照準しょうじゅん眼鏡めがねきゅうしきおなぶつ使用しようでき、対空たいくうよう照準しょうじゅんたまき高射こうしゃあきらもん(スパイダーサイト)も可能かのうであった。

なお、従来じゅうらいからのきゅうしき実包じっぽう射撃しゃげきできるが、その場合ばあい反動はんどうつよさからあつまり弾性だんせい若干じゃっかんわるくなるほかほんじゅう本体ほんたい装着そうちゃくされている距離きょり照尺しょうしゃくとは弾道だんどうことなる。

生産せいさん運用うんよう[編集へんしゅう]

中隊ちゅうたい運用うんよう目的もくてきとして開発かいはつされた一式いっしきじゅう機関きかんじゅうであったが、実際じっさいには開戦かいせんにより装備そうび改編かいへん訓練くんれん時間じかんてき余裕よゆうくなったのと、戦争せんそう拡大かくだいともな部隊ぶたい増設ぞうせつによるじゅう機関きかんじゅう需要じゅよう増大ぞうだいにより中隊ちゅうたいへのじゅう機関きかんじゅう配備はいびあきらめられ、たんきゅうしき代用だいようとしてじゅう機関きかんじゅう中隊ちゅうたいもちいられるに終始しゅうしした。また手間てまのかかる製造せいぞうラインの変更へんこうよりも既存きそん設備せつび製造せいぞうできるきゅうしきじゅう機関きかんじゅう増産ぞうさん優先ゆうせんされたため、ごく少数しょうすう製造せいぞうされたのみにわり、かく戦線せんせんではごく少数しょうすうしか出回でまわることがなかった。結果けっかとしてあま目立めだった活躍かつやくのこされていない。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 陸奥みちのく>「日本にっぽんぐん兵器へいき4-2」(けい機関きかんじゅう2~試製しせい一式いっしきけい機関きかんじゅうかくかたさんしきけい機関きかんじゅうさとししきけい機関きかんじゅう) ※2024ねん3がつ31にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]