(Translated by https://www.hiragana.jp/)
クイーン・エリザベス級戦艦 - Wikipedia コンテンツにスキップ

クイーン・エリザベスきゅう戦艦せんかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クイーン・エリザベスきゅう戦艦せんかん
竣工当時の「クイーン・エリザベス」
かんきゅう概観がいかん
かんしゅ 戦艦せんかん
かんめい
まえきゅう アイアン・デュークきゅう戦艦せんかん
つぎきゅう リヴェンジきゅう戦艦せんかん[1]
性能せいのうしょもと(クイーン・エリザベス)
排水はいすいりょう 常備じょうび:27,500トン
1944ねん
常備じょうび:32,930トン、満載まんさい:38,450トン
全長ぜんちょう 196.8m
水線すいせんちょう 195.3m
全幅ぜんぷく 27.6m
(1944ねん:31.7m)
吃水きっすい 8.8m
1944ねん:9.5m(基準きじゅん)、10.5m(満載まんさい
機関きかん 竣工しゅんこうバブコック・アンド・ウィルコックスしき重油じゅうゆせんしょうかん24
パーソンズしき直結ちょっけつがたタービン(低速ていそく高速こうそく2くみ4じく推進すいしん
(1944ねん:アドミラリティしき重油じゅうゆせんしょう三胴型水管缶8
+パーソンズしきオールギヤードタービン44じく推進すいしん
最大さいだい出力しゅつりょく 75,000hp(1944ねん:80,000hp)
最大さいだい速力そくりょく 25.0ノット
(1944ねん:23ノット)
航続こうぞく距離きょり 10ノット/4,500海里かいり
(1944ねん:12ノット/7,400海里かいり
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ3,400トン(1944ねん:3,570トン)
乗員じょういん 925~951めい
(1944ねん:1,124めい
へいそう 竣工しゅんこう
38.1cm(42口径こうけい連装れんそうほう4
15.2cm(45口径こうけいたんそうほう16
(クイーン・エリザベス以外いがいは14
7.6cm(45口径こうけいたんそう高角こうかくほう6
53.3cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん4
12.7ミリ4連装れんそう機銃きじゅう4
1944ねん
38.1cm(42口径こうけい連装れんそうほう4
Mrk'1&3 11.4cm(45口径こうけい連装れんそう高角こうかくほう10
2ポンドはち連装れんそうポンポンほう4
エリコン20mm機銃きじゅう連装れんそう20+どうたんそう14
53.3cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん4
装甲そうこう 舷側げんそく:330mm(水線すいせんしゅ装甲そうこう)、152mm(かん首尾しゅび
甲板かんぱん:76mm(1944ねん:127mm)
主砲しゅほうとう: 330mm(ぜんたて)、279mm(がわたて)、-mm(こうたて)、114mm(天蓋てんがい
バーベット:330mm(砲塔ほうとうぜんだて)、254mm(甲板かんぱん上部じょうぶぜんたて)、178mm(甲板かんぱん上部じょうぶこうたて)、152mm(甲板かんぱん下部かぶぜんたて)、101mm(甲板かんぱん下部かぶこうたて
ふくほうケースメイト:152mm(さいあつ
司令塔しれいとう:279mm(がわたて)、76mm(天蓋てんがい)(1944ねん
279mm(がわたて)、101mm(天蓋てんがい))
艦載かんさい みず偵(最大さいだい3常用じょうよう2

クイーン・エリザベスきゅう戦艦せんかん (Queen Elizabeth class Battleship) は[1]イギリス海軍かいぐん運用うんようした超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん[2]。5せき建造けんぞうされた[3]ほんきゅうは、戦艦せんかんとして主砲しゅほう15インチ(38.1cm)ほうはじめて搭載とうさいした[4]戦艦せんかんめぐよう戦艦せんかんなかあいだてき性能せいのうをもち、高速こうそく戦艦せんかん原型げんけいともいえる[5]。またイギリス戦艦せんかんとして最初さいしょ石油せきゆせんもえしき機関きかん採用さいようした[2]

だいいち世界せかい大戦たいせん実戦じっせん投入とうにゅうされ、ユトランドおき海戦かいせん活躍かつやくした。せんあいだいく近代きんだい改装かいそう実施じっしした。3せきクイーン・エリザベスウォースパイトヴァリアント)はとうがた艦橋かんきょうへの改装かいそうなどでかんよう一変いっぺんした。2せきバーラムマレーヤ)は、だいいち大戦たいせん姿すがた色濃いろこくのこした。だい世界せかい大戦たいせんでもイギリス海軍かいぐん主力しゅりょくかんとして運用うんようされ、大西洋たいせいようたたか地中海ちちゅうかい戦線せんせん活躍かつやくした。

経緯けいい

[編集へんしゅう]

主砲しゅほうに13.5インチ(34.3cm)ほう搭載とうさいした超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかんオライオンきゅう」でドイツ海軍かいぐんをつけたイギリス海軍かいぐんつぎなる布石ふせきとして、既存きそん超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん上回うわまわ強力きょうりょく火力かりょく戦艦せんかん配備はいびすることによってドイツ海軍かいぐんへの圧倒的あっとうてき優位ゆうい確立かくりつすることを主眼しゅがんにおいて設計せっけいされた。ほんきゅう設計せっけいされたときには、日本にっぽん海軍かいぐんがイギリスに発注はっちゅうしためぐよう戦艦せんかんきむつよし(1911ねん1がつ起工きこう)で、ヴィッカースせい14インチ(35.6cm)45口径こうけいほう採用さいようされていた。アメリカ海軍かいぐんでも、ニューヨークきゅう戦艦せんかん14インチ45口径こうけいほう採用さいようした。 ドイツ海軍かいぐんめぐよう戦艦せんかんマッケンゼンきゅう主砲しゅほうに35cmほう計画けいかくし、バイエルンきゅう戦艦せんかんでは15インチほう搭載とうさい予定よていだった。それらを凌駕りょうがするものとして「Mark.1 15インチ(38.1cm)ほう」が選択せんたくされた。このほう設計せっけいには未完成みかんせいであったが、当時とうじ海軍かいぐん大臣だいじんウィンストン・チャーチル強力きょうりょくなる後押あとおしにより、主砲しゅほう未成みせい状態じょうたい砲塔ほうとう船体せんたい設計せっけいはじめるといういしゆみきゅう戦艦せんかん時代じだい以後いごでは前例ぜんれいのない方法ほうほうもちい、竣工しゅんこうはやめた。

コンセプト

[編集へんしゅう]
まえきゅうである「アイアン・デューク」。
竣工しゅんこう当時とうじの「クイーン・エリザベス」。まえきゅう主砲しゅほうとうがあった場所ばしょ機関きかんてたことが明確めいかくにわかる。

主砲しゅほう重量じゅうりょう増加ぞうかともない、まえきゅうアイアン・デュークきゅうのように主砲しゅほうとうを5とすると重量じゅうりょう過大かだいとなるので、中央ちゅうおう主砲しゅほうとう配置はいちするのをやめ、前部ぜんぶ2後部こうぶ2けい4配置はいちあらためた。中央ちゅうおう砲塔ほうとうてていた空間くうかん機関きかん増大ぞうだい最大さいだい出力しゅつりょく速度そくど向上こうじょうた。

くわえて、しん開発かいはつ重油じゅうゆせんしょうかん採用さいようしたことにより高速こうそくはかれた。重油じゅうゆ石炭せきたんよりもはるかに燃焼ねんしょう効率こうりつがよく、おなトン数とんすうならば航続こうぞく距離きょりを40%もばせた。これも海軍かいぐん大臣だいじんチャーチルの功績こうせきであった。

しかし「速力そくりょくこそ最大さいだい防御ぼうぎょ」という発想はっそうもとづき防御ぼうぎょたい13.5インチ防御ぼうぎょいきず、たい15インチ完全かんぜん防御ぼうぎょとはえなかった。これは後々あとあとにまでほんきゅう戦闘せんとうひびいた。しかし当時とうじ仮想かそうてきたいして垂直すいちょく防御ぼうぎょ装甲そうこう330mmは必要ひつようにして十分じゅうぶんあつみであった。竣工しゅんこう当時とうじ世界せかい最強さいきょう戦艦せんかんしょうされた[6]

これらの工夫くふうによりほんきゅう戦艦せんかんでありながら高速こうそくりょく巡洋艦じゅんようかんなみ航続こうぞく性能せいのうぞろえた主力しゅりょくかんとしてのち高速こうそく戦艦せんかんとなった。

かんがたについて

[編集へんしゅう]
ほんきゅう武装ぶそう装甲そうこう配置はいち

ほんきゅう船体せんたい形状けいじょうちょう船首せんしゅろうがた船体せんたい採用さいようしている。水面すいめん浮力ふりょく確保かくほふくらみをかんくびからかんくび甲板かんぱんじょうに「Mark I 38.1 cm(42口径こうけいほう」を連装れんそうしき主砲しゅほうとうおさめて背負せおしきに2配置はいち。2ばん主砲しゅほうとう基部きぶから甲板かんぱんよりも一段いちだんたか艦上かんじょう構造こうぞうぶつはじまり、そのうえ操舵そうだ装置そうちんだ司令塔しれいとうつ。天蓋てんがいはか距儀せた司令塔しれいとう背後はいごから、三脚さんきゃくしき前部ぜんぶマストつ。構成こうせいいただき上部じょうぶ射撃しゃげき方位ほういばんしつち、中部ちゅうぶさんだん見張みはしょをもっていた。前部ぜんぶマストの後部こうぶに1ほん煙突えんとつち、左右さゆう舷側げんそく甲板かんぱんじょう艦載かんさいていとなっており、たんあししき後部こうぶマストを基部きぶとするクレーン1ほんにより運用うんようされた。後部こうぶマストの後方こうほう後部こうぶ司令塔しれいとうつ。後部こうぶ甲板かんぱんじょうに3ばん主砲しゅほうとう基部きぶ船首せんしゅろう終了しゅうりょうし、4ばん主砲しゅほうとう後部こうぶ甲板かんぱんじょうじか配置はいちするうし背負せおしき配置はいちであった。

ほんきゅうふくほうである「Mark XII 15.2 cm(45口径こうけい速射そくしゃほう」はまえきゅう同様どうよう舷側げんそくケースメイト(ほうかく配置はいちである。2ばん主砲しゅほうとう側面そくめんから舷側げんそくたんそう前方ぜんぽう3舷側げんそく3で6配置はいちし、舷側げんそく配置はいち別個べっこ甲板かんぱんじょうぼうたてきでかたふなばた1ずつを配置はいちした。これによりかたふなばた7けい14装備そうびした。この武装ぶそう配置はいちによりぜん方向ほうこう最大さいだいで38.1 cmほう4もんと15.2 cmほう6もんこう方向ほうこうに38.1 cmほう4もん左右さゆう方向ほうこう最大さいだいで38.1 cmほう8もんと15.2 cmほう7もんけることが出来できたが甲板かんぱんじょうの2波浪はろう被害ひがいがあったためにのち撤去てっきょされてふくほうは12となった。

主砲しゅほう

[編集へんしゅう]
イギリスの超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん搭載とうさいされた15インチほうもとにした、砲塔ほうとう装填そうてん発射はっしゃのアニメーション図解ずかい
「クイーン・エリザベス」の前部ぜんぶ主砲しゅほうとう

しん設計せっけいの「Mark I 38.1 cm(42口径こうけいほう」を連装れんそう砲塔ほうとうおさめた。重量じゅうりょう871 kgの主砲しゅほうだん最大さいだい仰角ぎょうかく20俯角ふかく5最大さいだい射距離しゃきょり22,850 m前後ぜんご[7]まで到達とうたつさせ、射距離しゃきょり13,582 mで舷側げんそく装甲そうこう305 mmを、射距離しゃきょり18,020 mで279 mmを貫通かんつうできる性能せいのうであった。

装填そうてん機構きこう自由じゆう角度かくど装填そうてん最大さいだい仰角ぎょうかく俯角ふかくあいだ装填そうてんでき、発射はっしゃ速度そくど竣工しゅんこうまいぶん2はつであった。砲身ほうしんおおせ俯は蒸気じょうきポンプによる水圧すいあつ駆動くどうであり補助ほじょ人力じんりき必要ひつようとした。砲塔ほうとう左右さゆうかく150旋回せんかい可能かのうであった。

1ばんかん「クイーン・エリザベス」の主砲しゅほう管制かんせいする射撃しゃげき指揮しき装置そうちは、自艦じかん目標もくひょうかんとのあいだ距離きょり変化へんかりつもとめるドゥマリック(Dumaresq)計算尺けいさんじゃくいたファイア・コントロール・テーブル(FCT:Fire Control Table)Mk. IVであった。

FCTは、だいいち世界せかい大戦たいせんまええい海軍かいぐん士官しかん F.C.ドライヤー(F.C.Dreyer)によって開発かいはつされ、ドライヤー・テーブル(DT:Dreyer Table)ともばれた機械きかいしき距離きょり計算けいさんである。最初さいしょのバージョンであるFCT Mk. Iは戦艦せんかん「ドレッドノート」のほか、初期しょきいしゆみきゅう戦艦せんかん10せき以上いじょう装備そうびされた。

19世紀せいきまつ開発かいはつされたはか距儀(Range Finder)は自艦じかんから目標もくひょうかんまでの距離きょり正確せいかく測定そくていできる画期的かっきてき装置そうちであったが、自艦じかん目標もくひょうかんとも高速こうそく移動いどうするため、はか距時と発砲はっぽうとのあいだ変化へんかする距離きょり把握はあくしておく必要ひつようせいなどから、FCTが開発かいはつされたのである[7]

FCT Mk. IV*(「*」は注記ちゅうき意味いみではなく「Mk. IV*」で正式せいしきめい。「マーク フォー スター」とむ。)が2ばんかん以降いこう装備そうびされ、「クイーン・エリザベス」も1920ねん前後ぜんこうかわそうした。目標もくひょう照準しょうじゅんする方位ほういばんだいいち大戦たいせんごろには現代げんだい方位ほういばんちか形態けいたい完成かんせいしており、はか距儀とともにぜん檣および司令塔しれいとうじょう設置せっちされた。

さらにFCTを小型こがたしたタレット・テーブル(Turret Table)としょうする装置そうちおよはか距儀がかく砲塔ほうとう装備そうびされ、中央ちゅうおう射撃しゃげき指揮しきしょ管制かんせいけずに、かく砲塔ほうとう独立どくりつして射撃しゃげきすること可能かのうであった[7]

「クイーン・エリザベス」、「ウォースパイト」、「ヴァリアント」の3かんについては、1937~1940ねん改装かいそう砲塔ほうとうをMk. IからMk. I/Nに改修かいしゅうして最大さいだい仰角ぎょうかくが30になり、最大さいだい射程しゃていは30,000ヤード(27,420 m)前後ぜんこう延伸えんしんした[7]

1942ねんはじめまでに主砲しゅほう管制かんせいよう284がた射撃しゃげき指揮しきレーダーが装備そうびされ、さらに高角こうかくほう管制かんせいようはか距儀/285がた射撃しゃげき指揮しきレーダー方位ほういばん装備そうびされている[7]

ふくほう、その備砲びほうかみなりそうとう

[編集へんしゅう]
「ウォースパイト」のふくほう

ふくほうについては参戦さんせんまえに2改装かいそうおおきく変更へんこうされている。ふくほうには「Mark XII 15.2 cm(45口径こうけい速射そくしゃほう」を14(「クイーン・エリザベス」は16採用さいようした。その性能せいのう重量じゅうりょう45.36 kgの砲弾ほうだん最大さいだい仰角ぎょうかく14射距離しゃきょり12,344 mまでとどかせることができる性能せいのうであった。

装填そうてん機構きこう自由じゆう角度かくど装填そうてん仰角ぎょうかく14から俯角ふかく7あいだ装填そうてんでき、発射はっしゃ速度そくど竣工しゅんこうまいぶん5~7はつであった。砲身ほうしん仰角ぎょうかくは15俯角ふかく5動力どうりょく人力じんりきとした。旋回せんかい角度かくどは120であった。

および、3インチ(7.6 cm)たんそう高角こうかくほう2装備そうびした。

一部いちぶかんではこれらを撤去てっきょし、俯仰ふぎょうかく範囲はんいひろくて(最大さいだい仰角ぎょうかく80)、こう発射はっしゃ速度そくど(12はつ/ぶん)の45口径こうけい4.5インチ(11.4 cm)連装れんそう両用りょうようほうまたは45口径こうけい4インチ(10.2 cm)連装れんそう高角こうかくほう対空たいくう防御ぼうぎょ強化きょうかしている。

そのに、対戦たいせんかんように、53.3 cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかんたんそうで4もん装備そうびした。

機関きかん

[編集へんしゅう]

1912年度ねんど計画けいかくほんきゅうは25ノットの高速こうそく戦艦せんかんとして計画けいかくされ、アイアン・デュークきゅうの2.6ばいにあたる75,000馬力ばりきしゅ機関きかん必要ひつようとされた[7]

攻防こうぼうりょく完備かんび戦艦せんかんだい出力しゅつりょく機関きかん搭載とうさいするため、主力しゅりょくかんとしてはじめて重油じゅうゆせんもえかん採用さいようしてしゅ機関きかんだい出力しゅつりょく重量じゅうりょう・スペースの軽減けいげんはかった。しゅかん蒸気じょうき性状せいじょう圧力あつりょく235PSI/飽和ほうわ温度おんどで、従来じゅうらいかんわらない。ほんきゅう以降いこうえい主力しゅりょくかんしゅかんはすべて重油じゅうゆせんもえかんになった[7]

重油じゅうゆせんもえかんはすでに駆逐くちくかんでは実用じつようされていたが、大艦だいかんでの実用じつよう試験しけんほんきゅう採用さいようしたのは、ジョン・アーバスノット・フィッシャー提督ていとくつよ主張しゅちょうによるものだった。重油じゅうゆせんもえ方式ほうしき前記ぜんき利点りてんくわえてつぎのメリットがげられる[7]

  1. 搭載とうさいりょうおなじなら重油じゅうゆ石炭せきたんより航続こうぞく距離きょりおおきくできる。
  2. より短時間たんじかんでのぞうそく可能かのうで、速力そくりょく維持いじ容易よういである。
  3. 機関きかん人員じんいん削減さくげんできる。
  4. 石炭せきたん搭載とうさい作業さぎょうして燃料ねんりょう補給ほきゅう簡単かんたん所要しょよう時間じかんみじかい。
  5. あわけむあわにより相手方あいてがたから発見はっけんされずにせってきできる。

しゅかんだいみちすいかんかん24で、「クイーン・エリザベス」、「マレーヤ」、「ヴァリアント」の3かんはB&Wかんを、「バーラム」と「ウォースパイト」はヤーローかん搭載とうさいした。これらは前方ぜんぽうからじゅんもうけただい1~だい4かんしつに、各室かくしつ6ずつ設置せっちされた。

おも直結ちょっけつタービン2くみ(4じく推進すいしん)で、「クイーン・エリザベス」、「マレーヤ」、「ウォースパイト」がパーソンズしきを、のこりの2かんがブラウン・カーチスしき搭載とうさいした[7]

航空こうくうへいそう

[編集へんしゅう]

英国えいこくではレーダー発達はったつ空母くうぼ搭載とうさい威力いりょく増大ぞうだい背景はいけいに、戦艦せんかん航空こうくうへいそう否定ひていする意見いけんつよく、戦艦せんかん同様どうようほんきゅうも1943ねん前後ぜんこうにはみず偵を陸揚りくあげしている[7]

戦歴せんれき

[編集へんしゅう]
戦艦せんかんマレーヤ。ほんかん竣工しゅんこう当時とうじ姿すがた色濃いろこのこした外観がいかんのままであった。

世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ以前いぜん計画けいかくでは、イギリスの予算よさんで4せきえい連邦れんぽうカナダ寄付きふで3せきえいりょうマレー寄付きふで1せき建造けんぞうし、ジブラルタルを拠点きょてんとする機動きどう艦隊かんたい編制へんせいする予定よていだったという[注釈ちゅうしゃく 1]。 1914ねん7がつまつだいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつする。ほんきゅう建造けんぞう中止ちゅうしかんかんめいが「エジンコート」に流用りゅうようされたほか、5せきだいいち世界せかい大戦たいせんちゅう竣工しゅんこうし、だい5戦艦せんかん戦隊せんたい編入へんにゅうされてグランドフリート配属はいぞくされた[注釈ちゅうしゃく 2]開戦かいせん、「クイーン・エリザベス」はオスマン帝国ていこく攻略こうりゃくするためのガリポリ上陸じょうりく作戦さくせん投入とうにゅうされ、多数たすうぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんひきいた[8]ユトランドおき海戦かいせんとき、「クイーン・エリザベス」は修理しゅうりちゅうで、だい5せん戦隊せんたいの4せき(バーラム、ウォースパイト、ヴァリアント、マレーヤ)はビューティー提督ていとくひきいるめぐよう戦艦せんかん部隊ぶたい旗艦きかんライオンごう)に編入へんにゅうされていた[注釈ちゅうしゃく 3]だい5戦艦せんかん戦隊せんたい臨時りんじ編入へんにゅう部隊ぶたいであったためビューティー提督ていとく信号しんごう見落みおとしたり、「ウォースパイト」が大破たいはしてかじ自由じゆううしなうなどの危機ききおちいったが、沈没ちんぼつかんはなかった。以降いこうはグランド・フリートの中核ちゅうかくとして活躍かつやくし、ドイツ大洋たいよう艦隊かんたい自沈じちん見届みとどけた。

1921ねん5がつ8にち大正天皇たいしょうてんのう皇太子こうたいし(のちの昭和しょうわ天皇てんのう)が訪英ほうえいさい、「クイーン・エリザベス」に乗艦じょうかんした[9]ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくでも保有ほゆうみとめられ、イギリス海軍かいぐん主力しゅりょくかんでありつづけた。

近代きんだい改装かいそうの「クイーン・エリザベス」
近代きんだい改装かいそうの「ウォースパイト」

1926ねんから1927ねんにかけてだい1近代きんだい改装かいそうおこなった。1937ねん5がつ20日はつかのスピッド・ヘッドおきおこなわれたジョージ6せい戴冠たいかん記念きねん観艦式かんかんしき地中海ちちゅうかい艦隊かんたいパウンド大将たいしょう旗艦きかんとして本国ほんごく艦隊かんたい旗艦きかんの「ネルソンとうとともに参列さんれつし、天皇てんのう名代なだい秩父宮雍仁親王ちちぶのみややすひとしんのう夫妻ふさい招待しょうたいした[10]。「クィーン・エリザベス」と「ヴァリアント」は同年どうねん8がつにポーツマス工廠こうしょう姉妹しまいかんウォースパイト」にじゅんじただい2近代きんだい改装かいそう着手ちゃくしゅ。しかし工事こうじだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつどく空軍くうぐんによる空爆くうばく遅延ちえんし、「バーラム」と「マレーヤ」の改装かいそう中止ちゅうしされた。

1930年代ねんだい中盤ちゅうばん以降いこう、イギリス海軍かいぐんではしん世代せだい戦艦せんかんとしてキング・ジョージ5せいきゅう戦艦せんかん5せき建造けんぞうライオンきゅう戦艦せんかん設計せっけいすす[11]極東きょくとうシンガポール海軍かいぐん基地きちでは主力しゅりょくかん修理しゅうり可能かのういぬいドック完成かんせいした[12]シンガポール戦略せんりゃく[13]海軍かいぐん本部ほんぶ新型しんがた戦艦せんかん本国ほんごく艦隊かんたい地中海ちちゅうかい艦隊かんたいにとどめ、旧式きゅうしきながら近代きんだい改装かいそうされたほんきゅう5せきをシンガポールに配置はいちし、イギリス太平洋艦隊たいへいようかんたい新編しんぺんして中国ちゅうごく大陸たいりく権益けんえきまも予定よていだったという[14]有事ゆうじ場合ばあいは、オーストラリア海軍かいぐんニュージーランド海軍かいぐん合流ごうりゅうして日本にっぽん海軍かいぐん対抗たいこうする手筈てはずであった[14]

手前てまえから「バーラム」、「マレーヤ」、後方こうほう空母くうぼは「アーガス」。
爆沈ばくちんする「バーラム」

だい世界せかい大戦たいせんにおいては、「ウォースパイト」がだい2ナルヴィク海戦かいせんでドイツ海軍かいぐん駆逐くちくかん部隊ぶたい相手あいてだい勝利しょうりをおさめ、地中海ちちゅうかい戦線せんせんではマタパンみさきおき海戦かいせんほんきゅう3せき(ウォースパイト、バーラム、ヴァリアント)がイタリア海軍かいぐんザラきゅうじゅう巡洋艦じゅんようかん3せき駆逐くちくかん2せき撃沈げきちんするなど、かく戦線せんせん活躍かつやくした。しかし被害ひがいける事例じれいもあった。「ウォースパイト」はクレタとうたたかJu 87スツーカ急降下きゅうこうか爆撃ばくげき大破たいはサレルノ上陸じょうりく作戦さくせんフリッツX攻撃こうげき大破たいはした。 1941ねん11月25にち、「バーラム」がどくせんU-331」の雷撃らいげきにより撃沈げきちんされた。1941ねん12月19にちアレクサンドリア港内こうない停泊ていはくちゅうほんきゅう2せき(クイーン・エリザベス、ヴァリアント)とともにイタリア潜水せんすいかんシーレ」から発進はっしんした人間にんげん魚雷ぎょらい「ピグ」SLC-223の攻撃こうげきけて港湾こうわん内部ないぶ大破たいはそこした(アレクサンドリアこう攻撃こうげき)。1944ねん8がつ、「ヴァリアント」はセイロンとう入渠にゅうきょ修理しゅうりちゅう事故じこ大破たいは修理しゅうりこころみたものの現役げんえきには復帰ふっきできなかった。終戦しゅうせん残存ざんそんかん4せきはスクラップとして売却ばいきゃくされた。

ほんきゅう主戦しゅせんじょう地中海ちちゅうかいだったが、各種かくしゅレーダーを筆頭ひっとう優秀ゆうしゅう装備そうび活用かつようしてイタリア艦隊かんたいつね積極せっきょくてき作戦さくせん展開てんかいし、戦局せんきょく有利ゆうりみちびいた功績こうせきおおきい。イギリス戦艦せんかんなかもっともよくはたらき、もっと消耗しょうもうしたクラスである。

同型どうけいかん

[編集へんしゅう]
  • クイーン・エリザベス Queen Elizabeth (エリザベス1せい)」 1915ねん1がつ15にち竣工しゅんこう
  • ウォースパイト Warspite (戦争せんそう軽蔑けいべつするもの戦場せんじょうのキツツキ)」 1915ねん3がつ19にち竣工しゅんこう
  • バーラム Barham (トラファルガー海戦かいせんどきうみしょう)」 1915ねん10がつ19にち竣工しゅんこう1941ねん11月25にち戦没せんぼつ
  • ヴァリアント Valiant (勇敢ゆうかんな)」 1916ねん2がつ19にち竣工しゅんこう
  • マレーヤ Malaya (えいりょうマレー)」 1916ねん2がつ1にち竣工しゅんこう
  • 「エジンコート」Agincourt 建造けんぞう中止ちゅうし

出典しゅってん

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 戰艦せんかん速力そくりょく 〕(中略ちゅうりゃく)[2]しかるに英國えいこくの「クヰーン・エリザベス」きゅうは、まった戰艦せんかんたるべき常軌じょうきいっして、じゅうせつといふかい速力そくりょくゆうつてゐるのであるから、一種いっしゅじゅんよう戰艦せんかんであるから、れといふて最新さいしんしきじゅんよう戰艦せんかんくらべると速力そくりょくおよばない、いいはゞ戰艦せんかんめぐよう戰艦せんかんあいである、英國えいこくが此のあいかんつく計畫けいかくてたのは、本國ほんごく國費こくひよんせきうまらい聯邦れんぽう寄附きふいちせき奈陀の寄附きふさんせき合計ごうけいはちせきいちたい編制へんせいし、これ帝國ていこく艦隊かんたいけ、ヂブラルター配備はいびする豫定よていであつたのが、奈陀の上院じょういんが此の寄附きふ拒絶きょぜつしたためめに、いまではせきたけ建造けんぞうしつゝあるのであつて、まった特種とくしゅのものにぞくする、同國どうこくではのち戰艦せんかん建造けんぞう常態じょうたいふくして、まえしめしたとおり「ロヤル・ソヴエレーン」きゅうせき速力そくりょくじゅうせつはんとなつてゐる。/ じょ燃料ねんりょうに就てげんふてきたいのは、新式しんしき戰艦せんかんには石油せきゆせんもえのものと、すみこんもえのものとふたつある、石油せきゆせんもえのものとして計畫けいかくされたのは、米國べいこくの「ネヴアダ」をもっ嚆矢こうしとするが、英國えいこくではみぎあいかんはじめてせんもえしき採用さいようした。しかるにの「ロヤル・ソヴエレーン」きゅうにはこれめてりょうふて、もとこんもえふくしたのである。
  2. ^ だいいち世界せかい大戦たいせん開戦かいせんだい5戦艦せんかん戦隊せんたいぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん編制へんせいされており、のちにクイーン・エリザベスきゅう戦艦せんかんになった。
  3. ^ ユトランドおき海戦かいせんにおけるめぐよう戦艦せんかん部隊ぶたいは、だい1じゅんよう戦艦せんかん戦隊せんたい(ビューティー中将ちゅうじょうじきりつブロック提督ていとく)、だい2じゅんよう戦艦せんかん戦隊せんたいパケナム提督ていとく)、だい5戦艦せんかん戦隊せんたいエヴァン・トーマス提督ていとく)を基幹きかんとしていた(ユトランドおき海戦かいせん戦闘せんとう序列じょれつ)。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b #T5英国えいこく大艦だいかんたい作戦さくせん大要たいよう(2) p.29〔 だいななしょう 各種かくしゅかんがた概要がいようだいいちせつ 戰艦せんかん 最近さいきん竣工しゅんこうシタルモノハRoyal Sovereignきゅうト Queen Elizabeth きゅうナルえいどく艦隊かんたい勢力せいりょく及地がたじょう特別とくべつ関係かんけいニヨリ英国えいこく艦隊かんたいニ於テハさい速力そくりょく優秀ゆうしゅうナル必要ひつようアリ目下めした Queen Elizabeth がたヲ以テ最良さいりょうツルモノノ如シ 〕
  2. ^ a b c 現代げんだい海上かいじょう兵備へいび 1915, pp. 36–37原本げんぽん22-24ぺーじ
  3. ^ 海軍かいぐんりょく一覧いちらん(講演こうえん資料しりょう其五) 1927, p. 20だいよんひょう 列国れっこく主力しゅりょくかん一覽いちらんひょう 大正たいしょうじゅうねんきゅうがついちにち調ちょう戰艦せんかん
  4. ^ わが海軍かいぐん(の1) 1921, p. 10原本げんぽん12ぺーじ
  5. ^ #M44、えい海軍かいぐんかんするけん pp.29-31〔 いち戰艦せんかん戰闘せんとう巡洋艦じゅんようかん
  6. ^ 田尻たじり、ガリポリ 1929, p. 19原本げんぽん16ぺーじ
  7. ^ a b c d e f g h i j 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい67しゅう
  8. ^ 田尻たじり、ガリポリ 1929, pp. 31–34(原本げんぽん40-46ぺーじ)其二そのじ 海軍かいぐん
  9. ^ 東宮とうぐう殿下でんかわたりおう実記じっき 1921, pp. 47–48(原本げんぽん58ぺーじ)エリザベスごう招待しょうたい 倫敦ろんどんがつはちにち/(原本げんぽん59-60ぺーじ)エリザベス艦上かんじょう午餐ごさん
  10. ^ Nippu Jiji, 1937.05.21”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 12. 2023ねん8がつ22にち閲覧えつらん
  11. ^ 海上かいじょうける英国えいこく 1938, pp. 25–27.
  12. ^ 海軍かいぐん読本とくほん 1937, p. 48-49(原本げんぽん74-77ぺーじ)太平洋たいへいよう黒點こくてんシンガポール
  13. ^ 欧米おうべいたまま 1938, pp. 75–76(原本げんぽん134-136ぺーじ)英國えいこくだい軍擴ぐんかく
  14. ^ a b 海上かいじょうける英国えいこく 1938, pp. 19–20.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • ジョン・ジョーダン『戦艦せんかん AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS石橋いしばし孝夫たかお やく 、株式会社かぶしきがいしゃホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988ねん11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい22しゅう 近代きんだい戦艦せんかん」(海人あましゃ)
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい83しゅう 近代きんだい戦艦せんかん」(海人あましゃ)
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい30しゅう イギリス戦艦せんかん」(海人あましゃ)
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい67しゅう だい2大戦たいせんのイギリス戦艦せんかん」(海人あましゃ)
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • 『「2ねん12月19にち えい海軍かいぐんかんするけん」、明治めいじ44ねん 外国がいこく駐在ちゅうざいいん報告ほうこく まき1(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)』。Ref.C10100740000。 
    • 『「6ねん12月1にち 5ねん6がついたり6ねん8がつ 英国えいこく大艦だいかんたい作戦さくせん大要たいよう の2」、大正たいしょう5ねん 外国がいこく駐在ちゅうざいいん報告ほうこく まき4(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)』。Ref.C10100792600。 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]