1917年4月、連合国の一員として第一次世界大戦に参戦した段階で、アメリカは戦車を保有していなかった。参戦翌月、アメリカ遠征軍(AEF)では英・仏の戦車運用に関する調査を行い、戦争遂行の為にはアメリカ軍においても軽戦車および重戦車が不可欠であり、これを早急に調達すべきであると報告した[3]。これを受け、米仏英共同で新型重戦車(マーク VIII 戦車(英語版))の開発が始まった。しかしこれを十分な数を調達するには翌年4月まで掛かる見通しとなった為、連合国戦車委員会(Inter-Allied Tank Commission)はアメリカ軍に対するフランス製FT-17軽戦車の供与を決定したのである。
調達目標数は当初1,200両とされていたが後に4,400両まで増加され、これに加えて、ライセンス生産のためのサンプルのFT-17戦車を始めとする研究資料および部品がアメリカへと送られた。設計は「6トン特殊トラクター」(Six-ton Special Tractor)の秘匿名称の元で武器省が主導し、製造はいくつかの民間メーカーに打診された。しかし、ここで多くの問題が浮上する。まずFT-17戦車の設計国であるフランスはメートル法を採用していたが、アメリカではヤード・ポンド法が使用されており、この単位系の差により米仏間で部品および製造施設の工業機械等の互換性が失われていた。さらに軍部と民間メーカー間の連携の欠如、非協力的な官僚、既得権益の存在などがプロジェクトの進行を大きく遅延させた。
戦後、ヴァン・ドーン鉄鋼所(Van Dorn Iron Works)、マクスウェル・モーター(Maxwell Motor Co.)、C.L.ベスト(C.L. Best Co.)の3メーカーで950両のM1917戦車が製造された。うち374両は37 mm砲を、526両は機関銃を、50両は無線信号機を搭載した。これらはアメリカ国民軍戦車隊(英語版)に配備された。同部隊はフランス戦線から戻った200両程度のFT-17戦車も保有していた。
^Hunnicutt, R.P. (1992). “World War I and Postwar Modifications”. Stuart: A History of the American Light Tank. Novato, Cal.: Presidio Press. pp. 24–26. ISBN0891414622
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