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中隊ちゅうたい

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NATOぐん歩兵ほへい中隊ちゅうたいあらわ兵科へいか記号きごう

中隊ちゅうたい(ちゅうたい)は、軍隊ぐんたい部隊ぶたい編成へんせい単位たんいで、小隊しょうたいうえ大隊だいたいした位置いちする。一般いっぱんてきには歩兵ほへいならやく200めい(4小隊しょうたい相当そうとう)、砲兵ほうへいでは4もんから6もんだが、兵科へいか装備そうび時代じだいによって規模きぼ様々さまざまである。

西洋せいようでは兵科へいかによってことなるかたりてる。英語えいごにすると、歩兵ほへい工兵こうへい中隊ちゅうたいcompany砲兵ほうへいbattery騎兵きへい戦車せんしゃ装甲車そうこうしゃtroopヘリコプターなどの部隊ぶたいsquadronである(squadronは、空軍くうぐん海軍かいぐん航空こうくうたい飛行ひこうたい意味いみもある)また、警察けいさつ機動きどうたいなど)や消防しょうぼうなどにも中隊ちゅうたい単位たんい編成へんせいがされる場合ばあいもある。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

黎明れいめい近代きんだい陸軍りくぐんでは、部下ぶか兵士へいし全員ぜんいん自分じぶんいちにん肉声にくせいとどかぎりの範囲はんいないにおいて指揮しきするさい上位じょうい指揮しきかんが、大尉たいいつとめる中隊ちゅうたいちょうであった。戦場せんじょうにおける直接ちょくせつ戦術せんじゅつ指揮しき中隊ちゅうたいちょうり、具体ぐたいてきにどのてき部隊ぶたい)を攻撃こうげきするかを選択せんたくしたり、前進ぜんしん後退こうたい速度そくど方向ほうこう調整ちょうせいしたりする命令めいれい中隊ちゅうたいちょうみずからがはっした。その麾下きかにある小隊しょうたいちょう以下いか自身じしんでは戦術せんじゅつ判断はんだんをすることなく、あくまで一丸いちがんとなっての集団しゅうだん行動こうどうだけがもとめられた。

19世紀せいきから20世紀せいきはいって火砲かほう進化しんかとともに歩兵ほへいへいすすむと、部隊ぶたい行動こうどう単位たんい細分さいぶんするようになり、一人ひとり中隊ちゅうたいちょうすべてを掌握しょうあくする方式ほうしきおのずと放棄ほうきされた。他方たほう砲兵ほうへいにおいては中隊ちゅうたい単位たんい射撃しゃげき管制かんせいがその維持いじされた。

このように役割やくわり変化へんかしてきたが、中隊ちゅうたい構成こうせい人数にんずうは、おおむね100めいから230めい範囲はんいである。これは、人間にんげん安定あんていてき社会しゃかい関係かんけい維持いじできる人数にんずう上限じょうげんとされるダンバーすうちかい。

なお、海軍かいぐん海上かいじょう自衛隊じえいたい)では、下士官かしかんへい)の指導しどう監督かんとくおよび身上しんじょう取扱とりあつかいかんして分隊ぶんたいちょうが、陸軍りくぐん陸上りくじょう自衛隊じえいたい)でいう中隊ちゅうたいちょうちか役割やくわりたす。

きゅう日本にっぽん陸軍りくぐん[編集へんしゅう]

中隊ちゅうたい定員ていいん[編集へんしゅう]

明治めいじ23ねん(1890ねん)11月1にち制定せいていの「陸軍りくぐん定員ていいんれい」(明治めいじ23ねん11月1にちみことのりれいだい267ごう)によると、当時とうじかく兵科へいか連隊れんたいおよび大隊だいたいにおける中隊ちゅうたい平時へいじ定員ていいんつぎとおりであった。

歩兵ほへい連隊れんたい中隊ちゅうたい[編集へんしゅう]

明治めいじ23ねん(1890ねん)11月1にち制定せいていの「陸軍りくぐん定員ていいんれい」(明治めいじ23ねん11月1にちみことのりれいだい267ごう)によると、当時とうじ歩兵ほへい連隊れんたいにおける中隊ちゅうたい平時へいじ定員ていいんつぎとおりであった。歩兵ほへい連隊れんたい中隊ちゅうたいちょうには乗馬じょうば割当わりあてはなかった。歩兵ほへい中隊ちゅうたいは、将校しょうこう5めい下士かし10めい兵卒へいそつ120めい看護かんごしゅ1めいの136めいからなっていた。

平時へいじ編成へんせい歩兵ほへい中隊ちゅうたい幹部かんぶ[編集へんしゅう]

今次こんじ大戦たいせんちゅう内地ないちにある平時へいじ編成へんせい歩兵ほへい中隊ちゅうたい幹部かんぶつぎのような構成こうせいとなっていた。

  • 中隊ちゅうたいちょう大尉たいい)、本部ほんぶしょ委員いいん兵器へいき経理けいりなど)を兼務けんむすることがある。
  • 中隊ちゅうたい将校しょうこう中尉ちゅうい少尉しょうい3めいまたは4めい)、初年しょねんへい教育きょういくかけ古兵ふるつわもの教育きょういくかけ本部ほんぶ勤務きんむしょ委員いいんなど適宜てきぎ分担ぶんたん
  • 人事じんじかけ准尉じゅんい以前いぜん特務とくむ曹長そうちょう内務ないむかけしょうすることもある。
  • 経理けいりかけないし給養きゅうようかけ曹長そうちょう庶務しょむかけしょうすることもある。
  • 兵器へいきかけ軍曹ぐんそう
  • 被服ひふくかけ軍曹ぐんそう
  • 陣営じんえいかけ軍曹ぐんそうないし伍長ごちょう
  • 内務ないむ班長はんちょう軍曹ぐんそうすうめい平時へいじ定員ていいんが150めい程度ていどなので、1はんから5はんくらいとかんがえられる)
  • 内務ないむはん伍長ごちょう)1はんにつき1めいないし2めい程度ていど
  • 週番しゅうばん下士官かしかん軍曹ぐんそうないし伍長ごちょう中隊ちゅうたい下士官かしかん輪番りんばんき、部隊ぶたい週番しゅうばん司令しれい佐官さかんきゅう宿直しゅくちょく主任しゅにん将校しょうこう)の指揮しきにある。

准尉じゅんい曹長そうちょう複数ふくすういる場合ばあいは、人事じんじかけ以外いがい准尉じゅんい馬掛まがき演習えんしゅうかけ教育きょういくかけなどを適宜てきぎ担当たんとうさせ、兵器へいきかけ曹長そうちょうであることがあった。准尉じゅんい曹長そうちょう複数ふくすうあるのは動員どういん部隊ぶたいよう幹部かんぶ増員ぞういんしたことがあったため。 中隊ちゅうたい将校しょうこう不足ふそくしている場合ばあいは、見習みならい士官しかん少尉しょうい代行だいこうをさせた。見習みならい士官しかん士官しかん学校がっこう予備よび士官しかん学校がっこうから部隊ぶたい派遣はけんされてくる士官しかん待遇たいぐう生徒せいと階級かいきゅう曹長そうちょう下士官かしかんちゅう先任せんにんとされる)で、文字通もじどお中隊ちゅうたい幹部かんぶ実務じつむ見習みならうのが仕事しごとである。見習みならい士官しかん部隊ぶたい実習じっしゅう任期にんき途中とちゅうから将校しょうこう勤務きんむとなり、階級かいきゅう曹長そうちょうであるが准尉じゅんい上位じょういしゃとなる。 また中隊ちゅうたいないには幼年ようねん学校がっこう生徒せいと下士官かしかんないし上等じょうとうへい待遇たいぐう)が派遣はけんされてきて、部隊ぶたい下士官かしかん実務じつむ実習じっしゅうすることがある。

幹部かんぶ」は将校しょうこうじゅん士官しかん下士官かしかん総称そうしょうである。下士官かしかんのうち中隊ちゅうたいしょかんげられているのは経理けいりかけ(ないし給養きゅうようかけ)と兵器へいきかけがそれであって、かけ内務ないむ班長はんちょう中隊ちゅうたいしょかんとはわない。なお中隊ちゅうたいかけはんぞくさない下士官かしかんもあり、大隊だいたい本部ほんぶ聯隊れんたい本部ほんぶないし部隊ぶたいがいしょ機関きかん勤務きんむしていたり、学校がっこう教導きょうどう部隊ぶたい分遣ぶんけんされていたりすることがある。この場合ばあいせきはあくまで中隊ちゅうたい所属しょぞくとなっている。

執務しつむ場所ばしょは、中隊ちゅうたいちょうちゅう隊長たいちょうしつ個室こしつ)、将校しょうこう中隊ちゅうたい将校しょうこうしつ(1部屋へや雑居ざっきょ)、じゅん士官しかん下士官かしかん中隊ちゅうたい事務じむしつ准尉じゅんい人事じんじあつかうため面接めんせつなどに使つか個室こしつべつ場合ばあいがある、兵器へいきかけ中隊ちゅうたい兵器へいき被服ひふくかけ中隊ちゅうたい被服ひふく助手じょしゅ使役しえき兵隊へいたい指揮しき監督かんとくしていることがおおい。内務ないむ班長はんちょうはん下士官かしかん内務ないむはんとなり下士官かしかんしつち、下士官かしかんのみで雑居ざっきょしている。中隊ちゅうたいには食事しょくじから給与きゅうよ被服ひふく兵器へいき陣営じんえい金銭きんせん物品ぶっぴん会計かいけい事務じむがあって、准尉じゅんい曹長そうちょうもっぱつくえにしがみついて、これらに必要ひつよう書類しょるい計算けいさん正確せいかく処理しょりしなければならず、これに動員どういんれいがあると処理しょりりょう倍増ばいぞうし、非常ひじょう繁忙はんぼうとなった。かくかけには助手じょしゅ上等じょうとうへいくが、読書どくしょ算盤そろばん達者たっしゃ一等いっとうへい以下いか使役しえきへいとして事務じむしつ勤務きんむにすることもおこなわれていた。また、おちゃ汲として中隊ちゅうたいちょうしつ事務じむしつには当番とうばんがつけられた。

平時へいじ幹部かんぶ全員ぜんいん現役げんえき軍人ぐんじんであるのが原則げんそくだが、戦時せんじになり動員どういんれいくだ(くだ)ると、予備よびやく将校しょうこうじゅん士官しかん下士官かしかん大量たいりょう応召おうしょうしてきて、現役げんえき幹部かんぶめるりつ急激きゅうげきげんずる。昭和しょうわ12ねん(1937ねん以降いこう動員どういん部隊ぶたい急激きゅうげき膨張ぼうちょうしたため、むしろ内地ないち留守るす部隊ぶたいにおいては現役げんえき将校しょうこうめずらしい存在そんざいとなっていく。終戦しゅうせんちかくになると、幹部かんぶ不足ふそくのため大隊だいたいちょう大尉たいい中隊ちゅうたいちょう中尉ちゅういつとめることがおおくなってしまう。尉官いかん進級しんきゅう年功序列ねんこうじょれつとなっているので、中隊ちゅうたいちょうは30さいえている場合ばあいおおく、少佐しょうさになっても佐官さかん抜擢ばってき進級しんきゅうとなるので、陸軍りくぐんだい学校がっこうないものちゅう少佐しょうさ現役げんえきじょうげん年齢ねんれい(いわゆる定年ていねん)をむかえて予備よびやく編入へんにゅう退職たいしょく)となることがおおかった。そのまま下士官かしかんから進級しんきゅうしてきたじゅん士官しかん現役げんえき准尉じゅんいになると30さいだい後半こうはん老巧ろうこうしゃ予備よびやく編入へんにゅうは40さい)がおおかった。

下士官かしかん予備よびやく応召おうしょう下士官かしかん適任てきにんしょう上等じょうとうへいが「志願しがんにあらざる下士官かしかん」として伍長ごちょうめいぜられ、そのまま復員ふくいん応召おうしょう幾度いくどかえして進級しんきゅうしていくれいおおくなる。平時へいじ上級じょうきゅうしゃがつかえているので30さいえないと准尉じゅんいまで進級しんきゅうするのはむずかしかったが、戦時せんじには現役げんえき優秀ゆうしゅうしゃで29さいくらいに准尉じゅんい進級しんきゅうすることがあった。

生活せいかつ現役げんえき軍人ぐんじん給与きゅうよがインフレに対応たいおうしきれず、昭和しょうわはいってからはそうじて貧乏びんぼうであり、役所やくしょ文官ぶんかん給与きゅうよにあてはめれば、だいたい中隊ちゅうたいちょう本省ほんしょう係長かかりちょう警察けいさつにおける警部けいぶ)、将校しょうこうじゅん士官しかんほんやといの係員かかりいん統括とうかつ警部補けいぶほ)、下士官かしかん雇員こいん警部補けいぶほ巡査じゅんさ部長ぶちょう)の水準すいじゅんかんがえられる。とく下士官かしかん任期にんきせいで、任期にんきごとに現役げんえき志願しがん繰返くりかえ方式ほうしきであった。任期にんきれたとき民間みんかん転職てんしょくするものおおくあり、なか景気けいきとき下士官かしかん不足ふそくすると現象げんしょうきた。

下士官かしかん原則げんそくとして営内居住きょじゅうであり、曹長そうちょう古参こさん軍曹ぐんそうには中隊ちゅうたい兵舎へいしゃない個室こしつあたえられた。古参こさん曹長そうちょうねがれば営外居住きょじゅうみとめられた。そのまいは下宿げしゅく間借まがりおおく、准尉じゅんいになって給与きゅうよがると、やっと一戸建いっこだての借家しゃくやはいることができた。ちゅう少尉しょういはやはり下宿げしゅく間借まがりおおく、大尉たいいになると体裁ていさいじょうからも借家しゃくやうつものおおい。これは戯言ざれごとに「貧乏びんぼう少尉しょうい中尉ちゅうい、やっとこ大尉たいい」といわれていた。将校しょうこう被服ひふく個人こじん携帯けいたい兵器へいき軍刀ぐんとう拳銃けんじゅう双眼鏡そうがんきょうなど)は、少尉しょういになったとき任官にんかん手当てあてのぞいて、それ以降いこう自弁じべんであり、家計かけいりして調達ちょうたつしなければならなかった。

将校しょうこうには転勤てんきんがあり、かんうつることがあった。下士官かしかん原隊げんたいから移動いどうすることはまれで、部隊ぶたいうつることはあっても、同一どういつ管内かんないもしくは戦時せんじ編成へんせいされる動員どういん部隊ぶたいとなることが原則げんそくであった。なお関東軍かんとうぐん満州まんしゅう事変じへん以前いぜん鉄道てつどう守備しゅびたい下士官かしかんへい全国ぜんこく各地かくち予備よびやくのうちから志願しがんしたものからっており、例外れいがいである。

なお「私的してき制裁せいさい」であるが、幹部かんぶはこれに関与かんよすることは原則げんそくとしてなく、もっぱ古参こさんへい初年しょねんへいいじめるものと、内務ないむはん初年しょねんへいかけ上等じょうとうへいないし兵長へいちょう)が任務にんむ必要ひつようから新兵しんぺい教育きょういくてき指導しどうほどこすものとがあった。私的してき制裁せいさい禁止きんし達示たっし上層じょうそうからなんているが、准尉じゅんい内務ないむ班長はんちょうがきちんと統制とうせいしないと徹底てっていしないことがあった。また、准尉じゅんいそのものが「近頃ちかごろ初年しょねんへいはたるんどる」とい、あんしめげを示唆しさすることもあった。また、地方ちほうによっては私的してき制裁せいさい伝統でんとうがまったくない部隊ぶたいもある。地方ちほうごとの若者わかもの宿やど伝統でんとうてきいじ儀式ぎしきが、そのまま兵営へいえい持込もちこまれたとする見方みかたもある。

陸上りくじょう自衛隊じえいたい[編集へんしゅう]

1986ねん米国べいこくレーガン大統領だいとうりょうたいする儀仗ぎじょう実施じっしするだい302保安ほあん中隊ちゅうたい
普通ふつう中隊ちゅうたいかぶと)で3とうりくたすく中隊ちゅうたいちょう指定していしょくである部隊ぶたい普通ふつう連隊れんたい隷下れいか中隊ちゅうたい師団しだんなどの直轄ちょっかつ普通ふつう職種しょくしゅ中隊ちゅうたいなどはこのはた授与じゅよされる

陸上りくじょう自衛隊じえいたい普通ふつう連隊れんたいには、大隊だいたいかれず、普通ふつう連隊れんたいのすぐ普通ふつう中隊ちゅうたいなどがかれている。そして、状況じょうきょうおうじて中隊ちゅうたい戦闘せんとうぐん(これはしょ兵科へいか連合れんごう部隊ぶたいで、規模きぼ大隊だいたい匹敵ひってきする。これを事実じじつじょう大隊だいたい結節けっせつることもできる)を編成へんせいすることがあるため、3とうりくたすく少佐しょうさ相当そうとうきゅうぐん大隊だいたい存置そんちしている外国がいこくぐんなどでは、一般いっぱんてき中隊ちゅうたいちょうではなくだい隊長たいちょうてられることがおおい)と比較的ひかくてき高位こうい階級かいきゅう自衛じえいかんてられることもある。なお、とく大隊だいたい隷下れいか射撃しゃげき中隊ちゅうたいにおいては中隊ちゅうたい最小さいしょう部隊ぶたい単位たんいとなっており、指揮しき官職かんしょくである中隊ちゅうたいちょうおよび中隊ちゅうたいおつ)もてられているとはいえ、その人員じんいんなどの規模きぼ普通ふつうでいう小隊しょうたいクラスの編成へんせいである。

中隊ちゅうたい本部ほんぶ構成こうせい[編集へんしゅう]

中隊ちゅうたいちょう
  • 普通ふつう戦車せんしゃとう編成へんせいじょう連隊れんたいもしくは1しょくたい編成へんせい隷下れいか中隊ちゅうたいちょう3とうりくたすくまたは1とうりくじょうてられる。しょ職種しょくしゅ混成こんせいによる部隊ぶたい運用うんよう関係かんけいじょう通常つうじょうは3とうりくたすくてられているが、幹部かんぶ充足じゅうそく低下ていかにより大半たいはんは1じょう着任ちゃくにんする。
  • とく連隊れんたいぐんとう大隊だいたいおよび通信つうしん施設しせつとうぐん大隊だいたい直轄ちょっかつ隷下れいか中隊ちゅうたいちょう:1とうりくじょうもしくは2とうりくじょうてられる[ちゅう 1][ちゅう 2]
  • 後方こうほう支援しえんたい連隊れんたい)の中隊ちゅうたいちょう原則げんそくとして3とうりくたすくもしくは1とうりくじょうてられる。
  • 戦車せんしゃ大隊だいたい中隊ちゅうたいちょう原則げんそくとして1とうりくじょうてられる。
  • 方面ほうめん輸送ゆそうたい隷下れいか中隊ちゅうたいちょう一部いちぶ[ちゅう 3]編成へんせいじょう1とうりくじょうてられ小銃しょうじゅう装備そうびとなる。
  • その一部いちぶ部隊ぶたい指揮しき運用うんよう都合つごうおも駐屯ちゅうとん司令しれい兼務けんむもしくはまれであるが在任ざいにんちゅう昇任しょうにん)により2とうりくたすくてられる[ちゅう 4]
ふく中隊ちゅうたいちょう任意にんいてき
りくじょうじゅんりくじょうふくまない)がてられる。中隊ちゅうたいちょう補佐ほさ不在ふざいにおける代行だいこうなどが職務しょくむである。おも師団しだん旅団りょだん)などの直轄ちょっかつ部隊ぶたいおよび重要じゅうようされる部隊ぶたい部隊ぶたい規模きぼ大隊だいたい規模きぼじゅんずる中隊ちゅうたい連隊れんたいなどとは本隊ほんたいとは遠方えんぽう配置はいちされた中隊ちゅうたい配置はいち具体ぐたいてき運用うんようれいなどはだい9普通ふつう連隊れんたい参照さんしょう運用うんよう訓練くんれん幹部かんぶとして勤務きんむしていた1じょうしょく自衛じえいかん中隊ちゅうたいちょう同一どういつ階級かいきゅうである3しょく昇任しょうにんした場合ばあいは、自動的じどうてきふく中隊ちゅうたいちょうしょく指定していされる場合ばあいもある。(定期ていき異動いどうするまでの暫定ざんていあつかい)また、中隊ちゅうたいちょう駐屯ちゅうとん司令しれい兼務けんむする場合ばあいふく中隊ちゅうたいちょうは3とうりくたすく階級かいきゅう指定していされた自衛じえいかん上番じょうばんするTemplate:EFn2
かかり幹部かんぶ
中隊ちゅうたい勤務きんむする幹部かんぶまたはじゅんりくじょうが、中隊ちゅうたいちょうから中隊ちゅうたい業務ぎょうむてられる。中隊ちゅうたいちょうらのいのちけ、分担ぶんたんさせられた業務ぎょうむ区分くぶんおうじ、その業務ぎょうむ実施じっしにつきかかりりく陸士りくしおよび営内班長はんちょう指導しどう監督かんとくする。運用うんよう訓練くんれん幹部かんぶなどがかれている。

通常つうじょうは「運用うんよう訓練くんれん幹部かんぶ」・「後方こうほう幹部かんぶ」・「1 - 4小隊しょうたいちょう」など編成へんせいじょう必要ひつようとされる役職やくしょく指定していされる。

上級じょうきゅう曹長そうちょうきゅう中隊ちゅうたいづけ准尉じゅんい
じゅんりくじょう - 1とうりく曹がてられる。通常つうじょうは「先任せんにん」とばれる。命令めいれいまたは会報かいほう伝達でんたつ責任せきにんしゃでもある。中隊ちゅうたいもしくはたい)など、たい本部ほんぶにおける最上級さいじょうきゅうりく曹である。部隊ぶたいないにおける営内しゃ外出がいしゅつ権限けんげんにおいて中隊ちゅうたいちょうつぎ権限けんげんつ(実質じっしつてきには外出がいしゅつ申請しんせいにおいて最終さいしゅうてき捺印なついんされる関係かんけい最高さいこう権限けんげんがある)。

中隊ちゅうたいちょう[編集へんしゅう]

中隊ちゅうたいは、部隊ぶたい構成こうせい単位たんいじょう基本きほんてき役割やくわりたすものであり、中隊ちゅうたいちょうには幹部かんぶ任官にんかんすうねん以上いじょうものくことから、中隊ちゅうたいちょうには様々さまざま権限けんげんあたえられている。

  • 服務ふくむ指導しどう中隊ちゅうたいちょうらは、営内服務ふくむにあたっては、部下ぶかしん一体いったいとなって率先そっせん垂範すいはんつとめ、隊員たいいん相互そうご親和しんわ助長じょちょうし、もってちゅう隊長たいちょうらを核心かくしんとして強固きょうこ団結だんけつした中隊ちゅうたいなどをつくりげなければならないものとされている[1]
  • 懲戒ちょうかいけん:その指揮しき監督かんとくにある自衛じえいかんたい懲戒ちょうかい処分しょぶんおこなうことができる部隊ぶたいちょうとしては最小さいしょう単位たんいのものである。幹部かんぶ自衛じえいかんたいしては戒告かいこく准尉じゅんい・曹またはたる自衛じえいかんたいしては、けい処分しょぶんおこなうことができる[2]
  • 外出がいしゅつ許可きょかけん中隊ちゅうたい勤務きんむする自衛じえいかんたいする外出がいしゅつ許可きょかけんゆうする。(ただし、この許可きょかけん名目めいもくてきなもので実務じつむじょう中隊ちゅうたいづけ准尉じゅんい先任せんにんりく曹に委譲いじょうしている)なお、自動車じどうしゃ教習所きょうしゅうじょへの教育きょういく入校にゅうこう隷下れいか小隊しょうたい駐屯ちゅうとん移駐いちゅうしている場合ばあいかぎり、当該とうがい部隊ぶたいちょうもしくは隷下れいか小隊しょうたいちょう外出がいしゅつかんする権限けんげん委譲いじょうする場合ばあいもある。部隊ぶたい中隊ちゅうたいじゅんずるたい編成へんせいもしくは部隊ぶたい隷下れいか中隊ちゅうたい設置せっちされていない1しょく隊長たいちょう指揮しきかん部隊ぶたいにおいては当該とうがい部隊ぶたいちょうがその許可きょかけん[3]

アメリカぐん[編集へんしゅう]

べいぐんライフル中隊ちゅうたい編成へんせい(1941)
歩兵ほへい野戦やせん教範きょうはん「INFANTRY FIELD MANUAL(2 JUN 1941)」より

だい世界せかい大戦たいせんにおけるアメリカぐんでは歩兵ほへい中隊ちゅうたい小銃しょうじゅう小隊しょうたい3火器かき小隊しょうたい1個いっこ基幹きかんとして編成へんせいされていた。中隊ちゅうたい単位たんいでも迫撃はくげきほう機関きかんじゅうによる火力かりょく支援しえんっている。

日本にっぽん警察けいさつ[編集へんしゅう]

日本にっぽん警察けいさつでも、警備けいびなどで集団しゅうだん警備けいびりょく発揮はっきするために部隊ぶたい編成へんせいおこなさいには中隊ちゅうたい編成へんせいされる。機動きどうたいなどでは常設じょうせつされており、たとえば警視庁けいしちょう機動きどうたい場合ばあい、10あるかく機動きどうたいはそれぞれたい本部ほんぶと4中隊ちゅうたいから編成へんせいされている[ちゅう 5]かく中隊ちゅうたい警部けいぶ中隊ちゅうたいちょうとして、やく70めいが3小隊しょうたい編成へんせいされている[4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 2じょう場合ばあいは1じょう補職ほしょくなか隊長たいちょうしょくのための特例とくれいであり、ほとんどの場合ばあい在任ざいにんちゅうに1じょう昇任しょうにんする
  2. ^ 服務ふくむ指導しどうおよび外出がいしゅつ許可きょかけんゆう中隊ちゅうたいおつ)が授与じゅよされる指揮しきかんではあるが、事実じじつじょう編成へんせい小隊しょうたい規模きぼであるために朝礼ちょうれいおわりれい敬礼けいれいあたまちゅう敬礼けいれいでは各個かっこ敬礼けいれいになり装備そうび拳銃けんじゅうでは小銃しょうじゅうになるなど厳密げんみつには指揮しきかんあつかいはけていない
  3. ^ 中隊ちゅうたいはたおつ授与じゅよされる中隊ちゅうたい指揮しきかん
  4. ^ 駐屯ちゅうとん司令しれいしょく兼務けんむにより2上番じょうばんする場合ばあい序列じょれつじょう隷属れいぞく部隊ぶたいふく隊長たいちょう下位かいになるが、業務ぎょうむしゃ配当はいとうされ通勤つうきん使用しようする
  5. ^ このほか、だい規模きぼ警備けいびさいには特別とくべつ機動きどうたい2中隊ちゅうたい編入へんにゅうされる[4]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 陸上りくじょう自衛隊じえいたい服務ふくむ規則きそく昭和しょうわ34ねん9がつ12にち陸上りくじょう自衛隊じえいたい訓令くんれいだい38ごうだい11じょうだい1こう
  2. ^ 任命にんめいけんかんする訓令くんれい昭和しょうわ36ねん2がつ3にち防衛庁ぼうえいちょう訓令くんれいだい4ごうだい48じょう
  3. ^ 陸上りくじょう自衛隊じえいたい服務ふくむ細則さいそく昭和しょうわ35ねん4がつ30にち陸上りくじょう自衛隊じえいたいたちだい24-5ごうだい60じょう
  4. ^ a b 講談社こうだんしゃビーシー 2010, p. 86.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 講談社こうだんしゃビーシー へん機動きどうたいパーフェクトブック』講談社こうだんしゃ別冊べっさつベストカー〉、2010ねんISBN 978-4063666137 
  • 田村たむら, 尚也なおや野戦やせん指揮しきかん戦場せんじょう歩兵ほへい中隊ちゅうたい大隊だいたい連隊れんたい」『ミリタリー基礎きそ講座こうざ 戦術せんじゅつ入門にゅうもん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ歴史れきしぐんぞうアーカイブ Vol.2〉、2008ねん、12-19ぺーじISBN 978-4056051568 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]