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モーゼルC96

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーゼルC96
モーゼルC96 (7.63mm)
概要がいよう
種類しゅるい 軍用ぐんよう自動じどう拳銃けんじゅう
製造せいぞうこく ドイツの旗 ドイツ帝国ていこく
ヴァイマル共和国の旗 ヴァイマル共和きょうわこく
ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
設計せっけい製造せいぞう モーゼルしゃ
性能せいのう
口径こうけい 7.63mm
銃身じゅうしんちょう 140mm
使用しよう弾薬だんやく 7.63x25mmマウザーだん
装弾そうだんすう 6はつ、10はつ、20はつ[1]
作動さどう方式ほうしき シングルアクション
ショートリコイル
全長ぜんちょう 308mm(ストック装着そうちゃく630mm)
重量じゅうりょう 1,100g(ストック装着そうちゃく1,750g)
銃口じゅうこう初速しょそく 305〜430m/s
有効ゆうこう射程しゃてい 100m
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モーゼルC96(Mauser C96)は、ドイツ帝国ていこく開発かいはつされた自動じどう拳銃けんじゅうである。

開発かいはつ

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C96はモーゼル(マウザー)しゃ創業そうぎょうしゃであるモーゼル兄弟きょうだいがけた製品せいひんではなかった。おとうとパウル・モーゼルドイツばん大型おおがた拳銃けんじゅうこのまず、社内しゃないでの設計せっけい禁止きんしすることさえかんがえていたという。そんななか同社どうしゃ試験場しけんじょう監督かんとくだったフィデル・フェーデルレ(Fidel Feederle)は兄弟きょうだいのフリードリヒ(Friedrich)、ヨゼフ(Josef)ととも秘密裏ひみつり大型おおがた拳銃けんじゅう設計せっけいおこなった。当初とうしょ、モーゼルはこの新型しんがた拳銃けんじゅう難色なんしょくしめしていたものの、最終さいしゅうてきには帝国ていこくぐん制式せいしき拳銃けんじゅうとして採用さいようすることを期待きたいして「モーゼル」のかんすることをみとめた[2]

フェーデルレ兄弟きょうだいは1893ねんから非公式ひこうしき設計せっけい開始かいしし、1894ねんなつごろには最初さいしょのパイロットモデルが完成かんせいした。以後いごはモーゼルしゃ公式こうしきプロジェクトとして設計せっけいすすめられ、1895ねん3がつ15にちには試射ししゃ準備じゅんびととのった。同年どうねん12がつ11にちにドイツで、また1897ねんまでにヨーロッパ各国かっこくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくなどで特許とっきょ取得しゅとくした[1]

1896ねんすえからC96すなわち「96ねん設計せっけいがた」(Construction 96)として生産せいさん開始かいしされた。その最大さいだい特徴とくちょうとなっているトリガーのまえマガジンハウジングをつスタイルは、当時とうじグリップがマガジンハウジングをねる方式ほうしきすでにアメリカ・コルト・ファイヤーアームズ特許とっきょだったため(コルトM1900開発かいはつどう時期じきすすめられていた)。このデザインは重心じゅうしんまえにあるために射撃しゃげき競技きょうぎじゅうのように正確せいかく射撃しゃげき可能かのうであり、ストック併用へいようすると代用だいようカービンとして使用しようできた。

設計せっけい

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ストリッパークリップをけた状態じょうたい。レッド9としてられる9mm口径こうけいモデル。

7.63x25mmマウザーだんのほか、9x19mmパラベラムだん使用しようするモデルがある。7.63x25mmマウザーだんは、ボーチャードピストル使用しようされる7.65x25mmボーチャードだんとよくているが仕様しようことなり、互換ごかんせいはない。

マガジンへの装弾そうだん方法ほうほう当時とうじボルトアクションライフルており、マガジンがそら最終さいしゅうだんくしコッキングピース(一般いっぱんてき自動じどう拳銃けんじゅうのスライドに相当そうとう)が後退こうたいしたホールド・オープン状態じょうたいから弾丸だんがんが10はつまとめられたクリップはいさいかちこう差込さしこみ、弾丸だんがんれつだけをゆびでマガジンにむ。マガジンにはダブル・カラム方式ほうしき収納しゅうのうされる。おさわったらクリップをると、ボルトが前進ぜんしんしてチャンバーにだいいちだんおくまれるようになっている。コッキングピースを後退こうたい位置いちでホールドするための独立どくりつしたパーツはないため、最終さいしゅうだんすまで弾丸だんがん途中とちゅう補給ほきゅう困難こんなんである。

セーフティレバーはハーフコックおよびフルコックでかけられる。前期ぜんきがたはセーフティをうえげるとOFF、後期こうきがたしたげるとOFFなのでこれで前期ぜんきがた後期こうきがた区別くべつがつく。また、ボルトとファイアリングピンのながさはおなじなのでしずかにハンマーをもどせば暴発ぼうはつしない。M1930でセーフティレバーに改良かいりょうくわえられ、ロック状態じょうたいではトリガーをいて、ハンマーをとしても、ファイアリングピンをたないようになっている。このため、M1896(前期ぜんきがた)とM1930(後期こうきがた)のふたつのカテゴリーに大別たいべつすることおおい。その特徴とくちょうとして、回転かいてん部分ぶぶんじく固定こていわせなど、自動じどう拳銃けんじゅうであればべつたいのピンでめるような箇所かしょでそれらを使用しようすることなく、かく部品ぶひん一体いったいけずした構造こうぞうげられる。

運用うんよう

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C96は1896ねんから1937ねんまでの41年間ねんかんにかけて製造せいぞうされた。最終さいしゅうてき生産せいさんすうは100まんちょうえるとわれている。そのほか、中国ちゅうごくやスペインなどではコピー生産せいさんおこなわれていた。正式せいしき採用さいようしたくに中国ちゅうごくなど一部いちぶとどまったものの、たとえばイギリスではおおくの将校しょうこうウェストリー・リチャーズ英語えいごばんしゃつうじてC96を購入こうにゅうした。青年せいねん将校しょうこう時代じだいウィンストン・チャーチルもその1人ひとりである[2]

当時とうじ信頼しんらいせいひくかった着脱ちゃくだつ弾倉だんそうしきくらべてモーゼルC96の固定こてい弾倉だんそう方式ほうしき信頼しんらいせいたかく、また、自動じどう拳銃けんじゅうくらべてばいちか価格かかくだったことや、そのくデザインからステータスシンボルともなされていた。そのため、モーゼルC96は20世紀せいき前半ぜんはんもっとられた自動じどう拳銃けんじゅうの1つとなった。

構造こうぞうじょう大量たいりょう生産せいさんには不向ふむきとなされたためにドイツ帝国ていこくぐん制式せいしき拳銃けんじゅうにはえらばれなかったものの、当時とうじとしてはたますうだったこと、たまそくはや高速こうそくだんだったこと、ストックをつけたときの有効ゆうこう射程しゃていが200mをえることなどから自動じどうしきカービン相当そうとうするポジションをにな実用じつようてきじゅうとして世界せかいすうヶ国かこくでコピー製造せいぞうされ、スペインのアストラしゃもコピーひん生産せいさんしており、アストラM900として販売はんばいしていた。ブルームハンドルのフルオートモデルをさき開発かいはつしていたのはアストラしゃであり、マーケットを確認かくにんしたモーゼルしゃ追従ついしょうするかたちとなっていた。

中国ちゅうごく

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ほうき(ブルームハンドル)」とあだされた独特どくとく形状けいじょうをしたグリップは、てのひらちいさなアジアじんでも問題もんだいなく使用しようできる利点りてんがあり、日本にっぽん中国ちゅうごくでもひろ愛用あいようされた。中国ちゅうごくではトンプソン・サブマシンガン弾薬だんやく共用きょうようできる.45ACPだん仕様しようのモデルが山西さんせいしょう軍閥ぐんばつ工廠こうしょう生産せいさんされている。

C96をかまえる国民こくみん革命かくめいぐん兵士へいし

19世紀せいきまつ時点じてんで、中国ちゅうごくでは兵器へいき近代きんだいには関心かんしんはらわれていなかった。当時とうじ中国ちゅうごく支配しはいしていただい清国きよくに孤立こりつ主義しゅぎてき外交がいこう政策せいさく採用さいようしていたため、兵器へいき産業さんぎょう技術ぎじゅつりょく欧米おうべいくらべておくれをっていた。しかしにちしん戦争せんそう(1894ねん - 1895ねん)での敗北はいぼく軍閥ぐんばつ時代じだい(1916ねん - 1928ねん)の幕開まくあけをて、早急そうきゅう軍備ぐんび近代きんだいもとめられるようになる。こうして欧米おうべいから購入こうにゅうした設備せつび技術ぎじゅつもちいて国内こくないへい工廠こうしょう整備せいびすすめ、様々さまざま銃器じゅうき輸入ゆにゅうとコピー生産せいさんはじまった。1916ねん時点じてん中国ちゅうごくには大小だいしょうわせてわずか29箇所かしょへい工廠こうしょうしか存在そんざいしなかったが、1920年代ねんだい初頭しょとうには四川しせんしょうのみで134箇所かしょかぞえるほどに増加ぞうかしていた。

こうした情勢じょうせい最中さいちゅう中国ちゅうごくあふれかえった雑多ざった拳銃けんじゅうなかでも、C96はとく人気にんきのある製品せいひんの1つだった。1919ねんから実施じっしされていた国際こくさいてきたいちゅう武器ぶき禁輸きんゆ対象たいしょうふくまれず、合法ごうほうてき購入こうにゅうすることが可能かのうだったためである。1916ねんから1936ねんにかけて、およそ300,000ちょうのC96がドイツから中国ちゅうごくへと輸出ゆしゅつされた。ここにはだいいち世界せかい大戦たいせん在庫ざいこふくまれていたが、だい部分ぶぶん新規しんき製造せいぞうされた。1927ねんからはスペインせいコピーの輸入ゆにゅうはじまったほか、その中国ちゅうごくせいのコピーも生産せいさんされるようになる。

1892ねんGew88小銃しょうじゅうライセンス生産せいさんしなであるかん88しき小銃しょうじゅう製造せいぞうせんもん担当たんとうするため開設かいせつされたかんへい工廠こうしょうも、この時代じだいには中国ちゅうごくにおけるもっと重要じゅうようへい工廠こうしょうの1つとなっていた。中国ちゅうごくせいC96のだい部分ぶぶんはここで製造せいぞうされた。生産せいさんピークは1926ねんから1928ねんごろで、年間ねんかんおよそ4000ちょう程度ていど生産せいさんされていた。各種かくしゅ機関きかんじゅう生産せいさんがけていただい海軍かいぐん工廠こうしょうでもC96が製造せいぞうされた。だい沽製のモデルはおおきなハンマーリングとみじかいエクストラクタが特徴とくちょうだった。山西さんせいしょうふとげんへい工廠こうしょう元々もともと小銃しょうじゅう製造せいぞう担当たんとうしていたが、1926ねんからはドイツじん技術ぎじゅつ顧問こもんむかえて各種かくしゅしょう火器かき製造せいぞう手掛てがけるようになった。ふとげんへい工廠こうしょうにおける.30モーゼルだん仕様しようC96の月間げっかん生産せいさんすうは500ちょうだったとわれるが、製造せいぞう番号ばんごうもとづく調査ちょうさによれば実際じっさいそう生産せいさんすうは2000ちょう未満みまんともされている。また、1927ねんからはふとげんへい工廠こうしょうトンプソンM1921のコピー生産せいさんはじまったため、1928ねんにはこれととも運用うんようすることを想定そうていした.45ACPだん仕様しようのC96が17しき名称めいしょう生産せいさんされるようになった。17しきそう生産せいさんすうは9,000ちょう未満みまんとされている[3]

日本にっぽん

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モーゼルC96で射撃しゃげき訓練くんれんをする日本人にっぽんじん警察官けいさつかん夫人ふじんたち

中国ちゅうごく戦線せんせん大量たいりょうのC96を鹵獲ろかくした日本にっぽんぐんでは、1940ねん昭和しょうわ15ねん)2がつから口径こうけい7.63mmのモデルに「しき大型おおがた拳銃けんじゅう」の制式せいしき名称めいしょうあたえてじゅん制式せいしき拳銃けんじゅうとして採用さいようしており[4]1943ねん4がつ昭和しょうわ18ねん)からは弾丸だんがんも「モしき大型おおがた拳銃けんじゅう実包じっぽう」として国産こくさんされた。

中国ちゅうごく大量たいりょう鹵獲ろかくされ、そのおおくが私物しぶつとして日本にっぽんまれたため、戦後せんご一部いちぶ将校しょうこういたる隠匿いんとくつづけていたこと判明はんめいしており、ソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいのち自主じしゅてき警察けいさつ提出ていしゅつされたり、遺族いぞく発見はっけんすることおおことでもられている。

設計せっけい一部いちぶ閉鎖へいさ機構きこう)や弾丸だんがん構造こうぞうが、日本にっぽん南部なんぶしき自動じどう拳銃けんじゅうなどに影響えいきょうあたえているが、外観がいかん形状けいじょうげきはつ機構きこうおおきくことなっている。

「モしき大型おおがた拳銃けんじゅう」として採用さいようされる以前いぜんの1930ねん11月14にちとき総理そうり大臣だいじんである濱口はまぐち雄幸ゆうこう東京とうきょうえき右翼うよく団体だんたい青年せいねん襲撃しゅうげきされたさい犯人はんにん使用しようしたじゅうである。この銃撃じゅうげき濱口はまぐちちょうの3ぶんの1を摘出てきしゅつする重傷じゅうしょうい、これがもと化膿かのうせい疾患しっかん発症はっしょうして病死びょうしした。

型式けいしきめいについて

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モーゼルC96には多数たすう派生はせいがた存在そんざいするが、これらにモーゼルしゃ正式せいしき型式けいしきめいけなかった。そのため、現在げんざいにする型式けいしきめい後世こうせいのコレクターや研究けんきゅうしゃ便宜べんぎじょう分類ぶんるいであったり、販売はんばい代理だいりてんけたものもおおい。モーゼル・ミリタリーという通称つうしょうひろられているが、実際じっさいには軍用ぐんよう拳銃けんじゅう市場いちばよりも民間みんかん銃器じゅうき市場いちばあつかわれることがおおかった。

C96も民間みんかん銃器じゅうき市場いちばけの名称めいしょうで、軍用ぐんようとしてはM96という名称めいしょうもちいられた。また、たんにC96とんだ場合ばあい1896ねん初期しょきがたから、1930ねんのユニバーサルセーフティをそなえた後期こうきがた、さらには広義こうぎにとればフルオート機能きのうつ1932ねんせいふくんでしまう。そのため、マイナーチェンジなどのこまかいちがいを考慮こうりょするために「M+発売はつばいねん」でかたられることおおい。

バリエーション

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ルガーP08ほどではないが、多種たしゅ多様たようなバリエーションをつ。

モーゼル・ミリタリー 9mm(M1916)
モーゼルC96"レッド9"ストック
ドイツぐん制式せいしき拳銃けんじゅうたま9x19mmパラベラムだんよう改造かいぞうされたモデル。グリップに赤字あかじおおきく「9」と刻印こくいんされているため、「レッド9」とばれた。ドイツ帝国ていこくぐんではC96を採用さいようしていなかったが、ルガーP08供給きょうきゅうとどこおはじめたことから、1915ねんだい用品ようひんとして9mm仕様しようのC96を大量たいりょう購入こうにゅうした。1912ねん設計せっけいされた、安全あんぜん装置そうち改良かいりょうされたモデルを原型げんけいとしており、使用しようだん以外いがいおおきな変更へんこうくわえられていなかった。敗戦はいせんにはP08にえられて姿すがたしていった[1]
ボロ・モーゼル(Bolo Mauser)
ロシアけに輸出ゆしゅつされたモデル。グリップがややふとく、バレルは4インチに短縮たんしゅくされている。「ボロ」は「ボリシェヴィキ」のりゃくで、ロシア革命かくめい前後ぜんごにボリシェヴィキとその敵対てきたい勢力せいりょく双方そうほうこのんでもちいられたことによる。
ボロ・モーゼル 6ショット
ボロ・モーゼルの弾倉だんそう小型こがたの6連発れんぱつにしてあつかいやすくしたモデル。
モーゼル・フラットサイドモデル
C96の側面そくめん凹凸おうとつをなくしてみがげたモデル。バリエーションとしてつくられたのか、たんなるコストダウンなのかは不明ふめい中国ちゅうごくではそのかがみのようなみがげた側面そくめんから"だい鏡面きょうめん"の別称べっしょうがつけられた。
モーゼル・ライエンフォイヤー(Mauser Reihenfeuer/M713/M1931)
形式けいしきめいは"M713"であるが、シュネルフォイヤーのまえのモデル。モーゼルしゃでの社内しゃない名称めいしょうM1931。「ライエンフォイヤー」とは、「連射れんしゃ」の意味いみ製造せいぞう1931ねん
このモデルから、フルオートによるたますう消費しょうひ対応たいおうするため、マガジンが脱着だっちゃくしきとなり10はつと20はつ弾倉だんそう用意よういされた。フルオート射撃しゃげき振動しんどうでセレクターが勝手かってわってしまうなど欠陥けっかんおおかった失敗しっぱいさくで、短期間たんきかん生産せいさん中止ちゅうしとなった。
モーゼル・シュネルフォイヤー(Mauser Schnellfeuer/M712/M1932)
中国ちゅうごく運用うんようされていたM712
「シュネルフォイヤー」とは、「速射そくしゃ」の意味いみ。フルオート射撃しゃげき可能かのうマシンピストルであり、アメリカの代理だいりてんストーガーしゃM712という型式けいしきけられたモデル。1932ねん製造せいぞうされたことからM1932ともばれる。ライエンフォイヤーの欠陥けっかん完全かんぜんあらためたモデル。セレクターレバーには固定こていようしボタンがもうけられ、射手しゃしゅがボタンをんではじめてレバーを操作そうさできる。
M713と同様どうよう、フルオート射撃しゃげき機能きのう採用さいようけて10はつないし20はつ着脱ちゃくだつしきマガジンが用意よういされたが、従来じゅうらいどおりのクリップによる装填そうてん可能かのう。なお、現存げんそんする20はつ弾倉だんそうかず希少きしょうである。フルオート射撃しゃげきでは振動しんどうおおきく、ストック使用しようかたひざいた姿勢しせいでもせん維持いじ困難こんなんであり、近接きんせつ戦闘せんとう弾幕だんまく以外いがい目的もくてきにはてきさないとされる。中国ちゅうごくゆうげきたい兵士へいしあいだでは、その振動しんどう利用りようして銃身じゅうしん水平すいへいたおし、よこ方向ほうこう掃射そうしゃするかた発想はっそうされた。また、中国ちゅうごくではそのフルオート/セミオート射撃しゃげき機能きのうから"かい慢機"の別称べっしょうがつけられた。そのなかの20はつ弾倉だんそう装着そうちゃくがた大型おおがた弾倉だんそうから"だい肚匣はらふといモーゼル拳銃けんじゅう)"の別称べっしょうをつけた。
たん機関きかんじゅうより携行けいこうせいすぐれ、通常つうじょう拳銃けんじゅうよりも強力きょうりょく火力かりょく発揮はっきできたため、たん機関きかんじゅう代用だいようたる装備そうびとしても利用りようされた。ドイツ国内こくないでは、1940ねんドイツ空軍くうぐんが7,800てい購入こうにゅうしたが、砲兵ほうへい部隊ぶたいのオートバイ伝令でんれいへいにサイドアームとして供与きょうよした程度ていどである。また、当時とうじのドイツ空軍くうぐん降下こうかりょうへい兵士へいし降下こうかさい拳銃けんじゅう手榴弾しゅりゅうだん程度ていどのみ携行けいこうし、小銃しょうじゅうなどしゅへいそうはコンテナにめて別途べっと投下とうかするものとされていた。そのため、コンテナを回収かいしゅうできない場合ばあいでも、カービンたん機関きかんじゅう代用だいよう出来できるシュネルフォイヤーを所持しょじしていた兵士へいしもいた。武装ぶそう親衛隊しんえいたいでもたん機関きかんじゅう不足ふそくたいする補助ほじょ兵器へいきとしていち定数ていすう購入こうにゅうしている。モデルガンとしてモデルされることのおおい、7.63x25mmマウザーだん使用しようするタイプが一般いっぱんてきであるが、9ミリルガーだん使用しようするタイプもある。
PASAM・マシンピストル(PASAM machine pistol)
ブラジル政府せいふは1930年代ねんだいなかば、連邦れんぽう管区かんく警察けいさつ(ポルトガル:「連邦れんぽう管区かんくぐん警察けいさつ」)ように500ちょうの7.63mm M1932シュネルフォイヤー機関きかんじゅう購入こうにゅうした。PASAM(pistola automática semi-automática Mauser、または「はん自動じどう/自動じどうマウザー拳銃けんじゅう」)はM1932をベースとして使用しようしたが、いくつかの変更へんこうくわえられた。マーキングがポルトガルであることをのぞけば、操作そうさけい標準ひょうじゅんモデルとおなじであった。セレクター・スイッチ(左側ひだりがわ、トリガー・ガードのうえにある)には、Nはノーマル(「平均へいきんてき」、セミ・オートマチック)、Rはラピード(「急速きゅうそく」、フルオートマチック)としるされていた。セフティ・コントロール・レバー(ハンマーの左側ひだりがわにある)には、Sはseguro(「安全あんぜん」)、Fはfogo(「発射はっしゃ」)としるされていた[35]。1980年代ねんだいにはブラジル国家こっかぐん警察けいさつ(Polícia Militar)部隊ぶたい使用しようされた。かれらはセミオートマチックカービンとして使用しようすることをこのみ、フルオートの設定せってい反動はんどうはげしく銃口じゅうこうがりもともなうため緊急きんきゅうよう留保りゅうほされた。
モーゼル・M714(正式せいしき名称めいしょう不明ふめい
C96の弾倉だんそう着脱ちゃくだつしきモデルで、事実じじつじょう構成こうせいとしては連射れんしゃ機能きのうはぶいたM712となっている。モーゼルしゃ製品せいひんではあるが軍用ぐんよう目的もくてきではなく、アメリカなどへの輸出ゆしゅつ護身ごしんようとして販売はんばいされたモデル。ドイツの銃器じゅうきマーケットでもまれることができるが、C96やM712とくらべれば知名度ちめいどひくい。アンティークじゅうのコレクターでも「はじめてた」という言葉ことばがでたほどである。実際じっさい、どのような経緯けいいでこのじゅう開発かいはつされたのかいまもって不明ふめいである。
山西さんせい17しき
ストックをけた17しきかまえる国民こくみん革命かくめいぐん兵士へいし
20世紀せいき初頭しょとう中国ちゅうごくおおくの軍閥ぐんばつによる群雄割拠ぐんゆうかっきょ状態じょうたいにあり、山西さんせいしょう山西さんせいとく閻錫やまひきいる軍閥ぐんばつ実効じっこう支配しはいしていた。閻はかれらにとって事実じじつじょう首都しゅとであるふとしばら近代きんだいてきへい工廠こうしょうもうけた。山西さんせい軍閥ぐんばつふとげんへい工廠こうしょう.45ACPだん使用しようするトンプソンたん機関きかんじゅう生産せいさんしていたが、同時どうじ採用さいようしていたC96拳銃けんじゅうは7.63mm口径こうけいだん使用しようしており、弾薬だんやく供給きょうきゅう支障ししょうきたしていた[5]
そこでC96を.45ACPだん対応たいおうさせる改良かいりょうほどこし、弾薬だんやく供給きょうきゅう単純たんじゅん目指めざした。この45口径こうけい拳銃けんじゅうは17しきづけられ、1928ねんからふとげんへい工廠こうしょうにて生産せいさん開始かいしされた。どうへい工廠こうしょう生産せいさんねん刻印こくいんを1931ねん以降いこうおこなっていなかったため正確せいかくには不明ふめいだが、1932ねんごろまで生産せいさんつづけられたとわれている。また、確認かくにんされている最大さいだい生産せいさん番号ばんごうは8555であり、ここからそう生産せいさんすうは9,000ちょう未満みまんとされている[3]
17しき左側ひだりがわめんに「いち柒式」の刻印こくいん右側みぎがわめんに「みんこくじつ捌年すすむづくり」の刻印こくいんがあるてんでC96と区別くべつできるほか、トリガーガードひろがる大型おおがたの10はつ装填そうてんマガジンが外見がいけんじょう特徴とくちょうとなっている。装填そうてんには5はつめクリップ2つを使用しようすることおおかった。これは馬賊ばぞく軍閥ぐんばつたいする防衛ぼうえいため鉄道てつどう警備けいびたいなどにたいしてトンプソンたん機関きかんじゅうとも支給しきゅうされた。
1980年代ねんだい、アメリカのコレクターのあいだで.45ACPだん仕様しようのC96の需要じゅようたかまったことで17しき価格かかく高騰こうとうし、中国ちゅうごく銃器じゅうきメーカーによる類似るいじ製品せいひんさい生産せいさんおこなわれた。これらは刻印こくいんなどの細部さいぶ識別しきべつされ、オリジナルの17しきより価格かかくおとるという[3]
80しき自動じどう拳銃けんじゅう80しき衝鋒手槍てやり中国語ちゅうごくごばん
C96・M712の運用うんよう、さらにコピー製造せいぞう実績じっせきまえて、中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐんが1980ねん正式せいしき採用さいようした自動じどう拳銃けんじゅう全体ぜんたいのレイアウトはM712と同様どうようで、ストックも着脱ちゃくだつできるが、内部ないぶ機構きこう独自どくじ設計せっけいとなっている。

登場とうじょう作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c PISTOL, SEMI-AUTOMATIC - GERMAN PISTOL MAUSER MODEL 1896 7.63MM SN# 13915”. Springfield Armory Museum. 2018ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ a b A Look Back at the Mauser C96”. American Rifleman. 2016ねん8がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c Chinese Broomhandles”. American Rifleman. 2016ねん8がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ 「チ」しき7.9耗軽機関きかんじゅうなみに「モ」しき大型おおがた拳銃けんじゅうじゅん制式せいしき制定せいていけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C01001850200 
  5. ^ Giant .45 Broomhandle from China”. Gun World (February 2001). 2009ねん2がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん2がつ26にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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