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Uボート

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Uボートドイツ: U-Boot英語えいご: U-boat)は、ドイツ海軍かいぐん保有ほゆうする潜水せんすいかん総称そうしょう一般いっぱんてきにはとくだいいち世界せかい大戦たいせんからだい世界せかい大戦たいせん時期じきのものをいう。

ドイツ潜水せんすい艦隊かんたい華々はなばなしい活躍かつやくにより、Uボートのはドイツ潜水せんすいかん代名詞だいめいしとしてひろ普及ふきゅうした。だいいち大戦たいせんではやく300せき建造けんぞうされ、商船しょうせんやく5,300せき戦艦せんかん10せきほかを撃沈げきちんする戦果せんかげたが、178せき戦闘せんとううしなわれた。

だい大戦たいせんでは1,131せき建造けんぞうされ、終戦しゅうせんまでに商船しょうせんやく3,000せき空母くうぼ2せき戦艦せんかん2せき撃沈げきちんする戦果せんかをあげた。しかし、大戦たいせんちゅう連合れんごうこく有効ゆうこう対策たいさくしたことから849せきもの損失そんしつし、ちょんドイツぐんほかのあらゆる部隊ぶたいよりもたか死亡しぼうりつであった[1]

U9(1914ねん

概要がいよう[編集へんしゅう]

ドイツの「U-Boot(ウーボート)」は「Unterseeboot(ウンターゼーボート、みずした舟艇しゅうてい)」の略語りゃくごであり、時代じだい国籍こくせきわずすべての潜水せんすいかん意味いみする。英語えいごU-boat(ユーボート)とった場合ばあいもっぱだいいち大戦たいせんだい大戦たいせん時期じきのドイツの潜水せんすいかん意味いみする言葉ことばとして使つかわれる[2]。Uとあるがアルファベットの形状けいじょうているという意味いみではない。

潜水せんすいかん用兵ようへいには、さまざまなものがあるが、だいいちだいりょう世界せかい大戦たいせんにおけるドイツ海軍かいぐんのUボートは、とも通商つうしょう破壊はかいおも目的もくてきとして使用しようされた。ドイツ海軍かいぐん強力きょうりょく水上すいじょうかん戦力せんりょくをもたないため、制海権せいかいけんえず英国えいこくがわにあった。そのため、通商つうしょう破壊はかい水上すいじょうかんではおこなえず、てき強力きょうりょく水上すいじょう艦隊かんたい勢力せいりょくでも作戦さくせん行動こうどう可能かのう潜水せんすいかんが、このにん最適さいてきだとかんがえたのである。

結果けっかとして海軍かいぐん戦力せんりょく脆弱ぜいじゃくドイツ海軍かいぐんにおける主戦しゅせんりょくとなったが、最大さいだい攻撃こうげき手段しゅだんである魚雷ぎょらい発火はっか不良ふりょう相次あいつぎ、潜水せんすい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんであるカール・デーニッツにより「戦場せんじょう使用しようできない武器ぶき配備はいびしたのはぐん歴史れきしじょうたことがい」とかたられるなど、技術ぎじゅつめんにおいておおくの欠陥けっかんかかえたまま運用うんようされた[3]

だい世界せかい大戦たいせんにおいては、連合れんごうこくがわ様々さまざまたい潜水せんすいかん戦略せんりゃくおよび戦術せんじゅつ展開てんかいし、最終さいしゅうてき旧型きゅうがたUボートは劣勢れっせいまれていった。「たいUボートせん末期まっき(と初期しょき)では立場たちばぎゃくになった。られるのは商船しょうせんではなくUボートになったのである」(チャーチル世界せかい危機きき)は、りょう大戦たいせんのUボートせん端的たんてきあらわしている。

また、Uボートの正確せいかく位置いち上層じょうそうらず、乗組のりくみいんたちにしかからなかったため、定時ていじ連絡れんらくくなってようやく「どうやらしずんだらしい」程度ていどことしかからなかった[1]

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

潜水せんすいかんのメリット
当時とうじ潜水せんすいかんは、てき発見はっけんされにくく、大型おおがたせん撃沈げきちんできる魚雷ぎょらいをもち、建造けんぞう大型おおがたかんくらべれば安価あんかである」などのメリットがあった。これは列強れっきょう大国たいこくたいして、小国しょうこくゲリラ戦術せんじゅつのための兵器へいきといえる。
その反面はんめんで、速度そくどひくく、かいてき機会きかいすくなく、せってきできても強力きょうりょく護衛ごえいのつく水上すいじょうかんとの戦闘せんとうでは不利ふり評価ひょうかされていた。
警告けいこく攻撃こうげき
潜水せんすいかん隠密おんみつせい最大限さいだいげん活用かつようするため、Uボートせんでは、商船しょうせんたいしても警告けいこく攻撃こうげきという戦法せんぽうがとられた。おも標的ひょうてきとなったのは、りょう大戦たいせんつうじて、敵国てきこくイギリスなどと、植民しょくみんとを往来おうらいする商船しょうせんであった。だいいち世界せかい大戦たいせんアメリカ参戦さんせんしたのち標的ひょうてきにアメリカからヨーロッパへの物資ぶっし兵員へいいんんだ商船しょうせん追加ついかされ、だい世界せかい大戦たいせんにおいては援ソ船団せんだんくわわった。
隠密おんみつ輸送ゆそう
通商つうしょう破壊はかい以外いがい用途ようととしては、図面ずめんなどの技術ぎじゅつ情報じょうほう機械きかいなどの物資ぶっし隠密おんみつ輸送ゆそうなどに使用しようされたりもした。
だい世界せかい大戦たいせん激化げきかすると、同盟どうめいこく大日本帝国だいにっぽんていこく兵器へいき製造せいぞう必要ひつようとしたドイツせい工作こうさく機械きかいが、シベリア鉄道てつどうによる輸送ゆそう困難こんなんになったために、改造かいぞうされたUボートに搭載とうさいして輸送ゆそうする運用うんようもなされた。高周波こうしゅうはレーダーの製造せいぞう必要ひつようなプラスチックの射出しゃしゅつ成形せいけいおこなためにフランツ ブラウンしゃせい横型よこがた射出しゃしゅつ成形せいけい イゾマがUボートにより横浜よこはまこう陸揚りくあげされたという記録きろくがある。また、ディーゼルエンジンの噴射ふんしゃノズル部品ぶひん加工かこうでインデックスしゃせい旋盤せんばん輸送ゆそうされたり、こう精度せいど部品ぶひん研削けんさく加工かこう必要ひつようなユングしゃせい平面へいめん研削けんさくばん輸送ゆそうされ、日本にっぽんおよび太平洋たいへいよう地域ちいきからは合金ごうきん金属きんぞくがドイツに輸送ゆそうされた。

戦役せんえき[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせん1914ねん - 1918ねん)において開戦かいせん時期じきのUボートの評価ひょうかはそれほどたかいものではなく、あくまでも補助ほじょ艦艇かんていという位置いちづけであった。その評価ひょうか一変いっぺんさせたのは、開戦かいせんから3かげつの1914ねん9がつ22にちオットー・ヴェディゲン大尉たいい指揮しきするU9が、イギリス海軍かいぐん装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんクレッシーきゅうアブーキア」、「クレッシー」、「ホーグ」の3せきつづけに撃沈げきちんしてからであった。この戦果せんか各国かっこく海軍かいぐん驚愕きょうがくし、とりわけイギリスがけた衝撃しょうげき多大ただいなものであった。ガリポリのたたかではオットー・ヘルジンク大尉たいい指揮しきするU21がイギリス海軍かいぐん戦艦せんかんトライアンフ」と「マジェスティック」を撃沈げきちんしており、Uボートの勇名ゆうめい世界せかいにとどろいた。

これらの戦果せんか自信じしんけたドイツ海軍かいぐんは、1915ねん2がつにイギリス周辺しゅうへん海域かいいき交戦こうせん海域かいいき指定していし、イギリスにかう商船しょうせんたいする制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん開始かいしする。その3かげつ1915ねん5月、ドイツのU20が戦時せんじ禁制きんせいひん火薬かやくるい運送うんそうちゅう英国えいこく船籍せんせき豪華ごうか客船きゃくせんルシタニアごう警告けいこく撃沈げきちんし、1,198にん犠牲ぎせいしゃす。このなかに123にんのアメリカ市民しみんふくまれており、著名ちょめい舞台ぶたい演出えんしゅつであるヴァンダービルト1人ひとり犠牲ぎせいとなった。

この出来事できごとは、イギリスがわ外交がいこう戦術せんじゅつ最大限さいだいげん利用りようされ、アメリカ世論せろんはんドイツへとうごかし、連合れんごうこくがわって戦争せんそう参戦さんせんする重要じゅうよう要因よういんとなってしまう。そのため、ドイツは1915ねん8がつ商船しょうせんへの警告けいこく攻撃こうげき禁止きんしする布告ふこくし、Uボートが活躍かつやくする大幅おおはば制限せいげんされる。この布告ふこくめぐってはドイツ首脳しゅのうじんあいだにあつれきがしょうじ、海軍かいぐん大臣だいじんティルピッツ辞任じにんするさわぎにまで発展はってんする。

最終さいしゅうてきにUボートによる制限せいげん潜水せんすいかんせんは1917ねん1がつみとめられ、このとしの2がつから3がつにかけて500せきちか商船しょうせんがイギリス周辺しゅうへん地中海ちちゅうかい撃沈げきちんされた。しかし、同年どうねんにアメリカが連合れんごうこくがわって参戦さんせんし、さらにイギリス首相しゅしょうデビッド・ロイド・ジョージ強力きょうりょく推進すいしんした護送ごそう船団せんだん方式ほうしきたいせんせん技術ぎじゅつ向上こうじょうでUボートの戦果せんか急速きゅうそく低下ていかしていく。

だが、イギリスがこうむった損害そんがい甚大じんだいで、戦後せんごヴェルサイユ条約じょうやくでドイツは潜水せんすいかん保有ほゆう禁止きんしされた。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん1939ねん - 1945ねん)においては、終戦しゅうせんいたるまでUボートは大西洋たいせいようたたかなど、はからずもドイツ海軍かいぐん主力しゅりょく兵器へいきでありつづけ、戦後せんごイギリス首相しゅしょうウィンストン・チャーチルに「わたし本当ほんとうこわれたのは、Uボートの脅威きょういだけである」とわせるはたらきをみせた。

ドイツがポーランド侵攻しんこうし(1939ねん9がつ1にち)、それにたいしてえいふつがドイツに宣戦せんせん布告ふこくした1939ねん9がつ3にち時点じてんで、ドイツ潜水せんすい艦隊かんたい司令しれいかんカール・デーニッツは57せきのUボートをようしていた(大西洋たいせいよう派遣はけんできたのは26せき)。デーニッツは1939ねん9がつ28にちヒトラーに「Uボートは英国えいこく屈服くっぷくさせられます。しかしそれには300せき(100せき哨戒しょうかい、100せき戦場せんじょうへの往復おうふく、100せき整備せいび)が必要ひつようです。しかも早急そうきゅうに」といたが、もともと海軍かいぐん疎遠そえんだったヒトラーは「ゲーリングえい艦隊かんたいまわすであろう」と空軍くうぐんへの信頼しんらいかたり、イギリスがわそなえる時間じかんあたえてしまった(この300せき体制たいせいは、ついに実現じつげんしなかった)。

Uボートの建造けんぞう開戦かいせんもしばらくはすすまなかったが、フランス占領せんりょうこうトート設営せつえいしょうによりフランス資源しげん人員じんいん使つかった迅速じんそくブンカー設置せっちがなされ、英国えいこく近海きんかいとおらずに大西洋たいせいよう出撃しゅつげきすることができた。ブロック方式ほうしき大量たいりょう潜水せんすいかん建造けんぞうされ、VIIがたのみにかぎっても最終さいしゅうてきに1,162せき就役しゅうえきした。緒戦しょせんでは一部いちぶのUボート部隊ぶたい大西洋たいせいよう通商つうしょう破壊はかいせん投入とうにゅうされ、イギリスへの商船しょうせんたいおおきな被害ひがいあたえた。その、アメリカ本土ほんどスパイおくんだり、機雷きらい封鎖ふうさ作戦さくせんにも投入とうにゅうされた。

作戦さくせん投入とうにゅうされたUボートには様々さまざま種類しゅるいがあり、初期しょきの「丸木舟まるきぶね」とばれた沿岸えんがんようIIがたから大西洋たいせいよう中心ちゅうしんかく方面ほうめん活躍かつやくしたVIIがた大西洋たいせいよう横断おうだんできるIXがた日本にっぽん海軍かいぐんりょごう潜水せんすいかん程度ていど)、補給ほきゅうようの「乳牛にゅうぎゅう」とばれる大西洋たいせいようでの潜水艦せんすいかん補給ほきゅうようXIVがたUボート、ヴァルター・ボートの外形がいけいだけをれた、水中すいちゅうでの行動こうどう有利ゆうりかんがたXXIがた沿岸えんがん作戦さくせんようXXIIIがたなどがあった。

撃沈げきちんされた輸送ゆそうせんとUボート by Willy Stöwer(1917ねん
開戦かいせん初期しょき撃沈げきちんした独航船どっこうせん浮上ふじょう観察かんさつする余裕よゆうがあった。だい大戦たいせん後期こうきでは潜望鏡せんぼうきょうでの長時間ちょうじかん観察かんさつさえも撃沈げきちんされる原因げんいんとなった。

一部いちぶのUボートは、日本にっぽんぐん占領せんりょうマレまれ半島はんとうペナンなどを基地きちとしてインド洋いんどようえい連邦れんぽう諸国しょこく商船しょうせんたいして通商つうしょう破壊はかいせんおこなっていた。ヒトラーは、どう通商つうしょう破壊はかいせん強化きょうかするために同盟どうめいこく日本にっぽん協力きょうりょくびかけ、日本にっぽんがUボートを手本てほんとして同様どうよう潜水せんすいかん量産りょうさんすることを期待きたいして日本にっぽんへ2せきのIXがたUボートを贈与ぞうよした。1せき日本にっぽん入港にゅうこうしてりょごうだい〇〇潜水せんすいかんとして連合れんごう艦隊かんたい編入へんにゅうされたが、小型こがた用兵ようへいじょう不足ふそくがあると判断はんだんされたうえに、日本にっぽん工業こうぎょう技術ぎじゅつでは1せき製作せいさく不能ふのうとされた。また、日本にっぽんごう潜水せんすいかんを5わたるってドイツに派遣はけん、ドイツの必要ひつようとする工業こうぎょう原材料げんざいりょう技術ぎじゅつ交換こうかんした(どく潜水せんすいかん作戦さくせん)。参加さんかした5せきうち無事ぶじ日本にっぽん - ドイツあいだ完全かんぜん往復おうふくできたのはごうだいはち潜水せんすいかん1せきのみだった。

大日本帝国だいにっぽんていこくによる接収せっしゅう
日本にっぽん占領せんりょうにあったペナン拠点きょてん日本にっぽんぐん支援しえんけて活動かつどうしていたものの、1945ねん5月のドイツの敗戦はいせん乗務じょうむいん同意どういけて大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん接収せっしゅうされたかんもある。

開戦かいせん以来いらいたいせん戦闘せんとう不慣ふなれな英国えいこくは、抑留よくりゅうしゃ捕虜ほりょをカナダへ移送いそうしようとしていたアランドラ・スターごう沈没ちんぼつさせられるなど膨大ぼうだい損害そんがいこうむったが、1942ねんはいると、連合れんごうぐんはUボートにたいして

などあらゆる対策たいさく実行じっこうした。これらが進展しんてんするにしたがって、大西洋たいせいようたたかいはUボート部隊ぶたい不利ふりとなっていった。ドイツはとりわけ電子でんしせんにおいておくれをとっていた。ドイツがわはレーダー電波でんぱぎゃく探知たんちする警戒けいかい装置そうち(メトックス)を開発かいはつ連合れんごうぐんたいせん哨戒しょうかい探知たんち回避かいひすることができるようになったため、1942ねんなつ一時いちじてき優位ゆういったが[5]よく43ねんはるには連合れんごうぐんがメトックスでは探知たんちできない波長はちょう使用しようするレーダーを実用じつようしたためその優位ゆういうしなわれた[6]。またドイツがわ連合れんごうぐん新型しんがたレーダーを投入とうにゅうしたことを見逃みのがし、ぎゃく警戒けいかい装置そうちかられる電波でんぱ連合れんごうぐん探知たんちしていると誤解ごかいしていたため、対抗たいこう手段しゅだん開発かいはつはさらに後手ごてにまわることになってしまった[7]

対空たいくうへいそう強化きょうかするなどのさくもとられたが、対空たいくう戦闘せんとうでのすこしの損害そんがいでも潜航せんこう不能ふのうになり、最終さいしゅうてき撃沈げきちんされるれい相次あいついだ。このためシュノーケル装備そうびなどで対抗たいこうした。これらの対策たいさくほどこした潜水せんすいかん大量たいりょう投入とうにゅうで、一時いちじてき戦果せんか低下ていかふせぐことができたが、護衛ごえい空母くうぼによる哨戒しょうかい開始かいしされるとUボートの損害そんがいふたた増加ぞうかした。航空機こうくうき襲撃しゅうげきされては急速きゅうそく潜航せんこうなどは無意味むいみで、たとえったとしても、航空機こうくうきからはなたれる爆雷ばくらいかホーミング魚雷ぎょらい粉砕ふんさいされた[8]充電じゅうでんのために浮上ふじょう航行こうこうしていればレーダーか航空機こうくうきとらえられ、潜航せんこうしていればソナーるいとらえられた。夜間やかん浮上ふじょうしている場合ばあいは、はるか遠方えんぽうからレーダーにとらえられ、レーダー搭載とうさいしのられて、づいたときにはリー・ライト[9]照射しょうしゃされて撃沈げきちんされた。1944ねんになると在来ざいらいがたのVIIがた、IXがたなどは事実じじつじょう無力むりょくし、大戦たいせん初期しょきよう戦果せんかのぞめなくなった。しかし、大西洋たいせいようからUボートを撤退てったいさせることにより、Uボートにけられる連合れんごうぐん資源しげん都市としばくげき陸軍りくぐん戦術せんじゅつ支援しえんまわることが予想よそうされたため、連合れんごうぐんうみ釘付くぎづけにするためにUボートの出撃しゅつげきつづけられた。

最終さいしゅうてき結果けっかとして、大戦たいせん全期ぜんきつうじたUボートとその乗組のりくみいん損失そんしつは、849せきやく3まんにんのぼった。一方いっぽう連合れんごうぐんはそのすうばいのぼ損害そんがいけたが、ついにUボートによる通商つうしょう破壊はかい連合れんごうこくがわ屈服くっぷくさせることは出来できなかった。

Uボートせんについて、デーニッツは、「1938ねんからだいUボート艦隊かんたいもちいて戦争せんそうはいっていればたたかいの推移すいい決定的けっていてき影響えいきょうおよぼせた(勝利しょうりできた)であろう。もし2ばいのUボートを生産せいさんしていてもおおきな影響えいきょうあたえられた。しかし、だい大戦たいせんでは軍備ぐんび不十分ふじゅうぶんのままたいえいせん突入とつにゅうした」と戦後せんご総括そうかつしているが、そもそもドイツの生産せいさんりょくでは、それだけの艦隊かんたい建造けんぞうすることはできなかった[10]

大戦たいせんちゅうにドイツがつちかった革新かくしんてき潜水せんすいかん技術ぎじゅつ戦後せんご連合れんごうこくがわ吸収きゅうしゅうされ、世界せかい潜水艦せんすいかん開発かいはつおおきな影響えいきょうおよぼした。

戦後せんごのUボート[編集へんしゅう]

だい大戦たいせん東西とうざい分裂ぶんれつしたドイツは東西とうざい冷戦れいせん最前線さいぜんせんとなった。西にしドイツ主権しゅけん回復かいふくとも潜水艦せんすいかんふくさい軍備ぐんびみとめられたが、戦勝せんしょうこくのUボートへのトラウマ東西とうざいわずおおきく、1954ねん西にしドイツと戦勝せんしょうこくとのあいだむすばれた軍備ぐんび制限せいげん議定ぎていしょにより、Uボートは大戦たいせんちゅうよりも大幅おおはば小型こがたされたものしか保有ほゆうゆるされなかった。ひがしドイツ海軍かいぐん潜水艦せんすいかん保有ほゆうしなかった。

こうして1960年代ねんだい配備はいびされた201がた潜水せんすいかん以降いこう西にしドイツ海軍かいぐん潜水せんすいかん排水はいすいりょう500t前後ぜんご小型こがたになったが、ドイツにちかバルト海ばるとかい北海ほっかいでは有力ゆうりょく潜水せんすいかん戦力せんりょくだった。性能せいのうすぐれていたため、ナチス・ドイツによる被害ひがいけたくにふくめていが相次あいつぎ、現在げんざいいたるまで世界せかい各国かっこく輸出ゆしゅつされている。

1970年代ねんだいからは輸出ゆしゅつ専用せんよう中型ちゅうがたした209がた潜水せんすいかん水中すいちゅう排水はいすいりょう1810t)が各国かっこく就役しゅうえきした。1990年代ねんだいなかばに制限せいげん解除かいじょされると、統一とういつドイツ海軍かいぐんけにも水中すいちゅう排水はいすいりょう1830tの中型ちゅうがた潜水せんすいかん212Aがた潜水せんすいかん)の建造けんぞう開始かいしされた。

損耗そんこうりつ[編集へんしゅう]

大戦たいせんにおいておおきな戦果せんかのこし、世界中せかいじゅう商船しょうせんおそれられたUボートであるが、ソナーなどが普及ふきゅうするにつれて撃沈げきちんされることがおおくなり、だい大戦たいせんつうじてUボート乗組のりくみいん死傷ししょうりつは63%という数字すうじだった。捕虜ほりょふくめると73%になり、時期じき場所ばしょにもよるが、トータルでは生存せいぞんしゃは3わり程度ていどしかいなかったことになる。

だい大戦たいせん最後さいごの5かげつ連合れんごうこく商船しょうせん損耗そんこう世界中せかいじゅうで46せきで、しかもこの46せき船団せんだんまずに単独たんどく航行こうこうしていたふねだった。だが、Uボートは151せき撃沈げきちんされた[11]

種類しゅるい[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

以下いか型式けいしき番号ばんごうなし

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

現存げんそんかん[編集へんしゅう]

現存げんそんする沈没ちんぼつかん[編集へんしゅう]

U-19、U-20、U-23[編集へんしゅう]

2008ねん、"Adolf Hitler's lost fleet"(アドルフ・ヒトラーうしなわれた艦隊かんたい)とばれる黒海こっかい活躍かつやくしたUボート3せき発見はっけんされたとのニュースがイギリスデイリー・テレグラフほうじられた[17]

発見はっけんされたかんはU-19、U-20、U-23の3せきで、トルコ海洋かいよう技師ぎしSelçuk Kolayがドイツ海軍かいぐんふる記録きろく当時とうじ生存せいぞんしゃからの聴取ちょうしゅ沈没ちんぼつ地点ちてんし、ソナー調査ちょうさ発見はっけんした。しずんでいた3せきのうちU-23はかつてUボートのエースであったオットー・クレッチマー指揮しきしていたかんで、この3せきほか合計ごうけい6せき黒海こっかい活躍かつやくし、2年間ねんかん作戦さくせん行動こうどうちゅう艦船かんせんすうは50せきそうトンすう4まん6500トンをしずめたが作戦さくせんちゅう逆襲ぎゃくしゅう発見はっけんされたU-19、U-20、U-23以外いがいの3せきしずめられた。1944ねん8がつルーマニア連合れんごうこくがわ一員いちいんとしてドイツに宣戦せんせん布告ふこくしたため黒海こっかいからられなくなり、のこった上記じょうき3せき廃棄はいき処分しょぶんとなりおな場所ばしょ自沈じちんした[17][18]

U-511[編集へんしゅう]

2018ねん6がつ25にち若狭湾わかさわん発見はっけんされた。戦後せんごにアメリカ海軍かいぐんによってうみぼつ処分しょぶんされた唯一ゆいいつのUボートである。

U-864[編集へんしゅう]

U-864は1944ねん12月[19]、ドイツのキール軍港ぐんこうよりジェットエンジンなどの機密きみつ情報じょうほうふく軍事ぐんじ物資ぶっしなどをんで日本にっぽんかうも[19]機関きかん故障こしょうによりかえ途中とちゅうでイギリス海軍かいぐん潜水せんすいかんヴェンチャラー攻撃こうげきけて撃沈げきちんされ[19]、2003ねんにノルウェー南西なんせいベルゲンおきでノルウェー海軍かいぐんによって発見はっけんされた[19]船内せんないには日本人にっぽんじん科学かがくしゃふくむ73めい遺体いたいとも大量たいりょう水銀すいぎんまれているのが確認かくにんされ、北海ほっかい広範囲こうはんい汚染おせんされるおそれがある[19]船体せんたいげや石棺せっかんによるふうめが検討けんとうされていたが、費用ひようなどの問題もんだいから目途もくとっていない。また2013ねんには同艦どうかんから2kmはなれた地点ちてんでU-486が沈没ちんぼつしているのが石油せきゆパイプラインの調査ちょうさちゅう発見はっけんされている。

なお、撃沈げきちんされたさい発生はっせいしたドイツ・イギリス潜水せんすいかん同士どうしたたかいは、潜航せんこうした潜水艦せんすいかん同士どうしたたかいで相手あいて撃沈げきちんによって勝敗しょうはいけっした史上しじょう唯一ゆいいつれいとされている[19]

Uボートを題材だいざいにした作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 「ナチス潜水せんすいかんU745のなぞ」ナショナルジオグラフィックチャンネル
  2. ^ タイムズ1914ねん4がつ25にちごうでUボートの呼称こしょう確認かくにんでき、だいいち大戦たいせんはや段階だんかい認知にんちされていたことがわかる。
  3. ^ Bekker, quoted p.132
  4. ^ だい世界せかい大戦たいせんかげ主役しゅやく」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 85
  5. ^ Roskill, War at Sea, Vol. 2. p. 205
  6. ^ Roskill, War at Sea, Vol. 3, Part 1. pp. 28-29
  7. ^ Roskill, War at Sea, Vol. 3, Part 1. pp. 32-33およびPrice, Aircraft Versus Submarine in Two World Wars, pp. 160-162
  8. ^ だい世界せかい大戦たいせんかげ主役しゅやく」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 95
  9. ^ だい世界せかい大戦たいせんかげ主役しゅやく」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 87
  10. ^ だい世界せかい大戦たいせんかげ主役しゅやく」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 41
  11. ^ だい世界せかい大戦たいせんかげ主役しゅやく」 (“Engineers of Victory”) Paul Kennedy p. 97
  12. ^ Uボート入門にゅうもん, p. 6
  13. ^ Uボート総覧そうらん, p. 175
  14. ^ Uボート総覧そうらん, p. 176
  15. ^ The Type IXC/40 boat U-534 - German U-boats of WWII - uboat.net
  16. ^ Uボート総覧そうらん, p. 183
  17. ^ a b Adolf Hitler's 'lost fleet' found in Black Sea英語えいご - デイリー・テレグラフ最終さいしゅう更新こうしん2008ねん8がつ28にち
  18. ^ 「ヒトラーのうしなわれた艦隊かんたい」とばれるUボート3せき黒海こっかい海底かいてい発見はっけんされる - GIGAZINE, 2008ねん02がつ05にち 1417ふん00びょう
  19. ^ a b c d e f 日本にっぽん目指めざしたUボート~U-864 歴史れきしのこ海戦かいせん”. NHK (2011ねん8がつ13にち). 2016ねん1がつ24にち閲覧えつらん

文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 総論そうろん
    • Wolfgang Frank、Non-fictions『Uボート作戦さくせん実松さねまつゆずるわけ)、図書としょ出版しゅっぱんしゃ、1970ねん
    • レオンス・ペイヤール、Non-fictions『大西洋たいせいよう戦争せんそうぜん2かん)』長塚ながつか隆二りゅうじわけ)、早川書房はやかわしょぼう、1981ねん
    • レオンス・ペイヤール、Non-fictions『潜水艦せんすいかん戦争せんそう1939-1945』長塚ながつか隆二りゅうじわけ)、早川書房はやかわしょぼう、1983ねん
    • カール・デーニッツ回顧かいころく『10ねんと20日間にちかん デーニッツ回顧かいころく山中やまなかしずさんわけ)、光和こうわどう、1986ねんISBN 4-87538-073-9
    • Robert C. Stern『UボートVIIがた ドイツ潜水せんすいかんテクノロジーの全貌ぜんぼうひさ茂明しげあきやく、1995ねんISBN 4-499-22656-2
    • エドウィン・グレイ英語えいごばん、Non-fictions『潜水せんすいかん死闘しとう かれらは海面かいめんたたかった秋山あきやま信雄のぶおわけ)、光人みつひとしゃ、1997ねんISBN 4-7698-0830-5
    • 学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ編集へんしゅう (Pictorials)『大西洋たいせいよう戦争せんそう』、学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1998ねんISBN 4-05-601784-0
    • デヴィッド・ミラー『Uボート総覧そうらんる「深淵しんえん刺客しかくたち」発達はったつ』、だい日本にっぽん絵画かいが、2001ねんISBN 4499227526
    • 広田ひろた厚志あつし『Uボート入門にゅうもん―ドイツ潜水せんすいかん徹底てってい研究けんきゅう』、光人みつひとしゃ、2003ねんISBN 4769823835
    • ゴードン・ウィリアムソン『ドイツ海軍かいぐんのUボート1939‐1945(オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界せかい軍艦ぐんかんイラストレイテッド)』、だい日本にっぽん絵画かいが、2006ねんISBN 4499229154
  • Uボート視点してん
    • エドウィン・グレイ英語えいごばん小説しょうせつ『Uボート西にしへ』種子島たねがしま洋二ようじわけ)、白金はっきん書房しょぼう、1975ねん
    • Heinz Schäffer、Non-fictions『U-ボート 977』横川よこかわ文雄ふみおわけ)、朝日あさひソノラマ、1984ねんISBN 4-257-17038-7
    • アレクサンドル・コルガノフ、Non-fictions『Uボート、出撃しゅつげきせよ』内藤ないとう一郎いちろうわけ)、早川書房はやかわしょぼう、1993ねんISBN 4-15-050098-3
    • ペーター・クレーマー英語えいごばん回想かいそうろく『Uボート・コマンダー 潜水艦せんすいかんせんいたおとこ井坂いさかきよしわけ)、早川書房はやかわしょぼう、1995ねんISBN 4-15-050181-5
    • ロータル=ギュンター・ブーフハイム『Uボート(ぜん2かん)』松谷まつや健二けんじわけ)、早川書房はやかわしょぼう、2000ねんISBN 4-15-040616-2
    • ギュンター・プリーン『スカパ・フローへのみち ギュンター・プリーン回想かいそうろく濱野はまのおさむわけ)、中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2001ねんISBN 4-12-003174-8
    • Jordan Vause、Non-fictions『Uボート・エース The Story of Wolfgang Lüth雨倉あめくら孝之たかゆきわけ)、朝日あさひソノラマ、1997ねんISBN 4-257-17317-3
    • ヘルベルト・A・ヴェルナー、回想かいそうろくてつかん Uボート死闘しとう記録きろく鈴木すずき主税ちからわけ)、中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2001ねんISBN 4-12-003108-X C0098
    • エーリッヒ・ギンペル『Uボートでたスパイ あるナチス・ドイツ諜報ちょうほういん回想かいそう』、扶桑社ふそうしゃ、2006ねんISBN 4-594-05121-9
    • Bekker, quoted p.132
  • 連合れんごうぐん視点してん
    • D.A.Rayner、小説しょうせつ眼下がんかてき鎌田かまた三平さんぺいわけ)、西武せいぶタイム、1985ねんISBN 4-8275-1233-7
    • Kenneth Poolman、Non-fictions『シーハンター』矢嶋やじまゆかり哉(わけ)、朝日あさひソノラマ、1986ねんISBN 4-257-17071-9
    • Geoffrey Jones、Non-fictions『おおかみぐん作戦さくせん黄昏たそがれ土屋つちや哲朗てつろう光藤みつふじわたるわけ)、朝日あさひソノラマ、1990ねんISBN 4-257-17222-3
    • Stephen Roskill War at Sea Vol.2 Period in Balance, Naval & Military Press, 2004, ISBN 1-84342-804-0
    • Stephen Roskill War at Sea Vol.3 Offensive, Part1, Naval & Military Press, 2004, ISBN 1-84342-806-7
    • Alfred Price Aircraft Versus Submarine in Two World Wars Pen & Sword, 2004, ISBN 1-84415-091-7
  • 軍服ぐんぷく

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]