M1ガーランド (英語 えいご : M1 Garand )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のスプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう が開発 かいはつ した半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう である。アメリカ軍 ぐん での制式 せいしき 名称 めいしょう は当初 とうしょ United States Rifle, Caliber .30, M1 とされていたが、後 のち にRifle, Caliber .30, M1 と改 あらた められ、 US Rifle, Cal. .30, M1 という略記 りゃっき も用 もち いられた。
1936年 ねん にボルトアクション のM1903小銃 しょうじゅう に替 か わって採用 さいよう され、1957年 ねん にM14小銃 しょうじゅう が採用 さいよう されるまで、米 べい 軍 ぐん の主力 しゅりょく 小銃 しょうじゅう であった。
M1ガーランドを指 さ して、ジョージ・パットン 将軍 しょうぐん は「これまで考案 こうあん された物 もの の中 なか では最 もっと も偉大 いだい な武具 ぶぐ 」(the greatest battle implement ever devised)、ダグラス・マッカーサー 将軍 しょうぐん は「我 わ が軍 ぐん に対 たい する最 もっと も偉大 いだい な貢献 こうけん の1つ」(one of the greatest contributions to our armed forces)などと賞賛 しょうさん したと伝 つた えられている[1] 。
主力 しゅりょく 小銃 しょうじゅう として一線 いっせん を退 しりぞ いた後 のち も、いくつかの国 くに では儀仗 ぎじょう 銃 じゅう などとして利用 りよう し続 つづ けた。
なお、同 おな じ.30口径 こうけい で同 おな じM1という形式 けいしき 名 めい を持 も つ「M1カービン 」が存在 そんざい するが、使用 しよう 弾薬 だんやく 、設計 せっけい 者 しゃ 、運用 うんよう 方法 ほうほう などは異 こと なった別種 べっしゅ の銃 じゅう である。
陸軍 りくぐん の将官 しょうかん にM1ガーランドの解説 かいせつ を行 おこな うジョン・ガーランド (左 ひだり )
最初 さいしょ にアメリカ陸軍 りくぐん 武器 ぶき 省 しょう が自動 じどう 小銃 しょうじゅう の開発 かいはつ に着手 ちゃくしゅ し、スプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう に設計 せっけい 要件 ようけん の策定 さくてい を命 めい じたのは1909年 ねん のことである。続 つづ く数 すう 年間 ねんかん で多 おお くの自動 じどう 小銃 しょうじゅう が試作 しさく され、M1903小銃 しょうじゅう に自動 じどう 装填 そうてん 機構 きこう を組 く み込 こ んだものも複数 ふくすう あった。ほとんどは注目 ちゅうもく に値 あたい しないものと見 み なされたが、デンマーク出身 しゅっしん のR・M・H・バン技師 ぎし (R.M.H. Bang)の設計 せっけい 案 あん は高 たか く評価 ひょうか された。彼 かれ の名 な を取 と ってバン小銃 しょうじゅう (Bang rifle)と呼 よ ばれた試作 しさく 自動 じどう 小銃 しょうじゅう は、1912年 ねん に武器 ぶき 科 か での性能 せいのう 試験 しけん が行 おこな われている。バン小銃 しょうじゅう はガス圧 あつ 作動 さどう 方式 ほうしき ・回転 かいてん ボルト方式 ほうしき の自動 じどう 小銃 しょうじゅう で、試験 しけん 自体 じたい は成功 せいこう したものの、性能 せいのう 上 じょう の不安 ふあん と過剰 かじょう なコストが問題 もんだい 点 てん として指摘 してき されていた。以後 いご 、1914年 ねん 末 まつ 頃 ごろ まではバン小銃 しょうじゅう の改良 かいりょう が進 すす められた。
1914年 ねん から1918年 ねん までの第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、フルオート射撃 しゃげき を行 おこな える自動 じどう 火器 かき のボルトアクション小銃 しょうじゅう に対 たい する優位 ゆうい 性 せい が明確 めいかく に示 しめ された。この戦 せん 訓 くん のもと、各国 かっこく ともフルオート射撃 しゃげき 能力 のうりょく を有 ゆう する重 じゅう 機関 きかん 銃 じゅう や自動 じどう 小銃 しょうじゅう (現代 げんだい の軽 けい 機関 きかん 銃 じゅう に相当 そうとう )の配備 はいび を進 すす めたが、一方 いっぽう で半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう にはあまり関心 かんしん が払 はら われていなかった。半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう 自体 じたい は戦前 せんぜん から主 おも に民生 みんせい 用 よう 市場 いちば で普及 ふきゅう していたものの、.30-06弾 だん などの軍用 ぐんよう 小銃 しょうじゅう 弾 だん は非常 ひじょう に強力 きょうりょく なため、安定 あんてい して射撃 しゃげき することが難 むずか しいと考 かんが えられていた。しかし、歩兵 ほへい 用 よう 小銃 しょうじゅう としての有用 ゆうよう 性 せい を認 みと めていたアメリカ陸軍 りくぐん 武器 ぶき 省 しょう では、大戦 たいせん 末期 まっき 頃 ごろ からこの種 たね の小銃 しょうじゅう に着目 ちゃくもく していた[2] 。
当時 とうじ の新型 しんがた 半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう に関 かん する軍部 ぐんぶ からの要求 ようきゅう は、「自動 じどう 装填 そうてん 式 しき 、.25口径 こうけい から.30口径 こうけい の範囲 はんい で軍用 ぐんよう に適 てき した銃弾 じゅうだん を使用 しよう (.30-06弾 だん を使 つか うことが望 のぞ ましい)、単純 たんじゅん かつ頑丈 がんじょう な構造 こうぞう を備 そな え、生産 せいさん 性 せい に優 すぐ れること。平均 へいきん 的 てき な兵士 へいし が手 て にする標準 ひょうじゅん 軍用 ぐんよう 小銃 しょうじゅう であることに留意 りゅうい すること」というものだった[3] 。
1918年 ねん 6月 がつ 、大戦 たいせん 中 ちゅう から標準 ひょうじゅん 局 きょく にて軽 けい 機関 きかん 銃 じゅう の改良 かいりょう を行 おこな っていたジョン・ガーランド 技師 ぎし が、マシンライフル(machine rifle)と称 しょう する設計 せっけい 案 あん のプロトタイプを完成 かんせい させた。この試作 しさく 小銃 しょうじゅう が高 たか く評価 ひょうか されたことで、1919年 ねん 11月4日 にち 以降 いこう はスプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう に雇用 こよう され、半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう の設計 せっけい に携 たずさ わっていくこととなった。当初 とうしょ 、ガーランドの自動 じどう 小銃 しょうじゅう にはプライマー作動 さどう 方式 ほうしき (primer-actuated)が組 く み込 こ まれていた。1920年 ねん 5月 がつ 、ガーランドの設計 せっけい したT1920、コルト製 せい 小銃 しょうじゅう 、ベルティエ設計 せっけい 案 あん (フランス製 せい )、改良 かいりょう 型 がた バン小銃 しょうじゅう の4種 しゅ の自動 じどう 小銃 しょうじゅう による比較 ひかく 試験 しけん が行 おこな われたが、いずれの小銃 しょうじゅう も性能 せいのう 不十分 ふじゅうぶん とされた。翌 よく 1921年 ねん に行 おこな われた試験 しけん でも結論 けつろん は変 か わらず、さらなる改良 かいりょう が進 すす められた。そして1924年 ねん の試験 しけん において、前回 ぜんかい の試験 しけん を踏 ふ まえて設計 せっけい されたT1921が提出 ていしゅつ された。この試験 しけん を以って、ガーランドの自動 じどう 小銃 しょうじゅう は新型 しんがた 半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう の有力 ゆうりょく 候補 こうほ の1つと見 み なされるようになった。その後 ご 、1924年 ねん の試験 しけん を踏 ふ まえて細部 さいぶ を改良 かいりょう したT1924が設計 せっけい された。
同 どう 時期 じき 、陸軍 りくぐん では.25レミントン弾 だん (英語 えいご 版 ばん ) を用 もち いる民生 みんせい 用 よう 自動 じどう 小銃 しょうじゅう の試験 しけん を行 おこな い、反動 はんどう や過熱 かねつ が起 お こりにくいという利点 りてん を認 みと め、.30-06弾 だん よりも低 てい 威力 いりょく かつ小 しょう 口径 こうけい な新型 しんがた 銃弾 じゅうだん の開発 かいはつ を模索 もさく し始 はじ めていた。これを受 う けて新型 しんがた 銃弾 じゅうだん .276弾 だん (英語 えいご 版 ばん ) を提案 ていあん したのが、レミントン社 しゃ の製品 せいひん や大戦 たいせん 中 ちゅう の秘密 ひみつ 兵器 へいき ピダーセン・デバイス の設計 せっけい に携 たずさ わったジョン・ピダーセン (英語 えいご 版 ばん ) 技師 ぎし である。彼 かれ が手 て がけたピダーセン自動 じどう 小銃 しょうじゅう はガーランドの自動 じどう 小銃 しょうじゅう と並行 へいこう して開発 かいはつ されることとなり、1925年 ねん から1926年 ねん までの試験 しけん を経 へ て仮 かり 名称 めいしょう T1が与 あた えられた。1926年 ねん には、新式 しんしき の.30 M1普通 ふつう 弾 だん を使 つか えるように改良 かいりょう されたガーランドの自動 じどう 小銃 しょうじゅう に仮 かり 名称 めいしょう T3が与 あた えられた。この際 さい にプライマー作動 さどう 方式 ほうしき が廃止 はいし され、一般 いっぱん 的 てき なガス圧 あつ 作動 さどう 方式 ほうしき が採用 さいよう されている。1927年 ねん 12月、武器 ぶき 省 しょう が.30-06弾 だん を.276弾 だん に更新 こうしん する方針 ほうしん を発表 はっぴょう したため、ガーランドは.276口径 こうけい 仕様 しよう への再 さい 設計 せっけい を行 おこな った。1929年 ねん 、半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう 委員 いいん 会 かい (Semiautomatic Rifle Board)が新設 しんせつ され、各種 かくしゅ .276口径 こうけい 自動 じどう 小銃 しょうじゅう の比較 ひかく 試験 しけん が行 おこな われたが、候補 こうほ はすぐにピダーセンT1とガーランドT3の2つに絞 しぼ られた。
ピダーセンT1とガーランドT3は共 とも に一長一短 いっちょういったん があり、ガーランドT3は生産 せいさん 性 せい に優 すぐ れ、部品 ぶひん の互換 ごかん 性 せい の高 たか さが長所 ちょうしょ であった。また、弾薬 だんやく に潤滑油 じゅんかつゆ を塗布 とふ する必要 ひつよう が無 な いこと、エンブロック・クリップに上下 じょうげ の区別 くべつ が無 な く装填 そうてん し易 やす いことの2点 てん は、T1と比較 ひかく した際 さい に特 とく に有利 ゆうり な点 てん とされた。最終 さいしゅう 的 てき にはガーランドT3が優 すぐ れていると判断 はんだん され、ピダーセンとの契約 けいやく は打 う ち切 き られた。.276口径 こうけい のガーランド小銃 しょうじゅう には、改良 かいりょう を加 くわ えた上 うえ で仮 かり 名称 めいしょう T3E1(後 のち にT3E2)が与 あた えられた。一方 いっぽう 、.30-06弾 だん 仕様 しよう のモデルも少数 しょうすう 調達 ちょうたつ され、仮 かり 名称 めいしょう T1が与 あた えられている。
試験 しけん 運用 うんよう を行 おこな った部隊 ぶたい でもガーランドT3E2および.276弾 だん の評判 ひょうばん は高 たか く、本格 ほんかく 的 てき な調達 ちょうたつ も始 はじ まろうとしていた。しかし、1932年 ねん に陸軍 りくぐん 総 そう 参謀 さんぼう 長 ちょう ダグラス・マッカーサー 将軍 しょうぐん が、既 すで に大量 たいりょう の.30-06弾 だん が備蓄 びちく されており、現時点 げんじてん の新型 しんがた 銃弾 じゅうだん への移行 いこう は多大 ただい な混乱 こんらん を引 ひ き起 お こす恐 おそ れがあると指摘 してき し、また財政 ざいせい 上 じょう の問題 もんだい もあったことから、.276弾 だん への更新 こうしん は見送 みおく られることとなった。こうして仮 かり 名称 めいしょう T1に改良 かいりょう を加 くわ えたT1E1が設計 せっけい され、試験 しけん および改良 かいりょう を経 へ てT1E2となる[2] 。同年 どうねん 3月 がつ には試験 しけん 運用 うんよう のために80丁 ちょう 分 ぶん のT1E2と生産 せいさん 設備 せつび の予備 よび 部品 ぶひん の調達 ちょうたつ が行 おこな われ、8月 がつ 3日 にち 、名称 めいしょう が.30口径 こうけい 半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう M1(Semi-Automatic Rifle, Caliber 30, M1)に改 あらた められた。1934年 ねん 8月 がつ からは80丁 ちょう のM1半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう による性能 せいのう 評価 ひょうか および改良 かいりょう が繰 く り返 かえ し行 おこな われ、1936年 ねん 1月 がつ 9日 にち に制式 せいしき 小銃 しょうじゅう として採用 さいよう され、制式 せいしき 名称 めいしょう は.30口径 こうけい 小銃 しょうじゅう M1(U.S. Rifle, Caliber .30, M1)とされた。
当時 とうじ 、平時 へいじ における軍用 ぐんよう 銃 じゅう の需要 じゅよう 不足 ふそく と予算 よさん 不足 ふそく のため生産 せいさん インフラの整備 せいび は遅々 ちち として進 すす まず、以後 いご 数 すう 年 ねん に渡 わた って生産 せいさん の規模 きぼ は非常 ひじょう に限 かぎ られていた。1937年 ねん 8月 がつ に最初 さいしょ の生産 せいさん 分 ぶん がラインを出 で て、翌 よく 9月 がつ から出荷 しゅっか が始 はじ まったが、当初 とうしょ の生産 せいさん ペースは1日 にち あたり10丁 ちょう ほどだった。1937年度 ねんど の生産 せいさん 数 すう は945丁 ちょう のみで、1938年度 ねんど は5,879丁 ちょう だった。以後 いご 、生産 せいさん ペースは少 すこ しずつ向上 こうじょう し、1938年 ねん 3月 がつ には1日 にち あたり20丁 ちょう 、1939年 ねん 7月 がつ には1日 にち あたり80丁 ちょう となり、1940年 ねん 1月 がつ には1日 にち あたり200丁 ちょう が生産 せいさん されていた[4] 。また、1940年 ねん にはヨーロッパでの戦 たたか いの激化 げきか と太平洋 たいへいよう の情勢 じょうせい 緊張 きんちょう を背景 はいけい に、ウィンチェスター・リピーティングアームズ でも生産 せいさん が始 はじ まった。1941年 ねん 12月、真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき を経 へ て太平洋戦争 たいへいようせんそう が勃発 ぼっぱつ すると、M1ガーランドは優先 ゆうせん 順位 じゅんい が最 もっと も高 たか い製品 せいひん と位置 いち づけられた[5] 。
M1ガーランドの特許 とっきょ 図 ず の抜粋 ばっすい 。右 みぎ が新型 しんがた 、左 ひだり が旧型 きゅうがた のガスシステム。新型 しんがた でもガスポートは施 ほどこせ 条 じょう 部 ぶ 先端 せんたん の先 さき に設 もう けられており、銃身 じゅうしん の途中 とちゅう に横穴 よこあな を加工 かこう することを避 さ けている
元々 もともと の設計 せっけい では、動作 どうさ に必要 ひつよう な発射 はっしゃ ガスを取 と り入 い れるためにガストラップ式 しき と呼 よ ばれるシステムを採用 さいよう していた。これは銃口 じゅうこう の先端 せんたん にスリーブ状 じょう のマズルプラグを設 もう け、銃口 じゅうこう から噴出 ふんしゅつ してマズルプラグ内 ない 腔に充満 じゅうまん したガスをガスシリンダーへ取 と り入 い れる仕組 しく みで、他 た の方式 ほうしき より低 ひく い圧力 あつりょく のガスで動作 どうさ させられるため、機関 きかん 部 ぶ への負荷 ふか が軽減 けいげん されることが期待 きたい されていた。また銃身 じゅうしん の施 ほどこせ 条 じょう 部 ぶ にガスポートを直接 ちょくせつ 加工 かこう する必要 ひつよう が無 な く、銃身 じゅうしん の精度 せいど や耐久 たいきゅう 性 せい を担保 たんぽ できた。しかし、構造 こうぞう 上 じょう ガスシリンダー部 ぶ は銃身 じゅうしん に一体化 いったいか されておらず、全体 ぜんたい を銃身 じゅうしん 先端 せんたん にねじ込 こ んだうえで、回 まわ り止 と めを兼 か ねた照星 しょうせい を取 と り付 つ け、小 ちい さなボルト一本 いっぽん で固定 こてい された。そして先端 せんたん のスロットに上 うえ からマズルプラグを差 さ し込 こ み、これもボルト一本 いっぽん で固定 こてい された。こうした構造 こうぞう のため着剣 ちゃっけん 時 じ に強度 きょうど の不安 ふあん があったほか、照星 しょうせい が左右 さゆう にズレることもあった。ボルトが脱落 だつらく してマズルプラグの位置 いち がずれると、発射 はっしゃ された銃弾 じゅうだん がマズルプラグ後 ご 面 めん に衝突 しょうとつ するおそれがあった。銃口 じゅうこう とマズルプラグの間 あいだ の清掃 せいそう が困難 こんなん で、マズルプラグの内 うち 腔で発射 はっしゃ ガスの充満 じゅうまん ・急冷 きゅうれい が繰 く り返 かえ されることによってススが発生 はっせい ・蓄積 ちくせき しやすい点 てん も、動作 どうさ の信頼 しんらい 性 せい を損 そこ ねうる欠陥 けっかん として指摘 してき された。「7発 はつ 目 め の弾 たま づまり」(seventh-round stoppage)として知 し られる問題 もんだい も多発 たはつ した。この問題 もんだい は試験 しけん 運用 うんよう 向 む けに製造 せいぞう されたモデルでは発生 はっせい しておらず、量産 りょうさん 時 じ に製造 せいぞう 上 じょう の都合 つごう から一部 いちぶ 部品 ぶひん を変形 へんけい させたことによって引 ひ き起 お こされていたため、オーバーホール時 じ に部品 ぶひん を溶接 ようせつ することで対処 たいしょ された。1939年 ねん 10月 がつ 26日 にち 、武器 ぶき 省 しょう はガストラップ式 しき の廃止 はいし を要求 ようきゅう した。1940年 ねん 秋 あき 頃 ごろ からこれらの欠陥 けっかん を解消 かいしょう したモデルの出荷 しゅっか が始 はじ まった。
それ以外 いがい にも様々 さまざま な改良 かいりょう が行 おこな われた。1937年 ねん 時点 じてん では全 すべ ての部品 ぶひん に図面 ずめん 番号 ばんごう が割 わ り振 ふ られていたが、やがて生産 せいさん 性 せい を向上 こうじょう させるために省略 しょうりゃく されるようになった。1940年 ねん 後半 こうはん 、クリーニングキットを収 おさ めるためのスペースが銃床 じゅうしょう 内 ない に設 もう けられた。オペレーションロッドの形状 けいじょう も同 どう 時期 じき に変更 へんこう されている。初期 しょき 型 がた のガーランドも、定期 ていき 的 てき なオーバーホールの際 さい に同様 どうよう の改修 かいしゅう が施 ほどこ された[4] 。
クリップ
クリップを装填 そうてん する様子 ようす
M1ガーランドの大 おお きな特徴 とくちょう の1つが、エンブロック・クリップ装弾 そうだん 方式 ほうしき である。これは、8発 はつ の小銃 しょうじゅう 弾薬 だんやく を挿弾子 こ (クリップ)に填 は めておき、銃 じゅう のボルト を引 ひ き開 あ けて上部 じょうぶ からクリップごと差 さ し込 こ み装弾 そうだん する方法 ほうほう である。発射 はっしゃ し終 お わると、最終 さいしゅう 弾 だん の排 はい 莢 さいかち と同時 どうじ にクリップも排出 はいしゅつ され、ボルトが後退 こうたい 位置 いち で止 と まってホールドオープン状態 じょうたい となる。着脱 ちゃくだつ 式 しき 弾倉 だんそう では空 そら になった弾倉 だんそう を外 はず す操作 そうさ を要 よう するのに対 たい して、このシステムはその必要 ひつよう が無 な く、即座 そくざ に装填 そうてん 操作 そうさ に移行 いこう できることになる。銃 じゅう 自体 じたい の装弾 そうだん 数 すう は8発 はつ と少 すく ないものの、再 さい 装填 そうてん に掛 か かる時間 じかん そのものは着脱 ちゃくだつ 式 しき 弾倉 だんそう よりシンプルで素早 すばや いシステムでもあった。
M1ガーランドの前身 ぜんしん となる試作 しさく 銃 じゅう T1919は、ブローニングM1918自動 じどう 小銃 しょうじゅう とよく似 に た着脱 ちゃくだつ 式 しき の20連発 れんぱつ 箱 ばこ 型 がた 弾倉 だんそう を備 そな えており、続 つづ いて設計 せっけい されたT1920も同様 どうよう の着脱 ちゃくだつ 式 しき 箱 ばこ 型 がた 弾倉 だんそう を備 そな えていた。しかし、1921年 ねん 2月 がつ 1日 にち に兵器 へいき 委員 いいん 会 かい から示 しめ された新 あら たな要件 ようけん においては、固定 こてい 式 しき 弾倉 だんそう の方 ほう が好 この ましく、また装弾 そうだん 数 すう は10発 はつ 以下 いか であることが求 もと められた。これは新 あたら しい種類 しゅるい の銃 じゅう を採用 さいよう するにあたり、長 なが らく主力 しゅりょく 小銃 しょうじゅう として使 つか われてきたM1903小銃 しょうじゅう の設計 せっけい からの逸脱 いつだつ を当局 とうきょく が嫌 きら ったことに加 くわ え、10発 はつ 連発 れんぱつ 以上 いじょう の着脱 ちゃくだつ 式 しき 箱 ばこ 型 がた 弾倉 だんそう は重 おも すぎる、設計 せっけい 上 じょう 高価 こうか になりうる上 うえ に損傷 そんしょう しやすい、伏 ふ せた状態 じょうたい での射撃 しゃげき が難 むずか しくなるなどと考 かんが えられたからだと言 い われている。そのため、T1920は固定 こてい 式 しき 弾倉 だんそう に改 あらた められ、続 つづ いて設計 せっけい されたT1921も同様 どうよう に固定 こてい 式 しき 弾倉 だんそう が組 く み込 こ まれていた。エンブロック・クリップは、元々 もともと は次期 じき 主力 しゅりょく 小銃 しょうじゅう の選定 せんてい の最中 さいちゅう にジョン・ピダーセン (英語 えいご 版 ばん ) 技師 ぎし が自 みずか らの設計 せっけい 案 あん (ピダーセン自動 じどう 小銃 しょうじゅう )に取 と り入 い れたアイデアで、これによって固定 こてい 式 しき 弾倉 だんそう が好 この ましいとする要件 ようけん を満 み たしつつ、M1903小銃 しょうじゅう で使 つか われていたストリッパー・クリップよりも素早 すばや い再 さい 装填 そうてん が可能 かのう になるとされた。これが武器 ぶき 省 しょう に高 たか く評価 ひょうか されたことで、ガーランド設計 せっけい 案 あん でも同様 どうよう の装填 そうてん 方法 ほうほう が採用 さいよう されることになった[6] 。
この設計 せっけい は、しばしば欠点 けってん としても指摘 してき される[6] 。ボルト を後方 こうほう へ固定 こてい するための独立 どくりつ した機構 きこう はないため、射撃 しゃげき 途中 とちゅう に弾薬 だんやく を一発 いっぱつ ずつ追加 ついか 装弾 そうだん することが事実 じじつ 上 じょう 不可能 ふかのう となっている。ボルトを手 て で後方 こうほう へ保持 ほじ しながら弾薬 だんやく を追加 ついか 装弾 そうだん することは不可能 ふかのう ではないが、これを行 おこな うには両手 りょうて 操作 そうさ が必要 ひつよう であり、射撃 しゃげき 再開 さいかい までに時間 じかん を要 よう したり、機関 きかん 部 ぶ の異物 いぶつ 障害 しょうがい の原因 げんいん となるため、追加 ついか 装弾 そうだん は実際 じっさい にはほとんど行 おこな われなかった。撃 う ち切 き っていない弾倉 だんそう 内 ない のクリップを取 と り出 だ すリリースボタンも、ボルトを引 ひ いた状態 じょうたい で操作 そうさ しなければならず、やはり両手 りょうて 操作 そうさ が求 もと められた。そのため、戦闘 せんとう の合間 あいま に新 あたら しい挿弾子 こ を補充 ほじゅう する意図 いと で、弾倉 だんそう 内 ない の残 ざん 弾 だん をわざと適当 てきとう に撃 う ち尽 つ くす「ムダ弾 だん 撃 う ち」がしばしば行 おこな われていた。また、装填 そうてん 時 じ にボルトやオペレーティングロッドで手指 しゅし を挟 はさ み潰 つぶ す(「ガーランド・サム」)危険 きけん が常 つね に伴 ともな った。
また、最終 さいしゅう 弾 だん 発射 はっしゃ 後 ご には排 はい 莢 さいかち と同時 どうじ にクリップも排出 はいしゅつ されるが、その排出 はいしゅつ の際 さい にクリップにより「ピーン」という甲高 かんだか い金属 きんぞく 音 おと が発生 はっせい する。これにより、敵 てき に最終 さいしゅう 弾 だん 発射 はっしゃ を知 し らせてしまうことを問題 もんだい 視 し する兵士 へいし もいた。ただし、実際 じっさい にこの音 おと が原因 げんいん で死者 ししゃ が出 で たという記録 きろく は残 のこ されていない[6] 。
タラワ に上陸 じょうりく する海兵 かいへい 隊員 たいいん
1936年 ねん に採用 さいよう された後 のち 、1937年 ねん にはスプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう での生産 せいさん が始 はじ まり、1938年 ねん から部隊 ぶたい への配備 はいび が始 はじ まった[5] 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん を通 つう じてアメリカ軍 ぐん の主力 しゅりょく 歩兵 ほへい 銃 じゅう として運用 うんよう された。半 はん 自動 じどう 小銃 しょうじゅう 自体 じたい は各国 かっこく で開発 かいはつ されていたものの、標準 ひょうじゅん 的 てき な歩兵 ほへい 銃 じゅう として配備 はいび することに成功 せいこう したのはアメリカのみだった[1] 。
最初 さいしょ の実戦 じっせん 投入 とうにゅう は、1941年 ねん 12月に始 はじ まったフィリピンの戦 たたか い においてであった。ただし、ほとんどのアメリカ兵 へい およびフィリピン兵 へい はM1903小銃 しょうじゅう を支給 しきゅう されていた。1942年 ねん 8月 がつ に始 はじ まったガダルカナル島 とう の戦 たたか い では、最初 さいしょ に上陸 じょうりく した海兵 かいへい 隊 たい では依然 いぜん としてM1903小銃 しょうじゅう が使 つか われていたが、2ヶ月 かげつ 後 ご の10月 がつ に上陸 じょうりく した陸軍 りくぐん 部隊 ぶたい にはM1ガーランドが配備 はいび されていた。1942年 ねん 11月の北 きた アフリカ侵攻 しんこう (トーチ作戦 さくせん )に参加 さんか した陸軍 りくぐん 部隊 ぶたい にも使用 しよう されている[7] 。ヨーロッパ戦線 せんせん では、1942年 ねん 8月 がつ のディエップの戦 たたか い に参加 さんか した陸軍 りくぐん レンジャー部隊 ぶたい (United States Army Rangers)が初 はじ めて使用 しよう した[8] 。
レンドリース法 ほう などに従 したが い、アメリカと共 とも に戦 たたか う連合 れんごう 各国 かっこく にもM1ガーランドが供給 きょうきゅう された。1941年 ねん 3月 がつ 27日 にち にはイギリス に対 たい する供給 きょうきゅう が決定 けってい し、1942年 ねん 6月 がつ までに38,001丁 ちょう のM1ガーランドがイングランド へと送 おく られた。これらのM1ガーランドにはイギリス軍 ぐん で非 ひ 標準 ひょうじゅん 装備 そうび を意味 いみ する赤 あか い帯状 おびじょう の塗装 とそう が施 ほどこ されていたほか、銃床 じゅうしょう などにも刻印 こくいん が行 おこな われていた。しかし、同 どう 時期 じき にドイツ軍 ぐん の英 えい 本土 ほんど 侵攻 しんこう が頓挫 とんざ したことで早急 そうきゅう な配備 はいび の必要 ひつよう 性 せい が薄 うす れたため、M1ガーランドは一部 いちぶ がホーム・ガード や空軍 くうぐん の基地 きち 警備 けいび 隊 たい に配備 はいび されるに留 と まり、大 だい 部分 ぶぶん は配備 はいび されないままアメリカへと送 おく り返 かえ された[9] 。1945年 ねん 末 まつ までに、スプリングフィールドおよびウィンチェスターによって4,000,000丁 ちょう 以上 いじょう のM1ガーランドが製造 せいぞう された[5] 。
1945年 ねん 、終戦 しゅうせん にともない新規 しんき 調達 ちょうたつ が中止 ちゅうし されたものの、1950年 ねん に勃発 ぼっぱつ した朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう の影響 えいきょう で備蓄 びちく 分 ぶん の装備 そうび が枯渇 こかつ し始 はじ めたため、1951年 ねん から再 さい 生産 せいさん が始 はじ まった[10] 。スプリングフィールドのほか、インターナショナル・ハーベスター (英語 えいご 版 ばん ) およびハーリントン&リチャードソン (英語 えいご 版 ばん ) でも生産 せいさん が行 おこな われた[5] 。新 あたら しい生産 せいさん ラインが構築 こうちく されるまでは、在庫 ざいこ として残 のこ されていたM1C狙撃 そげき 銃 じゅう などの余剰 よじょう 部品 ぶひん を使 つか ったM1ガーランドが製造 せいぞう された[10] 。1957年 ねん までに1,500,000丁 ちょう のM1ガーランドが製造 せいぞう された[5] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう の1944年 ねん 頃 ごろ から、M1ガーランドにセレクティブファイア機能 きのう や着脱 ちゃくだつ 式 しき 箱 ばこ 型 がた 弾倉 だんそう などを追加 ついか する改良 かいりょう 計画 けいかく が進 すす められていた。その結果 けっか として設計 せっけい されたのがM14小銃 しょうじゅう である。1957年 ねん 、M1ガーランドだけではなく、アメリカ軍 ぐん における標準 ひょうじゅん 的 てき な歩兵 ほへい 用 よう 小 しょう 火器 かき 、すなわちM1/M2カービン 、M3/M3A1短 たん 機関 きかん 銃 じゅう 、M1918自動 じどう 銃 じゅう の全 すべ てを同時 どうじ に更新 こうしん する装備 そうび としてM14が採用 さいよう された[11] 。
M1C(M84 スコープ付 つ き)
M1D(M84 スコープ、T37消炎 しょうえん 器 き 付 つ き)
1941年 ねん 12月の真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき の時点 じてん で、アメリカ軍 ぐん は狙撃 そげき 銃 じゅう を制式 せいしき 採用 さいよう していなかった。開戦 かいせん 後 ご 、M1ガーランドの狙撃 そげき 銃 じゅう 仕様 しよう を求 もと める声 こえ が大 おお きくなっていたが、従来 じゅうらい のボルトアクション小銃 しょうじゅう のように機関 きかん 部 ぶ 真上 まうえ にスコープを取 と り付 つ ける事 こと が構造 こうぞう 上 じょう 不可能 ふかのう で、プリズム型 がた スコープなど様々 さまざま な解決 かいけつ 方法 ほうほう が模索 もさく された。1943年 ねん には暫定 ざんてい 的 てき な措置 そち として、M1903A3小銃 しょうじゅう を原型 げんけい としたM1903A4狙撃 そげき 銃 じゅう (U.S. Rifle, Caliber .30, M1903A4, Snipers)が制式 せいしき 採用 さいよう された。M1903A4はM1ガーランド狙撃 そげき 銃 じゅう 仕様 しよう の開発 かいはつ の遅 おく れも相 あい まって、大戦 たいせん を通 つう じて広 ひろ く配備 はいび されることとなる。
最終 さいしゅう 的 てき には機関 きかん 部 ぶ の左側 ひだりがわ 面 めん にオフセットしたスコープマウントを、また銃床 じゅうしょう にチークパットを取 と り付 つ けるデザインが最適 さいてき と判断 はんだん された。これに従 したが ってGriffin & Howe (英語 えいご 版 ばん ) 社 しゃ が設計 せっけい したM1E7は、マウントベースを取 と り付 つ けるためのネジ穴 あな を機関 きかん 部 ぶ に設 もう けた以外 いがい には、基本 きほん 的 てき に変更 へんこう が加 くわ えられていなかった。1944年 ねん 7月 がつ 27日 にち 、M1E7はM1C狙撃 そげき 銃 じゅう (U.S. Rifle, Cal. .30, M1C, Snipers)として制式 せいしき 採用 さいよう された。一方 いっぽう 、ジョン・ガーランド自身 じしん が手 て がけたM1E8は、銃身 じゅうしん 後部 こうぶ にマウントベースが直接 ちょくせつ 組 く み込 こ まれており、素早 すばや くスコープを取 と り外 はず すことができる構造 こうぞう になっていた。M1E8はM1D狙撃 そげき 銃 じゅう (U.S. Rifle, Cal. .30, M1D, Snipers)として採用 さいよう された。ただし、M1Dは準 じゅん 制式 せいしき (Substitute Standard)と位置 いち づけられ、主 おも に調達 ちょうたつ されたのはM1Cだった。
1944年 ねん 10月 がつ 、M1C向 む けにM72スコープが採用 さいよう される。これは市販 しはん されていたレイマン社 しゃ (Lyman Co.)製 せい のアラスカン型 がた 全天候 ぜんてんこう 型 がた スコープを制式 せいしき 採用 さいよう したものである。M72に対物 たいぶつ レンズ側 がわ の日 ひ 避 さ けなどの改良 かいりょう を加 くわ えたのがM81スコープで、倍率 ばいりつ は2.2倍 ばい だった。その後 ご 、さらに改良 かいりょう を加 くわ えたM82が採用 さいよう されている。1945年 ねん 1月 がつ 25日 にち 、狙撃 そげき 手 しゅ 用 よう の消炎 しょうえん 器 き としてM2消炎 しょうえん 器 き (Hider, Flash, M2)が採用 さいよう された。M2消炎 しょうえん 器 き は着剣 ちゃっけん 装置 そうち を用 もち いて固定 こてい した。終戦 しゅうせん 後 ご に開発 かいはつ されたT37消炎 しょうえん 器 き もあったが、いずれも効果 こうか が限 かぎ られており、射撃 しゃげき 精度 せいど にも悪影響 あくえいきょう を及 およ ぼすとして広 ひろ くは使用 しよう されなかった。
当初 とうしょ 、M1Cは21,158丁 ちょう 調達 ちょうたつ される予定 よてい だったが、狙撃 そげき 銃 じゅう という性質 せいしつ 上 じょう 、高 たか い精度 せいど での部品 ぶひん 製造 せいぞう や組立 くみたて が求 もと められたため、終戦 しゅうせん までの調達 ちょうたつ 数 すう は7,971丁 ちょう に留 とど まっていた。M1Cは太平洋戦争 たいへいようせんそう 末期 まっき から朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 頃 ごろ まで使用 しよう されたが、1951年 ねん 頃 ごろ からは実戦 じっせん を通 つう じてM1Dの方 ほう が優 すぐ れた設計 せっけい と考 かんが えられるようになった。以後 いご 、M1Dの本格 ほんかく 的 てき な製造 せいぞう と調達 ちょうたつ が始 はじ まり、退役 たいえき したM1CはM1ガーランドに再 さい 改修 かいしゅう された後 のち 、友好国 ゆうこうこく への軍事 ぐんじ 援助 えんじょ などに用 もち いられた。また、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 中 ちゅう には海兵 かいへい 隊 たい の要望 ようぼう を受 う け、M1Cにコルモーゲン・オプティクス社 しゃ (Kollmorgen Optical Co.)製 せい の4倍 ばい スコープを取 と り付 つ けたUSMC 1952狙撃 そげき 銃 じゅう (USMC 1952 Sniper’s Rifle)が開発 かいはつ されている[12] 。
M1ガーランドの短 たん 小銃 しょうじゅう モデルとして試作 しさく されたM1E5およびT26は、戦車 せんしゃ 兵 へい 用 よう を意味 いみ するタンカー (Tanker)の通称 つうしょう で知 し られる。ただし、実際 じっさい には小型 こがた 火器 かき を求 もと める空挺 くうてい 隊員 たいいん や、ジャングルの特殊 とくしゅ な環境 かんきょう の中 なか で戦 たたか う兵士 へいし の要望 ようぼう にもとづいて設計 せっけい されたと言 い われている。
1943年 ねん 頃 ごろ から各 かく 戦線 せんせん にてM1ガーランドのカービンモデルを求 もと める声 こえ が上 あ がり始 はじ め、1944年 ねん 1月 がつ には第 だい 93歩兵 ほへい 師団 しだん にて試作 しさく された短 たん 小銃 しょうじゅう の性能 せいのう 試験 しけん が行 おこな われ、その結果 けっか を受 う けてスプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう にて短小 たんしょう 銃 じゅう の開発 かいはつ が始 はじ まった。数ヶ月 すうかげつ 後 ご に設計 せっけい されたM1E5は24インチから18インチまで短縮 たんしゅく した短 たん 銃身 じゅうしん 、開発 かいはつ 者 しゃ ガーランドが提案 ていあん した金属 きんぞく 製 せい の折 おり 畳 たたみ 式 しき 銃床 じゅうしょう を備 そな えていた。その後 ご の性能 せいのう 試験 しけん を受 う けて折 おり 畳 たたみ 式 しき のピストルグリップも追加 ついか された。短 たん 銃身 じゅうしん 化 か による射撃 しゃげき 精度 せいど への直接 ちょくせつ の影響 えいきょう は少 すく なかったものの、大 おお きな銃声 じゅうせい や発砲 はっぽう 炎 えん 、反動 はんどう が問題 もんだい 視 し され、新 あら たなマズルブレーキを設計 せっけい する必要 ひつよう があるとされたほか、銃床 じゅうしょう も強度 きょうど や構 かま えやすさに問題 もんだい があるとされた。結局 けっきょく 、並行 へいこう して開発 かいはつ されていたT20ライフルに人員 じんいん を集中 しゅうちゅう させるため、M1E5の計画 けいかく は放棄 ほうき された[13] 。M1E5は1丁 ちょう のみがテスト用 よう に製造 せいぞう された[14] 。
同年 どうねん 秋 あき 、太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん 委員 いいん 会 かい (Pacific Warfare Board, PWB)の指令 しれい により、少数 しょうすう のM1ガーランドが短 たん 小銃 しょうじゅう に改造 かいぞう された。この際 さい の改造 かいぞう は各 かく 部隊 ぶたい にて手作業 てさぎょう で行 おこな われた。太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん ではジャングルが戦場 せんじょう となることも多 おお く、M1カービンよりも強力 きょうりょく で「ブラッシュ・カッティング」(brush cutting, 生 お い茂 しげ った草木 くさき を安定 あんてい して貫通 かんつう する能力 のうりょく )に優 すぐ れた短 たん 小銃 しょうじゅう が求 もと められていたのである。これらは第 だい 6軍 ぐん 指揮 しき 下 か の部隊 ぶたい や第 だい 503落下傘 らっかさん 歩兵 ほへい 連隊 れんたい (英語 えいご 版 ばん ) に配備 はいび され、戦線 せんせん 各地 かくち にて実戦 じっせん 試験 しけん が行 おこな われた。その後 ご 、PWBは試験 しけん 結果 けっか と共 とも に改造 かいぞう 短 たん 小銃 しょうじゅう をサンプルとして本国 ほんごく に送 おく り、本格 ほんかく 的 てき な短 たん 小銃 しょうじゅう の設計 せっけい を行 おこな うよう求 もと めた。これを受 う けたスプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう が開発 かいはつ したT26は、固定 こてい 銃床 じゅうしょう を備 そな えるほかはM1E5とほとんど同一 どういつ の設計 せっけい だった。問題 もんだい 点 てん も変 か わらず、銃声 じゅうせい 、発砲 はっぽう 炎 えん 、反動 はんどう がM1ガーランドに比 くら べて非常 ひじょう に大 おお きかった。2丁 ちょう のT26が1945年 ねん 7月 がつ に試作 しさく され、その後 ご 15,000丁 ちょう が製造 せいぞう される予定 よてい だったが、8月 がつ には日本 にっぽん が降伏 ごうぶく して太平洋戦争 たいへいようせんそう が終結 しゅうけつ したため、計画 けいかく そのものが放棄 ほうき された[15] 。PWBはM1ガーランド150丁 ちょう の改造 かいぞう を命 めい じていたものの、本国 ほんごく からの評価 ひょうか と連絡 れんらく を待 ま つ必要 ひつよう があったため、計画 けいかく 放棄 ほうき までに完了 かんりょう はしていなかったと見 み られ、現存 げんそん 品 ひん は少 すく ない[14] 。
結局 けっきょく 、M1E5およびT26は極 きわ めて少数 しょうすう しか製造 せいぞう されなかったが、M1ガーランドのカービンモデルというアイデアは、後 のち に民生 みんせい 用 よう 銃器 じゅうき 市場 いちば で蘇 よみがえ ることになる。1960年代 ねんだい 初頭 しょとう 、一部 いちぶ の民間 みんかん 事業 じぎょう 者 しゃ が放出 ほうしゅつ された軍用 ぐんよう 銃 じゅう の余剰 よじょう 部品 ぶひん (溶断 ようだん された部品 ぶひん を含 ふく む)の取 と り扱 あつか いに着手 ちゃくしゅ した。その中 なか の1人 ひとり 、ロバート・E・ペニー・ジュニア(Robert E. Penney, Jr.)は、入手 にゅうしゅ した余剰 よじょう 部品 ぶひん に加 くわ え、復元 ふくげん した溶断 ようだん 部品 ぶひん を用 もち い、民間 みんかん 市場 いちば 向 む けにM1ガーランドを中心 ちゅうしん とするライフルの販売 はんばい を開始 かいし した。そしてかつて試作 しさく された短 たん 小銃 しょうじゅう の存在 そんざい を知 し っていたペニーは、新 しん 製品 せいひん としてこれを模 も したライフルを作 つく り、戦車 せんしゃ 兵 へい 用 よう 短小 たんしょう 銃 じゅう という印象 いんしょう を与 あた えるタンカー・ガーランド (Tanker Garand)なるニックネームを与 あた えたのである。当時 とうじ 、民間 みんかん 人 じん にとって本物 ほんもの のM1ガーランドの入手 にゅうしゅ は極 きわ めて困難 こんなん だったので、タンカーを含 ふく む復元 ふくげん 銃 じゅう の売 う れ行 ゆ きは好調 こうちょう だった。部品 ぶひん の新造 しんぞう には膨大 ぼうだい な費用 ひよう がかかるため、余剰 よじょう 部品 ぶひん のの枯渇 こかつ と共 とも にペニーは復元 ふくげん 銃 じゅう の販売 はんばい を中止 ちゅうし して会社 かいしゃ を売却 ばいきゃく した。しかし、他 た の企業 きぎょう 等 とう でも類似 るいじ 製品 せいひん の製造 せいぞう が行 おこな われており、短 たん 小銃 しょうじゅう 化 か されたM1ガーランドを指 さ すタンカーという誤 あやま ったニックネームが広 ひろ まっていった[14] 。
T20E2
M14
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう の1944年 ねん 頃 ごろ から、M1ガーランドにセレクティブファイア機能 きのう や着脱 ちゃくだつ 式 しき 箱 ばこ 型 がた 弾倉 だんそう などを追加 ついか する改良 かいりょう 計画 けいかく が進 すす められていた。多 おお くの設計 せっけい 者 しゃ がこの計画 けいかく に参加 さんか し、多数 たすう の設計 せっけい 案 あん が試作 しさく された。そのうち、M1ガーランドの設計 せっけい 者 しゃ であるガーランド自身 じしん が手 て がけたモデルがT20である。性能 せいのう 試験 しけん の後 のち に改良 かいりょう を加 くわ えたモデルがT20E2で、1945年 ねん には100,000丁 ちょう の調達 ちょうたつ が予定 よてい されたものの、まもなくして日本 にっぽん の降伏 ごうぶく により第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が終結 しゅうけつ したため、実際 じっさい の製造 せいぞう 数 すう は100丁 ちょう 程度 ていど に留 とど まった[11] 。
その後 ご もT20E2をベースに設計 せっけい が進 すす められ、1957年 ねん にはM14として制式 せいしき 採用 さいよう されることとなった。M1ガーランドと比較 ひかく すると、使用 しよう 弾 だん が7.62x51mm NATO弾 だん に改 あらた められているほか、着脱 ちゃくだつ 式 しき 箱 ばこ 型 がた 弾倉 だんそう を採用 さいよう し、フルオート射撃 しゃげき が可能 かのう になった。M14の派生 はせい 型 がた として、民生 みんせい 型 がた のM1A 、狙撃 そげき 銃 じゅう 型 かた のM21 などが存在 そんざい する。ベトナム戦争 せんそう 中 なか にM16自動 じどう 小銃 しょうじゅう に更新 こうしん された。
M14とM60機関 きかん 銃 じゅう の採用 さいよう によってアメリカ軍 ぐん の標準 ひょうじゅん 小銃 しょうじゅう 弾 だん は7.62x51mm NATO弾 だん へと移行 いこう したが、いくつかの問題 もんだい からM14の生産 せいさん に遅 おく れが出 で ていたため、一部 いちぶ の部隊 ぶたい では引 ひ き続 つづ きM1ガーランドが使用 しよう された。陸軍 りくぐん 武器 ぶき 省 しょう ではM14の不足 ふそく を補 おぎな うため、M1ガーランドを7.62x51mm弾 だん 仕様 しよう に改造 かいぞう することを提案 ていあん したが、陸軍 りくぐん および海兵 かいへい 隊 たい ではこれに反対 はんたい し、M14が十分 じゅうぶん 供給 きょうきゅう されるまでは.30-06弾 だん 仕様 しよう のM1ガーランドをそのまま使 つか う方針 ほうしん を取 と った。一方 いっぽう 、海軍 かいぐん では主要 しゅよう 武装 ぶそう ではないこともあって、陸軍 りくぐん や海兵 かいへい 隊 たい に比 くら べて装備 そうび 更新 こうしん 時 じ の優先 ゆうせん 度 ど が低 ひく く、当面 とうめん M14が配備 はいび されないことが明 あき らかだった。そのため、7.62x51mm弾 だん 仕様 しよう のM1ガーランドを調達 ちょうたつ する方針 ほうしん を選 えら んだのである。1959年 ねん 、ペンシルベニア州 しゅう のヨーク 海軍 かいぐん 兵器廠 へいきしょう にて7.62x51mm弾 だん 仕様 しよう M1ガーランドの設計 せっけい が始 はじ まった。1964年 ねん 、スプリングフィールド造兵 ぞうへい 廠 しょう が海軍 かいぐん の要求 ようきゅう に従 したが った7.62x51mm弾 だん 仕様 しよう M1ガーランドを試作 しさく し、仮 かり 名称 めいしょう M1E14を与 あた えた。M1E14の性能 せいのう 試験 しけん の結果 けっか は芳 かんば しいものではなかったが、海軍 かいぐん はこの計画 けいかく をさらに推 お し進 すす めていった。その後 ご 、7.62x51mm弾 だん 仕様 しよう M1ガーランドには海軍 かいぐん 式 しき の命名 めいめい 規則 きそく が適用 てきよう され、例 たと えばMK 2 MOD 0(バレルブッシングを取 と り付 つ けたモデル)、MK 2 MOD 1(新型 しんがた 銃身 じゅうしん を取 と り付 つ けたモデル)などと呼 よ ばれるようになった。設計 せっけい が難航 なんこう したこともあり、MK 2シリーズは比較的 ひかくてき 少数 しょうすう しか使用 しよう されず、M14やM16 に更新 こうしん されるまで.30-06弾 だん 仕様 しよう のまま使 つか われたM1ガーランドも多 おお かった[16] 。
四 よん 式 しき 自動 じどう 小銃 しょうじゅう [ 編集 へんしゅう ]
四 よん 式 しき 自動 じどう 小銃 しょうじゅう
日本 にっぽん 軍 ぐん によるコピー。「五 ご 式 しき 」だったとも言 い われる。
BM59
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご のイタリア にて、M1ガーランドを改造 かいぞう する目的 もくてき で開発 かいはつ された自動 じどう 小銃 しょうじゅう 。着脱 ちゃくだつ 式 しき 箱 はこ 型 がた 弾倉 だんそう を使用 しよう する。M14に類似 るいじ するが設計 せっけい は別物 べつもの で、BM59はM1ガーランドの基本 きほん 構造 こうぞう を受 う け継 つ いでいる。
M7グレネードランチャー を装着 そうちゃく することで、22mmライフルグレネード を発射 はっしゃ することができる。ソケット型 がた のアダプターで、銃身 じゅうしん 先端 せんたん にかぶせ、銃剣 じゅうけん 固定 こてい 用 よう の金具 かなぐ に固定 こてい する。使用 しよう に先立 さきだ って、ガスプラグを専用 せんよう のものに交換 こうかん しておく必要 ひつよう があった。これは通常 つうじょう 時 じ には標準 ひょうじゅん 型 がた ガスプラグと同 おな じセミオート射撃 しゃげき を行 おこな え、M7グレネードランチャーを装着 そうちゃく するとガスチューブへのガス流入 りゅうにゅう を遮断 しゃだん できた。
グレネード を発射 はっしゃ するときには、一発 いっぱつ だけ空包 くうほう を装填 そうてん する必要 ひつよう がある。
M1ガーランドの銃剣 じゅうけん には、M1905E1 ・M1942 ・M1 ・M5 が対応 たいおう している。
主力 しゅりょく 装備 そうび として採用 さいよう された主 おも な国 くに 、組織 そしき [ 編集 へんしゅう ]
登場 とうじょう 作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
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