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手榴弾しゅりゅうだん (日本にっぽんぐん)

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手榴弾しゅりゅうだん(てりゅうだん)は大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん1907ねん明治めいじ40ねん)に最初さいしょ制式せいしきした手榴弾しゅりゅうだんである。初期しょきにはつぼがた手榴弾しゅりゅうだん[1][2]書類しょるい表記ひょうきされたが、のちにはたん手榴弾しゅりゅうだんばれ、採用さいようねん特徴とくちょうげんわすことばをつけなかった[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

にち戦争せんそうなか日本にっぽん陸軍りくぐん急造きゅうぞう手榴弾しゅりゅうだん製造せいぞうし、ロシアぐんとの陣地じんちせん使用しようした。この急造きゅうぞう手榴弾しゅりゅうだん有効ゆうこうであった[4]ため、相当そうとうすう手榴弾しゅりゅうだん製造せいぞうされた。にち戦争せんそうちゅう1905ねん明治めいじ38ねん)3がつ東京とうきょう砲兵ほうへい工廠こうしょうでは8,500製造せいぞうするよう指示しじされている[5]。これは書類しょるい表記ひょうきではつぼがた手榴弾しゅりゅうだんばれた。こののちつぼがた手榴弾しゅりゅうだんは1907ねん明治めいじ40ねん)に制式せいしき検討けんとうされ、同年どうねん3がつには制式せいしきされた。このとき名称めいしょうたんに「手榴弾しゅりゅうだん」と表記ひょうきされている[6]

こののち手榴弾しゅりゅうだんすうかの改良かいりょうて、1921ねん大正たいしょう10ねん)に曳火時限じげんしきじゅうねんしき手榴弾しゅりゅうだん制定せいていされるまで配備はいびされた。制式せいしき手榴弾しゅりゅうだんのほか、投擲とうてき練習れんしゅうするため、内部ないぶ炸薬さくやくいて、けむり排出はいしゅつするあなたまたいもうけた演習えんしゅうよう手榴弾しゅりゅうだん製造せいぞうされ、配備はいびされた[7]

構造こうぞう[編集へんしゅう]

制式せいしき手榴弾しゅりゅうだん重量じゅうりょうやく500gである。銑鉄せんてつつくられた円筒えんとうがたたまたいなか黄色おうしょくやくやく30gを収容しゅうようし、単純たんじゅん着発ちゃくはつしき信管しんかん先端せんたんそなえた。この信管しんかん地面じめん衝突しょうとつすることで黄銅こうどうせいげきはり内部ないぶ雷管らいかんかみなり汞筒)をたたいて着火ちゃっかし、爆発ばくはつするものである。雷管らいかんには弾丸だんがん薬莢やっきょう利用りようし、かみなり1gをおさめた。信管しんかん形状けいじょう単純たんじゅんなもので、たまたいにはめまれたゴムリングの内部ないぶげきはりおさめ、このゴムリングの圧着あっちゃくりょくによってげきはり位置いちたもつものである。たまたいは、底部ていぶ木製もくせい部品ぶひんであるそこ接続せつぞくしている。この底部ていぶぶん木綿こわたぬのおおわれており、木綿こわたぬのあさいとそこばくちゃくされている。しばけられた木綿こわたぬのは、ながしのように手榴弾しゅりゅうだん後方こうほうながばされており、投擲とうてきさいげるちから遠心えんしんりょくによってつよめるほか、手榴弾しゅりゅうだん地面じめんたいして信管しんかんさきけてちてくのを補助ほじょする。改良かいりょうによってこの木綿もめんぬのわらもしくは棕櫚しゅろなわえられた[8][9][10]安全あんぜん装置そうちとして、げきはりたまたいあいだ安全あんぜんはさみこんでおり、安全あんぜんかないかぎり、なにかのミスでげきはりたたいても、げきはり雷管らいかんれないようにしている。

欠陥けっかんとして、寒気さむけでゴムリングがゆるんだ場合ばあいにはげきはりちることが指摘してきされた。さらに着発ちゃくはつしき機構きこうにも非常ひじょう問題もんだいおおく、落下らっか角度かくどによって不発ふはつこり、また湿地しっち沼沢しょうたく投擲とうてきすると着弾ちゃくだん衝撃しょうげき吸収きゅうしゅうされて不発ふはつしょうじた。この欠点けってんかんし、1917ねん大正たいしょう6ねん)5がつ26にち書類しょるいでは、演習えんしゅうよう手榴弾しゅりゅうだんもちいて爆発ばくはつ試験しけんおこなった結果けっか報告ほうこくされている。極端きょくたん結果けっかとしては、やや湿潤しつじゅんしている水田すいでんに30はつげ、すべ不発ふはつとなった。このほかにも高率こうりつ不発ふはつしめしたことから改良かいりょう必要ひつよう指摘してきされた。これをまえ、げきはりをゴムリングで保持ほじするものから、バネによって保持ほじするものへ改良かいりょうげきはり形状けいじょう木管もっかん安全あんぜんけいはじめ変更へんこうされた。また戦時せんじ供給きょうきゅう便びんはかってたま木綿もめんぬのわらあらためたほか、炸薬さくやく黄色きいろやくからしおやく変更へんこうした。さらにたまたい筋目すじめれられた。これらは大正たいしょう8ねん1919ねん)9がつ27にちりくひろしだいさんろくろくきゅうごうにより修正しゅうせいされ、部隊ぶたい改修かいしゅう実施じっしした[11][12]

性能せいのう[編集へんしゅう]

殺傷さっしょう威力いりょく半径はんけい5mである。ただし破片はへん危険きけんかい半径はんけい200mだった[13]

保管ほかん[編集へんしゅう]

保管ほかん雷管らいかん本体ほんたい別々べつべつにし、密閉みっぺいされたはこなかおさめた。とくかみなり汞筒は、使用しようするまでこれを分離ぶんりしておくこととされた。使用しようにはかみなり汞筒を本体ほんたい挿入そうにゅうし、木管もっかん、ゴムリングを挿入そうにゅう安全あんぜんはさんでからげきはり挿入そうにゅうした[14]。この手順てじゅん間違まちがった場合ばあいげきはりかみなり汞筒にれて爆発ばくはつ事故じここした[15]使用しよう中止ちゅうしにはげきはりり、安全あんぜんもともどす。[16]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 陸軍りくぐんしょう兵器へいき弾薬だんやく貸与たいよけん』C04014099000
  2. ^ 陸軍りくぐんしょう弾薬だんやく保管ほかん転換てんかんけん』C04014669000
  3. ^ 参謀さんぼう本部ほんぶ必要ひつようさい関東かんとうとく関東かんとう兵器へいきささえしょう旅順りょじゅん要塞ようさい兵器へいき弾薬だんやくとう使用しようせしむるけん大正たいしょう8ねん書類しょるい。C03022474700
  4. ^ 教育きょういく総監そうかん参謀さんぼうちょう 中村なかむらさとし手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき制定せいていけん』C06085122500
  5. ^ 軍務ぐんむきょく砲兵ほうへいつぼがた手榴弾しゅりゅうだんがいてん製作せいさくけん』03026632300
  6. ^ 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ審査しんさなが 有坂ありさか成章しげあき手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき制定せいていけん』C07041793900
  7. ^ 演習えんしゅうよう手榴弾しゅりゅうだん備付そなえつけ稟申のけん』 C07072724300
  8. ^ どう教範きょうはん編纂へんさん理由りゆうしょけん』91、98画像がぞう。 C02030863400
  9. ^ 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 和田わだ亀治かめじ突撃とつげき作業さぎょう教範きょうはん草案そうあん』137画像がぞう。 C01007141800
  10. ^ 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 和田わだ亀治かめじ突撃とつげき作業さぎょう教範きょうはん草案そうあん』159画像がぞう。 C01007141800
  11. ^ 教育きょういく総監そうかん手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき改正かいせいかんするけん』C02031021100
  12. ^ 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶ手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき改正かいせいけん大正たいしょう8ねん12月~大正たいしょう9ねん4がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C02030961700
  13. ^ 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 和田わだ亀治かめじ突撃とつげき作業さぎょう教範きょうはん草案そうあん』139画像がぞう。C01007141800
  14. ^ 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 和田わだ亀治かめじ突撃とつげき作業さぎょう教範きょうはん草案そうあん』140画像がぞう。C01007141800
  15. ^ 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 河村かわむらただし手榴弾しゅりゅうだん取扱とりあつかいかんする注意ちゅういけん』C01005005900
  16. ^ 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 和田わだ亀治かめじ突撃とつげき作業さぎょう教範きょうはん草案そうあん』141画像がぞう。C01007141800

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 陸軍りくぐんしょう兵器へいき弾薬だんやく貸与たいよけん明治めいじ39ねん1がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C04014099000
  • 陸軍りくぐんしょう弾薬だんやく保管ほかん転換てんかんけん明治めいじ43ねん8がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C04014669000
  • 軍務ぐんむきょく砲兵ほうへいつぼがた手榴弾しゅりゅうだんがいてん製作せいさくけん明治めいじ38ねん8がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター 03026632300
  • 教育きょういく総監そうかん参謀さんぼうちょう 中村なかむらさとし手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき制定せいていけん明治めいじ39ねん12月13にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C06085122500
  • 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ審査しんさ部長ぶちょう 有坂ありさか成章しげあき手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき制定せいていけん明治めいじ40ねん2がつ13にち明治めいじ40ねん4がつ8にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C07041793900
  • 演習えんしゅうよう手榴弾しゅりゅうだん備付そなえつけ稟申のけん明治めいじ43ねん。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C07072724300
  • 参謀さんぼう本部ほんぶ必要ひつようさい関東かんとうとく関東かんとう兵器へいきささえしょう及旅じゅん要塞ようさい兵器へいき弾薬だんやくとう使用しようせしむるけん大正たいしょう8ねん。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C03022474700
  • しょ部隊ぶたいより提出ていしゅつ兵器へいきかんする意見いけんしゅうだいるい野戦やせん弾薬だんやく)』大正たいしょう元年がんねん。アジア歴史れきし資料しりょうセンター 10073129500
  • 教育きょういく総監そうかん手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき改正かいせいかんするけん大正たいしょう6ねん5がつ大正たいしょう6ねん6がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C02031021100
  • どう教範きょうはん編纂へんさん理由りゆうしょけん大正たいしょう7ねん。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C02030863400
  • 兵器へいききょく銃砲じゅうほう手榴弾しゅりゅうだん安全あんぜん改正かいせいけん大正たいしょう8ねん10がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C02030905200
  • 陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶ手榴弾しゅりゅうだん制式せいしき改正かいせいけん大正たいしょう8ねん12月~大正たいしょう9ねん4がつ。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C02030961700
  • しお派遣はけんぐん参謀さんぼうちょう 稲垣いながき三郎さぶろう冬季とうき試験しけん実施じっし報告ほうこく提出ていしゅつけん大正たいしょう9ねん7がつ16にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C07061091300
  • 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 河村かわむらただし手榴弾しゅりゅうだん取扱とりあつかいかんする注意ちゅういけん昭和しょうわ6ねん10がつ29にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C01005005900
  • 陸軍りくぐんしょう副官ふっかん 和田わだ亀治かめじ突撃とつげき作業さぎょう教範きょうはん草案そうあん昭和しょうわ13ねん12月7にち。アジア歴史れきし資料しりょうセンター C01007141800

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]