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サン・シャモン突撃とつげき戦車せんしゃ

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サン・シャモン突撃とつげき戦車せんしゃ
性能せいのうしょもと
全長ぜんちょう 8.82 m
車体しゃたいちょう 7.91 m
全幅ぜんぷく 2.67 m
ぜんこう 2.34 m
重量じゅうりょう 23 t
懸架けんか方式ほうしき コイルスプリング
速度そくど 8.5 km/h
行動こうどう距離きょり 60 km
主砲しゅほう 75 mm野砲やほう
ふく武装ぶそう 8 mm ホチキス じゅう機関きかんじゅう×4
装甲そうこう 11 mm前期ぜんき)・19 mm(後期こうき
エンジン パナール
直列ちょくれつ4気筒きとうえきひやガソリン
90 hp/ 70 kW
乗員じょういん 8 めい
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ソミュール戦車せんしゃ博物館はくぶつかん所有しょゆう現存げんそん車輌しゃりょう、2017ねん撮影さつえい

サン・シャモン突撃とつげき戦車せんしゃ(Char de rupture Saint Chamond)は、フランス開発かいはつした初期しょき戦車せんしゃで、だいいち世界せかい大戦たいせん使用しようされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

フランス最初さいしょ戦車せんしゃであるシュナイダーCA1は、フランス陸軍りくぐん大佐たいさJ.E.エスティエンヌ(en)によって発案はつあんされ、シュナイダーしゃにより1916ねん2がつ25にち製造せいぞう開始かいしされた。

しかし、これはいわゆる横紙破よこがみやぶりで、フランスぐん自動車じどうしゃなどを提供ていきょうする立場たちばにあった自動車じどうしゃ管理かんりきょく(DSA)は計画けいかく参加さんかすることが出来できなかった。そのため1916ねん4がつ8にち自動車じどうしゃ管理かんりきょく砲兵ほうへい将校しょうこうエミール・リメイロー陸軍りくぐん大佐たいさfr)が急遽きゅうきょ設計せっけいおこなった車輌しゃりょう生産せいさんを、STAしゃ(Service Technique Automobile)の子会社こがいしゃであったFAMHしゃ発注はっちゅうした。サン・シャモンのは、FAMHしゃ所在地しょざいち由来ゆらいする。

各国かっこく開発かいはつされた戦車せんしゃのうち、最初さいしょのもののひとつであるが、先進せんしんてきガス・エレクトリック方式ほうしき採用さいようしていた。具体ぐたいてきには、パナールせい発電はつでんようエンジンを搭載とうさいし、クロチャット・コラーデュ電気でんきモーター変速へんそく2左右さゆうそれぞれの駆動くどうもちいて、だん変速へんそく可能かのうにしていた。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

シュナイダー戦車せんしゃおなじくホルトしゃのトラクターを流用りゅうようしたシャーシに、11mmの装甲そうこういたつくられたはこがた上部じょうぶ構造こうぞうぶつせ、前方ぜんぽうした戦闘せんとうコンパートメント内部ないぶに75 mm 野砲やほう搭載とうさいした。コンパートメントない前方ぜんぽう左側ひだりがわ指揮しきかんけん操縦そうじゅうしゅ位置いちした。

一方いっぽう、イギリスでは、同様どうよう問題もんだいたいして、菱形ひしがた戦車せんしゃにおいて、車体しゃたい前後ぜんご方向ほうこうではなく、くつたい外側そとがわにスポンソン(ほうかくし)をもうけ、そこに武装ぶそう搭載とうさいして、よこ方向ほうこう拡張かくちょうすることで、解決かいけつした。

最初さいしょ生産せいさん車輌しゃりょうはフラットなてんばん先端せんたんに2円筒えんとうがたキューポラそなえていたが、生産せいさん途中とちゅうからキューポラははいされ、ドイツぐん梱包こんぽう爆薬ばくやく手榴弾しゅりゅうだんすべちるように、てんばんには傾斜けいしゃけられた。後期こうきになると視界しかい悪化あっかしたことに対処たいしょして左側ひだりがわ指揮しきかんけん操縦そうじゅうしゅのための角形かくがたのキューポラが増設ぞうせつされた。装甲そうこう当初とうしょ11mmであったが、後期こうきになるとドイツぐん小銃しょうじゅう/機関きかんじゅうよう使用しようしたはがねせいだんしんりのとおるきのえだん、SmKだん対策たいさくに8mmの増加ぞうか装甲そうこうほどこした。

乗員じょういん指揮しきかんけん操縦そうじゅうしゅ砲手ほうしゅ砲手ほうしゅ助手じょしゅ機関きかんしゅ機関きかんじゅう射手しゃしゅ3めい予備よび乗組のりくみいん合計ごうけいで8めいであった。

武装ぶそう[編集へんしゅう]

車体しゃたい先端せんたんのやや右側みぎがわにオフセットして、12口径こうけい75mm榴弾りゅうだんほう(TR commercial Gun)をほうかくしき装備そうびした。生産せいさん165りょう以降いこう車輌しゃりょうはより強力きょうりょくM1897 36口径こうけい75mm野砲やほう変更へんこうされた。主砲しゅほう変更へんこうとほぼ同時どうじくつたい幅広はばひろ新型しんがた変更へんこうされた。このため生産せいさん前期ぜんき車輌しゃりょうを「M16」、後期こうきを「M17」と表記ひょうきする場合ばあいもあるが、これは当時とうじもちいられていた分類ぶんるいではない。

8mm ホチキス M1914じゅう機関きかんじゅうは、車体しゃたい前部ぜんぶ右側みぎがわに1てい車体しゃたい側面そくめん前方ぜんぽうよりの左右さゆうに1ていずつ、後方こうほう右側みぎがわに1てい合計ごうけい4てい搭載とうさいされた。

運用うんよう[編集へんしゅう]

最初さいしょのサン・シャモン突撃とつげき戦車せんしゃ運用うんようは、より軽量けいりょうであるシュナイダー戦車せんしゃ牽引けんいんする回収かいしゅうしゃとして改造かいぞうされたものであった。

1917ねん5月5にちに16りょうのサン・シャモン突撃とつげき戦車せんしゃが Laffaulx Mill ではじめて実戦じっせん投入とうにゅうされた。しかし、うち15りょうがドイツ軍陣ぐんじんまえ塹壕ざんごう行動こうどう不能ふのうとなり、おおくが撃破げきはされた。みじかくつたいちょうたいしてなが車体しゃたいちょうごう性能せいのうひくく、また先端せんたんへ75 mm ほう収納しゅうのうするためにオーバーハングがながいためにほんのすこしの段差だんさえただけで車体しゃたいがつかえることがおおく、整地せいち走破そうはせい劣悪れつあくであった。ハイブリッド駆動くどう故障こしょうおおく、しばしば加熱かねつにより破損はそんした。シュナイダー戦車せんしゃおなじく実戦じっせんでの運用うんよう困難こんなんなものであった。

生産せいさん1918ねん3がつまでおこなわれ、初期しょき発注はっちゅうぶんの377りょう生産せいさんされたが、追加ついか発注はっちゅうおこなわれず、資源しげん工場こうじょうルノーFT-17けられた。

その[編集へんしゅう]

ソミュール戦車せんしゃ博物館はくぶつかん展示てんじされる現存げんそん車輌しゃりょう後期こうきがた

だいいち世界せかい大戦たいせん、54りょう運搬うんぱんしゃとして改造かいぞうされた以外いがい少数しょうすうがアメリカに譲渡ゆずりわたされ、のこりは廃棄はいきされた。

1920ねんポーランド・ソビエト戦争せんそうでポーランドぐんにより使用しようされたとも、ロシア軍事ぐんじ使節しせつだんもうによりロシア皇帝こうていぐん売却ばいきゃくされ、1918ねんから1922ねんロシア内戦ないせんしろぐん使用しようし、これらが赤軍せきぐん捕獲ほかくされ運用うんようされたともわれているが、確証かくしょうはない。

現存げんそんする車輌しゃりょうとしては、アメリカアバディーン性能せいのう試験場しけんじょうのこっていたいち輛がフランス政府せいふ寄贈きぞうされ、ソミュール戦車せんしゃ博物館はくぶつかん展示てんじされている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]