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クイーン・エリザベス級 きゅう 戦艦 せんかん
艦 かん 級 きゅう 概観 がいかん
艦 かん 種 しゅ
戦艦 せんかん
艦 かん 名 めい
前 まえ 級 きゅう
アイアン・デューク級 きゅう 戦艦 せんかん
次 つぎ 級 きゅう
リヴェンジ級 きゅう 戦艦 せんかん [1]
性能 せいのう 諸 しょ 元 もと (クイーン・エリザベス)
排水 はいすい 量 りょう
常備 じょうび :27,500トン 1944年 ねん :常備 じょうび :32,930トン、満載 まんさい :38,450トン
全長 ぜんちょう
196.8m
水線 すいせん 長 ちょう
195.3m
全幅 ぜんぷく
27.6m (1944年 ねん :31.7m)
吃水 きっすい
8.8m 1944年 ねん :9.5m(基準 きじゅん 時 じ )、10.5m(満載 まんさい 時 じ )
機関 きかん
竣工 しゅんこう 時 じ :バブコック・アンド・ウィルコックス 式 しき 重油 じゅうゆ 専 せん 焼 しょう 缶 かん 24基 き パーソンズ 式 しき 直結 ちょっけつ 型 がた タービン(低速 ていそく ・高速 こうそく ) 2組 くみ 4軸 じく 推進 すいしん (1944年 ねん :アドミラリティ式 しき 重油 じゅうゆ 専 せん 焼 しょう 三胴型水管缶8基 き +パーソンズ式 しき オールギヤードタービン4基 き 4軸 じく 推進 すいしん )
最大 さいだい 出力 しゅつりょく
75,000hp (1944年 ねん :80,000hp)
最大 さいだい 速力 そくりょく
25.0ノット (1944年 ねん :23ノット)
航続 こうぞく 距離 きょり
10ノット/4,500海里 かいり (1944年 ねん :12ノット/7,400海里 かいり )
燃料 ねんりょう
重油 じゅうゆ 3,400トン(1944年 ねん :3,570トン)
乗員 じょういん
925~951名 めい (1944年 ねん :1,124名 めい )
兵 へい 装 そう
竣工 しゅんこう 時 じ : 38.1cm(42口径 こうけい )連装 れんそう 砲 ほう 4基 き 15.2cm(45口径 こうけい )単 たん 装 そう 砲 ほう 16基 き (クイーン・エリザベス以外 いがい は14基 き ) 7.6cm(45口径 こうけい )単 たん 装 そう 高角 こうかく 砲 ほう 6基 き 53.3cm水中 すいちゅう 魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん 4基 き 12.7ミリ4連装 れんそう 機銃 きじゅう 4基 き 1944年 ねん : 38.1cm(42口径 こうけい )連装 れんそう 砲 ほう 4基 き Mrk'1&3 11.4cm(45口径 こうけい )連装 れんそう 高角 こうかく 砲 ほう 10基 き 2ポンド八 はち 連装 れんそう ポンポン砲 ほう 4基 き エリコン 20mm機銃 きじゅう 連装 れんそう 20基 き +同 どう 単 たん 装 そう 14基 き 53.3cm水中 すいちゅう 魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん 4基 き
装甲 そうこう
舷側 げんそく :330mm(水線 すいせん 部 ぶ 主 しゅ 装甲 そうこう )、152mm(艦 かん 首尾 しゅび 部 ぶ )甲板 かんぱん :76mm(1944年 ねん :127mm)主砲 しゅほう 塔 とう : 330mm(前 ぜん 盾 たて )、279mm(側 がわ 盾 たて )、-mm(後 こう 盾 たて )、114mm(天蓋 てんがい )バーベット 部 ぶ :330mm(砲塔 ほうとう 前 ぜん 楯 だて )、254mm(甲板 かんぱん 上部 じょうぶ ・前 ぜん 盾 たて )、178mm(甲板 かんぱん 上部 じょうぶ ・後 こう 盾 たて )、152mm(甲板 かんぱん 下部 かぶ ・前 ぜん 盾 たて )、101mm(甲板 かんぱん 下部 かぶ ・後 こう 盾 たて )副 ふく 砲 ほう ケースメイト部 ぶ :152mm(最 さい 厚 あつ 部 ぶ )司令塔 しれいとう :279mm(側 がわ 盾 たて )、76mm(天蓋 てんがい )(1944年 ねん : 279mm(側 がわ 盾 たて )、101mm(天蓋 てんがい ))
艦載 かんさい 機 き
水 みず 偵(最大 さいだい 3機 き 、常用 じょうよう 2機 き )
クイーン・エリザベス級 きゅう 戦艦 せんかん (Queen Elizabeth class Battleship ) は[1] 、イギリス海軍 かいぐん が運用 うんよう した超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん 。5隻 せき が建造 けんぞう された。本 ほん 級 きゅう は、戦艦 せんかん として主砲 しゅほう に15インチ(38.1cm)砲 ほう を初 はじ めて搭載 とうさい した。戦艦 せんかん と巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん の中 なか 間 あいだ 的 てき 性能 せいのう をもち、高速 こうそく 戦艦 せんかん の原型 げんけい ともいえる[5] 。またイギリス戦艦 せんかん として最初 さいしょ に石油 せきゆ 専 せん 燃 もえ 式 しき 機関 きかん を採用 さいよう した。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で実戦 じっせん 投入 とうにゅう され、ユトランド沖 おき 海戦 かいせん で活躍 かつやく した。戦 せん 間 あいだ 期 き に幾 いく 度 ど か近代 きんだい 化 か 改装 かいそう を実施 じっし した。3隻 せき (クイーン・エリザベス 、ウォースパイト 、ヴァリアント )は塔 とう 形 がた 艦橋 かんきょう への改装 かいそう などで艦 かん 容 よう が一変 いっぺん した。2隻 せき (バーラム 、マレーヤ )は、第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 時 じ の姿 すがた を色濃 いろこ くのこした。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん でもイギリス海軍 かいぐん の主力 しゅりょく 艦 かん として運用 うんよう され、大西洋 たいせいよう の戦 たたか い や地中海 ちちゅうかい 戦線 せんせん で活躍 かつやく した。
主砲 しゅほう に13.5インチ(34.3cm)砲 ほう を搭載 とうさい した超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん 「オライオン級 きゅう 」でドイツ海軍 かいぐん に差 さ をつけたイギリス海軍 かいぐん が次 つぎ なる布石 ふせき として、既存 きそん の超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん を上回 うわまわ る強力 きょうりょく な火力 かりょく の戦艦 せんかん を配備 はいび することによってドイツ海軍 かいぐん への圧倒的 あっとうてき 優位 ゆうい を確立 かくりつ することを主眼 しゅがん において設計 せっけい された。本 ほん 級 きゅう が設計 せっけい されたときには、日本 にっぽん 海軍 かいぐん がイギリスに発注 はっちゅう した巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 金 きむ 剛 つよし (1911年 ねん 1月 がつ 起工 きこう )で、ヴィッカース 製 せい の14インチ(35.6cm)45口径 こうけい 砲 ほう が採用 さいよう されていた。アメリカ海軍 かいぐん でも、ニューヨーク級 きゅう 戦艦 せんかん で14インチ45口径 こうけい 砲 ほう を採用 さいよう した。
ドイツ海軍 かいぐん も巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん マッケンゼン級 きゅう の主砲 しゅほう に35cm砲 ほう を計画 けいかく し、バイエルン級 きゅう 戦艦 せんかん では15インチ砲 ほう を搭載 とうさい 予定 よてい だった。それらを凌駕 りょうが するものとして「Mark.1 15インチ(38.1cm)砲 ほう 」が選択 せんたく された。この砲 ほう は設計 せっけい 時 じ には未完成 みかんせい であったが、当時 とうじ の海軍 かいぐん 大臣 だいじん ウィンストン・チャーチル の強力 きょうりょく なる後押 あとお しにより、主砲 しゅほう が未成 みせい 状態 じょうたい で砲塔 ほうとう や船体 せんたい の設計 せっけい を始 はじ めるという弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 時代 じだい 以後 いご では前例 ぜんれい のない方法 ほうほう を用 もち い、竣工 しゅんこう を早 はや めた。
前 まえ 級 きゅう である「アイアン・デューク」。
竣工 しゅんこう 当時 とうじ の「クイーン・エリザベス」。前 まえ 級 きゅう で主砲 しゅほう 塔 とう があった場所 ばしょ を機関 きかん 区 く に充 あ てたことが明確 めいかく にわかる。
主砲 しゅほう の重量 じゅうりょう 増加 ぞうか に伴 ともな い、前 まえ 級 きゅう のアイアン・デューク級 きゅう のように主砲 しゅほう 塔 とう を5基 き とすると重量 じゅうりょう 過大 かだい となるので、中央 ちゅうおう 部 ぶ に主砲 しゅほう 塔 とう を配置 はいち するのをやめ、前部 ぜんぶ 2基 き ・後部 こうぶ 2基 き の計 けい 4基 き の配置 はいち に改 あらた めた。中央 ちゅうおう 部 ぶ 砲塔 ほうとう に充 あ てていた空間 くうかん は機関 きかん 区 く の増大 ぞうだい に充 あ て最大 さいだい 出力 しゅつりょく を引 ひ き上 あ げ速度 そくど 向上 こうじょう を得 え た。
加 くわ えて、新 しん 開発 かいはつ の重油 じゅうゆ 専 せん 焼 しょう 缶 かん を採用 さいよう したことにより高速 こうそく 化 か を図 はか れた。重油 じゅうゆ は石炭 せきたん よりも遥 はる かに燃焼 ねんしょう 効率 こうりつ がよく、同 おな じトン数 とんすう ならば航続 こうぞく 距離 きょり を40%も伸 の ばせた。これも海軍 かいぐん 大臣 だいじん チャーチルの功績 こうせき であった。
しかし「速力 そくりょく こそ最大 さいだい の防御 ぼうぎょ 」という発想 はっそう に基 もと づき防御 ぼうぎょ は対 たい 13.5インチ防御 ぼうぎょ の域 いき を出 で ず、対 たい 15インチ完全 かんぜん 防御 ぼうぎょ とは言 い えなかった。これは後々 あとあと にまで本 ほん 級 きゅう の戦闘 せんとう に響 ひび いた。しかし当時 とうじ の仮想 かそう 敵 てき に対 たい して垂直 すいちょく 防御 ぼうぎょ 装甲 そうこう 330mmは必要 ひつよう にして十分 じゅうぶん な厚 あつ みであった。竣工 しゅんこう 当時 とうじ 、世界 せかい 最強 さいきょう の戦艦 せんかん と称 しょう された。
これらの工夫 くふう により本 ほん 級 きゅう は戦艦 せんかん でありながら高速 こうそく 力 りょく と巡洋艦 じゅんようかん 並 なみ の航続 こうぞく 性能 せいのう も兼 か ね揃 ぞろ えた主力 しゅりょく 艦 かん として後 のち の高速 こうそく 戦艦 せんかん の祖 そ となった。
本 ほん 級 きゅう の武装 ぶそう ・装甲 そうこう 配置 はいち 図 ず
本 ほん 級 きゅう の船体 せんたい 形状 けいじょう は長 ちょう 船首 せんしゅ 楼 ろう 型 がた 船体 せんたい を採用 さいよう している。水面 すいめん 下 か に浮力 ふりょく 確保 かくほ の膨 ふく らみを持 も つ艦 かん 首 くび から艦 かん 首 くび 甲板 かんぱん 上 じょう に「Mark I 38.1 cm(42口径 こうけい )砲 ほう 」を連装 れんそう 式 しき の主砲 しゅほう 塔 とう に収 おさ めて背負 せお い式 しき に2基 き を配置 はいち 。2番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう の基部 きぶ から甲板 かんぱん よりも一段 いちだん 高 たか い艦上 かんじょう 構造 こうぞう 物 ぶつ が始 はじ まり、その上 うえ に操舵 そうだ 装置 そうち を組 く み込 こ んだ司令塔 しれいとう が立 た つ。天蓋 てんがい 部 ぶ に測 はか 距儀 を乗 の せた司令塔 しれいとう の背後 はいご から、三脚 さんきゃく 式 しき の前部 ぜんぶ マスト が立 た つ。構成 こうせい は頂 いただき 上部 じょうぶ に射撃 しゃげき 方位 ほうい 盤 ばん 室 しつ を持 も ち、中部 ちゅうぶ に三 さん 段 だん の見張 みは り所 しょ をもっていた。前部 ぜんぶ マストの後部 こうぶ に1本 ほん 煙突 えんとつ が立 た ち、左右 さゆう 舷側 げんそく 甲板 かんぱん 上 じょう が艦載 かんさい 艇 てい 置 お き場 ば となっており、単 たん 脚 あし 式 しき の後部 こうぶ マストを基部 きぶ とするクレーン 1本 ほん により運用 うんよう された。後部 こうぶ マストの後方 こうほう に後部 こうぶ 司令塔 しれいとう が立 た つ。後部 こうぶ 甲板 かんぱん 上 じょう に3番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう の基部 きぶ で船首 せんしゅ 楼 ろう は終了 しゅうりょう し、4番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう は後部 こうぶ 甲板 かんぱん 上 じょう に直 じか に配置 はいち する後 うし ろ向 む き背負 せお い式 しき 配置 はいち であった。
本 ほん 級 きゅう の副 ふく 砲 ほう である「Mark XII 15.2 cm(45口径 こうけい )速射 そくしゃ 砲 ほう 」は前 まえ 級 きゅう 同様 どうよう に舷側 げんそく ケースメイト(砲 ほう 郭 かく )配置 はいち である。2番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう の側面 そくめん から舷側 げんそく に単 たん 装 そう で前方 ぜんぽう 3基 き ・舷側 げんそく 3基 き で6基 き を配置 はいち し、舷側 げんそく 配置 はいち と別個 べっこ に甲板 かんぱん 上 じょう に防 ぼう 盾 たて 付 つ きで片 かた 舷 ふなばた 1基 き ずつを配置 はいち した。これにより片 かた 舷 ふなばた 7基 き の計 けい 14基 き を装備 そうび した。この武装 ぶそう 配置 はいち により前 ぜん 方向 ほうこう に最大 さいだい で38.1 cm砲 ほう 4門 もん と15.2 cm砲 ほう 6門 もん 、後 こう 方向 ほうこう に38.1 cm砲 ほう 4門 もん 、左右 さゆう 方向 ほうこう に最大 さいだい で38.1 cm砲 ほう 8門 もん と15.2 cm砲 ほう 7門 もん を向 む けることが出来 でき たが甲板 かんぱん 上 じょう の2基 き は波浪 はろう の被害 ひがい があったために後 のち に撤去 てっきょ されて副 ふく 砲 ほう は12基 き となった。
イギリスの超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん に搭載 とうさい された15インチ砲 ほう を基 もと にした、砲塔 ほうとう の装填 そうてん と発射 はっしゃ のアニメーション図解 ずかい
「クイーン・エリザベス」の前部 ぜんぶ 主砲 しゅほう 塔 とう
新 しん 設計 せっけい の「Mark I 38.1 cm(42口径 こうけい )砲 ほう 」を連装 れんそう 砲塔 ほうとう に納 おさ めた。重量 じゅうりょう 871 kgの主砲 しゅほう 弾 だん を最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 20度 ど ・俯角 ふかく 5度 ど で最大 さいだい 射距離 しゃきょり 22,850 m前後 ぜんご [7] まで到達 とうたつ させ、射距離 しゃきょり 13,582 mで舷側 げんそく 装甲 そうこう 305 mmを、射距離 しゃきょり 18,020 mで279 mmを貫通 かんつう できる性能 せいのう であった。
装填 そうてん 機構 きこう は自由 じゆう 角度 かくど 装填 そうてん で最大 さいだい 仰角 ぎょうかく ・俯角 ふかく の間 あいだ で装填 そうてん でき、発射 はっしゃ 速度 そくど は竣工 しゅんこう 時 じ は毎 まい 分 ぶん 2発 はつ であった。砲身 ほうしん の仰 おおせ 俯は蒸気 じょうき ポンプによる水圧 すいあつ 駆動 くどう であり補助 ほじょ に人力 じんりき を必要 ひつよう とした。砲塔 ほうとう は左右 さゆう 各 かく 150度 ど の旋回 せんかい が可能 かのう であった。
1番 ばん 艦 かん 「クイーン・エリザベス」の主砲 しゅほう を管制 かんせい する射撃 しゃげき 指揮 しき 装置 そうち は、自艦 じかん と目標 もくひょう 艦 かん との間 あいだ の距離 きょり 変化 へんか 率 りつ を求 もと めるドゥマリック(Dumaresq)計算尺 けいさんじゃく が付 つ いたファイア・コントロール・テーブル(FCT:Fire Control Table)Mk. IVであった。
FCTは、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ に英 えい 海軍 かいぐん 士官 しかん F.C.ドライヤー(F.C.Dreyer)によって開発 かいはつ され、ドライヤー・テーブル(DT:Dreyer Table)とも呼 よ ばれた機械 きかい 式 しき 距離 きょり 計算 けいさん 機 き である。最初 さいしょ のバージョンであるFCT Mk. Iは戦艦 せんかん 「ドレッドノート」のほか、初期 しょき の弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 10隻 せき 以上 いじょう に装備 そうび された。
19世紀 せいき 末 まつ に開発 かいはつ された測 はか 距儀(Range Finder)は自艦 じかん から目標 もくひょう 艦 かん までの距離 きょり を正確 せいかく に測定 そくてい できる画期的 かっきてき な装置 そうち であったが、自艦 じかん ・目標 もくひょう 艦 かん とも高速 こうそく で移動 いどう するため、測 はか 距時と発砲 はっぽう 時 じ との間 あいだ に変化 へんか する距離 きょり を把握 はあく しておく必要 ひつよう 性 せい などから、FCTが開発 かいはつ されたのである[7] 。
FCT Mk. IV*(「*」は注記 ちゅうき の意味 いみ ではなく「Mk. IV*」で正式 せいしき 名 めい 。「マーク フォー スター」と読 よ む。)が2番 ばん 艦 かん 以降 いこう に装備 そうび され、「クイーン・エリザベス」も1920年 ねん 前後 ぜんこう に換 かわ 装 そう した。目標 もくひょう を照準 しょうじゅん する方位 ほうい 盤 ばん も第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 頃 ごろ には現代 げんだい の方位 ほうい 盤 ばん に近 ちか い形態 けいたい で完成 かんせい しており、測 はか 距儀とともに前 ぜん 檣および司令塔 しれいとう 上 じょう に設置 せっち された。
さらにFCTを小型 こがた 化 か したタレット・テーブル(Turret Table)と称 しょう する装置 そうち 及 およ び測 はか 距儀が各 かく 砲塔 ほうとう に装備 そうび され、中央 ちゅうおう 射撃 しゃげき 指揮 しき 所 しょ の管制 かんせい を受 う けずに、各 かく 砲塔 ほうとう が独立 どくりつ して射撃 しゃげき する事 こと も可能 かのう であった[7] 。
「クイーン・エリザベス」、「ウォースパイト」、「ヴァリアント」の3艦 かん については、1937~1940年 ねん の改装 かいそう 時 じ に砲塔 ほうとう をMk. IからMk. I/Nに改修 かいしゅう して最大 さいだい 仰角 ぎょうかく が30度 ど になり、最大 さいだい 射程 しゃてい は30,000ヤード(27,420 m)前後 ぜんこう に延伸 えんしん した[7] 。
1942年 ねん 初 はじ めまでに主砲 しゅほう 管制 かんせい 用 よう 284型 がた 射撃 しゃげき 指揮 しき レーダーが装備 そうび され、さらに高角 こうかく 砲 ほう 管制 かんせい 用 よう に測 はか 距儀/285型 がた 射撃 しゃげき 指揮 しき レーダー付 つ き方位 ほうい 盤 ばん が装備 そうび されている[7] 。
副 ふく 砲 ほう 、その他 た 備砲 びほう 、雷 かみなり 装 そう 等 とう [ 編集 へんしゅう ]
「ウォースパイト」の副 ふく 砲 ほう
副 ふく 砲 ほう については参戦 さんせん 前 まえ に2度 ど の改装 かいそう で大 おお きく変更 へんこう されている。副 ふく 砲 ほう には「Mark XII 15.2 cm(45口径 こうけい )速射 そくしゃ 砲 ほう 」を14基 き (「クイーン・エリザベス」は16基 き )採用 さいよう した。その性能 せいのう は重量 じゅうりょう 45.36 kgの砲弾 ほうだん を最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 14度 ど で射距離 しゃきょり 12,344 mまで届 とど かせる事 こと ができる性能 せいのう であった。
装填 そうてん 機構 きこう は自由 じゆう 角度 かくど 装填 そうてん で仰角 ぎょうかく 14度 ど から俯角 ふかく 7度 ど の間 あいだ で装填 そうてん でき、発射 はっしゃ 速度 そくど は竣工 しゅんこう 時 じ は毎 まい 分 ぶん 5~7発 はつ であった。砲身 ほうしん の仰角 ぎょうかく は15度 ど ・俯角 ふかく 5度 ど で動力 どうりょく は人力 じんりき とした。旋回 せんかい 角度 かくど は120度 ど であった。
及 およ び、3インチ(7.6 cm)単 たん 装 そう 高角 こうかく 砲 ほう 2基 き を装備 そうび した。
一部 いちぶ の艦 かん ではこれらを撤去 てっきょ し、俯仰 ふぎょう 角 かく 範囲 はんい が広 ひろ くて(最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 80度 ど )、高 こう 発射 はっしゃ 速度 そくど (12発 はつ /分 ぶん )の45口径 こうけい 4.5インチ(11.4 cm)連装 れんそう 両用 りょうよう 砲 ほう または45口径 こうけい 4インチ(10.2 cm)連装 れんそう 高角 こうかく 砲 ほう で対空 たいくう 防御 ぼうぎょ を強化 きょうか している。
その他 た に、対戦 たいせん 艦 かん 用 よう に、53.3 cm水中 すいちゅう 魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん を単 たん 装 そう で4門 もん を装備 そうび した。
1912年度 ねんど 計画 けいかく の本 ほん 級 きゅう は25ノットの高速 こうそく 戦艦 せんかん として計画 けいかく され、アイアン・デューク級 きゅう の2.6倍 ばい にあたる75,000馬力 ばりき の主 しゅ 機関 きかん が必要 ひつよう とされた[7] 。
攻防 こうぼう 力 りょく 完備 かんび の戦艦 せんかん に大 だい 出力 しゅつりょく 機関 きかん を搭載 とうさい するため、主力 しゅりょく 艦 かん として初 はじ めて重油 じゅうゆ 専 せん 燃 もえ 缶 かん を採用 さいよう して主 しゅ 機関 きかん の大 だい 出力 しゅつりょく 化 か と重量 じゅうりょう ・スペースの軽減 けいげん を図 はか った。主 しゅ 缶 かん の蒸気 じょうき 性状 せいじょう は圧力 あつりょく 235PSI/飽和 ほうわ 温度 おんど で、従来 じゅうらい 艦 かん と変 か わらない。本 ほん 級 きゅう 以降 いこう の英 えい 主力 しゅりょく 艦 かん の主 しゅ 缶 かん はすべて重油 じゅうゆ 専 せん 燃 もえ 缶 かん になった[7] 。
重油 じゅうゆ 専 せん 燃 もえ 缶 かん はすでに駆逐 くちく 艦 かん では実用 じつよう されていたが、大艦 だいかん での実用 じつよう 試験 しけん を経 へ ず本 ほん 級 きゅう に採用 さいよう したのは、ジョン・アーバスノット・フィッシャー 提督 ていとく の強 つよ い主張 しゅちょう によるものだった。重油 じゅうゆ 専 せん 燃 もえ 方式 ほうしき は前記 ぜんき の利点 りてん に加 くわ えて次 つぎ のメリットが挙 あ げられる[7] 。
搭載 とうさい 量 りょう が同 おな じなら重油 じゅうゆ は石炭 せきたん より航続 こうぞく 距離 きょり を大 おお きくできる。
より短時間 たんじかん での増 ぞう 速 そく が可能 かのう で、速力 そくりょく 維持 いじ も容易 ようい である。
機関 きかん 科 か の人員 じんいん が削減 さくげん できる。
石炭 せきたん 搭載 とうさい 作業 さぎょう に比 ひ して燃料 ねんりょう 補給 ほきゅう が簡単 かんたん で所要 しょよう 時間 じかん も短 みじか い。
淡 あわ 煙 けむ 淡 あわ 火 ひ により相手方 あいてがた から発見 はっけん されずに接 せっ 敵 てき できる。
主 しゅ 缶 かん は大 だい 径 みち 水 すい 管 かん 缶 かん 24基 き で、「クイーン・エリザベス」、「マレーヤ」、「ヴァリアント」の3艦 かん はB&W缶 かん を、「バーラム」と「ウォースパイト」はヤーロー缶 かん を搭載 とうさい した。これらは前方 ぜんぽう から順 じゅん に設 もう けた第 だい 1~第 だい 4缶 かん 室 しつ に、各室 かくしつ 6基 き ずつ設置 せっち された。
主 おも 機 き は直結 ちょっけつ タービン2組 くみ (4軸 じく 推進 すいしん )で、「クイーン・エリザベス」、「マレーヤ」、「ウォースパイト」がパーソンズ式 しき を、残 のこ りの2艦 かん がブラウン・カーチス式 しき を搭載 とうさい した[7] 。
英国 えいこく ではレーダー の発達 はったつ や空母 くうぼ 搭載 とうさい 機 き の威力 いりょく 増大 ぞうだい を背景 はいけい に、戦艦 せんかん の航空 こうくう 兵 へい 装 そう を否定 ひてい する意見 いけん が強 つよ く、他 た の戦艦 せんかん と同様 どうよう に本 ほん 級 きゅう も1943年 ねん 前後 ぜんこう には水 みず 偵を陸揚 りくあ げしている[7] 。
戦艦 せんかん マレーヤ。本 ほん 艦 かん は竣工 しゅんこう 当時 とうじ の姿 すがた を色濃 いろこ く残 のこ した外観 がいかん のままであった。
世界 せかい 大戦 たいせん 勃発 ぼっぱつ 以前 いぜん の計画 けいかく では、イギリスの予算 よさん で4隻 せき 、英 えい 連邦 れんぽう カナダ の寄付 きふ で3隻 せき 、英 えい 領 りょう マレー の寄付 きふ で1隻 せき を建造 けんぞう し、ジブラルタルを拠点 きょてん とする機動 きどう 艦隊 かんたい を編制 へんせい する予定 よてい だったという[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
1914年 ねん 7月 がつ 末 まつ に第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が勃発 ぼっぱつ する。本 ほん 級 きゅう は建造 けんぞう 中止 ちゅうし 艦 かん の艦 かん 名 めい が「エジンコート 」に流用 りゅうよう されたほか、5隻 せき が第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう に竣工 しゅんこう し、第 だい 5戦艦 せんかん 戦隊 せんたい に編入 へんにゅう されてグランドフリート に配属 はいぞく された[注釈 ちゅうしゃく 2] 。開戦 かいせん 後 ご 、「クイーン・エリザベス」はオスマン帝国 ていこく を攻略 こうりゃく するためのガリポリ上陸 じょうりく 作戦 さくせん に投入 とうにゅう され、多数 たすう の前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん を率 ひき いた。ユトランド沖 おき 海戦 かいせん 時 とき 、「クイーン・エリザベス」は修理 しゅうり 中 ちゅう で、第 だい 5戦 せん 戦隊 せんたい の4隻 せき (バーラム、ウォースパイト、ヴァリアント、マレーヤ)はビューティー 提督 ていとく が率 ひき いる巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 部隊 ぶたい (旗艦 きかん ライオン 号 ごう )に編入 へんにゅう されていた[注釈 ちゅうしゃく 3] 。
第 だい 5戦艦 せんかん 戦隊 せんたい は臨時 りんじ 編入 へんにゅう 部隊 ぶたい であったためビューティー提督 ていとく の信号 しんごう を見落 みお としたり、「ウォースパイト」が大破 たいは して舵 かじ の自由 じゆう を失 うしな うなどの危機 きき に陥 おちい ったが、沈没 ちんぼつ 艦 かん はなかった。以降 いこう はグランド・フリートの中核 ちゅうかく として活躍 かつやく し、ドイツ大洋 たいよう 艦隊 かんたい の自沈 じちん を見届 みとど けた。
1921年 ねん 5月 がつ 8日 にち 、大正天皇 たいしょうてんのう 皇太子 こうたいし (のちの昭和 しょうわ 天皇 てんのう )が訪英 ほうえい の際 さい 、「クイーン・エリザベス」に乗艦 じょうかん した。ワシントン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく でも保有 ほゆう が認 みと められ、イギリス海軍 かいぐん の主力 しゅりょく 艦 かん であり続 つづ けた。
近代 きんだい 化 か 改装 かいそう 後 ご の「クイーン・エリザベス」
近代 きんだい 化 か 改装 かいそう 後 ご の「ウォースパイト」
1926年 ねん から1927年 ねん にかけて第 だい 1次 じ 近代 きんだい 化 か 改装 かいそう を行 おこな った。1937年 ねん 5月 がつ 20日 はつか のスピッド・ヘッド沖 おき で行 おこな われたジョージ6世 せい 戴冠 たいかん 記念 きねん 観艦式 かんかんしき に地中海 ちちゅうかい 艦隊 かんたい のパウンド 大将 たいしょう 旗艦 きかん として本国 ほんごく 艦隊 かんたい 旗艦 きかん の「ネルソン 」等 とう とともに参列 さんれつ し、天皇 てんのう 名代 なだい 秩父宮雍仁親王 ちちぶのみややすひとしんのう 夫妻 ふさい を招待 しょうたい した[10] 。「クィーン・エリザベス」と「ヴァリアント」は同年 どうねん 8月 がつ にポーツマス工廠 こうしょう で姉妹 しまい 艦 かん 「ウォースパイト 」に準 じゅん じた第 だい 2次 じ 近代 きんだい 化 か 改装 かいそう に着手 ちゃくしゅ 。しかし工事 こうじ は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の勃発 ぼっぱつ と独 どく 空軍 くうぐん による空爆 くうばく で遅延 ちえん し、「バーラム」と「マレーヤ」の改装 かいそう は中止 ちゅうし された。
1930年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん 以降 いこう 、イギリス海軍 かいぐん では新 しん 世代 せだい 戦艦 せんかん としてキング・ジョージ5世 せい 級 きゅう 戦艦 せんかん 5隻 せき と建造 けんぞう とライオン級 きゅう 戦艦 せんかん の設計 せっけい が進 すす み、極東 きょくとう のシンガポール海軍 かいぐん 基地 きち では主力 しゅりょく 艦 かん を修理 しゅうり 可能 かのう な乾 いぬい ドック が完成 かんせい した(シンガポール戦略 せんりゃく )。海軍 かいぐん 本部 ほんぶ は新型 しんがた 戦艦 せんかん を本国 ほんごく 艦隊 かんたい や地中海 ちちゅうかい 艦隊 かんたい にとどめ、旧式 きゅうしき ながら近代 きんだい 化 か 改装 かいそう された本 ほん 級 きゅう 5隻 せき をシンガポールに配置 はいち し、イギリス太平洋艦隊 たいへいようかんたい を新編 しんぺん して中国 ちゅうごく 大陸 たいりく の権益 けんえき を守 まも る予定 よてい だったという。有事 ゆうじ の場合 ばあい は、オーストラリア海軍 かいぐん とニュージーランド海軍 かいぐん も合流 ごうりゅう して日本 にっぽん 海軍 かいぐん に対抗 たいこう する手筈 てはず であった。
手前 てまえ から「バーラム」、「マレーヤ」、後方 こうほう の空母 くうぼ は「アーガス 」。
爆沈 ばくちん する「バーラム」
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん においては、「ウォースパイト」が第 だい 2次 じ ナルヴィク海戦 かいせん でドイツ海軍 かいぐん の駆逐 くちく 艦 かん 部隊 ぶたい を相手 あいて に大 だい 勝利 しょうり をおさめ、地中海 ちちゅうかい 戦線 せんせん ではマタパン岬 みさき 沖 おき 海戦 かいせん で本 ほん 級 きゅう 3隻 せき (ウォースパイト、バーラム、ヴァリアント)がイタリア海軍 かいぐん のザラ級 きゅう 重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 3隻 せき と駆逐 くちく 艦 かん 2隻 せき を撃沈 げきちん するなど、各 かく 戦線 せんせん で活躍 かつやく した。しかし被害 ひがい を受 う ける事例 じれい もあった。「ウォースパイト」はクレタ島 とう の戦 たたか い でJu 87スツーカ の急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき で大破 たいは 、サレルノ上陸 じょうりく 作戦 さくせん でフリッツX の攻撃 こうげき で大破 たいは した。
1941年 ねん 11月25日 にち 、「バーラム 」が独 どく 潜 せん 「U-331 」の雷撃 らいげき により撃沈 げきちん された。1941年 ねん 12月19日 にち 、アレクサンドリア 港内 こうない に停泊 ていはく 中 ちゅう の本 ほん 級 きゅう 2隻 せき (クイーン・エリザベス、ヴァリアント)とともにイタリア潜水 せんすい 艦 かん 「シーレ 」から発進 はっしん した人間 にんげん 魚雷 ぎょらい 「ピグ」SLC-223の攻撃 こうげき を受 う けて港湾 こうわん 内部 ないぶ で大破 たいは 着 ぎ 底 そこ した(アレクサンドリア港 こう 攻撃 こうげき )。1944年 ねん 8月 がつ 、「ヴァリアント」はセイロン島 とう で入渠 にゅうきょ 修理 しゅうり 中 ちゅう に事故 じこ で大破 たいは 、修理 しゅうり を試 こころ みたものの現役 げんえき には復帰 ふっき できなかった。終戦 しゅうせん 後 ご 、残存 ざんそん 艦 かん 4隻 せき はスクラップとして売却 ばいきゃく された。
本 ほん 級 きゅう の主戦 しゅせん 場 じょう は地中海 ちちゅうかい だったが、各種 かくしゅ レーダーを筆頭 ひっとう に優秀 ゆうしゅう な装備 そうび を活用 かつよう してイタリア艦隊 かんたい に常 つね に積極 せっきょく 的 てき 作戦 さくせん を展開 てんかい し、戦局 せんきょく を有利 ゆうり に導 みちび いた功績 こうせき は大 おお きい。イギリス戦艦 せんかん の中 なか で最 もっと もよく働 はたら き、最 もっと も消耗 しょうもう したクラスである。
「クイーン・エリザベス Queen Elizabeth (エリザベス1世 せい )」 1915年 ねん 1月 がつ 15日 にち 竣工 しゅんこう
「ウォースパイト Warspite (戦争 せんそう を軽蔑 けいべつ する者 もの 、戦場 せんじょう のキツツキ)」 1915年 ねん 3月 がつ 19日 にち 竣工 しゅんこう
「バーラム Barham (トラファルガー海戦 かいせん 時 どき の海 うみ 相 しょう )」 1915年 ねん 10月 がつ 19日 にち 竣工 しゅんこう 、1941年 ねん 11月25日 にち 戦没 せんぼつ
「ヴァリアント Valiant (勇敢 ゆうかん な)」 1916年 ねん 2月 がつ 19日 にち 竣工 しゅんこう
「マレーヤ Malaya (英 えい 領 りょう マレー)」 1916年 ねん 2月 がつ 1日 にち 竣工 しゅんこう
「エジンコート」Agincourt 建造 けんぞう 中止 ちゅうし
^ 〔 戰艦 せんかん の速力 そくりょく 〕(中略 ちゅうりゃく )然 しか るに英國 えいこく の「クヰーン・エリザベス」級 きゅう は、全 まった く戰艦 せんかん たるべき常軌 じょうき を逸 いっ して、二 に 十 じゅう 五 ご 節 せつ といふ快 かい 速力 そくりょく を有 ゆう つてゐるのであるから、一種 いっしゅ の巡 じゅん 洋 よう 戰艦 せんかん であるから、其 そ れといふて最新 さいしん 式 しき の巡 じゅん 洋 よう 戰艦 せんかん に比 くら べると速力 そくりょく が及 およ ばない、謂 いい はゞ戰艦 せんかん と巡 めぐ 洋 よう 戰艦 せんかん の合 あい の子 こ である、英國 えいこく が此の合 あい の子 こ 艦 かん を造 つく る計畫 けいかく を立 た てたのは、本國 ほんごく の國費 こくひ で四 よん 隻 せき 、馬 うま 來 らい 聯邦 れんぽう の寄附 きふ で一 いち 隻 せき 、加 か 奈陀の寄附 きふ で三 さん 隻 せき 、合計 ごうけい 八 はち 隻 せき を得 え て一 いち 隊 たい を編制 へんせい し、之 これ を帝國 ていこく 艦隊 かんたい と名 な け、ヂブラルター に配備 はいび する豫定 よてい であつたのが、加 か 奈陀の上院 じょういん が此の寄附 きふ を拒絶 きょぜつ した爲 ため めに、今 いま では五 ご 隻 せき 丈 たけ を建造 けんぞう しつゝあるのであつて、全 まった く特種 とくしゅ のものに属 ぞく する、同國 どうこく では其 そ の後 のち 戰艦 せんかん の建造 けんぞう が常態 じょうたい に復 ふく して、前 まえ に示 しめ した通 とお り「ロヤル・ソヴエレーン」級 きゅう の五 ご 隻 せき は其 そ の速力 そくりょく が二 に 十 じゅう 二 に 節 せつ 半 はん となつてゐる。/ 序 じょ に燃料 ねんりょう に就て言 げん ふて置 お きたいのは、新式 しんしき 戰艦 せんかん には石油 せきゆ 專 せん 燃 もえ のものと、炭 すみ 油 ゆ 混 こん 燃 もえ のものと二 ふた つある、石油 せきゆ 專 せん 燃 もえ のものとして計畫 けいかく されたのは、米國 べいこく の「ネヴアダ 」を以 もっ て嚆矢 こうし とするが、英國 えいこく では右 みぎ の合 あい の子 こ 艦 かん に初 はじ めて專 せん 燃 もえ 式 しき を採用 さいよう した。然 しか るに後 ご の「ロヤル・ソヴエレーン」級 きゅう には之 これ を止 と めて了 りょう ふて、元 もと の混 こん 燃 もえ に復 ふく したのである。
^ 第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 開戦 かいせん 時 じ の第 だい 5戦艦 せんかん 戦隊 せんたい は前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん で編制 へんせい されており、のちにクイーン・エリザベス級 きゅう 戦艦 せんかん になった。
^ ユトランド沖 おき 海戦 かいせん における巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 部隊 ぶたい は、第 だい 1巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 戦隊 せんたい (ビューティー中将 ちゅうじょう 直 じき 率 りつ 、ブロック 提督 ていとく )、第 だい 2巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 戦隊 せんたい (パケナム 提督 ていとく )、第 だい 5戦艦 せんかん 戦隊 せんたい (エヴァン・トーマス 提督 ていとく )を基幹 きかん としていた(ユトランド沖 おき 海戦 かいせん 、戦闘 せんとう 序列 じょれつ )。
ジョン・ジョーダン『戦艦 せんかん AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS 』石橋 いしばし 孝夫 たかお 訳 やく 、株式会社 かぶしきがいしゃ ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年 ねん 11月。ISBN 4-938461-35-8 。
「世界 せかい の艦船 かんせん 増刊 ぞうかん 第 だい 22集 しゅう 近代 きんだい 戦艦 せんかん 史 し 」(海人 あま 社 しゃ )
「世界 せかい の艦船 かんせん 増刊 ぞうかん 第 だい 83集 しゅう 近代 きんだい 戦艦 せんかん 史 し 」(海人 あま 社 しゃ )
「世界 せかい の艦船 かんせん 増刊 ぞうかん 第 だい 30集 しゅう イギリス戦艦 せんかん 史 し 」(海人 あま 社 しゃ )
「世界 せかい の艦船 かんせん 増刊 ぞうかん 第 だい 67集 しゅう 第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 時 じ のイギリス戦艦 せんかん 」(海人 あま 社 しゃ )
アジア歴史 れきし 資料 しりょう センター(公式 こうしき ) (防衛 ぼうえい 省 しょう 防衛 ぼうえい 研究所 けんきゅうじょ )
『「2年 ねん 12月19日 にち 英 えい 海軍 かいぐん に関 かん する件 けん 」、明治 めいじ 44年 ねん 外国 がいこく 駐在 ちゅうざい 員 いん 報告 ほうこく 巻 まき 1(防衛 ぼうえい 省 しょう 防衛 ぼうえい 研究所 けんきゅうじょ )』。Ref.C10100740000。
『「6年 ねん 12月1日 にち 自 じ 5年 ねん 6月 がつ 至 いたり 6年 ねん 8月 がつ 英国 えいこく 大艦 だいかん 隊 たい 作戦 さくせん の大要 たいよう 其 そ の2」、大正 たいしょう 5年 ねん 外国 がいこく 駐在 ちゅうざい 員 いん 報告 ほうこく 巻 まき 4(防衛 ぼうえい 省 しょう 防衛 ぼうえい 研究所 けんきゅうじょ )』。Ref.C10100792600。