砲塔ほうとう

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ウダロイきゅう駆逐くちくかんAK-100

砲塔ほうとう(ほうとう、えい: Gun Turret)は、大砲たいほう操作そうさいん機構きこう保護ほごすると同時どうじに、さまざまな方向ほうこう照準しょうじゅん発射はっしゃできるようにする装置そうちである。火器かき口径こうけいによるじゅうほう区別くべつおうじて、ちいさいものはじゅうとうともいう。ここでは砲塔ほうとうぜん段階だんかいてき装置そうちであるほうかくあわせて解説かいせつする。

砲塔ほうとう通常つうじょう兵器へいき搭載とうさいする回転かいてんしきのプラットフォームであり、たいかんよう陸上りくじょう砲台ほうだいなど要塞ようさいされた建造けんぞうぶつ構造こうぞうぶつのほか、装甲そうこう戦闘せんとう車両しゃりょう水上みずかみ艦艇かんてい軍用ぐんようにもけることができる。

砲塔ほうとうには、単数たんすうまたは複数ふくすう機関きかんじゅう機関きかんほうだい口径こうけいほうミサイルランチャー装備そうびすることができる。また、有人ゆうじん操作そうさのものも、遠隔えんかく制御せいぎょのものもあり、装甲そうこうほどこされていることがおおい。小型こがた砲塔ほうとうや、大型おおがた砲塔ほうとう付属ふぞくするふく砲塔ほうとうはキューポラとばれる。ただしキューポラという用語ようごは、武器ぶき搭載とうさいせず、戦車せんしゃちょうなどが観測かんそくのためにもちいる回転かいてんとう意味いみする場合ばあいもある。

砲塔ほうとうによる防護ぼうご目的もくてきは、兵器へいきとその操作そうさいん戦闘せんとうによる損害そんがい天候てんこう周囲しゅうい状況じょうきょう自然しぜん環境かんきょうなどからまもることである。

砲塔ほうとうターレット)の語源ごげんは、要塞ようさいにおいて建物たてもの城壁じょうへきうえてられた防御ぼうぎょよう構造こうぞうぶつ、「しょうとう(ターレット、Turret)」に由来ゆらいしている。これにたいして地面じめん直接ちょくせつっている構造こうぞうぶつとう(タワー、tower)とばれる。近代きんだい以後いご回転かいてん機構きこうにターレットの呼称こしょうされることがおおく、砲塔ほうとうほう一般いっぱんしていることがうかがえる。

初期しょき砲塔ほうとう円形えんけいちかかったが、ほう強大きょうだいくわえて前面ぜんめんあつ装甲そうこうぼうたて)をはいするようになり、重心じゅうしん前方ぜんぽうかたよって回転かいてんさまたげないようにカウンターウェイトねて砲塔ほうとう後部こうぶバスルばれるしをもうけるようになった。バスルは本来ほんらい服飾ふくしょくじょう用語ようごだが近代きんだい以後いごすたれたため、現代げんだいでは砲塔ほうとう言及げんきゅうされることがおおい。

ほうかく[編集へんしゅう]

車体しゃたい前部ぜんぶほうかくしき主砲しゅほうつM3ちゅう戦車せんしゃイギリスぐん仕様しようのM3グラント(手前てまえ)とM3リー(おく

ほうかく(ほうかく、えい:casemate ケースメイト)は、城塞じょうさい帆船はんせん採用さいようされた砲塔ほうとうぜん段階だんかいてき砲座ほうざ城郭じょうかく船体せんたい車体しゃたい直接ちょくせつほうをマウントする形式けいしきほう左右さゆうけることも可能かのうだが砲塔ほうとうくらべるとかい限定げんていされる。

19世紀せいき中頃なかごろだい口径こうけいちょう射程しゃていほう開発かいはつされたが、古典こてんてき設計せっけい戦列せんれつかんりょう舷側げんそく方向ほうこうほうならべており、ほうほう郭内かくないおさめられることがおおかった。当然とうぜんかいせまくなるが、帆船はんせんではマスト帆走はんそうよう索具さくぐるいによって甲板かんぱんうえ大型おおがた砲塔ほうとうせること事実じじつじょう不可能ふかのうなため、船体せんたいない直接ちょくせつほう装備そうびせざるをなかったのである[ちゅう 1]初期しょきはただたんかべあな穿うがっただけで、となったほうかく同士どうし仕切しきりが形式けいしき普通ふつう被弾ひだんたいして危険きけんであったが[ちゅう 2]のちには装甲そうこう個別こべつほうしつったほうくるわ出現しゅつげんした。

ほうかく砲塔ほうとう比較ひかくして製造せいぞうコストや重量じゅうりょうめんでの利点りてん基本きほんてき人力じんりき操作そうさ可能かのうなため(大型おおがた砲塔ほうとう水圧すいあつなどの動力どうりょくげん喪失そうしつすると操作そうさ不能ふのうになる)、軍艦ぐんかんふくほうようとして高角こうかくほう出現しゅつげんする以前いぜんまではすたれることはなかった。

最初さいしょ戦車せんしゃであるマーク I 戦車せんしゃフランスサン・シャモン突撃とつげき戦車せんしゃなど、初期しょき戦車せんしゃにもほうかく採用さいようされていた。のちに、多方向たほうこうてきにすばやく対処たいしょできる旋回せんかい砲塔ほうとう一般いっぱんしたが、ほうかくしきにはていコスト、量産りょうさんせいや、軍艦ぐんかんよりもはるかにちいさい車両しゃりょうにおいては砲塔ほうとうくらてい重心じゅうしん装甲そうこう重量じゅうりょうちいさく、どう規模きぼ車体しゃたいにより大型おおがたほう搭載とうさいできるとう性能せいのうじょうのメリットもおおきく、急激きゅうげき戦車せんしゃ性能せいのう競争きょうそうなか戦術せんじゅつじょう十分じゅうぶん主砲しゅほう砲塔ほうとう搭載とうさいすることのむずかしさから、M3ちゅう戦車せんしゃ突撃とつげきほうなどほうかくしき選択せんたくした車両しゃりょうおおい。

ほうかく同様どうよう機関きかんじゅうそなえたAFV前方ぜんぽう/がわかた銃座じゅうざは、普通ふつうたんに「銃座じゅうざ」もしくは「マシンガンポート」「ガンポート」と呼称こしょうされる。

軍艦ぐんかん[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

イギリスしきやフランスしきともちが独自どくじ砲塔ほうとうせた装甲そうこうかんモニター
フランスの1931ねんがた 33cmよん連装れんそう砲塔ほうとう世界せかいはつ実用じつようであった

ほうかく安定あんていせい問題もんだいから、とく重砲じゅうほう配置はいちほうかく喫水線きっすいせんちかくにかれることがおおかったため浸水しんすいよわく、荒天こうてんはしばしば操作そうさ困難こんなんを招じた。これにたいして甲板かんぱんじょうにある砲塔ほうとうならば荒天こうてんでも安全あんぜん操作そうさ可能かのううえ、より少数しょうすうほうかんりょうふなばたのどちらにも照準しょうじゅんできるため、動力どうりょく革命かくめいきて軍艦ぐんかん帆走はんそうのくびきから解放かいほうされると、各国かっこくはこぞって砲塔ほうとう採用さいようしてこととなる。

もっともはや砲塔ほうとう搭載とうさいした軍艦ぐんかんのひとつはアメリカ装甲そうこうかんモニター」であり、ぜんしゅう回転かいてんしき装甲そうこうドラム1先込さきごしきダールグレンほう2もん搭載とうさいしていた。

またべつ方式ほうしきとして、砲塔ほうとうは、砲身ほうしん装填そうてん回転かいてん機構きこうだけを装甲そうこうバーベット防御ぼうぎょした。砲座ほうざはバーベットのなか回転かいてんするが、砲身ほうしんはバーベットのえんうえすことになる。設計せっけいでは、ほうおよびバーベットに屋根やねのように装甲そうこうばんかぶせた「フードきバーベット」が開発かいはつされた。

全面ぜんめん装甲そうこうしき連装れんそう砲塔ほうとうは、1895ねん就役しゅうえきしたマジェスティックきゅう戦艦せんかん、1897ねん就役しゅうえきした富士ふじがた戦艦せんかん採用さいようされ、近代きんだいてき戦艦せんかん登場とうじょうした。

1908ねん登場とうじょうしたアメリカのサウスカロライナきゅう戦艦せんかんでは、中心ちゅうしんせん装備そうびほうかいひろげるために、前後ぜんごとも2砲塔ほうとうたかさにをつける背負せおいしき配置はいち採用さいようされた。これは船体せんたい構造こうぞう強化きょうかしようとぜん主砲しゅほうとうかん中心ちゅうしんせん移動いどうさせたために必要ひつようとなった措置そちである。このしん配置はいちは、どう時代じだいイギリス戦艦せんかんドレッドノート」とはこう対照たいしょうである。ドレッドノートにはおおくの革命かくめいてきてんがあったものの、依然いぜん2舷側げんそく砲塔ほうとうっていた(つまりぜん砲塔ほうとう中心ちゅうしんせんじょうにあったのではない)。「サウスカロライナ」が進水しんすいするまで、背負せおいしき配置はいち価値かち実証じっしょうされたことはなく、当初とうしょまえキアサージきゅう戦艦せんかんバージニアきゅう戦艦せんかん採用さいようされた主砲しゅほうふくほうかさねる2かい砲塔ほうとう弱点じゃくてんかえされるのではないかと危惧きぐされていた。

さらにおおきな進歩しんぽげたのは、かん中央ちゅうおうの「Q」砲塔ほうとうはいして、砲塔ほうとうらすわりにさらに大型おおがたほう搭載とうさいした日本にっぽん金剛こんごうがたじゅんよう戦艦せんかん1913ねん)と前後ぜんごともに主砲しゅほうとう背負せおしき配置はいちとしたイギリスのクイーン・エリザベスきゅう戦艦せんかん1915ねん)であった。

だいいち世界せかい大戦たいせん艦艇かんてい一般いっぱん連装れんそう砲塔ほうとう採用さいようしていたが、大戦たいせんあいだからだい世界せかい大戦たいせん艦艇かんていではさん連装れんそう砲塔ほうとうやさらにはよん連装れんそう砲塔ほうとうもよくられるようになった。これは砲塔ほうとう総数そうすうらし、装甲そうこう防護ぼうご改善かいぜんできる効果こうかがあったが、フランスしきよん連装れんそう砲塔ほうとう信頼しんらいせいたかいが内部ないぶ構造こうぞうがきわめて複雑ふくざつになり、イギリスしき簡略かんりゃくだが信頼しんらいせいひくく、実用じつようじょう不便ふべんであることがわかった。

軍艦ぐんかんにおいて史上しじょう最大さいだい砲塔ほうとうだい大戦たいせんちゅう戦艦せんかんのもので、じゅう装甲そうこう閉鎖へいさ戦闘せんとうしつによって多数たすうほういん保護ほごしていた。大型おおがた戦艦せんかん主砲しゅほう口径こうけいは、通常つうじょう12インチ(30.5cm)から18インチ(46cm)であった。46cmほう搭載とうさいした戦艦せんかん大和やまと」の砲塔ほうとうは、1やく2,500トンの重量じゅうりょうがあった。戦艦せんかんふくほう(または巡洋艦じゅんようかん主砲しゅほう)では、通常つうじょう5-6インチ(127-152mm)であった。より小型こがた艦艇かんていには3インチ(76mm)か、もうすこおおきなほう搭載とうさいしたが、これらはほとんどの場合ばあい砲塔ほうとう必要ひつようとしなかった。

砲塔ほうとうのレイアウト[編集へんしゅう]

砲塔ほうとう動作どうさ原理げんりしめした動画どうが。これはイギリスのBL 42口径こうけい15inほうのマーク I 砲塔ほうとうをもとにしている。うえのアメリカの砲塔ほうとうのレイアウトと用語ようご比較ひかくするとよい

海軍かいぐん用語ようごとしての「砲塔ほうとう」は伝統でんとうてきに、ほうぜん機構きこう回転かいてんし、円柱えんちゅうがた基部きぶ(トランク)が甲板かんぱんつらぬいて艦内かんないびているものだけを意味いみする(訳注やくちゅう基部きぶ甲板かんぱん貫通かんつうしていないものを、本来ほんらい砲塔ほうとうではないという意味いみ日本にっぽんでは「砲塔ほうとうしき」とぶことがある)。うえ甲板かんぱんよりうえている回転かいてん部分ぶぶんほうしつ(gunhouse)とばれ、ほう機構きこう操作そうさいん保護ほごするとともに、ここで砲弾ほうだん装填そうてんおこなわれる。ほうしつ回転かいてんするローラーの台座だいざっており、物理ぶつりてきかんたい固定こていされてはいないため、もしかん転覆てんぷくした場合ばあいにはかんたいからちてしまうはずである。ほうしつしたからは円柱えんちゅうがた基部きぶびており、弾薬だんやくあつかいをおこなう作業さぎょう区画くかくと、艦内かんない弾薬だんやく火薬かやくから砲弾ほうだんそうやくげる昇降しょうこうはいっている。

昇降しょうこうあげ弾薬だんやく)には、砲弾ほうだんそうやくをまとめてげるもの(うえイギリスかん砲塔ほうとう動画どうが参照さんしょう)、別々べつべつげるもの(アメリカかん砲塔ほうとう断面だんめん参照さんしょう)がある。作業さぎょう区画くかく基部きぶほうしつとともに回転かいてんし、まとめて装甲そうこうほどこした防護ぼうごバーベットのなかおさめられている。バーベットの下端かたんしゅ装甲そうこう甲板かんぱん動画どうがなかあかせん)にまでおよぶ。砲塔ほうとうのいちばんにはあげ弾薬だんやくしつがあり、ここでたまくすりからした砲弾ほうだんそうやく昇降しょうこうせられる。

あげ弾薬だんやく装置そうち昇降しょうこうは、砲塔ほうとう基部きぶたまくすりから砲弾ほうだんそうやく運搬うんぱんする複雑ふくざつ機械きかいである。砲弾ほうだん重量じゅうりょうが1トン前後ぜんこうにもなることをかんがえれば、昇降しょうこう強力きょうりょくかつ迅速じんそく砲弾ほうだん運搬うんぱんできなければならない。動画どうがしめした15インチ砲塔ほうとうは、装填そうてん発砲はっぽうのサイクルを1分間ふんかん完了かんりょうできるようになっている[1]

装填そうてんシステムには一種いっしゅ連動れんどう機構きこういており、ほうしつから弾薬だんやくまでの経路けいろ絶対ぜったいいちひらくことのないように、つまりばくえん弾薬だんやくまでとどかないように(理論りろんじょうは)なっている。砲塔ほうとう周辺しゅうへん区画くかく兵員へいいん移動いどうするには、ぼうえんとびら昇降しょうこうこう開閉かいへいしておこなう。だい口径こうけいほうでは通常つうじょうぜん動力どうりょくしきまたははん動力どうりょくしきによって、ほうおも砲弾ほうだんそうやくむ。砲弾ほうだんむためには昇降しょうこうほういちれつならばなければならないため、通常つうじょう砲弾ほうだん装填そうてんできる仰角ぎょうかく範囲はんいには制限せいげんがある。つまりほうはいったん装填そうてん仰角ぎょうかくもどり、装填そうてんされ、そのふたた照準しょうじゅん仰角ぎょうかくもどるのである。動画どうがしめした砲塔ほうとうでは、ほうおさめる架台かだい固定こていされているため、よりひろ範囲はんい仰角ぎょうかく装填そうてん可能かのうになっている。

舷側げんそく砲塔ほうとう[編集へんしゅう]

ドレッドノート以前いぜんアガメムノン。9.2in中間なかまほう舷側げんそく砲塔ほうとう搭載とうさいされていた
戦艦せんかん「ドレッドノート」。りょうふなばたにそれぞれ12in主砲しゅほう搭載とうさいしている

舷側げんそく砲塔ほうとう(wing turret)は、かん中心ちゅうしんせんからはずれて舷側げんそくやスポンソンに配置はいちされた砲塔ほうとうである。

舷側げんそく砲塔ほうとうではかい制限せいげんされるため、通常つうじょうかたふなばた火力かりょくだけにしか貢献こうけんできない。しかし砲撃ほうげきせんでもっともおおいのはかたふなばた砲戦ほうせんであるのだから、これは舷側げんそく砲塔ほうとう最大さいだい弱点じゃくてんである(反対はんたいがわほう無駄むだになる)。ただしイギリス戦艦せんかんドレッドノート」のような配置はいちでは、舷側げんそく砲塔ほうとう首尾しゅび方向ほうこうにも砲撃ほうげきできた。これは丁字ていじ戦法せんぽうられた場合ばあい不利ふりをいくぶん解消かいしょうし、また、後方こうほうてき応戦おうせんすることもできた。

イギリスのインヴィンシブルきゅうじゅんよう戦艦せんかんドイツめぐよう戦艦せんかんフォン・デア・タン」のように、2舷側げんそく砲塔ほうとうがいずれもりょうふなばた真横まよこ発砲はっぽうできるようななめにずらして配置はいちするこころみもあった。しかしこれは発砲はっぽう爆風ばくふうのため、自艦じかん甲板かんぱんおおきな被害ひがいこす危険きけんがあった。

舷側げんそく砲塔ほうとうは、1800年代ねんだい後半こうはんから1910年代ねんだいはじめまでの主力しゅりょくかん巡洋艦じゅんようかんでは標準ひょうじゅんてきであった。また、ドレッドノート以前いぜん戦艦せんかんでも、主砲しゅほうよりしょう口径こうけいふくほうには舷側げんそく砲塔ほうとう使つかわれていた。大型おおがた装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんでは主砲しゅほうにも舷側げんそく砲塔ほうとう使つかわれることがあったが、砲塔ほうとうではなくほうくるわもちいるほうがおおかった。当時とうじほう性能せいのう砲撃ほうげき管制かんせい問題もんだいから交戦こうせん距離きょりみじかく、しょう口径こうけいほう多数たすう装備そうびするほうが敵艦てきかん上部じょうぶ構造こうぞうぶつふくほう破壊はかいしやすく、価値かちおおきいとかんがえられていた。

1900年代ねんだい前半ぜんはんには、ほう性能せいのう装甲そうこうしつかん速力そくりょく全般ぜんぱんたかまり、交戦こうせん距離きょりびていった。結果けっかとして、ふくほう有用ゆうようせい減少げんしょうした。そこで初期しょきのドきゅう戦艦せんかんは、11インチか12インチ口径こうけいの「ぜんだい口径こうけいほう(all big gun)」装備そうびおこなうようになり、その一部いちぶ舷側げんそく砲塔ほうとうとして配置はいちされた。しかしこの方式ほうしき十分じゅうぶんとはえなかった。舷側げんそく砲塔ほうとうでは舷側げんそく斉射せいしゃかいせまくなるだけでなく、大型おおがたするほう重量じゅうりょうによるかんたい構造こうぞうへの負担ふたんおおきくなり、適切てきせつ装甲そうこうほどこすことがますますむずかしくなったからである。また、のさらに大型おおがたほう、たとえばアメリカ海軍かいぐん最大さいだいきょほう、マーク 7 50口径こうけい16インチほうかんたいたいする負担ふたんがあまりにおおきく、舷側げんそく砲塔ほうとうれることは不可能ふかのうだった。

現代げんだい砲塔ほうとう[編集へんしゅう]

現代げんだい水上すいじょうかんでもほう装備そうびしているものはすくなくないが、口径こうけい通常つうじょう、3-5インチ(76-127mm)である。ほうしつほう機構きこうたんなるたいこうカバーであることがおおく、強化きょうかプラスチックなどのかる装甲そうこう素材そざいでできている。また、現代げんだい砲塔ほうとう自動じどうされているものがおおく、砲塔ほうとうない無人ぶにんで、きゅうだんシステムに弾薬だんやく補給ほきゅうするしょう人数にんずうのチームがいるだけにぎない。

武装ぶそう主力しゅりょくたいかんミサイルうつったこと、また技術ぎじゅつ進歩しんぽにともないほう性能せいのう向上こうじょうしたことにより、少数しょうすうたんそう砲塔ほうとう役目やくめたせるようになり、甲板かんぱんじょうなんもの多連装たれんそう砲塔ほうとうならべたかん過去かこのものとなっている。

また、近年きんねんでは、ステルスかんへの搭載とうさい想定そうていして、ステルスせい付与ふよした砲塔ほうとう開発かいはつされている。ボフォースMk.3 57mmほうのステルスがたや155mm AGSにおいては、発砲はっぽうには砲身ほうしんをシールドない収容しゅうようすることで、ステルスせいをさらに向上こうじょうさせている。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

戦艦せんかん史上しじょう最多さいたの7主砲しゅほうとうせたイギリスのいしゆみきゅう戦艦せんかん「エジンコート」

軍艦ぐんかん砲塔ほうとうにはそれぞれ識別しきべつめいがあった。イギリス海軍かいぐんでは文字もじで、前部ぜんぶ砲塔ほうとうまえからじゅんに「A」「B」…、後部こうぶ砲塔ほうとうまえから「X」「Y」、そして中部ちゅうぶ砲塔ほうとうまえから「P」「Q」「R」とんだ。一部いちぶ例外れいがいがあり、たとえば「C」とぶべき砲塔ほうとうダイドーきゅうけい巡洋艦じゅんようかんでは「Q」、ネルソンきゅう戦艦せんかんでは「X」とんでいた(ネルソンきゅう場合ばあい、この砲塔ほうとうしゅ甲板かんぱんレベルで艦橋かんきょう構造こうぞうぶつと「B」砲塔ほうとうはさまれており、前方ぜんぽう後方こうほうへの射撃しゃげき制限せいげんけた)。

ふく砲塔ほうとうには「P」(左舷さげん、Port)と「S」(右舷うげん、Starboard)の文字もじし、かんくびからじゅん番号ばんごうった。たとえば「P1」は左舷さげんのもっともかんくびりの砲塔ほうとうである。 しかし、例外れいがいもある。イギリス戦艦せんかんエジンコート」(Agincourt)には砲塔ほうとうが7もあったため、曜日ようび名前なまえで「マンデー(月曜日げつようび)」「チューズデイ(火曜日かようび)」…「サンデー(日曜日にちようび)」とばれた。

ドイツ海軍かいぐんでは通常つうじょうかんくびからじゅんに「A」「B」「C」…であった。このとき無線むせんよう符号ふごうフォネティック・コード)を使つかって砲塔ほうとうんだ。たとえば戦艦せんかんビスマルク」の4砲塔ほうとうは「アントン(Anton)」「ブルーノ(Bruno)」(または「ベルタ(Berta)」「カエザル(Caesar)」「ドーラ(Dora)」となる。

なお日本にっぽんとアメリカでは単純たんじゅんまえから「1ばん砲塔ほうとう」「2ばん砲塔ほうとう」…と番号ばんごうぶ。

地上ちじょう要塞ようさい[編集へんしゅう]

20世紀せいきなかごろまでおお建造けんぞう運用うんようされていた要塞ようさいゆうする砲台ほうだい(要塞ようさいほう)は、砲撃ほうげきさらされても簡単かんたんには破壊はかいされないように掩体うちおさめられることおおいが、対応たいおうできる方向ほうこうやすために砲塔ほうとうされることもあった。はじめから要塞ようさいよう設計せっけいされた砲塔ほうとうフランスマジノせん設置せっちされた隠蔽いんぺいしき砲塔ほうとうフィリピンコレヒドール要塞ようさい近海きんかい設置せっちされたフォート・ドラムなどがある。これらの要塞ようさいよう砲塔ほうとう固定こていしきであるため重量じゅうりょう制限せいげんをほぼかんがえなくてもかまわないことから強固きょうこ防御ぼうぎょりょくをもたせることが出来できた。要塞ようさい戦略せんりゃくてき価値かち下落げらくすると要塞ようさい専用せんようほう開発かいはつ下火したびとなり、既存きそん戦車せんしゃ艦船かんせんほうないし砲塔ほうとうごと流用りゅうようされることがおおくなった。

戦車せんしゃ進化しんかげ、要塞ようさい容易ようい迂回うかいされてしまうようになっただい世界せかい大戦たいせん以降いこうだい規模きぼ要塞ようさいつくられることがったが、迂回うかいしづらい隘路あいろ閉塞へいそくする意図いとなどで要塞ようさいきずかれた。戦車せんしゃ車体しゃたい部分ぶぶんめて即席そくせきトーチカすることができるが、はじめから戦車せんしゃ砲塔ほうとう要塞ようさいんでしまうこともままあった。たとえばアルバニアスイスオーストリアなどで、旧式きゅうしき戦車せんしゃ砲塔ほうとうをコンクリートにめてトーチカとすることがおこなわれていた。はつぜんしゅう砲塔ほうとうそなえる戦車せんしゃであるルノー FT-17からして、だい大戦たいせん前夜ぜんやでマジノせん強化きょうかするための即席そくせきトーチカとして多数たすう設置せっちされた。たいするドイツぐん旧式きゅうしきした戦車せんしゃ砲塔ほうとう要塞ようさい建設けんせつもちいたり[ちゅう 3]新規しんきにパンター戦車せんしゃ砲塔ほうとう利用りようしたトーチカを開発かいはつし、防衛ぼうえいせん使用しようしていた。

現代げんだいではたいかんミサイル代替だいたいされ姿すがたしていっているが、かつては重要じゅうよう港湾こうわん海峡かいきょう航路こうろ防備ぼうびのための沿岸えんがん要塞ようさいないし沿岸えんがんほう各地かくちきずかれていた。沿岸えんがんほう海上かいじょう目標もくひょうねらうためのものであるから、うみがわさえいていればよく、ぜんしゅう周回しゅうかいする砲塔ほうとうしき必要ひつようせいはあまりなかったが、艦船かんせん戦車せんしゃ砲塔ほうとうターレットごと流用りゅうようすることがよくあった。前者ぜんしゃれいでは戦艦せんかんとの交戦こうせん想定そうていし、余剰よじょうとなった戦艦せんかん砲塔ほうとう利用りようした巨大きょだいなものもおおく、戦艦せんかんかんほう射撃しゃげきにも対抗たいこう可能かのうとされていた。後者こうしゃれいでは大戦たいせんちゅうのドイツぐんがフランス沿岸えんがん地帯ちたいきずいた大西洋たいせいようかべ鹵獲ろかくしたフランスせい戦車せんしゃ砲塔ほうとう[ちゅう 3]設置せっちしたり、戦後せんごのフィンランドがソ連それんからT-55砲塔ほうとう購入こうにゅうして沿岸えんがん要塞ようさい設置せっちしていたりした[2]

航空機こうくうき[編集へんしゅう]

最初さいしょは、航空機こうくうき搭載とうさい機銃きじゅうまった方向ほうこう固定こていされたか、単純たんじゅん回転かいてん機銃きじゅう(スイベル)にけられていた。スイベルはのちに、機銃きじゅうをどうけても機銃きじゅうしゅがその真後まうしろに位置いちたもてる回転かいてん機銃きじゅう、スカーフ・リング(Scarff ring)に発展はってんした。航空機こうくうき性能せいのうがってこう高度こうど高速こうそく飛行ひこうするようになると、天候てんこうから保護ほごする必要ひつようしょうじ、機銃きじゅうかこんだり、シールドをけるようになった。イギリス空軍くうぐん動力どうりょくしき機銃きじゅうとう(ターレット)を搭載とうさいした最初さいしょばくげきは、1933ねんはつ飛行ひこうしたボールトンポール オーヴァーストランドであった。オーヴァーストランドは機首きしゅ機銃きじゅうとうに1てい機関きかんじゅう搭載とうさいしていた。やがて機銃きじゅうとうかず搭載とうさい機関きかんじゅうかずえていき、だい世界せかい大戦たいせんイギリス空軍くうぐんじゅう爆撃ばくげき通常つうじょう3動力どうりょくしき機銃きじゅうとうそなえていた。とく機体きたい後部こうぶ機銃きじゅうとうには、4ていの7.7mm(0.303in)機銃きじゅうそなえていた。これは「テイル・ガンナー」または「テイル・エンド・チャーリー」ポジションとばれていた。

また、イギリスでは「砲塔ほうとう戦闘せんとう(turret fighter)」のアイデアもまれた。ボールトンポール デファイアント実例じつれいであるが、つばさない前方ぜんぽう固定こていしき機銃きじゅうたず、操縦そうじゅうせき背後はいご機銃きじゅうとう(7.7mm 4連装れんそう)だけを武装ぶそうとしたものである。このアイデアがまれた当時とうじは、戦闘せんとう標準ひょうじゅんてき武装ぶそう機関きかんじゅう2ていだけであった。編隊へんたいんでじゅう武装ぶそうばくげき迎撃げいげきする場面ばめんにおいて、砲塔ほうとう戦闘せんとう一団いちだんなら(後方こうほうだけでなく)側面そくめん背後はいご下方かほうからも攻撃こうげきでき、柔軟じゅうなん火力かりょく集中しゅうちゅうできるとかんがえたのである。このアイデアはばくげき攻撃こうげきするさいには一理いちりがあったが、戦闘せんとうたたかさい実用じつようてきでないことがわかった。砲塔ほうとう重量じゅうりょう空気くうき抵抗ていこうのため、固定こてい機銃きじゅう装備そうびした単座たんざ戦闘せんとうよりもどんそくになる。にもかかわらず前方ぜんぽうたいして攻撃こうげき不可能ふかのうなため、てき戦闘せんとうくか並行へいこうすること必要ひつようという矛盾むじゅんかかえていた。

この当時とうじ航空機こうくうきよう旋回せんかい機銃きじゅう機銃きじゅうとうには乗員じょういん直接ちょくせつ操作そうさするものがおおかったが、一部いちぶには油圧ゆあつ電動でんどう遠隔えんかく操作そうさ可能かのうなものもあった。とくB-29ばくげきでは油圧ゆあつ動力どうりょく旋回せんかいじゅうとうぜん方向ほうこうそなえており、これにより従来じゅうらいきさらしのじゅうとうことなり、射撃しゃげきしゅ気密きみつ室内しつないおさまって遠隔えんかく操作そうさすることができた。

ジェット機じぇっとき時代じだい到来とうらいにより、ばくげき自衛じえいよう機銃きじゅうとうはすたれていった。とはいえこの時代じだいにも、ボーイング B-52ばくげきなど限定げんてい旋回せんかいのできる機銃きじゅうそなえていた機体きたいすくなくなかった。しかしながらこれらの銃座じゅうざも、乗員じょういんすう節約せつやく、ペイロードと速度そくど向上こうじょうのため、まもなく廃止はいしされていった。

航空機こうくうき機銃きじゅうとう搭載とうさい位置いちはさまざまで、つぎのようにばれる。

  • ドーサル(dorsal)- 胴体どうたい上面うわつら
  • ベントラル(ventral)- 胴体どうたい下面かめん
  • リア(rear)または テイル(tail)-
  • ノーズ(nose)- 機首きしゅ前方ぜんぽう
  • チン(chin)- 機首きしゅ下面かめん

装甲そうこう戦闘せんとう車両しゃりょう[編集へんしゅう]

M3A3けい戦車せんしゃ37mm戦車せんしゃほうM6搭載とうさい砲塔ほうとう乗員じょういんようバスケットがいている
ハンヴィー搭載とうさいされた装甲そうこうじゅうとうOGPK

だいいち世界せかい大戦たいせん当時とうじイギリスぐん菱形ひしがたじゅう戦車せんしゃでは左右さゆうスポンソン(し)のケースメート(ほうかくない火砲かほう機関きかんじゅう搭載とうさいしていた。その先祖せんぞである試作しさくしゃリトル・ウィリーでは上部じょうぶ砲塔ほうとう搭載とうさいするための準備じゅんびがしてあったのだが、車体しゃたい中心ちゅうしんエンジン装備そうびされており、そこに砲塔ほうとう設置せっちできなかったためである。どう時期じきフランスぐん戦車せんしゃでは、突撃とつげきほうのように車体しゃたい前方ぜんぽう火砲かほう装備そうびしていたが、そのルノー FT-17 けい戦車せんしゃ旋回せんかい砲塔ほうとう実用じつようされ、現代げんだいにまでいた戦車せんしゃ基本形きほんけいがここに出現しゅつげんした。

大戦たいせんあいだではソ連それんT-35やドイツのNbFzのような、陸上りくじょう軍艦ぐんかんてきな「如何いかにもつよそうにえる」砲塔ほうとう戦車せんしゃ形式けいしき流行りゅうこうしたが、砲塔ほうとうえたぶん防御ぼうぎょ脆弱ぜいじゃくになり、多数たすう砲塔ほうとうたいする指揮しきむずかしくなる欠点けってん克服こくふく出来できず、複雑ふくざつ構造こうぞうからくるこう価格かかくてい生産せいさんせいにも問題もんだいがあったため、やがて主流しゅりゅうたん砲塔ほうとう形式けいしきへともどっていった。

現代げんだい戦車せんしゃでは、砲塔ほうとう乗員じょういん保護ほごのために装甲そうこうされ、一般いっぱんてきに105-125mm程度ていどだい口径こうけい戦車せんしゃほう1もん搭載とうさいし、360ちょんあまね回転かいてんする。ほとんどの場合ばあい主砲しゅほう同軸どうじく機銃きじゅう砲塔ほうとうない装備そうびしており、これはてき歩兵ほへい掃討そうとう近距離きんきょりにおけるスポッティングライフルわりとしてもちいられる。戦車せんしゃ砲塔ほうとう通常つうじょう2にん以上いじょう乗員じょういん収容しゅうようする(一般いっぱんてき戦車せんしゃちょう砲手ほうしゅ、さらに装填そうてんしゅくわわることがおおい)。

その装甲そうこう戦闘せんとう車両しゃりょうでも、用途ようとわせて砲塔ほうとう搭載とうさいし、戦車せんしゃほう以外いがい武装ぶそうそなえている。歩兵ほへい戦闘せんとうしゃしょう口径こうけいほう機関きかんほう対戦たいせんしゃミサイルランチャーを、単独たんどくわせて搭載とうさいしていることがおおい。イタリアぐんチェンタウロ戦闘せんとう偵察ていさつしゃ、フランスぐんAMX-10RCのように、(よりてい反動はんどうされているとはいえ)戦車せんしゃほうわらない105mmほう搭載とうさいするそうしき装甲そうこう車両しゃりょう実用じつようされている。

現代げんだいはしほうは、戦車せんしゃよりもおおきな口径こうけい火砲かほう旋回せんかいしき砲塔ほうとう搭載とうさいしていることがおおく、一見いっけんして戦車せんしゃのような外観がいかんになっているが、その装甲そうこう限定げんていてきたまへん防御ぼうぎょおもで、戦車せんしゃよりはうすくなっているれいほとんどである。

キラシェーアけい戦車せんしゃゆらどう砲塔ほうとう。キャンバスのカバーがついている可動かどう防護ぼうごなんがある。
M1128 MGSのオーバーヘッド砲塔ほうとう。ハッチをじると乗員じょういん車体しゃたいルーフよりしたがわおさまる。
無人むじん砲塔ほうとうじょう機銃きじゅうのRWSを装備そうびするT-14主力しゅりょく戦車せんしゃ
30mmみりめーとる機関きかんほう対戦たいせんしゃミサイル装備そうびRCWS-30装備そうびするパンデュールII
砲塔ほうとうんだT-72。

砲塔ほうとう戦闘せんとうりょくようであり、かつ上面うわつら突出とっしゅつしているため被弾ひだんりつたかいことから、前面ぜんめんぼうたてには一般いっぱんもっとあつ装甲そうこうほどこされる。しかし冷戦れいせん時代じだい、1950年代ねんだい以後いごごろからたい戦車せんしゃだん成型せいけい炸薬さくやくだん)の威力いりょく向上こうじょうたい装甲そうこうによる防御ぼうぎょ不利ふり認識にんしきされたことから、砲塔ほうとうサイズの縮減しゅくげんにさまざまなこころみがなされた。ソ連それん主力しゅりょく戦車せんしゃはいちはや自動じどう装填そうてん装置そうち採用さいよう弾薬だんやく車体しゃたいないくことで砲塔ほうとう小型こがたした。戦車せんしゃより装甲そうこううす歩兵ほへい戦闘せんとうしゃではBMP-1近年きんねんでもVBCIひとし、あえて1人ひとりよう砲塔ほうとうとしているものもすくなくない。ほかにもほう俯仰ふぎょう必要ひつよう内部ないぶスペースのぶん小型こがたできるゆらどう砲塔ほうとう、ここからさらに乗員じょういん車体しゃたい内側うちがわひくめたオーバーヘッド砲塔ほうとうなどもこころみられたが、防護ぼうごりょく乗員じょういん視認しにんせい問題もんだいから採用さいよう事例じれいすくない。しかしのちには外部がいぶ視認しにんこう倍率ばいりつおよび赤外線せきがいせんのカメラに比重ひじゅううつったこともあり、2000年代ねんだいにオーバーヘッドがた砲塔ほうとうM1128 ストライカーMGSがアメリカ陸軍りくぐん採用さいようされた。

また、けい装甲そうこう車両しゃりょう装甲そうこう戦闘せんとう車両しゃりょう偵察ていさつ車両しゃりょうなどでも、機関きかんじゅう装備そうびした1人ひとりようじゅうとうんでいることがある。だいいち世界せかい大戦たいせん使用しようされたイギリスのロールス・ロイス装甲車そうこうしゃなど、いくつかのそう装甲車そうこうしゃには装甲そうこうされた回転かいてんしきじゅうとうそなえられていた。だい世界せかい大戦たいせんにおいても、たとえばドイツぐんSd Kfz 221Sd Kfz 222ソ連それんぐんBA-64のような小型こがた偵察ていさつ装甲車そうこうしゃには周囲しゅうい装甲そうこうばんおおったじゅうとうそなえられるれいおおかった。

またこの当時とうじジープ軍用ぐんようトラックのような装甲そうこう車両しゃりょうにも機関きかんじゅう装着そうちゃくすることはあったが、これらのおおくはじゅうとうへの装備そうびではなく、しのじゅうへの装着そうちゃくおもであった。そのたとえばベトナム戦争せんそう投入とうにゅうされたアメリカぐんM113装甲そうこう兵員へいいん輸送ゆそうしゃ事例じれいのように、もともとはキューポラ機関きかんじゅうだけを装着そうちゃくしていたが、射手しゃしゅ被害ひがいふせため周囲しゅうい装甲そうこうばん増設ぞうせつされ、結果けっかてき1人ひとりようじゅうとうしたようなケースもある。装甲そうこう車両しゃりょうハンヴィーにおいてもたような経緯けいいがあり、イラク戦争せんそう当時とうじ、ルーフじょう銃座じゅうざ射手しゃしゅ被害ひがいふせため現地げんち改修かいしゅうぼうたて防弾ぼうだんばん追加ついかされるれい多数たすう発生はっせいし、そのOGPKMCTAGSのような正式せいしき装備そうびとして、装甲そうこうされた1人ひとりようじゅうとう開発かいはつされ運用うんようされている。

また、こういった射手しゃしゅ被害ひがいふせぐためのべつのアプローチとして、遠隔えんかく操作そうさしき無人むじんじゅうとうRWS、Remote Weapon Station)も開発かいはつされている。直接ちょくせつ先祖せんぞはドイツぐんIIIごう突撃とつげきほうヘッツァー装甲そうこう上面うわつら配備はいびされた7.92mmリモコン機銃きじゅうで、これは車内しゃないから発砲はっぽう可能かのうだが、銃弾じゅうだんさい装填そうてん車外しゃがいなければならなかった。最初さいしょ実用じつようされたのはイスラエルラファエルにより開発かいはつされたラファエル・オーバーヘッド・ウェポン・ステーションであるが、その各国かっこく同様どうようのコンセプトの遠隔えんかく操作そうさじゅうとう開発かいはつされ、実戦じっせん配備はいびされている。2010年代ねんだい以後いごはRWSの大型おおがた、あるいはヒットフィストOWSラインメタル LANCEのように有人ゆうじん砲塔ほうとうにRWSモードをそなえた無人むじん砲塔ほうとうおお開発かいはつされてきている。

1973ねんからソビエト連邦れんぽう生産せいさんされはじめたT-72戦車せんしゃは、攻撃こうげきりょく機動きどうりょく防御ぼうぎょりょくのバランスにすぐれ、東側ひがしがわ諸国しょこくにおいてベストセラーとなった。 しかし、回転かいてんしき砲塔ほうとう内部ないぶ多数たすう弾薬だんやく搭載とうさいする構造こうぞうから、1991ねん湾岸わんがん戦争せんそう2003ねんイラク戦争せんそうつうじ、被弾ひだんすると内部ないぶ弾薬だんやく爆発ばくはつして砲塔ほうとうがる事例じれいひろわたり「びっくりばこ」と揶揄やゆされるようになった。この砲塔ほうとう部分ぶぶん脆弱ぜいじゃくさは西側にしがわ諸国しょこくでも問題もんだいされるようになり、後年こうねん、アメリカが製造せいぞうしたストライカー装甲車そうこうしゃでは、砲塔ほうとう部分ぶぶん乗員じょういん配置はいちせず、弾薬だんやく場所ばしょ隔離かくりするレイアウトがられている[3]。ソビエト連邦れんぽうからロシアに移行いこうしたのち、T-72の後継こうけい機種きしゅ爆発ばくはつ反応はんのう装甲そうこう追加ついかするなど、砲塔ほうとう脆弱ぜいじゃくせいたいするフォローがおこなわれたが抜本ばっぽんてき解決かいけつほうにはならず、2022ねんロシアのウクライナ侵攻しんこうにおいても、戦車せんしゃ砲塔ほうとう無残むざん映像えいぞう多数たすう配信はいしんされることとなった[4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 甲板かんぱん中央ちゅうおうだい口径こうけいほうせるためには、ボムケッチ(臼砲きゅうほうかんのように航行こうこう能力のうりょく低下ていかしのんで邪魔じゃま前方ぜんぽうそうはらい、かい確保かくほする必要ひつようがあるが、この配置はいち沿岸えんがん砲撃ほうげきせんようのボムケッチだから許容きょようされるだけであり、こうようがた軍艦ぐんかんでは現実げんじつてきではない。
  2. ^ れいとしてかもみどりこう海戦かいせん日本にっぽん艦隊かんたい旗艦きかん松島まつしまは、鎮遠主砲しゅほうだんによる左舷さげんほうかく被弾ひだんにより、集積しゅうせきしていた弾薬だんやく誘爆ゆうばくほうかくあいだ隔壁かくへきがなかったためにほうかく甲板かんぱんにあったふくほうぐん一気いっき壊滅かいめつしてしまった。
  3. ^ a b ドイツぐん旧式きゅうしきした戦車せんしゃから砲塔ほうとうはずし、車体しゃたいはしほう牽引けんいんしゃ弾薬だんやく運搬うんぱんしゃなどに改造かいぞうしていた。のこった砲塔ほうとう要塞ようさい建設けんせつよう資材しざいとして流用りゅうようされた

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Capt. S. W. Roskill, RN, HMS Warspite, Classics of Naval Literature, Naval Institute Press, 1997 ISBN 1-55750-719-8
  2. ^ 退役たいえきともな公開こうかいされた沿岸えんがん要塞ようさい。ロシア記事きじながら動画どうが画像がぞうがあり砲座ほうざ砲塔ほうとう設置せっちされていることが容易ようい理解りかいできるПоследние_выстрелы_финской_100-мм береговой_артиллерии
  3. ^ まるで「ビックリばこ」、ウクライナでたたかうロシアぐん戦車せんしゃかかえる設計せっけいじょう欠陥けっかんとは”. CNN (2022ねん4がつ29にち). 2022ねん12月3にち閲覧えつらん
  4. ^ 砲塔ほうとうはまるでびっくりばこ…ロシア戦車せんしゃ弱点じゃくてんがあった”. 朝鮮日報ちょうせんにっぽう (2022ねん5がつ5にち). 2022ねん12月3にち閲覧えつらん