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ニューヨークきゅう戦艦せんかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューヨークきゅう戦艦せんかん
ニューヨーク(1915年5月29日撮影)
ニューヨーク(1915ねん5がつ29にち撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
かんしゅ 戦艦せんかん
命名めいめい基準きじゅん しゅうめい。1ばんかんニューヨークしゅうにちなむ。
建造けんぞうしょ ブルックリン海軍かいぐん工廠こうしょう
ニューポート・ニューズ造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
建造けんぞう期間きかん 1911ねん4がつ17にち - 1912ねん10がつ30にち
就役しゅうえき期間きかん 1914ねん3がつ12にち - 1948ねん4がつ21にち
同型どうけいかん ニューヨーク (BB-34)
テキサス (BB-35)
建造けんぞうすう 2せき
まえきゅう ワイオミングきゅう戦艦せんかん
つぎきゅう ネバダきゅう戦艦せんかん
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 27,000 トン
戦時せんじ: 28,367 トン
全長ぜんちょう 573 ft (175 m)
はば 95.5 ft (29.1 m)
吃水きっすい 28.5 ft (8.7 m)
機関きかん方式ほうしき バブコック・アンド・ウィルコックスしき石炭せきたん重油じゅうゆこんしょうみずかんかん14 + 直立ちょくりつがた3だん膨張ぼうちょうしき4気筒きとうレシプロ機関きかん22じく推進すいしん
出力しゅつりょく 28,100 shp (21.0 MW)
速力そくりょく 21 kn (39 km/h)
航続こうぞく距離きょり 12kn / 7,684 nmi (14,231 km)
燃料ねんりょう 石炭せきたん:900トン(常備じょうび)、1,850~2,075トン(満載まんさい
重油じゅうゆ: 400 トン
乗員じょういん 士官しかん兵員へいいん 1,042めい
へいそう 35.6cm(45口径こうけい連装れんそうほう5
12.7cm(51口径こうけいたんそう速射そくしゃほう21
21インチ (53.3 cm)魚雷ぎょらい発射はっしゃかん水中すいちゅう4もん
装甲そうこう 舷側げんそく:254~356mm(水線すいせんさいあつ)、229mm(最上さいじょう甲板かんぱん
甲板かんぱん:51mm(水平すいへい)、38mm(かん首部しゅぶ)、76mm(かん
主砲しゅほうとう:365mm(ぜんたて)、152mm(がわたて)、102mm(天蓋てんがい
バーベット:305mm(甲板かんぱん上部じょうぶ)、127mm(甲板かんぱん下部かぶ
ふくほうケースメイト:165mm(さいあつ
舵機だきしつ:152mm(さいあつ
司令塔しれいとう:292~305mm(側面そくめん)、102mm(天蓋てんがい
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ニューヨークきゅう戦艦せんかん(ニューヨークきゅうせんかん New York class battleships)は、アメリカ海軍かいぐん戦艦せんかんかんきゅう[1]。アメリカ海軍かいぐん最初さいしょ保有ほゆうした超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかんで、2せき建造けんぞうされた。

概要がいよう

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当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくは、毎年まいとしごとに戦艦せんかん2せき増強ぞうきょうする方針ほうしんをとっていた[2]。ニューヨークきゅうは、ワイオミングきゅうアーカンソーきゅう)の拡大かくだい改良かいりょうがたである[3]。1909ねん設計せっけいがまとまり、アメリカ海軍かいぐんはつ超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかんとして2せき建造けんぞう議会ぎかい承認しょうにんされ、1910年度ねんど海軍かいぐん計画けいかくにより2せき建造けんぞうされた。ワイオミングきゅう12インチ(30.5cm)50口径こうけいカノンほう連装れんそう砲塔ほうとう6(12もん搭載とうさいしていた[2][4]。それにたいしニューヨークきゅう(テキサスきゅう)は、主砲しゅほう同年どうねん3がつ開発かいはつ完了かんりょうした新式しんしき14インチ(35.6cm)45口径こうけいカノンほう採用さいようした。そしてどう14インチほうを10もん連装れんそう砲塔ほうとう5)を搭載とうさいした[5]。その一方いっぽう経済けいざいてき観点かんてんから機関きかんはレプシロ・エンジン、2じく推進すいしんとなった[3][注釈ちゅうしゃく 1]

なおネームシップニューヨーク (BB-34) よりも、2ばんかんテキサス (BB-35)ほう先行せんこうして建造けんぞうされた。海外かいがい資料しりょうふくめて[6]テキサスきゅう戦艦せんかん[7][8](テキサスがた戦艦せんかん)と表記ひょうきする事例じれいがある[注釈ちゅうしゃく 2]

かんがた

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かごじょう前後ぜんごマストをつ1916ねんのニューヨーク。

ニューヨークきゅう船体せんたい形状けいじょうひら甲板かんぱんがた船体せんたい全長ぜんちょうは174.7mと、ワイオミングきゅうの171.3mよりもやく3mびた。まえきゅうのワイオミングきゅう同一どういつ主砲しゅほうとう6配置はいちにしなかった理由りゆうは、どう配置はいちのまま14インチほう採用さいようするとかん全長ぜんちょうび、船体せんたい大型おおがたして高価こうかなものとなるというためである。

かごじょう前後ぜんごつ1919ねんのテキサス。いただき上部じょうぶ見張みはしょ密閉みっぺいされ、僚艦りょうかん射撃しゃげきデータを支持しじするレンジ・クロックが装備そうびされている。後方こうほう戦艦せんかんアーカンソー

構造こうぞうかん前方ぜんぽうから記述きじゅつすれば、まず主砲しゅほうにはしん設計せっけいの1910ねんがた Mk. 12 35.6cm(45口径こうけい)カノンほうおさめたクサビがた連装れんそうしき主砲しゅほうとうおさめ、背負せおしきの1ばん・2ばん主砲しゅほうとう装備そうびした。2ばん主砲しゅほうとう基部きぶから上部じょうぶ構造こうぞうぶつはじまり、2ばん主砲しゅほうとう後方こうほう司令塔しれいとうんだ操舵そうだ艦橋かんきょうち、その背後はいごかごじょう前部ぜんぶマストち、中段ちゅうだんさい上段じょうだんには露天ろてん見張みはだいがある。2ほん煙突えんとつ側面そくめん舷側げんそく甲板かんぱんじょうには艦載かんさいていならべられ、それらは1つい探照灯たんしょうとうだいとそれを基部きぶにしたクレーンかたふなばた1ずつけい2運用うんようされた。2ばん煙突えんとつ後方こうほうこめじょう後部こうぶマストがったところ上部じょうぶ構造こうぞうぶつ終了しゅうりょうし、そこからいちだんぶんがって後部こうぶ甲板かんぱんじょう後方こうほうけて配置はいちされた3ばん主砲しゅほうとう背負せおしきの4ばん・5ばん主砲しゅほうとうじゅんとなっている。

ふくほうの12.7cm速射そくしゃほう艦橋かんきょう側面そくめん露天ろてんで1ずつ。ケースメイト(ほうかく配置はいちで1ばん主砲しゅほうとう側面そくめんに2ずつ、船体せんたい中央ちゅうおうに5ずつ、かんがわに2ずつのかたふなばた8けい16配置はいちした。煙突えんとつ背後はいごにはたんあししきの2だん見張みはしょ後部こうぶマストがったところ上部じょうぶ構造こうぞうぶつ終了しゅうりょうし、そこから甲板かんぱんいちだんぶんがって、後部こうぶ甲板かんぱんじょうに2ばん主砲しゅほうとう後向うしろむきで1配置はいちされた。

就役しゅうえきの1918ねん対空たいくう火器かきとしてMk. 10 7.6cm(50口径こうけい高角こうかくほうたんそうほうで4搭載とうさいしたが、1919ねんさらに2追加ついかした。1920年代ねんだいかんくびふくほうの12.7cm速射そくしゃほう5もん撤去てっきょした。せんくんによりだいいち世界せかい大戦たいせんに2ばん・3ばん・4ばん主砲しゅほうとううえはか距儀設置せっちし、テキサスが1916ねん射撃しゃげき方位ほういばんおよ射撃しゃげき指揮しき装置そうち搭載とうさいし、これがアメリカ戦艦せんかんはつ射撃しゃげき指揮しき装置そうち搭載とうさいとなった。

1929ねんられた近代きんだい改装かいそうのニューヨーク。前後ぜんごのマストが三脚さんきゃくがたとなり、後部こうぶマストが3ばん・4ばん主砲しゅほうとうあいだ移設いせつされた。またかんくびふくほう砲門ほうもん閉鎖へいさされ、一部いちぶふくほう上部じょうぶ構造こうぞうぶつ側面そくめん移設いせつされた。

ニューヨークきゅうは1925ねん~1927ねんにノーフォーク造船ぞうせんしょ近代きんだい改装かいそうおこなわれ、ボイラーを石炭せきたん重油じゅうゆこんしょうかん16から重油じゅうゆせんしょうかん6かわそうしたが、推進すいしん機関きかんはレシプロ機関きかんのままであったために速力そくりょく出力しゅつりょくわらなかったが、航続こうぞく能力のうりょく向上こうじょうして重油じゅうゆ2,810トンで速力そくりょく10ノットで15,400海里かいり航行こうこうできた。ボイラーすう減少げんしょうともな艦橋かんきょうがわ煙突えんとつ撤去てっきょし、2ばん煙突えんとつはややふとくなり煙突えんとつすうは1ほん減少げんしょうした。

また、だいいち大戦たいせんのイギリス超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん水雷すいらい兵器へいきにより戦闘せんとう不能ふのうになったせんくんから魚雷ぎょらい防御ぼうぎょ隔壁かくへきやし、1ばん主砲しゅほうとうから5ばん主砲しゅほうとう側面そくめんにかけてバルジを追加ついかしてかんはばが32.4mとした。同時どうじ水平すいへい防御ぼうぎょ改良かいりょうされ甲板かんぱん防御ぼうぎょは50mmから95mmへとあつくなった。

かごじょう前後ぜんごマストは強固きょうこ三脚さんきゃくかた更新こうしんされ、2ばん煙突えんとつ背後はいごには射撃しゃげき指揮しきしょ新設しんせつされたのにともない、後部こうぶマストは前部ぜんぶマストの半分はんぶんくらいのたかさのものが3ばん主砲しゅほうとうと4ばん主砲しゅほうとうあいだきスペースに移設いせつされた。艦橋かんきょう構造こうぞう司令塔しれいとううえ拡幅かくふくされ、はか距儀をせた完全かんぜん密閉みっぺい構造こうぞうとなった。いただき上部じょうぶには主砲しゅほうふくほう射撃しゃげき方位ほういばん内蔵ないぞうする密閉みっぺいがた見張みはしつもうけられた。また、水上すいじょう運用うんようのためにカタパルトを3ばん主砲しゅほうとううえ設置せっちし、艦載かんさいていクレーンはより大型おおがたのものにかわそうした。

波浪はろうにより被害ひがいのあった中央ちゅうおうふくほう5もんのうち、前方ぜんぽう3もんおも甲板かんぱんじょうあらたにもうけられたしにうつし、その天蓋てんがいに7.6cmたんそう高角こうかくほうかたふなばた4もんずつけい8増設ぞうせつした。操舵そうだ艦橋かんきょうじょうにあったはか距儀は2ばん・4ばん主砲しゅほうとう天蓋てんがい移設いせつした。

1935ねんには三脚さんきゃく檣トップにフラットをもうけ、28mm高角こうかく機銃きじゅうあらたに追加ついかされた。

武装ぶそう

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主砲しゅほう

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ニューヨークのかんくび主砲しゅほうとう。ニューヨークきゅうかんくびかんふなばたたかさがひくく、しのげなみせい問題もんだいがあった。

前述ぜんじゅつどおりにニューヨークきゅう主砲しゅほうは1910ねんがた Mark 1, 35.6cm(45口径こうけいほうである。その性能せいのう重量じゅうりょう635.0kgの砲弾ほうだん最大さいだい仰角ぎょうかく15で21,030 mまでとどかせることが出来でき射程しゃてい18,290 mで装甲そうこう170 mmを貫通かんつうできる性能せいのうであった。そしてこのほう連装れんそう砲塔ほうとうおさめた。砲塔ほうとう設計せっけいはワイオミングきゅうおなじく左右さゆう独立どくりつ砲身ほうしん上下じょうげできる形式けいしきであったが、砲弾ほうだん装填そうてん機構きこうはより安全あんぜんせいたかめられ、装填そうてん仰角ぎょうかく0固定こてい角度かくど装填そうてんしきあらためられた。旋回せんかい角度かくど船体せんたい首尾しゅびせん方向ほうこうを0として左右さゆう150ひろ旋回せんかい角度かくどち、砲身ほうしん俯仰ふぎょう能力のうりょく仰角ぎょうかく15俯角ふかく5である。しゅ砲身ほうしん俯仰ふぎょう砲塔ほうとう旋回せんかい砲弾ほうだんあげだん装填そうてんおも電力でんりょくおこなわれ、補助ほじょ人力じんりき必要ひつようとした。発射はっしゃ速度そくどまいぶん1.25~1.75はつである。

ふくほうとう

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テキサスの舷側げんそくふくほう。ニューヨークきゅうかんふなばたひくいためにふくほうほうくるわから波浪はろう侵入しんにゅうするため、一部いちぶふくほう高所こうしょ移設いせつさせられた。

ふくほうはアメリカいしゆみきゅう戦艦せんかん伝統でんとうの1910ねんがた12.7cm(51口径こうけい速射そくしゃほうつづ採用さいようした。その性能せいのう重量じゅうりょう47.7 kgの砲弾ほうだん最大さいだい仰角ぎょうかく15では射程しゃてい13,720 mまでとどかせられ、このほう舷側げんそくケースメイトでかたふなばた7ずつけい14搭載とうさいした。ほう俯仰ふぎょう能力のうりょく仰角ぎょうかく15俯角ふかく10であり、旋回せんかい角度かくどは100であった。砲身ほうしん俯仰ふぎょう砲塔ほうとう旋回せんかい砲弾ほうだんあげだん装填そうてんおも人力じんりき必要ひつようとした。発射はっしゃ速度そくどまいぶん6はつである。

配置はいちはケースメイト配置はいちで1ばん主砲しゅほうとう前方ぜんぽう部分ぶぶんかたふなばた2ずつ、船体せんたい中央ちゅうおうに5ずつ、5ばん主砲しゅほうとう後部こうぶに2ずつ、4ばん・5ばん主砲しゅほうとう天蓋てんがいに1ずつと、かんに1けい21もんである。のち主砲しゅほうとう付近ふきんかんふくほう外洋がいよう航行こうこう波浪はろうむために閉塞へいそくされた。そのたいかんように53.3cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん水線すいせんに4もん装備そうびした。

機関きかん

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ニューヨークきゅう機関きかん配置はいちは、ボイラーはバブコック・アンド・ウィルコックスしき重油じゅうゆ石炭せきたんこんしょうみずかんかんを14んだ。推進すいしん機関きかんまえきゅうことなりレシプロ機関きかん採用さいようし、これを22じく推進すいしんとした。

これは、まえきゅうであるワイオミングきゅうにおいて搭載とうさいした直結ちょっけつタービン機関きかん低速ていそく燃費ねんぴ問題もんだいがあり、海軍かいぐんした要求ようきゅう「アメリカ西海岸にしかいがんからフィリピンまで航海こうかいできるもの」をたすこう出力しゅつりょくタービンを開発かいはつできなかったため、速力そくりょく低下ていかをしのんで低速ていそく燃費ねんぴいレシプロ機関きかん選択せんたくしたものである。ボイラーは2ばん主砲しゅほうとうと3ばん主砲しゅほうとうあいだ設置せっちされ、レシプロ機関きかんは3ばん主砲しゅほうとうと4ばん主砲しゅほうとうあいだ設置せっちされた。ふくすいはレシプロ機関きかんのすぐよこ設置せっちされた。

かんれき

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竣工しゅんこうからだいいち世界せかい大戦たいせん

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就役しゅうえき大西洋たいせいよう艦隊かんたい配属はいぞくされた。だいいち世界せかい大戦たいせんにおいてえい派遣はけん艦隊かんたい合衆国がっしゅうこくだい9戦艦せんかん部隊ぶたい)に編入へんにゅうされてロッドマン提督ていとく指揮しきをとり、イギリス海軍かいぐんグランドフリート隷下れいかではだい6戦艦せんかん戦隊せんたい呼称こしょうされた。おもに大西洋たいせいよう船団せんだん護衛ごえい任務にんむく。火力かりょくではアメリカ艦隊かんたい最強さいきょうではあったが、じゅう武装ぶそうわりかんがた小型こがたなために外洋がいようではしのげなみせい問題もんだいせいがあり、海水かいすいめんちか場所ばしょ開口かいこうおお設計せっけいめんでの問題もんだいもあってどう大戦たいせんちゅうには改善かいぜんできなかったために戦力せんりょくとならなかった。またアメリカ参戦さんせん時点じてんドイツ帝国ていこく海軍かいぐん大洋たいよう艦隊かんたい現存げんそん艦隊かんたい主義しゅぎをとっており、てき戦艦せんかん交戦こうせんする機会きかいはなかった。唯一ゆいいつ戦果せんかは、1918ねん10がつ14にちにニューヨークがドイツ海軍かいぐんUボート1せき衝突しょうとつによって推進すいしんじく1じく損傷そんしょうえに撃沈げきちんしたとされる。これがえい艦隊かんたい全体ぜんたい唯一ゆいいつ戦果せんかであった。

海軍かいぐん休日きゅうじつからだい世界せかい大戦たいせん

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近代きんだい改装かいそうのニューヨーク(後方こうほうえるかんはネバダとオクラホマ。)

改装かいそう終了しゅうりょうの1937ねん5がつ20日はつか、ニューヨークがイギリスのスピッドヘッドにておこなわれたジョージ6せい戴冠たいかん記念きねん観艦式かんかんしき参列さんれつ、アメリカ海軍かいぐんからはロッドマン提督ていとくぜん大戦たいせんえい艦隊かんたい司令しれいかん)が派遣はけんされている[13]。 1938ねんにはアメリカ戦艦せんかんとしてはじめて艦載かんさいレーダーを設置せっちした。

練習れんしゅうかんてき任務にんむについていたが、1939ねん9がつだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつすると、現役げんえき復帰ふっきする[3]対空たいくう火器かき増設ぞうせつとレーダーの搭載とうさいおこなわれ、大西洋たいせいようでの船団せんだん護衛ごえい任務にんむ火力かりょく支援しえん任務にんむいた。1941ねん12月に太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつしたとき、テキサスきゅう戦艦せんかん旧式きゅうしきかんという認識にんしきけていた[14]。しかしほんきゅう大西洋たいせいよう戦線せんせん太平洋たいへいよう戦線せんせん両方りょうほう対地たいち砲撃ほうげき任務にんむ投入とうにゅうされ、きたアフリカ上陸じょうりく作戦さくせんノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんみなみフランス上陸じょうりく作戦さくせん硫黄いおうとう攻防こうぼうせん沖縄おきなわせんなどに参加さんかした[3]

太平洋戦争たいへいようせんそう終結しゅうけつ、ニューヨークはビキニ環礁かんしょうクロスロード作戦さくせんにおける標的ひょうてきかんとなる。原爆げんばく空中くうちゅう爆発ばくはつ水中すいちゅう爆発ばくはつびた[15]真珠湾しんじゅわんにもどったあと[16]、1948ねん7がつじつかんてきとして沈没ちんぼつ処分しょぶんにされた[17]一方いっぽう、テキサスは戦後せんごサン・ジャシントで記念きねんかんとして保存ほぞんされている[3]

要目ようもく

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竣工しゅんこう

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  • 水線すいせんちょう: -m
  • 全長ぜんちょう: 174.7m
  • 全幅ぜんぷく: 29.6m
  • 吃水きっすい: 7.9m
  • 基準きじゅん排水はいすいりょう: -トン
  • 常備じょうび排水はいすいりょう: 28,500トン
  • 満載まんさい排水はいすいりょう: -トン
  • へいそう: 35.6cm(45口径こうけい連装れんそうほう5、12.7cm(51口径こうけいたんそうほう21、53.3cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん4
  • 機関きかん: バブコックス&ウィルコックスしき重油じゅうゆ石炭せきたんこんしょうかん14+レシプロ22じく推進すいしん
  • 最大さいだい出力しゅつりょく: 27,100hp
  • 航続こうぞく性能せいのう: 12ノット/9,060海里かいり
  • 最大さいだい速力そくりょく: 21ノット
  • 装甲そうこう
    • 舷側げんそく装甲そうこう: 305mm
    • 甲板かんぱん装甲そうこう: 51mm
    • 主砲しゅほうとう装甲そうこう: -mm(ぜんたて)、-mm(がわたて)、-mm(こうたて)、115mm(天蓋てんがい
    • バーベット: -mm
    • 司令塔しれいとう: -mm
  • 航空こうくうへいそう: -
  • 乗員じょういん: 1,042めい

最終さいしゅう

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1942ねんられたニューヨーク。
迷彩めいさいされた1942ねんのテキサス。
  • 水線すいせんちょう: -m
  • 全長ぜんちょう: 174.7m
  • 全幅ぜんぷく: 32.4m
  • 吃水きっすい: 7.9m
  • 基準きじゅん排水はいすいりょう: 27,400トン
  • 常備じょうび排水はいすいりょう: 31,400トン
  • 満載まんさい排水はいすいりょう: -トン
  • へいそう: 35.6cm(45口径こうけい連装れんそうほう5、12.7cm(51口径こうけいたんそうほう6、7.6cm(50口径こうけいたんそう高角こうかくほう10、40mmよん連装れんそう高角こうかく機関きかんほう10、20mm連装れんそう機関きかんほう1+どうたんそう機関きかんほう44、53.3cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん4
  • 機関きかん: B・エクスプレスしき重油じゅうゆせんしょうかん6+レシプロ22じく推進すいしん
  • 最大さいだい出力しゅつりょく: 28,100hp
  • 航続こうぞく性能せいのう: 10ノット/15,400海里かいり
  • 最大さいだい速力そくりょく: 19.7ノット
  • 装甲そうこう
    • 舷側げんそく装甲そうこう: 305mm(さいあつ)、254mm(ヴァイタルパートはし)、152mm(だいいち甲板かんぱん
    • 甲板かんぱん装甲そうこう: 51mm
    • 主砲しゅほうとう装甲そうこう: 356mm(ぜんたて)、-mm(がわたて)、-mm(こうたて)、115mm(天蓋てんがい
    • バーベット: 305mm
    • 司令塔しれいとう: 305mm
  • 航空こうくうへいそう: 3
  • 乗員じょういん: 1,310めい

出典しゅってん

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ まえきゅう(ワイオミングきゅう)はタービン機関きかんこんもえボイラー、4じく推進すいしん[3]
  2. ^ 日本にっぽん海軍かいぐんでも「テキサスきゅう戦艦せんかん」や[2][9]、「テキサスがた戦艦せんかん」の名称めいしょう使用しようした[10]いちれいとして太平洋戦争たいへいようせんそう176潜水せんすい艦長かんちょう田辺たなべわたるはち中佐ちゅうさ)がじゅう巡洋艦じゅんようかんチェスター」を雷撃らいげきして大破たいはさせたとき、「テキサスがた戦艦せんかん撃破げきは報告ほうこくしている[11][12]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ジョーダン、戦艦せんかん 1988, pp. 116-117aアメリカ ニューヨークきゅう
  2. ^ a b c 現代げんだい海上かいじょう兵備へいび 1915, p. 17原本げんぽん17ぺーじ
  3. ^ a b c d e f ジョーダン、戦艦せんかん 1988, pp. 116-117b.
  4. ^ ジョーダン、戦艦せんかん 1988, pp. 114-115aアメリカ アーカンソーきゅう
  5. ^ 海事かいじ参考さんこう年鑑ねんかん大正たいしょう10年版ねんばん 1921, p. 70(原本げんぽん100-101ぺーじ)(ほうはん(主砲しゅほう)
  6. ^ 太平洋たいへいようかいけんろん 1922, p. 51原本げんぽん95ぺーじ
  7. ^ 海事かいじ参考さんこう年鑑ねんかん大正たいしょう10年版ねんばん 1921, p. 33原本げんぽん36ぺーじ
  8. ^ はな会議かいぎと其後 1922, p. 111原本げんぽん209ぺーじ
  9. ^ 匝瑳そうさ現代げんだい海軍かいぐん 1936, pp. 31–32(原本げんぽん42-44ぺーじ)にちえいべい主力しゅりょくかん變遷へんせんひょう
  10. ^ ソロモン海上かいじょう決戦けっせん 1943, pp. 6, 46.
  11. ^ 昭和しょうわ17.10.1~昭和しょうわ18.1.31 太平洋戦争たいへいようせんそう経過けいか概要がいようその4(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)17ねん10がつ15にち~17ねん10がつ31にち p.8 」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C16120634100 
  12. ^ Aruzenchin Jihō, 1943.08.28”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023ねん8がつ23にち閲覧えつらん p.1 〔 前線ぜんせんより歸還きかん提督ていとくれんたまもの謁 偉勲いくん潜水せんすい艦長かんちょう拝謁はいえつたまわる【東京とうきょう廿にじゅうろくにち】〕
  13. ^ Kashū Mainichi Shinbun, 1937.04.03”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023ねん8がつ23にち閲覧えつらん p.1〔 ひもそだてかん参列さんれつ
  14. ^ 日本にっぽん戦争せんそう宣言せんげん 1942, pp. 25–26原本げんぽん27-28ぺーじ
  15. ^ Hawaii Times, 1946.07.25”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023ねん8がつ23にち閲覧えつらん p.8〔 母艦ぼかんごうほかよんせき原爆げんばく實驗じっけん沈没ちんぼつ 長門ながとおよびさんせき破損はそん
  16. ^ Hawaii Times, 1947.03.15”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023ねん8がつ23にち閲覧えつらん p.7
  17. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Hawaii Times, 1948.06.09、p.6、2023ねん8がつ24にち閲覧えつらん ろう戰艦せんかんひもいく”と“ネバダごう” ちかぬの近海きんかい撃沈げきちん 海軍かいぐんの"立体りったい"鐡火の標的ひょうてきとして 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • ジョン・ジョーダン『戦艦せんかん AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS石橋いしばし孝夫たかお やく 、株式会社かぶしきがいしゃホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988ねん11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき
    • 『「国際こくさい地中海ちちゅうかい情勢じょうせい 目下めしたジブラルタルニハテキサスがたべいかんいちせきシカきょナイト」、じょう00059100(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)、各種かくしゅ情報じょうほう資料しりょう米国べいこくない放送ほうそう傍受ぼうじゅ情報じょうほう(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)』。Ref.A03025195700。 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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