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ホッチキス Mle1914じゅう機関きかんじゅう

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ホッチキス Mle1914じゅう機関きかんじゅう
ホッチキス Mle1914じゅう機関きかんじゅう
概要がいよう
種類しゅるい じゅう機関きかんじゅう
製造せいぞうこく フランスの旗 フランス
設計せっけい製造せいぞう オチキスしゃ
性能せいのう
口径こうけい 8mm
銃身じゅうしんちょう 800mm
使用しよう弾薬だんやく 8x50mmRだん
装弾そうだんすう 24はつだんいた)もしくは250はつ分離ぶんりしきメタルリンク
作動さどう方式ほうしき ガスあつ作動さどう方式ほうしきロッキングブロックしき
全長ぜんちょう 1,390mm
重量じゅうりょう 24.3kg(本体ほんたい重量じゅうりょう
46.8kg(三脚さんきゃくづけ
発射はっしゃ速度そくど 450はつ/ぶん
銃口じゅうこう初速しょそく 701m/びょう
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ホッチキス Mle1914じゅう機関きかんじゅう(ホッチキス Mle1914じゅうきかんじゅう, Hotchkiss Mle1914, ホッチキス M1914)は、フランス兵器へいきメーカーであったオチキスしゃによって開発かいはつされ、だいいち世界せかい大戦たいせんなか採用さいようされたフランスぐん標準ひょうじゅんてきじゅう機関きかんじゅうである。フランス語ふらんすごではHが発音はつおんされないため原音げんおん忠実ちゅうじつ日本語にほんご表記ひょうきは「オチキス」となり、「ホッチキス」はこれを購入こうにゅうした言語げんごけん日本にっぽんふくむ)などでのかたである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

Mle1914は、ベンジャミン・ホチキス設計せっけい忠実ちゅうじつ機関きかんじゅう最終さいしゅうがたであり(これ以前いぜんにMle1897・Mle1900・Mle1908の3種類しゅるい製造せいぞうされていた)、ホッチキス Mle1909けい機関きかんじゅうとは機構きこうてきにほとんど別物べつものである。

だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ時点じてんではサン=テティエンヌ Mle1907機関きかんじゅう英語えいごばんフランスぐん歩兵ほへい部隊ぶたい標準ひょうじゅんじゅう機関きかんじゅうであったが、Mle1907は野戦やせんにおける信頼しんらいせいひくかったため、1917ねんからはホッチキスじゅう機関きかんじゅうがフランスぐん標準ひょうじゅんじゅう機関きかんじゅう地位ちいめるようになった。1917ねんから西部せいぶ戦線せんせん参戦さんせんしたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく遠征えんせいぐん(American Expeditionary Forces)もホッチキスじゅう機関きかんじゅう使用しようした(当時とうじべいぐん機関きかんじゅう配備はいびヨーロッパ諸国しょこくよりおくれており、国産こくさんブローニングM1917じゅう機関きかんじゅうだけでぜん部隊ぶたい必要ひつよう機関きかんじゅうそろえきれず、フランスせいのホッチキスじゅう機関きかんじゅう以外いがいにもショーシャ Mle1915けい機関きかんじゅうやホッチキス Mle1909けい機関きかんじゅうイギリスせいルイスけい機関きかんじゅうヴィッカースじゅう機関きかんじゅうなどを使用しようするれいおおかった)。

ホッチキスじゅう機関きかんじゅうはフランスぐんにおいては1940年代ねんだい初頭しょとうまで使用しようされ、フランス以外いがいでは日本にっぽんメキシコスペインベルギーポーランド実戦じっせん使用しようした。

開発かいはつ歴史れきし[編集へんしゅう]

この機関きかんじゅうは、1860年代ねんだいアメリカベンジャミン・ホチキスフランスわた設立せつりつした兵器へいきメーカーオチキスしゃ(Hotchkiss et Cie)で設計せっけい製造せいぞうしたもので、世界せかいはじめてガスあつ利用りようによる作動さどう方式ほうしき実現じつげんさせた機関きかんじゅうとして「現在げんざいまでに登場とうじょうしたすべてのガスあつ利用りようしきしょう火器かき共通きょうつう先祖せんぞ」といわれる。1895ねんフランスぐんじゅう機関きかんじゅう選定せんていトライアルがおこなわれ、ホッチキス Mle1897じゅう機関きかんじゅう1897ねん制式せいしき採用さいようされ、翌年よくねんには輸出ゆしゅつのための売込うりこみが開始かいしされた。 このMle1897の運用うんよう実績じっせきをもとに改良かいりょうかさねMle1900をてMle1914が完成かんせいする(Mle1908はMle1914とはべつ改良かいりょうおこなわれた)。

1908ねんにはフランス国内こくない政治せいじてきあつりょくにより、サン=テティエンヌ造兵ぞうへいしょう設計せっけいしたサン=テティエンヌ Mle1907機関きかんじゅう英語えいごばんがフランスぐん標準ひょうじゅん機関きかんじゅうとして制式せいしき採用さいようされたが、サン=テティエンヌ Mle1907機関きかんじゅう信頼しんらいせいひくかったため、1908ねん以降いこう戦力せんりょくてき意味いみつだけのかずのホッチキス Mle1908が導入どうにゅうされた。しかし、ホッチキスはもっぱ植民しょくみんぐんアルプス山岳さんがく部隊ぶたい配備はいびされた。

1916ねんまでの西部せいぶ戦線せんせんのフランスぐん歩兵ほへい部隊ぶたいにはいまだに信頼しんらいせいひくいサン=テティエンヌ機関きかんじゅう大量たいりょう装備そうびされていたが、これにたいしてアンリ・フィリップ・ペタン将軍しょうぐんはサン=テティエンヌ機関きかんじゅうより信頼しんらいせいたかいホッチキス Mle1914機関きかんじゅう前線ぜんせん歩兵ほへい部隊ぶたい可及的かきゅうてきすみやかに配備はいびするよう要求ようきゅうした。ペタン将軍しょうぐん尽力じんりょくもあって、1917ねん-1918ねんごろにはホッチキス Mle1914がフランスぐんかく歩兵ほへい師団しだん配備はいびされた。

機構きこう[編集へんしゅう]

ホッチキスじゅう機関きかんじゅうは、おなじゅう機関きかんじゅうでも水冷すいれいしき銃身じゅうしん反動はんどう利用りようショートリコイル作動さどう方式ほうしきマキシム機関きかんじゅう対照たいしょうてきに、空冷くうれいしき銃身じゅうしん発射はっしゃガスの圧力あつりょく利用りようしたガスあつ作動さどう方式ほうしきそなえている。

本体ほんたい構成こうせいは32部品ぶひん構成こうせいされ、スプリングはコイルしきのものを4ほんだけ使用しようし、てにはねじピン一切いっさい使用しようせず、部品ぶひんぎゃく方向ほうこうにはセットできないように形状けいじょうにも配慮はいりょして設計せっけいされており、分解ぶんかいてが簡単かんたんおこなえる。

げきはつ機構きこうは、長時間ちょうじかん連射れんしゃによる銃身じゅうしん過熱かねつ原因げんいんで、がねかなくても弾薬だんやくくすりしつ装填そうてんした瞬間しゅんかん銃身じゅうしんねつ火薬かやく引火いんかして発射はっしゃしてしまい連射れんしゃまらなくなる「コックオフ現象げんしょう予防よぼう対策たいさくとして、オープンボルト状態じょうたいから射撃しゃげき開始かいしする。これは、初期しょきがたのMle1897からがれており、現存げんそんするおおくのけい機関きかんじゅう汎用はんよう機関きかんじゅうじゅう機関きかんじゅうおな理由りゆうでオープンボルト方式ほうしき採用さいようしている。

銃身じゅうしんは1,000はつ発射はっしゃ目処めど交換こうかんすることになっていたが、これも専用せんようレンチ使つかえば素早すばや簡単かんたんおこなうことができる。その銃身じゅうしんも、くら赤色あかいろ発光はっこうする摂氏せっし400℃までえることが可能かのうである。

ホッチキスじゅう機関きかんじゅうは1ちょうにつき3にん1くみのチームで運用うんようする。弾丸だんがん専用せんようだんばん(feed strip)に24はつ装着そうちゃくし、だんいた最終さいしゅうだんげきはつ自動的じどうてき排出はいしゅつされ、ボルト後退こうたい位置いち停止ていしする。だんいた方式ほうしき地上ちじょうにおいて3にん歩兵ほへいでの運用うんようにはちょうどよかったものの、装弾そうだんすう、つまりは連射れんしゃ可能かのう時間じかんぬのベルトだんたいに100-250はつ装備そうびするマキシム機関きかんじゅうより極端きょくたんみじかかったために航空機こうくうき戦車せんしゃなどへの搭載とうさい支障ししょうをきたした。この欠点けってんおぎなうために、250連発れんぱつ分離ぶんりしきメタルリンクが1917ねん採用さいようされ、シュナイダーCA1サン・シャモンルノー FT-17など、だいいち世界せかい大戦たいせん当時とうじフランスせい戦車せんしゃ歩兵ほへい部隊ぶたいひろ使用しようされた。もっとも、銃身じゅうしん過熱かねつおさえるにはだんいた方式ほうしきほう適切てきせつであった。

1900ねんから2種類しゅるい標準ひょうじゅん三脚さんきゃくだいいち大戦たいせんまえまで使用しようされていたが、最終さいしゅうがたの3代目だいめ三脚さんきゃく(Mle1916)はもっとひろ使用しようされ、大量たいりょう支給しきゅうされた。このMle1916さんきゃくはホッチキスじゅう機関きかんじゅうとサン=テティエンヌ機関きかんじゅう両方りょうほう搭載とうさいすることが可能かのうで、「さんきゃく」(Omnibus Tripod)とばれた。

ホッチキスじゅう機関きかんじゅう最大さいだい弱点じゃくてんは、じゅう三脚さんきゃくわせて合計ごうけい46.8kgにもなる重量じゅうりょうにあった。「さんきゃく」は重量じゅうりょうだけでなくじゅう設置せっちされた位置いちたかすぎ、日本にっぽんせいのホッチキスけい発展はってんがたとはことなり、姿勢しせいひく調整ちょうせいすることができなかった。平地ひらち設置せっちすると射手しゃしゅ三脚さんきゃくのちあしもうけられたサドルにすわ格好かっこうになるため、射手しゃしゅ榴弾りゅうだん破片はへんさらされたり狙撃そげきしゅねらわれやすくなり、塹壕ざんごう設置せっちしにくくなる欠点けってんゆうしていた。なおマキシム機関きかんじゅう重量じゅうりょうかんしてはたようなものであったが、じゅう比較的ひかくてきぜんこうひくいため、平地ひらちではひざげきちかち、または地面じめんすわ格好かっこうにできるぶんねらわれにくかった。

運用うんよう[編集へんしゅう]

ホッチキスじゅう機関きかんじゅうおもなユーザーであるフランスぐん歩兵ほへい部隊ぶたいは、この機関きかんじゅうだいいち世界せかい大戦たいせんから1940ねんまで使用しようした。オチキスしゃは、1914ねん-1918ねんまでの5年間ねんかんに4まん7せんちょうのMle1914をフランスぐん納入のうにゅうした。その大半たいはん当時とうじのフランスぐん制式せいしき弾薬だんやくであった8x50mmRだん使用しようしたが、旧式きゅうしきの11mm Grasだん使用しようするタイプもすうひゃくちょう製造せいぞうされ、それらは植民しょくみんぐん供給きょうきゅうされた。

フランスいでホッチキスじゅう機関きかんじゅう使用しようしたのは、1917ねんから西部せいぶ戦線せんせんイギリス・フランスとともたたかったアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく遠征えんせいぐん(American Expeditionary Forces)であり、フランスぐん同一どういつの8x50mmRだん使用しようするタイプを7せんちょう導入どうにゅうした。

日本にっぽん大日本帝国だいにっぽんていこく)は当初とうしょマキシム機関きかんじゅううましき機関きかんほうとして採用さいようしたが、本来ほんらい性能せいのう国産こくさんでは実現じつげんできず、いでホッチキス Mle1897じゅう機関きかんじゅうさんじゅうねんしき実包じっぽう(6.5mmだん仕様しようしき機関きかんほうとしてライセンス生産せいさんして配備はいびし、にち戦争せんそう当時とうじ日本にっぽん陸軍りくぐん歩兵ほへい騎兵きへい部隊ぶたい標準ひょうじゅん装備そうびとなった。たいするロシア帝国ていこく陸軍りくぐんはマキシム機関きかんじゅう旅順りょじゅん攻囲こういせんなどで使用しようした。その日本にっぽん設計せっけいした歩兵ほへいようじゅう機関きかんじゅうさんはちしき機関きかんじゅうさんねんしき機関きかんじゅうきゅうしきじゅう機関きかんじゅう一式いっしきじゅう機関きかんじゅう)は、すべてホッチキスしき作動さどう機構きこうきゅうだん機構きこうだんいた)を採用さいようまたは発展はってん改良かいりょうしていでいる。

7x57mm Mauser口径こうけいのホッチキスじゅう機関きかんじゅうは、メキシコ革命かくめいにおいてポルフィリオ・ディアスひきいる政府せいふぐんパンチョ・ビリャひきいる革命かくめいぐん双方そうほう使用しようし、スペイン内戦ないせんでもマヌエル・アサーニャひきいる人民戦線じんみんせんせん政府せいふぐんフランシスコ・フランコ将軍しょうぐんひきいる反乱はんらんぐん双方そうほう使用しようした。

7.92x57mmモーゼルだん口径こうけいのモデルも製造せいぞうされ、これらはポーランド・ソビエト戦争せんそうにてポーランドぐん使用しようした。

だい世界せかい大戦たいせんこうは、フランスぐん新型しんがたの7.5x54mmだん1928ねんから更新こうしんはじまっていた)がしん制式せいしき弾薬だんやくとなったこととしょう口径こうけいじゅう機関きかんじゅう存在そんざい意義いぎ汎用はんよう機関きかんじゅう登場とうじょうによってうしなわれたため、AA-52汎用はんよう機関きかんじゅう交代こうたいするかたち退役たいえきした。

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード
クライマックスの市街しがい戦場せんじょうめん市民しみんほんじゅうして、クーデターをくわだてた軍部ぐんぶたいけて発砲はっぽうする。

ギャラリー[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]