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M1917けい戦車せんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
M1917
ロプキー機甲きこう博物館はくぶつかん英語えいごばん展示てんじされるM1917戦車せんしゃ
種類しゅるい けい戦車せんしゃ
はら開発かいはつこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
しょもと
重量じゅうりょう 7.25 ton
全長ぜんちょう 5.04m(16'5")
全幅ぜんぷく 1.784m(5'10 1/2 ")
ぜんこう 2.31m(7'7")
要員よういんすう 2

装甲そうこう 6mm - 15mm(0.25" to 0.6")
おもへいそう M1918 37 mm たん戦車せんしゃほうまたはM1895じゅう機関きかんじゅう(M1895はのちM1919更新こうしん[1]
エンジン ブダしゃ英語えいごばんせいえきひや直列ちょくれつ4気筒きとうガソリン 42 hp
燃料ねんりょうタンク容量ようりょう 30ガロン(30マイルぶん
行動こうどう距離きょり 48 km(30マイル)
速度そくど 8 km/h(5.5 mph)
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M1917は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおいてしょう改良かいりょうくわライセンス生産せいさんされたFT-17けい戦車せんしゃである[2]。アメリカにおいてはじめて量産りょうさんされた戦車せんしゃでもあり[2]アメリカ陸軍りくぐんでは1918ねん10がつ採用さいようされた。

アメリカ陸軍りくぐんでは1918ねんから1919ねんにかけておよそ4,440りょう発注はっちゅうし、キャンセルまでにおよそ950りょう受領じゅりょうした。ただし、いずれもだいいち世界せかい大戦たいせんなかヨーロッパ戦線せんせん派遣はけんされることはなかった。

歴史れきし

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1917ねん4がつ連合れんごうこく一員いちいんとしてだいいち世界せかい大戦たいせん参戦さんせんした段階だんかいで、アメリカは戦車せんしゃ保有ほゆうしていなかった。参戦さんせん翌月よくげつアメリカ遠征えんせいぐん(AEF)ではえいふつ戦車せんしゃ運用うんようかんする調査ちょうさおこない、戦争せんそう遂行すいこうためにはアメリカぐんにおいてもけい戦車せんしゃおよびじゅう戦車せんしゃ不可欠ふかけつであり、これを早急そうきゅう調達ちょうたつすべきであると報告ほうこくした[3]。これをけ、べいふつえい共同きょうどう新型しんがたじゅう戦車せんしゃマーク VIII 戦車せんしゃ英語えいごばん)の開発かいはつはじまった。しかしこれを十分じゅうぶんかず調達ちょうたつするには翌年よくねん4がつまでかる見通みとおしとなったため連合れんごうこく戦車せんしゃ委員いいんかい(Inter-Allied Tank Commission)はアメリカぐんたいするフランスせいFT-17けい戦車せんしゃ供与きょうよ決定けっていしたのである。

調達ちょうたつ目標もくひょうすう当初とうしょ1,200りょうとされていたがのちに4,400りょうまで増加ぞうかされ、これにくわえて、ライセンス生産せいさんのためのサンプルのFT-17戦車せんしゃはじめとする研究けんきゅう資料しりょうおよび部品ぶひんがアメリカへとおくられた。設計せっけいは「6トン特殊とくしゅトラクター」(Six-ton Special Tractor)の秘匿ひとく名称めいしょうもと武器ぶきしょう主導しゅどうし、製造せいぞうはいくつかの民間みんかんメーカーに打診だしんされた。しかし、ここでおおくの問題もんだい浮上ふじょうする。まずFT-17戦車せんしゃ設計せっけいこくであるフランスはトル法とるほう採用さいようしていたが、アメリカではヤード・ポンドほう使用しようされており、この単位たんいけいによりべいふつあいだ部品ぶひんおよび製造せいぞう施設しせつ工業こうぎょう機械きかいとう互換ごかんせいうしなわれていた。さらに軍部ぐんぶ民間みんかんメーカーあいだ連携れんけい欠如けつじょ協力きょうりょくてき官僚かんりょう既得きとく権益けんえき存在そんざいなどがプロジェクトの進行しんこうおおきく遅延ちえんさせた。

当初とうしょフランスぐんでは1918ねん4がつまでに300りょう程度ていどのM1917戦車せんしゃ確保かくほされることを期待きたいしていたが、実際じっさい生産せいさんはじまるのはあきになってからで、最初さいしょ車両しゃりょう完成かんせいしたのは10がつになってからだった。休戦きゅうせんから9にちぎた11月20にちになって、ようやく2りょうのM1917戦車せんしゃがフランスにおくられる。12月にはさらに8りょうおくられた。1918ねんなつにはM1917戦車せんしゃ供給きょうきゅうがほぼ不可能ふかのう判断はんだんされ、アメリカけい戦車せんしゃ旅団りょだん英語えいごばんわりにフランスから供与きょうよされたFT-17戦車せんしゃ144りょう配備はいびした。

戦後せんご、ヴァン・ドーン鉄鋼てっこうしょ(Van Dorn Iron Works)、マクスウェル・モーター(Maxwell Motor Co.)、C.L.ベスト(C.L. Best Co.)の3メーカーで950りょうのM1917戦車せんしゃ製造せいぞうされた。うち374りょうは37 mmほうを、526りょう機関きかんじゅうを、50りょう無線むせん信号しんごう搭載とうさいした。これらはアメリカ国民こくみんぐん戦車せんしゃたい英語えいごばん配備はいびされた。どう部隊ぶたいはフランス戦線せんせんからもどった200りょう程度ていどのFT-17戦車せんしゃ保有ほゆうしていた。

FT-17けい戦車せんしゃとの差異さい

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M1917戦車せんしゃとFT-17けい戦車せんしゃあいだには、いくつかの顕著けんちょがある。たとえばぼうたて主砲しゅほうかわそうするためあらたに設計せっけいされたものが採用さいようされている。FT-17けい戦車せんしゃぼうたてでは、砲身ほうしん左側ひだりがわからしていたが、M1917戦車せんしゃぼうたてでは右側みぎがわっている。またFT-17けい戦車せんしゃでは鋼鉄こうてつせい誘導ゆうどう使用しようされていたが、M1917戦車せんしゃでは鋼鉄こうてつえんいた木製もくせいのものにあらためられた。砲塔ほうとう正面しょうめん装甲そうこうも、操縦そうじゅうしゅ外部がいぶ確認かくにんようスリットが追加ついかされたためにわずかに形状けいじょうことなる。くわえて、FT-17けい戦車せんしゃ砲塔ほうとうまるがたのものがおよそ半数はんすうめたが、M1917戦車せんしゃ砲塔ほうとうすべかくがたであった。

内部ないぶ構造こうぞうにもいくらか改良かいりょうくわえられている。エンジンは42馬力ばりきのブダしゃせいえきひや直列ちょくれつ4気筒きとうガソリンエンジンに交換こうかんされている[4]

運用うんよう

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カナダ戦争せんそう博物館はくぶつかん展示てんじされるM1917戦車せんしゃ

M1917戦車せんしゃ一切いっさい実戦じっせん使用しようされなかった。

M1917戦車せんしゃ運用うんようしていた戦車せんしゃたい(Tank Corps)は1920ねん6がつ解散かいさんし、以後いご歩兵ほへいによる運用うんようおこなわれた。また戦車せんしゃ部隊ぶたい規模きぼ縮小しゅくしょう決定けっていし、車両しゃりょうすう自体じたい削減さくげんされた。

1927ねん4がつスメドレー・バトラー英語えいごばん将軍しょうぐん指揮しきするべい海兵かいへい遠征えんせい部隊ぶたい所属しょぞくする5りょうのM1917戦車せんしゃ天津てんしんでのパレードに参加さんかしたが、空砲くうほうふく発砲はっぽうおこなわれたという記録きろくはない。これらの車両しゃりょうは1928ねんまつまでにべい本土ほんど帰還きかんしている[5]

1932ねん6がつボーナスアーミー事件じけん鎮圧ちんあつおこなうべく、ジョージ・パットン少佐しょうさひきいられた6りょうのM1917戦車せんしゃワシントンD.C.展開てんかいした。パットンはこれらの車両しゃりょう抑止よくし効果こうか期待きたいしてトラックによって運搬うんぱんされたのだと日記にっききしているが、現在げんざいではこれらの車両しゃりょうがペンシルバニア大通おおどおりをはしする様子ようすとらえたフィルムもつかっている[6]。いずれにせよ、発砲はっぽうなどはおこなわれていないとされる。

1940ねんカナダ陸軍りくぐんは250りょうのM1917戦車せんしゃをスクラップとしての価格かかく(1りょう240ドル程度ていど)で購入こうにゅうし、王立おうりつカナダ機甲きこう軍団ぐんだん英語えいごばんでの訓練くんれんなどに使用しようした。

派生はせいがた

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M1917A1
1929ねんに、1りょうのM1917にフランクリンせい空冷くうれい直列ちょくれつ6気筒きとうガソリンエンジン(67馬力ばりき)を搭載とうさいした改良かいりょうがた。M1917とくらべるとエンジンしつが1フィートほど拡張かくちょうされている。1930ねんから1931ねんにかけて、7りょうのM1917がフランクリンせい100馬力ばりきエンジンにかわそうされた。これにより最高さいこう速度そくどが14.48 km/hに向上こうじょうした。
エンジン出力しゅつりょくたいし、最高さいこう速度そくどひくすぎるのは、サスペンションやてんなどのあしまわりが、高速こうそく走行そうこうきではなかったためである。これが、旧式きゅうしきのルノー FT-17 けい戦車せんしゃをベースとする、M1917けい戦車せんしゃ設計せっけい限界げんかいであり、性能せいのう向上こうじょう余地よちはほとんどなかったのである。

映画えいがへの出演しゅつえん

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M1917は実戦じっせんへの投入とうにゅうこそされなかったものの、だいいち世界せかい大戦たいせんからたたかえあいだにかけてアメリカ国内こくない撮影さつえいされた映画えいがでは、FT-17けい戦車せんしゃ代役だいやくとしてM1917が使用しようされることもおおかった[7]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Hunnicutt, R.P. (1992). “World War I and Postwar Modifications”. Stuart: A History of the American Light Tank. Novato, Cal.: Presidio Press. pp. 24–26. ISBN 0891414622 
  2. ^ a b Zaloga (Armored Thunderbolt) p. 2
  3. ^ Treat 'Em Rough!
  4. ^ Stuart (History of the American Light Tank, Vol. 1) R.P. Hunnicutt, Presidio Press, 1992, ISBN 0891414622, p.18-28
  5. ^ Zaloga, S.J. US Marine Corps Tanks of World War II (New Vanguard, 2012) p5.
  6. ^ [1] British Pathe
  7. ^ [2]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • US M1917 tanks in the Canadian Army, Popular Science, January, 1941
  • The Encyclopaedia of Tanks and Armoured Fighting Vehicles; Published in 2007 by Amber Books Ltd.
  • Zaloga, Steven J. Armored Thunderbolt, The US Army Sherman in World War II. 2008, Stackpole Books. ISBN 978-0-8117-0424-3.
  • Treat 'Em Rough; Dale E. Wilson, pub. Presidio, 1989.
  • U.S. Military Tracked Vehicles; Fred W. Crismon, pub. Crestline, 1992.
  • The Fighting Tanks Since 1916; Jones, Rarey, & Icks, pub. We Inc., 1933.
  • Armoured Fighting vehicles of the World: Vol 1; Various, pub. Cannon Books, 1998.
  • The Patton Papers, 1885-1940; Martin Blumenson, ISBN 0735100764.
  • America's Munitions 1917-1918, Report of Benedict Crowell, the Assistant Secretary of War, Chapter 8 "Tanks", Washington Government Printing Office, 1919.