列車れっしゃほう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
だい世界せかい大戦たいせんドイツ28 cm Kanone 5 (E)

列車れっしゃほう(れっしゃほう)は、陸上りくじょうでは運用うんよう困難こんなんだい口径こうけいだい重量じゅうりょう大砲たいほう重砲じゅうほう)を鉄道てつどう車両しゃりょう搭載とうさいし、レール線路せんろじょう走行そうこうさせることによって移動いどう可能かのうとした兵器へいきである。

貨物かもつ列車れっしゃ装甲そうこうほどこし、比較的ひかくてきしょう口径こうけいけいほう対空たいくうほう機関きかんじゅう搭載とうさいした装甲そうこう列車れっしゃとは一般いっぱんてき区別くべつされる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

口径こうけい520mmの榴弾りゅうだんほう搭載とうさいしただいいち世界せかい大戦たいせんフランスM1916 520mm列車れっしゃ榴弾りゅうだんほう

ほう無蓋むがい貨車かしゃ搭載とうさいするか、無蓋むがい貨車かしゃそのものをほうとしてほう搭載とうさいしたもので、ほう口径こうけい口径こうけいちょうはまちまちであるが、搭載とうさいされるほうカノンほうカノンのう)のなかでもとくだい口径こうけい(20cm以上いじょう)・ちょう砲身ほうしんだい重量じゅうりょうこう初速しょそくだい威力いりょくなものが使用しようされることがおおい。また、だい口径こうけいだい重量じゅうりょう榴弾りゅうだんほう臼砲きゅうほう使用しようされた。基本きほんてきちょう長距離ちょうきょり射撃しゃげき前提ぜんていとし、だい口径こうけいほうから発射はっしゃされる砲弾ほうだんやぶかぶと榴弾りゅうだん榴弾りゅうだん)の破壊はかいりょく多大ただいなものであり、ほうによっては最大さいだい射程しゃていは40,000m(40km)以上いじょうほこった[注釈ちゅうしゃく 1]

列車れっしゃほう自体じたいにははし能力のうりょくはなく、機関きかんしゃによって牽引けんいんされて移動いどうし、搭載とうさいほう大型おおがたのものはほう固定こていしき左右さゆうへの旋回せんかいはできないか、可能かのうであっても360ぜん周旋しゅうせんかいはできない[注釈ちゅうしゃく 2]左右さゆうかい確保かくほはカーブのいたレールじょう移動いどうさせるか、うたて車台しゃだいもちいて対応たいおうした。鉄道てつどう車両しゃりょうであるため、線路せんろのない場所ばしょ移動いどうすることはできないが、鉄道てつどうもう発達はったつした近代きんだい欧米おうべいにおいては[注釈ちゅうしゃく 3]、まだ整備せいびされた道路どうろもう発達はったつであった自動車じどうしゃくらべて迅速じんそく移動いどう可能かのうであり、鉄道てつどう路線ろせんのない場所ばしょであっても、工兵こうへいたいによって軌道きどう敷設ふせつすることにより移動いどう展開てんかい可能かのうであった。

隧道すいどう利用りようするだい大戦たいせんイギリスBL 18インチ列車れっしゃ榴弾りゅうだんほう

せんあいだ出現しゅつげんしたなか大型おおがたばくげきは、すでに列車れっしゃほう砲弾ほうだん以上いじょう威力いりょくのあるばくだん投下とうかすることが可能かのうとなっており、また列車れっしゃほう最大さいだい射程しゃていばくげき航続こうぞく距離きょり戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい)は比較ひかくにならず、列車れっしゃほう存在そんざい価値かちおおきくげんじられるものとなった。しかしながら、当時とうじ航空機こうくうき性能せいのう限界げんかい全天候ぜんてんこう行動こうどう能力のうりょく欠如けつじょ照準しょうじゅん装置そうち精度せいどひくさ—ゆえに、列車れっしゃほうたいして航空機こうくうき絶対ぜったいてき優位ゆうい確保かくほしていたわけではなかった。

このため、適切てきせつ状況じょうきょう運用うんようした場合ばあいには、列車れっしゃほうもなお圧倒的あっとうてき威力いりょく発揮はっきした。列車れっしゃほうにも「相手あいて同様どうよう射程しゃてい火砲かほう装備そうびしている場合ばあいにはかえされる」という脆弱ぜいじゃくせいはあったが、たい砲兵ほうへいレーダー発達はったつなこの時代じだいには、現実げんじつてきには射撃しゃげきされているがわが「攻撃こうげきちゅうてき火砲かほう位置いち正確せいかく逆算ぎゃくさんして即座そくざかえす」という即時そくじたい砲兵ほうへい射撃しゃげきつねおこなうことはむずかしく、また列車れっしゃほうがわすうはつつごとに移動いどうする、地形ちけいゆるせば隧道すいどうトンネル)を利用りようしての射撃しゃげきおこなう(射撃しゃげきだけ隧道すいどうからて、所定しょていはつすう射撃しゃげきしたらすぐに隧道すいどうないもどる)ことでてき攻撃こうげきける、といった対策たいさく方法ほうほうもとっていた。

しかし、列車れっしゃほう編成へんせいふくめてそのおおきさは格好かっこう目標もくひょうであり、移動いどうにおいては線路せんろ制限せいげんされるという関係かんけいじょう制空権せいくうけん確保かくほしていない状況じょうきょうにおいてはその運用うんよう困難こんなんであった。ほう自体じたい運用うんよう多数たすう人員じんいん必要ひつようであったうえ移動いどうのために牽引けんいんする機関きかんしゃとその運用うんよう要員よういん軌道きどう整備せいび修繕しゅうぜん必要ひつようおうじて敷設ふせつするための工兵こうへいたいさらには航空機こうくうき発達はったつするとそれからまもるための防空ぼうくう部隊ぶたい高射こうしゃほう部隊ぶたい)といった付属ふぞく要員よういん部隊ぶたい多数たすう必要ひつようであり、継続けいぞくてき運用うんようのための後方こうほう整備せいびにも多大ただいなリソースが必要ひつようだった。長大ちょうだいだい口径こうけい備砲びほう砲身ほうしん交換こうかんひとつとっても多大ただい資源しげん設備せつび人員じんいん必要ひつようであったためである。

また、沿岸えんがん防衛ぼうえい国境こっきょうせん防衛ぼうえいのための兵器へいきとしてではなく、進軍しんぐんする友軍ゆうぐん部隊ぶたい支援しえんした場合ばあい移動いどうそのものは鉄道てつどうもう利用りようして迅速じんそくおこなえたとしても、前述ぜんじゅつしたような付属ふぞく部隊ぶたい総合そうごうすると膨大ぼうだい資材しざい人員じんいん移動いどうさせねばならないため、投入とうにゅう決定けっていしてから実際じっさい現地げんち移動いどうし、到着とうちゃくのち展開てんかい完了かんりょうして射撃しゃげき準備じゅんび完了かんりょうするまでには相応そうおう時間じかんようした。とく特別とくべつ複線ふくせん[注釈ちゅうしゃく 4]前提ぜんていとなっていた一部いちぶ巨大きょだい列車れっしゃほう運用うんようそのものに多大ただい制限せいげんけており、だい大戦たいせん直後ちょくごドイツ国防こくぼうぐん列車れっしゃほう調査ちょうさした連合れんごうぐん評価ひょうかは「技術ぎじゅつてきには驚異きょういてきだが、戦術せんじゅつてきには失敗しっぱいさく」というもので「列車れっしゃほうそそがれた資金しきん資材しざい技術ぎじゅつしゃ兵員へいいん爆撃ばくげき開発かいはつまわしていればおおきな脅威きょういになったが、列車れっしゃほうまわされたおかげで連合れんごうぐんには有利ゆうりはたらいた」とひょうされている。

だい大戦たいせん現代げんだいにおいては、自動車じどうしゃ道路どうろもう発達はったつ戦闘せんとうドクトリン変化へんか兵器へいき技術ぎじゅつ進化しんかとくロケット技術ぎじゅつ急速きゅうそく発達はったつにより、「長大ちょうだい射程しゃていち、破壊はかいりょくおおきなだい口径こうけいだい重量じゅうりょう砲弾ほうだん発射はっしゃできる」というきょほう兵器へいき存在そんざい意義いぎそのものが、弾道だんどうミサイル地上ちじょう発射はっしゃがた巡航じゅんこうミサイルおよびたいかんミサイルまえうしなわれてしまい、列車れっしゃほうという兵器へいきカテゴリーそのものが、大型おおがたしきはしミサイル発射はっしゃ輸送ゆそう起立きりつ発射はっしゃ:TEL(transporter erector launcher)にとってわられているが、ソビエト連邦れんぽうぐん / ロシア連邦れんぽうぐん大陸たいりくあいだ弾道弾だんどうだんには列車れっしゃ移動いどう可能かのうなタイプが存在そんざいしていたことや、近年きんねんでは朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんによる有蓋ゆうがい貨車かしゃからの短距離たんきょり弾道だんどうミサイル発射はっしゃ報告ほうこくされている。見方みかたによってはこれは列車れっしゃほう子孫しそんともえる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

起源きげん[編集へんしゅう]

きたぐんの13インチ列車れっしゃ臼砲きゅうほう

列車れっしゃほう概念がいねんは、1853ねんにイギリスのアンダーセンがあらわした"National Defence"(国防こくぼう)というパンフレットにあらわれたのが最初さいしょである。ロシア帝国ていこくでも1860年代ねんだいには、同様どうよう主張しゅちょうあらわれている。

列車れっしゃほうはじめての実用じつよう実戦じっせん投入とうにゅう南北戦争なんぼくせんそうなか1861ねん-1865ねん)のことであり、1864ねんピーターズバーグ要塞ようさいをめぐるたたかいにおいて、きたぐんが13インチ臼砲きゅうほう無蓋むがい列車れっしゃにのせて運用うんようした13インチ列車れっしゃ臼砲きゅうほうが、はつ列車れっしゃほうとされる。

だいいち世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

以降いこう列車れっしゃほう世界せかい各国かっこく陸軍りくぐんにおいて研究けんきゅう開発かいはつ整備せいびおこなわれ、列強れっきょう各国かっこくはこぞってこれを所有しょゆうした。

だいいち大戦たいせんにおいてはドイツが要塞ようさい塹壕ざんごう攻撃こうげきなどに使用しようしたものが有名ゆうめいである。ドイツぐんなかでもパリほうばれる最大さいだい有効ゆうこう射程しゃてい130,000m(130km)の列車れっしゃほう口径こうけい21cm)を開発かいはつし、120kmはなれた地点ちてんからパリちょう遠距離えんきょり砲撃ほうげきおこなった。これに脅威きょういかんじた連合れんごうこくヴェルサイユ条約じょうやくでドイツにたい列車れっしゃほうふく重火器じゅうかき保有ほゆう禁止きんししたが、未知みち技術ぎじゅつであったロケット保有ほゆうきんじられなかった。このためドイツはミサイルの研究けんきゅうみ、世界せかい先駆さきがけてV2ロケットなどの弾道だんどうミサイル実用じつよう成功せいこうした。

せんあいだ[編集へんしゅう]

日本にっぽんきゅうしきじゅうよんせんちめーとる列車れっしゃのう

つづせんあいだには世界せかい各国かっこくにおいて列車れっしゃほう開発かいはつはピークとなった。

日本にっぽんにおいても帝国ていこく陸軍りくぐん1920年代ねんだい導入どうにゅう模索もさく採用さいようしたきゅうしきじゅうよんせんちめーとる列車れっしゃのうがある。砲身ほうしんフランスシュナイダーから購入こうにゅう輸入ゆにゅうし、車台しゃだい電源でんげんしゃ国産こくさんであった。ほんほう各種かくしゅテストがおこなわれ千葉ちばけん富津ふっつみさき富津ふっつ射場しゃじょう保管ほかんされていたが、太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんあらため軌のうえ日本にっぽんぐん最大さいだい火砲かほうである試製しせいよんじゅういちせんちめーとる榴弾りゅうだんほうとともに満州まんしゅうこくおくられソまん国境こっきょう関東軍かんとうぐんとらあたま要塞ようさい配備はいびされた。しかし、ソ連それんぐん侵攻しんこうときには解体かいたいされて後方こうほう移送いそうちゅうであり、一説いっせつによるとソ連それんぐんいつかれて鹵獲ろかくされたという。また、実現じつげんはしなかったがじゅん国産こくさん列車れっしゃほう開発かいはつする計画けいかく存在そんざいしていた。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だい大戦たいせんにおいても列車れっしゃほう使用しようされ、なかでもドイツ国防こくぼうぐん・イギリスぐんソ連それん労農ろうのう赤軍せきぐん使用しようしていた。ドイツはクルップK5口径こうけい28cm、最大さいだい射程しゃてい61km)を主力しゅりょくに、15cm口径こうけいのものからビスマルクきゅう戦艦せんかんよう主砲しゅほう同様どうようのものをもちいた38cm ジークフリート K(E)列車れっしゃほうまで、また実用じつようされた火砲かほうとしては世界せかい最大さいだいである80cm列車れっしゃほう(「グスタフ」および「ドーラ」の愛称あいしょうられる)を投入とうにゅうしている。なお、フランス陸軍りくぐん列車れっしゃほうフランス降伏ごうぶくにおいておおくがドイツに鹵獲ろかくされ、レニングラード攻撃こうげきやノルマンディーせん使つかわれた。

イギリス陸軍りくぐん列車れっしゃほう沿岸えんがん防衛ぼうえいようドーバー海峡かいきょう沿岸えんがん配備はいびされ、とき沖合おきあいをくドイツ艦船かんせん砲撃ほうげきし、とき対岸たいがん砲撃ほうげきし、とき対岸たいがん配備はいびされたドイツぐん列車れっしゃほう砲撃ほうげきけたが、おおきな活躍かつやくせていない。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせんちゅうにドイツが実用じつようした弾道だんどうミサイルにより、戦後せんご長距離ちょうきょり火砲かほう世界せかいにはおおきな変化へんかしょうじ、これにより列車れっしゃほう急速きゅうそくすたれていった。核弾頭かくだんとう小型こがたがまだ不十分ふじゅうぶんであった時期じきには、核兵器かくへいき戦術せんじゅつてき投射とうしゃ手段しゅだんとしてちょう射程しゃていだい口径こうけいほう存在そんざい意義いぎはある、とされたが、列車れっしゃほうは「線路せんろのあるところでしか移動いどう運用うんようできない」というてんにおいて絶対ぜったいてき不利ふりであるとされ、いくつか開発かいはつされて生産せいさんされたいわゆる「原子げんしほう」においても、列車れっしゃほう運用うんよう手段しゅだんとしては選択せんたくされていない。

RT-23の鉄道てつどう搭載とうさいがたひだり手前てまえがわ車両しゃりょう牽引けんいん機関きかんしゃ
展示てんじようにミサイル発射はっしゃ装置そうち起立きりつ展開てんかいした状態じょうたい
(2015ねん5がつ撮影さつえい

なお、1980年代ねんだいソビエト連邦れんぽうによって開発かいはつされ、2005ねんまで運用うんようされた大陸たいりくあいだ弾道弾だんどうだんRT-23(NATOコードネーム:SS24)には列車れっしゃ移動いどう可能かのうなタイプがあったことや、近年きんねん朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんによる短距離たんきょり弾道だんどうミサイル有蓋ゆうがい貨車かしゃへの搭載とうさいがあり、これを戦略せんりゃく兵器へいきとしての列車れっしゃほう後継こうけいとらえることもできる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 野戦やせんほうとして陸上りくじょうもちいられる一般いっぱんてきな15cmクラスのカノンほうは、だい大戦たいせん当時とうじ最新さいしんがたもの最大さいだい射程しゃてい25,000m前後ぜんご程度ていど
  2. ^ すべてのだい口径こうけい列車れっしゃほう固定こていほうしきなわけではないが、旋回せんかいしきではあっても旋回せんかい可能かのう範囲はんい限定げんていされているか、ほう自体じたいぜん周旋しゅうせんかいができても、射撃しゃげき可能かのう範囲はんい限定げんていされている、というものがおおい。
  3. ^ なお、軌間きかん路線ろせんこくごとにまちまちであったため、それらの地域ちいきむには台車だいしゃ交換こうかんなどあらため必要ひつようがあった
  4. ^ このうえ走行そうこうするのは列車れっしゃほう1りょうのみであり、車両しゃりょうがすれちがいもなみはしもしないので、厳密げんみつ意味いみでの“複線ふくせん”の定義ていぎにはてはまらないが、ともあれ「並行へいこうする4ほんのレールが必要ひつようになる」という意味いみでは複線ふくせんである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • イアン・V.フォッグ:ちょ小野おのたすく吉郎よしろうやくだい世界せかい大戦たいせんブックス 37 大砲たいほうげきせん 野戦やせん主役しゅやく列強れっきょう火砲かほうサンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょくかん 1972ねん
  • イアン・V.フォッグ:ちょいわどうけんじんやくだい世界せかい大戦たいせん文庫ぶんこ 25 大砲たいほうげきせん』(ISBN 978-4383024389サンケイ出版しゅっぱんかん 1985ねん上記じょうきだい大戦たいせんブックスばんさい刊行かんこうばん
  • 広田ひろた厚司あつしちょ
    • 光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ『ドイツの火砲かほう制圧せいあつ兵器へいき徹底てってい研究けんきゅう』(ISBN 978-4769823650光人みつひとしゃかん 2002ねん
    • 『ドイツ列車れっしゃほう&装甲そうこう列車れっしゃ戦場せんじょう写真しゃしんしゅう』(ISBN 978-4769813729光人みつひとしゃかん 2007ねん
    • 『ドイツぐん8.8センチほう&ちょう重砲じゅうほう 戦場せんじょう写真しゃしんしゅう』(ISBN 978-4769816560光人みつひとしゃかん 2018ねん
  • グランドパワー2013ねん3がつごう別冊べっさつだい2大戦たいせん 世界せかい列車れっしゃほうガリレオ出版しゅっぱんかん 2013ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]