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M1ガーランド

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
M1ガーランド
スリング英語えいごばんきのM1ガーランド
M1ガーランド
種類しゅるい 軍用ぐんよう小銃しょうじゅう英語えいごばん
製造せいぞうこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
イタリアの旗 イタリア
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
設計せっけい製造せいぞう 設計せっけい:ジョン・ガーランド
製造せいぞう:スプリングフィールド造兵ぞうへいしょう
ウィンチェスター・リピーティングアームズ
ブレダ
ベレッタ
F.M.A.P
年代ねんだい だい世界せかい大戦たいせん - 冷戦れいせん
仕様しよう
種別しゅべつ セミオートマチックライフル
口径こうけい 7.62mm
銃身じゅうしんちょう 610mm
ライフリング 4じょうみぎてん
使用しよう弾薬だんやく .30-06スプリングフィールドだん(7.62x63mm)
7.62x51mm NATOだん
装弾そうだんすう 8はつ
作動さどう方式ほうしき ガスあつ利用りようロングストロークピストンしき)、ターンロックボルト
全長ぜんちょう 1,108mm
重量じゅうりょう 4,300g
銃口じゅうこう初速しょそく 848m/びょう
有効ゆうこう射程しゃてい 500 yd (457 m)
歴史れきし 
設計せっけいねん 1932ねん
製造せいぞう期間きかん 1936ねん-1957ねん
配備はいびさき アメリカぐんなど
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう だい世界せかい大戦たいせんなど
バリエーション 派生はせいがた参照さんしょう
製造せいぞうすう やく625まんちょう
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M1ガーランド英語えいご: M1 Garand)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくスプリングフィールド造兵ぞうへいしょう開発かいはつしたはん自動じどう小銃しょうじゅうである。アメリカぐんでの制式せいしき名称めいしょう当初とうしょUnited States Rifle, Caliber .30, M1とされていたが、のちRifle, Caliber .30, M1あらためられ、 US Rifle, Cal. .30, M1という略記りゃっきもちいられた。

1936ねんボルトアクションM1903小銃しょうじゅうわって採用さいようされ、1957ねんM14小銃しょうじゅう採用さいようされるまで、べいぐん主力しゅりょく小銃しょうじゅうであった。

M1ガーランドをして、ジョージ・パットン将軍しょうぐんは「これまで考案こうあんされたものなかではもっと偉大いだい武具ぶぐ」(the greatest battle implement ever devised)、ダグラス・マッカーサー将軍しょうぐんは「ぐんたいするもっと偉大いだい貢献こうけんの1つ」(one of the greatest contributions to our armed forces)などと賞賛しょうさんしたとつたえられている[1]

主力しゅりょく小銃しょうじゅうとして一線いっせん退しりぞいたのちも、いくつかのくにでは儀仗ぎじょうじゅうなどとして利用りようつづけた。

なお、おなじ.30口径こうけいおなじM1という形式けいしきめいつ「M1カービン」が存在そんざいするが、使用しよう弾薬だんやく設計せっけいしゃ運用うんよう方法ほうほうなどはことなった別種べっしゅじゅうである。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

陸軍りくぐん将官しょうかんにM1ガーランドの解説かいせつおこなジョン・ガーランドひだり

最初さいしょアメリカ陸軍りくぐん武器ぶきしょう自動じどう小銃しょうじゅう開発かいはつ着手ちゃくしゅし、スプリングフィールド造兵ぞうへいしょう設計せっけい要件ようけん策定さくていめいじたのは1909ねんのことである。つづすう年間ねんかんおおくの自動じどう小銃しょうじゅう試作しさくされ、M1903小銃しょうじゅう自動じどう装填そうてん機構きこうんだものも複数ふくすうあった。ほとんどは注目ちゅうもくあたいしないものとなされたが、デンマーク出身しゅっしんのR・M・H・バン技師ぎし(R.M.H. Bang)の設計せっけいあんたか評価ひょうかされた。かれってバン小銃しょうじゅう(Bang rifle)とばれた試作しさく自動じどう小銃しょうじゅうは、1912ねん武器ぶきでの性能せいのう試験しけんおこなわれている。バン小銃しょうじゅうはガスあつ作動さどう方式ほうしき回転かいてんボルト方式ほうしき自動じどう小銃しょうじゅうで、試験しけん自体じたい成功せいこうしたものの、性能せいのうじょう不安ふあん過剰かじょうなコストが問題もんだいてんとして指摘してきされていた。以後いご、1914ねんまつごろまではバン小銃しょうじゅう改良かいりょうすすめられた。

1914ねんから1918ねんまでのだいいち世界せかい大戦たいせんでは、フルオート射撃しゃげきおこなえる自動じどう火器かきのボルトアクション小銃しょうじゅうたいする優位ゆういせい明確めいかくしめされた。このせんくんのもと、各国かっこくともフルオート射撃しゃげき能力のうりょくゆうするじゅう機関きかんじゅう自動じどう小銃しょうじゅう現代げんだいけい機関きかんじゅう相当そうとう)の配備はいびすすめたが、一方いっぽうはん自動じどう小銃しょうじゅうにはあまり関心かんしんはらわれていなかった。はん自動じどう小銃しょうじゅう自体じたい戦前せんぜんからおも民生みんせいよう市場いちば普及ふきゅうしていたものの、.30-06だんなどの軍用ぐんよう小銃しょうじゅうだん非常ひじょう強力きょうりょくなため、安定あんていして射撃しゃげきすることがむずかしいとかんがえられていた。しかし、歩兵ほへいよう小銃しょうじゅうとしての有用ゆうようせいみとめていたアメリカ陸軍りくぐん武器ぶきしょうでは、大戦たいせん末期まっきごろからこのたね小銃しょうじゅう着目ちゃくもくしていた[2]

当時とうじ新型しんがたはん自動じどう小銃しょうじゅうかんする軍部ぐんぶからの要求ようきゅうは、「自動じどう装填そうてんしき、.25口径こうけいから.30口径こうけい範囲はんい軍用ぐんようてきした銃弾じゅうだん使用しよう.30-06だん使つかうことがのぞましい)、単純たんじゅんかつ頑丈がんじょう構造こうぞうそなえ、生産せいさんせいすぐれること。平均へいきんてき兵士へいしにする標準ひょうじゅん軍用ぐんよう小銃しょうじゅうであることに留意りゅういすること」というものだった[3]

1918ねん6がつ大戦たいせんちゅうから標準ひょうじゅんきょくにてけい機関きかんじゅう改良かいりょうおこなっていたジョン・ガーランド技師ぎしが、マシンライフル(machine rifle)としょうする設計せっけいあんのプロトタイプを完成かんせいさせた。この試作しさく小銃しょうじゅうたか評価ひょうかされたことで、1919ねん11月4にち以降いこうはスプリングフィールド造兵ぞうへいしょう雇用こようされ、はん自動じどう小銃しょうじゅう設計せっけいたずさわっていくこととなった。当初とうしょ、ガーランドの自動じどう小銃しょうじゅうにはプライマー作動さどう方式ほうしき(primer-actuated)がまれていた。1920ねん5がつ、ガーランドの設計せっけいしたT1920、コルトせい小銃しょうじゅう、ベルティエ設計せっけいあん(フランスせい)、改良かいりょうがたバン小銃しょうじゅうの4しゅ自動じどう小銃しょうじゅうによる比較ひかく試験しけんおこなわれたが、いずれの小銃しょうじゅう性能せいのう不十分ふじゅうぶんとされた。よく1921ねんおこなわれた試験しけんでも結論けつろんわらず、さらなる改良かいりょうすすめられた。そして1924ねん試験しけんにおいて、前回ぜんかい試験しけんまえて設計せっけいされたT1921が提出ていしゅつされた。この試験しけんを以って、ガーランドの自動じどう小銃しょうじゅう新型しんがたはん自動じどう小銃しょうじゅう有力ゆうりょく候補こうほの1つとなされるようになった。その、1924ねん試験しけんまえて細部さいぶ改良かいりょうしたT1924が設計せっけいされた。

どう時期じき陸軍りくぐんでは.25レミントンだん英語えいごばんもちいる民生みんせいよう自動じどう小銃しょうじゅう試験しけんおこない、反動はんどう過熱かねつこりにくいという利点りてんみとめ、.30-06だんよりもてい威力いりょくかつしょう口径こうけい新型しんがた銃弾じゅうだん開発かいはつ模索もさくはじめていた。これをけて新型しんがた銃弾じゅうだん.276だん英語えいごばん提案ていあんしたのが、レミントンしゃ製品せいひん大戦たいせんちゅう秘密ひみつ兵器へいきピダーセン・デバイス設計せっけいたずさわったジョン・ピダーセン英語えいごばん技師ぎしである。かれがけたピダーセン自動じどう小銃しょうじゅうはガーランドの自動じどう小銃しょうじゅう並行へいこうして開発かいはつされることとなり、1925ねんから1926ねんまでの試験しけんかり名称めいしょうT1があたえられた。1926ねんには、新式しんしきの.30 M1普通ふつうだん使つかえるように改良かいりょうされたガーランドの自動じどう小銃しょうじゅうかり名称めいしょうT3があたえられた。このさいにプライマー作動さどう方式ほうしき廃止はいしされ、一般いっぱんてきなガスあつ作動さどう方式ほうしき採用さいようされている。1927ねん12月、武器ぶきしょうが.30-06だんを.276だん更新こうしんする方針ほうしん発表はっぴょうしたため、ガーランドは.276口径こうけい仕様しようへのさい設計せっけいおこなった。1929ねんはん自動じどう小銃しょうじゅう委員いいんかい(Semiautomatic Rifle Board)が新設しんせつされ、各種かくしゅ.276口径こうけい自動じどう小銃しょうじゅう比較ひかく試験しけんおこなわれたが、候補こうほはすぐにピダーセンT1とガーランドT3の2つにしぼられた。

ピダーセンT1とガーランドT3はとも一長一短いっちょういったんがあり、ガーランドT3は生産せいさんせいすぐれ、部品ぶひん互換ごかんせいたかさが長所ちょうしょであった。また、弾薬だんやく潤滑油じゅんかつゆ塗布とふする必要ひつよういこと、エンブロック・クリップに上下じょうげ区別くべつ装填そうてんやすいことの2てんは、T1と比較ひかくしたさいとく有利ゆうりてんとされた。最終さいしゅうてきにはガーランドT3がすぐれていると判断はんだんされ、ピダーセンとの契約けいやくられた。.276口径こうけいのガーランド小銃しょうじゅうには、改良かいりょうくわえたうえかり名称めいしょうT3E1(のちにT3E2)があたえられた。一方いっぽう、.30-06だん仕様しようのモデルも少数しょうすう調達ちょうたつされ、かり名称めいしょうT1があたえられている。

試験しけん運用うんようおこなった部隊ぶたいでもガーランドT3E2および.276だん評判ひょうばんたかく、本格ほんかくてき調達ちょうたつはじまろうとしていた。しかし、1932ねん陸軍りくぐんそう参謀さんぼうちょうダグラス・マッカーサー将軍しょうぐんが、すで大量たいりょうの.30-06だん備蓄びちくされており、現時点げんじてん新型しんがた銃弾じゅうだんへの移行いこう多大ただい混乱こんらんこすおそれがあると指摘してきし、また財政ざいせいじょう問題もんだいもあったことから、.276だんへの更新こうしん見送みおくられることとなった。こうしてかり名称めいしょうT1に改良かいりょうくわえたT1E1が設計せっけいされ、試験しけんおよび改良かいりょうてT1E2となる[2]同年どうねん3がつには試験しけん運用うんようのために80ちょうぶんのT1E2と生産せいさん設備せつび予備よび部品ぶひん調達ちょうたつおこなわれ、8がつ3にち名称めいしょうが.30口径こうけいはん自動じどう小銃しょうじゅうM1(Semi-Automatic Rifle, Caliber 30, M1)にあらためられた。1934ねん8がつからは80ちょうのM1はん自動じどう小銃しょうじゅうによる性能せいのう評価ひょうかおよび改良かいりょうかえおこなわれ、1936ねん1がつ9にち制式せいしき小銃しょうじゅうとして採用さいようされ、制式せいしき名称めいしょうは.30口径こうけい小銃しょうじゅうM1(U.S. Rifle, Caliber .30, M1)とされた。

当時とうじ平時へいじにおける軍用ぐんようじゅう需要じゅよう不足ふそく予算よさん不足ふそくのため生産せいさんインフラの整備せいび遅々ちちとしてすすまず、以後いごすうねんわたって生産せいさん規模きぼ非常ひじょうかぎられていた。1937ねん8がつ最初さいしょ生産せいさんぶんがラインをて、よく9がつから出荷しゅっかはじまったが、当初とうしょ生産せいさんペースは1にちあたり10ちょうほどだった。1937年度ねんど生産せいさんすうは945ちょうのみで、1938年度ねんどは5,879ちょうだった。以後いご生産せいさんペースはすこしずつ向上こうじょうし、1938ねん3がつには1にちあたり20ちょう、1939ねん7がつには1にちあたり80ちょうとなり、1940ねん1がつには1にちあたり200ちょう生産せいさんされていた[4]。また、1940ねんにはヨーロッパでのたたかいの激化げきか太平洋たいへいよう情勢じょうせい緊張きんちょう背景はいけいに、ウィンチェスター・リピーティングアームズでも生産せいさんはじまった。1941ねん12月、真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつすると、M1ガーランドは優先ゆうせん順位じゅんいもっとたか製品せいひん位置いちづけられた[5]

改良かいりょう[編集へんしゅう]

M1ガーランドの特許とっきょ抜粋ばっすいみぎ新型しんがたひだり旧型きゅうがたのガスシステム。新型しんがたでもガスポートはほどこせじょう先端せんたんさきもうけられており、銃身じゅうしん途中とちゅう横穴よこあな加工かこうすることをけている

元々もともと設計せっけいでは、動作どうさ必要ひつよう発射はっしゃガスをれるためにガストラップしきばれるシステムを採用さいようしていた。これは銃口じゅうこう先端せんたんにスリーブじょうのマズルプラグをもうけ、銃口じゅうこうから噴出ふんしゅつしてマズルプラグない腔に充満じゅうまんしたガスをガスシリンダーへれる仕組しくみで、方式ほうしきよりひく圧力あつりょくのガスで動作どうささせられるため、機関きかんへの負荷ふか軽減けいげんされることが期待きたいされていた。また銃身じゅうしんほどこせじょうにガスポートを直接ちょくせつ加工かこうする必要ひつようく、銃身じゅうしん精度せいど耐久たいきゅうせい担保たんぽできた。しかし、構造こうぞうじょうガスシリンダー銃身じゅうしん一体化いったいかされておらず、全体ぜんたい銃身じゅうしん先端せんたんにねじんだうえで、まわめをねた照星しょうせいけ、ちいさなボルト一本いっぽん固定こていされた。そして先端せんたんのスロットにうえからマズルプラグをみ、これもボルト一本いっぽん固定こていされた。こうした構造こうぞうのため着剣ちゃっけん強度きょうど不安ふあんがあったほか、照星しょうせい左右さゆうにズレることもあった。ボルトが脱落だつらくしてマズルプラグの位置いちがずれると、発射はっしゃされた銃弾じゅうだんがマズルプラグめん衝突しょうとつするおそれがあった。銃口じゅうこうとマズルプラグのあいだ清掃せいそう困難こんなんで、マズルプラグのうち腔で発射はっしゃガスの充満じゅうまん急冷きゅうれいかえされることによってススが発生はっせい蓄積ちくせきしやすいてんも、動作どうさ信頼しんらいせいそこねうる欠陥けっかんとして指摘してきされた。「7はつたまづまり」(seventh-round stoppage)としてられる問題もんだい多発たはつした。この問題もんだい試験しけん運用うんようけに製造せいぞうされたモデルでは発生はっせいしておらず、量産りょうさん製造せいぞうじょう都合つごうから一部いちぶ部品ぶひん変形へんけいさせたことによってこされていたため、オーバーホール部品ぶひん溶接ようせつすることで対処たいしょされた。1939ねん10がつ26にち武器ぶきしょうはガストラップしき廃止はいし要求ようきゅうした。1940ねんあきごろからこれらの欠陥けっかん解消かいしょうしたモデルの出荷しゅっかはじまった。

それ以外いがいにも様々さまざま改良かいりょうおこなわれた。1937ねん時点じてんではすべての部品ぶひん図面ずめん番号ばんごうられていたが、やがて生産せいさんせい向上こうじょうさせるために省略しょうりゃくされるようになった。1940ねん後半こうはん、クリーニングキットをおさめるためのスペースが銃床じゅうしょうないもうけられた。オペレーションロッドの形状けいじょうどう時期じき変更へんこうされている。初期しょきがたのガーランドも、定期ていきてきなオーバーホールのさい同様どうよう改修かいしゅうほどこされた[4]

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

エンブロック・クリップ[編集へんしゅう]

クリップ
クリップを装填そうてんする様子ようす

M1ガーランドのおおきな特徴とくちょうの1つが、エンブロック・クリップ装弾そうだん方式ほうしきである。これは、8はつ小銃しょうじゅう弾薬だんやく挿弾(クリップ)にめておき、じゅうボルトけて上部じょうぶからクリップごと装弾そうだんする方法ほうほうである。発射はっしゃわると、最終さいしゅうだんはいさいかち同時どうじにクリップも排出はいしゅつされ、ボルトが後退こうたい位置いちまってホールドオープン状態じょうたいとなる。着脱ちゃくだつしき弾倉だんそうではそらになった弾倉だんそうはず操作そうさようするのにたいして、このシステムはその必要ひつようく、即座そくざ装填そうてん操作そうさ移行いこうできることになる。じゅう自体じたい装弾そうだんすうは8はつすくないものの、さい装填そうてんかる時間じかんそのものは着脱ちゃくだつしき弾倉だんそうよりシンプルで素早すばやいシステムでもあった。

M1ガーランドの前身ぜんしんとなる試作しさくじゅうT1919は、ブローニングM1918自動じどう小銃しょうじゅうとよく着脱ちゃくだつしきの20連発れんぱつばこがた弾倉だんそうそなえており、つづいて設計せっけいされたT1920も同様どうよう着脱ちゃくだつしきばこがた弾倉だんそうそなえていた。しかし、1921ねん2がつ1にち兵器へいき委員いいんかいからしめされたあらたな要件ようけんにおいては、固定こていしき弾倉だんそうほうこのましく、また装弾そうだんすうは10はつ以下いかであることがもとめられた。これはあたらしい種類しゅるいじゅう採用さいようするにあたり、ながらく主力しゅりょく小銃しょうじゅうとして使つかわれてきたM1903小銃しょうじゅう設計せっけいからの逸脱いつだつ当局とうきょくきらったことにくわえ、10はつ連発れんぱつ以上いじょう着脱ちゃくだつしきばこがた弾倉だんそうおもすぎる、設計せっけいじょう高価こうかになりうるうえ損傷そんしょうしやすい、せた状態じょうたいでの射撃しゃげきむずかしくなるなどとかんがえられたからだとわれている。そのため、T1920は固定こていしき弾倉だんそうあらためられ、つづいて設計せっけいされたT1921も同様どうよう固定こていしき弾倉だんそうまれていた。エンブロック・クリップは、元々もともと次期じき主力しゅりょく小銃しょうじゅう選定せんてい最中さいちゅうジョン・ピダーセン英語えいごばん技師ぎしみずからの設計せっけいあんピダーセン自動じどう小銃しょうじゅう)にれたアイデアで、これによって固定こていしき弾倉だんそうこのましいとする要件ようけんたしつつ、M1903小銃しょうじゅう使つかわれていたストリッパー・クリップよりも素早すばやさい装填そうてん可能かのうになるとされた。これが武器ぶきしょうたか評価ひょうかされたことで、ガーランド設計せっけいあんでも同様どうよう装填そうてん方法ほうほう採用さいようされることになった[6]

この設計せっけいは、しばしば欠点けってんとしても指摘してきされる[6]ボルト後方こうほう固定こていするための独立どくりつした機構きこうはないため、射撃しゃげき途中とちゅう弾薬だんやく一発いっぱつずつ追加ついか装弾そうだんすることが事実じじつじょう不可能ふかのうとなっている。ボルトを後方こうほう保持ほじしながら弾薬だんやく追加ついか装弾そうだんすることは不可能ふかのうではないが、これをおこなうには両手りょうて操作そうさ必要ひつようであり、射撃しゃげき再開さいかいまでに時間じかんようしたり、機関きかん異物いぶつ障害しょうがい原因げんいんとなるため、追加ついか装弾そうだん実際じっさいにはほとんどおこなわれなかった。っていない弾倉だんそうないのクリップをすリリースボタンも、ボルトをいた状態じょうたい操作そうさしなければならず、やはり両手りょうて操作そうさもとめられた。そのため、戦闘せんとう合間あいまあたらしい挿弾補充ほじゅうする意図いとで、弾倉だんそうないざんだんをわざと適当てきとうくす「ムダだんち」がしばしばおこなわれていた。また、装填そうてんにボルトやオペレーティングロッドで手指しゅしはさつぶす(「ガーランド・サム」)危険きけんつねともなった。

また、最終さいしゅうだん発射はっしゃにははいさいかち同時どうじにクリップも排出はいしゅつされるが、その排出はいしゅつさいにクリップにより「ピーン」という甲高かんだか金属きんぞくおと発生はっせいする。これにより、てき最終さいしゅうだん発射はっしゃらせてしまうことを問題もんだいする兵士へいしもいた。ただし、実際じっさいにこのおと原因げんいん死者ししゃたという記録きろくのこされていない[6]

運用うんよう[編集へんしゅう]

タラワ上陸じょうりくする海兵かいへい隊員たいいん

1936ねん採用さいようされたのち、1937ねんにはスプリングフィールド造兵ぞうへいしょうでの生産せいさんはじまり、1938ねんから部隊ぶたいへの配備はいびはじまった[5]だい世界せかい大戦たいせんつうじてアメリカぐん主力しゅりょく歩兵ほへいじゅうとして運用うんようされた。はん自動じどう小銃しょうじゅう自体じたい各国かっこく開発かいはつされていたものの、標準ひょうじゅんてき歩兵ほへいじゅうとして配備はいびすることに成功せいこうしたのはアメリカのみだった[1]

最初さいしょ実戦じっせん投入とうにゅうは、1941ねん12月にはじまったフィリピンのたたかにおいてであった。ただし、ほとんどのアメリカへいおよびフィリピンへいはM1903小銃しょうじゅう支給しきゅうされていた。1942ねん8がつはじまったガダルカナルとうたたかでは、最初さいしょ上陸じょうりくした海兵かいへいたいでは依然いぜんとしてM1903小銃しょうじゅう使つかわれていたが、2ヶ月かげつの10がつ上陸じょうりくした陸軍りくぐん部隊ぶたいにはM1ガーランドが配備はいびされていた。1942ねん11月のきたアフリカ侵攻しんこうトーチ作戦さくせん)に参加さんかした陸軍りくぐん部隊ぶたいにも使用しようされている[7]。ヨーロッパ戦線せんせんでは、1942ねん8がつディエップのたたか参加さんかした陸軍りくぐんレンジャー部隊ぶたい(United States Army Rangers)がはじめて使用しようした[8]

レンドリースほうなどにしたがい、アメリカとともたたか連合れんごう各国かっこくにもM1ガーランドが供給きょうきゅうされた。1941ねん3がつ27にちにはイギリスたいする供給きょうきゅう決定けっていし、1942ねん6がつまでに38,001ちょうのM1ガーランドがイングランドへとおくられた。これらのM1ガーランドにはイギリスぐん標準ひょうじゅん装備そうび意味いみするあか帯状おびじょう塗装とそうほどこされていたほか、銃床じゅうしょうなどにも刻印こくいんおこなわれていた。しかし、どう時期じきドイツぐんえい本土ほんど侵攻しんこう頓挫とんざしたことで早急そうきゅう配備はいび必要ひつようせいうすれたため、M1ガーランドは一部いちぶホーム・ガード空軍くうぐん基地きち警備けいびたい配備はいびされるにまり、だい部分ぶぶん配備はいびされないままアメリカへとおくかえされた[9]。1945ねんまつまでに、スプリングフィールドおよびウィンチェスターによって4,000,000ちょう以上いじょうのM1ガーランドが製造せいぞうされた[5]

1945ねん終戦しゅうせんにともない新規しんき調達ちょうたつ中止ちゅうしされたものの、1950ねん勃発ぼっぱつした朝鮮ちょうせん戦争せんそう影響えいきょう備蓄びちくぶん装備そうび枯渇こかつはじめたため、1951ねんからさい生産せいさんはじまった[10]。スプリングフィールドのほか、インターナショナル・ハーベスター英語えいごばんおよびハーリントン&リチャードソン英語えいごばんでも生産せいさんおこなわれた[5]あたらしい生産せいさんラインが構築こうちくされるまでは、在庫ざいことしてのこされていたM1C狙撃そげきじゅうなどの余剰よじょう部品ぶひん使つかったM1ガーランドが製造せいぞうされた[10]。1957ねんまでに1,500,000ちょうのM1ガーランドが製造せいぞうされた[5]

だい世界せかい大戦たいせんちゅうの1944ねんごろから、M1ガーランドにセレクティブファイア機能きのう着脱ちゃくだつしきばこがた弾倉だんそうなどを追加ついかする改良かいりょう計画けいかくすすめられていた。その結果けっかとして設計せっけいされたのがM14小銃しょうじゅうである。1957ねん、M1ガーランドだけではなく、アメリカぐんにおける標準ひょうじゅんてき歩兵ほへいようしょう火器かき、すなわちM1/M2カービンM3/M3A1たん機関きかんじゅうM1918自動じどうじゅうすべてを同時どうじ更新こうしんする装備そうびとしてM14が採用さいようされた[11]

派生はせいがた[編集へんしゅう]

狙撃そげきじゅう[編集へんしゅう]

M1C(M84 スコープき)
M1D(M84 スコープ、T37消炎しょうえんき)

1941ねん12月の真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき時点じてんで、アメリカぐん狙撃そげきじゅう制式せいしき採用さいようしていなかった。開戦かいせん、M1ガーランドの狙撃そげきじゅう仕様しようもとめるこえおおきくなっていたが、従来じゅうらいのボルトアクション小銃しょうじゅうのように機関きかん真上まうえにスコープをけること構造こうぞうじょう不可能ふかのうで、プリズムがたスコープなど様々さまざま解決かいけつ方法ほうほう模索もさくされた。1943ねんには暫定ざんていてき措置そちとして、M1903A3小銃しょうじゅう原型げんけいとしたM1903A4狙撃そげきじゅう(U.S. Rifle, Caliber .30, M1903A4, Snipers)が制式せいしき採用さいようされた。M1903A4はM1ガーランド狙撃そげきじゅう仕様しよう開発かいはつおくれもあいまって、大戦たいせんつうじてひろ配備はいびされることとなる。

最終さいしゅうてきには機関きかん左側ひだりがわめんにオフセットしたスコープマウントを、また銃床じゅうしょうにチークパットをけるデザインが最適さいてき判断はんだんされた。これにしたがってGriffin & Howe英語えいごばんしゃ設計せっけいしたM1E7は、マウントベースをけるためのネジあな機関きかんもうけた以外いがいには、基本きほんてき変更へんこうくわえられていなかった。1944ねん7がつ27にち、M1E7はM1C狙撃そげきじゅう(U.S. Rifle, Cal. .30, M1C, Snipers)として制式せいしき採用さいようされた。一方いっぽう、ジョン・ガーランド自身じしんがけたM1E8は、銃身じゅうしん後部こうぶにマウントベースが直接ちょくせつまれており、素早すばやくスコープをはずすことができる構造こうぞうになっていた。M1E8はM1D狙撃そげきじゅう(U.S. Rifle, Cal. .30, M1D, Snipers)として採用さいようされた。ただし、M1Dはじゅん制式せいしき(Substitute Standard)と位置いちづけられ、おも調達ちょうたつされたのはM1Cだった。

1944ねん10がつ、M1CけにM72スコープが採用さいようされる。これは市販しはんされていたレイマンしゃ(Lyman Co.)せいのアラスカンがた全天候ぜんてんこうがたスコープを制式せいしき採用さいようしたものである。M72に対物たいぶつレンズがわけなどの改良かいりょうくわえたのがM81スコープで、倍率ばいりつは2.2ばいだった。その、さらに改良かいりょうくわえたM82が採用さいようされている。1945ねん1がつ25にち狙撃そげきしゅよう消炎しょうえんとしてM2消炎しょうえん(Hider, Flash, M2)が採用さいようされた。M2消炎しょうえん着剣ちゃっけん装置そうちもちいて固定こていした。終戦しゅうせん開発かいはつされたT37消炎しょうえんもあったが、いずれも効果こうかかぎられており、射撃しゃげき精度せいどにも悪影響あくえいきょうおよぼすとしてひろくは使用しようされなかった。

当初とうしょ、M1Cは21,158ちょう調達ちょうたつされる予定よていだったが、狙撃そげきじゅうという性質せいしつじょうたか精度せいどでの部品ぶひん製造せいぞう組立くみたてもとめられたため、終戦しゅうせんまでの調達ちょうたつすうは7,971ちょうとどまっていた。M1Cは太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっきから朝鮮ちょうせん戦争せんそうごろまで使用しようされたが、1951ねんごろからは実戦じっせんつうじてM1Dのほうすぐれた設計せっけいかんがえられるようになった。以後いご、M1Dの本格ほんかくてき製造せいぞう調達ちょうたつはじまり、退役たいえきしたM1CはM1ガーランドにさい改修かいしゅうされたのち友好国ゆうこうこくへの軍事ぐんじ援助えんじょなどにもちいられた。また、朝鮮ちょうせん戦争せんそうちゅうには海兵かいへいたい要望ようぼうけ、M1Cにコルモーゲン・オプティクスしゃ(Kollmorgen Optical Co.)せいの4ばいスコープをけたUSMC 1952狙撃そげきじゅう(USMC 1952 Sniper’s Rifle)が開発かいはつされている[12]

タンカー・ガーランド[編集へんしゅう]

M1ガーランドのたん小銃しょうじゅうモデルとして試作しさくされたM1E5およびT26は、戦車せんしゃへいよう意味いみするタンカー(Tanker)の通称つうしょうられる。ただし、実際じっさいには小型こがた火器かきもとめる空挺くうてい隊員たいいんや、ジャングルの特殊とくしゅ環境かんきょうなかたたか兵士へいし要望ようぼうにもとづいて設計せっけいされたとわれている。

1943ねんごろからかく戦線せんせんにてM1ガーランドのカービンモデルをもとめるこえがりはじめ、1944ねん1がつにはだい93歩兵ほへい師団しだんにて試作しさくされたたん小銃しょうじゅう性能せいのう試験しけんおこなわれ、その結果けっかけてスプリングフィールド造兵ぞうへいしょうにて短小たんしょうじゅう開発かいはつはじまった。数ヶ月すうかげつ設計せっけいされたM1E5は24インチから18インチまで短縮たんしゅくしたたん銃身じゅうしん開発かいはつしゃガーランドが提案ていあんした金属きんぞくせいおりたたみしき銃床じゅうしょうそなえていた。その性能せいのう試験しけんけておりたたみしきのピストルグリップも追加ついかされた。たん銃身じゅうしんによる射撃しゃげき精度せいどへの直接ちょくせつ影響えいきょうすくなかったものの、おおきな銃声じゅうせい発砲はっぽうえん反動はんどう問題もんだいされ、あらたなマズルブレーキを設計せっけいする必要ひつようがあるとされたほか、銃床じゅうしょう強度きょうどかまえやすさに問題もんだいがあるとされた。結局けっきょく並行へいこうして開発かいはつされていたT20ライフルに人員じんいん集中しゅうちゅうさせるため、M1E5の計画けいかく放棄ほうきされた[13]。M1E5は1ちょうのみがテストよう製造せいぞうされた[14]

同年どうねんあき太平洋たいへいよう戦線せんせん委員いいんかい(Pacific Warfare Board, PWB)の指令しれいにより、少数しょうすうのM1ガーランドがたん小銃しょうじゅう改造かいぞうされた。このさい改造かいぞうかく部隊ぶたいにて手作業てさぎょうおこなわれた。太平洋たいへいよう戦線せんせんではジャングルが戦場せんじょうとなることもおおく、M1カービンよりも強力きょうりょくで「ブラッシュ・カッティング」(brush cutting, しげった草木くさき安定あんていして貫通かんつうする能力のうりょく)にすぐれたたん小銃しょうじゅうもとめられていたのである。これらはだい6ぐん指揮しき部隊ぶたいだい503落下傘らっかさん歩兵ほへい連隊れんたい英語えいごばん配備はいびされ、戦線せんせん各地かくちにて実戦じっせん試験しけんおこなわれた。その、PWBは試験しけん結果けっかとも改造かいぞうたん小銃しょうじゅうをサンプルとして本国ほんごくおくり、本格ほんかくてきたん小銃しょうじゅう設計せっけいおこなうようもとめた。これをけたスプリングフィールド造兵ぞうへいしょう開発かいはつしたT26は、固定こてい銃床じゅうしょうそなえるほかはM1E5とほとんど同一どういつ設計せっけいだった。問題もんだいてんわらず、銃声じゅうせい発砲はっぽうえん反動はんどうがM1ガーランドにくらべて非常ひじょうおおきかった。2ちょうのT26が1945ねん7がつ試作しさくされ、その15,000ちょう製造せいぞうされる予定よていだったが、8がつには日本にっぽん降伏ごうぶくして太平洋戦争たいへいようせんそう終結しゅうけつしたため、計画けいかくそのものが放棄ほうきされた[15]。PWBはM1ガーランド150ちょう改造かいぞうめいじていたものの、本国ほんごくからの評価ひょうか連絡れんらく必要ひつようがあったため、計画けいかく放棄ほうきまでに完了かんりょうはしていなかったとられ、現存げんそんひんすくない[14]

結局けっきょく、M1E5およびT26はきわめて少数しょうすうしか製造せいぞうされなかったが、M1ガーランドのカービンモデルというアイデアは、のち民生みんせいよう銃器じゅうき市場いちばよみがえることになる。1960年代ねんだい初頭しょとう一部いちぶ民間みんかん事業じぎょうしゃ放出ほうしゅつされた軍用ぐんようじゅう余剰よじょう部品ぶひん溶断ようだんされた部品ぶひんふくむ)のあつかいに着手ちゃくしゅした。そのなか1人ひとり、ロバート・E・ペニー・ジュニア(Robert E. Penney, Jr.)は、入手にゅうしゅした余剰よじょう部品ぶひんくわえ、復元ふくげんした溶断ようだん部品ぶひんもちい、民間みんかん市場いちばけにM1ガーランドを中心ちゅうしんとするライフルの販売はんばい開始かいしした。そしてかつて試作しさくされたたん小銃しょうじゅう存在そんざいっていたペニーは、しん製品せいひんとしてこれをしたライフルをつくり、戦車せんしゃへいよう短小たんしょうじゅうという印象いんしょうあたえるタンカー・ガーランド(Tanker Garand)なるニックネームをあたえたのである。当時とうじ民間みんかんじんにとって本物ほんもののM1ガーランドの入手にゅうしゅきわめて困難こんなんだったので、タンカーをふく復元ふくげんじゅうきは好調こうちょうだった。部品ぶひん新造しんぞうには膨大ぼうだい費用ひようがかかるため、余剰よじょう部品ぶひんのの枯渇こかつともにペニーは復元ふくげんじゅう販売はんばい中止ちゅうしして会社かいしゃ売却ばいきゃくした。しかし、企業きぎょうとうでも類似るいじ製品せいひん製造せいぞうおこなわれており、たん小銃しょうじゅうされたM1ガーランドをすタンカーというあやまったニックネームがひろまっていった[14]

M14[編集へんしゅう]

T20E2
M14

だい世界せかい大戦たいせんちゅうの1944ねんごろから、M1ガーランドにセレクティブファイア機能きのう着脱ちゃくだつしきばこがた弾倉だんそうなどを追加ついかする改良かいりょう計画けいかくすすめられていた。おおくの設計せっけいしゃがこの計画けいかく参加さんかし、多数たすう設計せっけいあん試作しさくされた。そのうち、M1ガーランドの設計せっけいしゃであるガーランド自身じしんがけたモデルがT20である。性能せいのう試験しけんのち改良かいりょうくわえたモデルがT20E2で、1945ねんには100,000ちょう調達ちょうたつ予定よていされたものの、まもなくして日本にっぽん降伏ごうぶくによりだい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつしたため、実際じっさい製造せいぞうすうは100ちょう程度ていどとどまった[11]

そのもT20E2をベースに設計せっけいすすめられ、1957ねんにはM14として制式せいしき採用さいようされることとなった。M1ガーランドと比較ひかくすると、使用しようだん7.62x51mm NATOだんあらためられているほか、着脱ちゃくだつしきばこがた弾倉だんそう採用さいようし、フルオート射撃しゃげき可能かのうになった。M14の派生はせいがたとして、民生みんせいがたM1A狙撃そげきじゅうかたM21などが存在そんざいする。ベトナム戦争せんそうなかM16自動じどう小銃しょうじゅう更新こうしんされた。

Mk 2[編集へんしゅう]

M14とM60機関きかんじゅう採用さいようによってアメリカぐん標準ひょうじゅん小銃しょうじゅうだん7.62x51mm NATOだんへと移行いこうしたが、いくつかの問題もんだいからM14の生産せいさんおくれがていたため、一部いちぶ部隊ぶたいではつづきM1ガーランドが使用しようされた。陸軍りくぐん武器ぶきしょうではM14の不足ふそくおぎなうため、M1ガーランドを7.62x51mmだん仕様しよう改造かいぞうすることを提案ていあんしたが、陸軍りくぐんおよび海兵かいへいたいではこれに反対はんたいし、M14が十分じゅうぶん供給きょうきゅうされるまでは.30-06だん仕様しようのM1ガーランドをそのまま使つか方針ほうしんった。一方いっぽう海軍かいぐんでは主要しゅよう武装ぶそうではないこともあって、陸軍りくぐん海兵かいへいたいくらべて装備そうび更新こうしん優先ゆうせんひくく、当面とうめんM14が配備はいびされないことがあきらかだった。そのため、7.62x51mmだん仕様しようのM1ガーランドを調達ちょうたつする方針ほうしんえらんだのである。1959ねん、ペンシルベニアしゅうヨーク海軍かいぐん兵器廠へいきしょうにて7.62x51mmだん仕様しようM1ガーランドの設計せっけいはじまった。1964ねん、スプリングフィールド造兵ぞうへいしょう海軍かいぐん要求ようきゅうしたがった7.62x51mmだん仕様しようM1ガーランドを試作しさくし、かり名称めいしょうM1E14をあたえた。M1E14の性能せいのう試験しけん結果けっかかんばしいものではなかったが、海軍かいぐんはこの計画けいかくをさらにすすめていった。その、7.62x51mmだん仕様しようM1ガーランドには海軍かいぐんしき命名めいめい規則きそく適用てきようされ、たとえばMK 2 MOD 0(バレルブッシングをけたモデル)、MK 2 MOD 1(新型しんがた銃身じゅうしんけたモデル)などとばれるようになった。設計せっけい難航なんこうしたこともあり、MK 2シリーズは比較的ひかくてき少数しょうすうしか使用しようされず、M14やM16更新こうしんされるまで.30-06だん仕様しようのまま使つかわれたM1ガーランドもおおかった[16]

よんしき自動じどう小銃しょうじゅう[編集へんしゅう]

よんしき自動じどう小銃しょうじゅう

日本にっぽんぐんによるコピー。「しき」だったともわれる。

BM59[編集へんしゅう]

BM59

だい世界せかい大戦たいせんイタリアにて、M1ガーランドを改造かいぞうする目的もくてき開発かいはつされた自動じどう小銃しょうじゅう着脱ちゃくだつしきはこがた弾倉だんそう使用しようする。M14に類似るいじするが設計せっけい別物べつもので、BM59はM1ガーランドの基本きほん構造こうぞういでいる。

オプション[編集へんしゅう]

M7グレネードランチャー装着そうちゃくすることで、22mmライフルグレネード発射はっしゃすることができる。ソケットがたのアダプターで、銃身じゅうしん先端せんたんにかぶせ、銃剣じゅうけん固定こていよう金具かなぐ固定こていする。使用しよう先立さきだって、ガスプラグを専用せんようのものに交換こうかんしておく必要ひつようがあった。これは通常つうじょうには標準ひょうじゅんがたガスプラグとおなじセミオート射撃しゃげきおこなえ、M7グレネードランチャーを装着そうちゃくするとガスチューブへのガス流入りゅうにゅう遮断しゃだんできた。 グレネード発射はっしゃするときには、一発いっぱつだけ空包くうほう装填そうてんする必要ひつようがある。

M1ガーランドの銃剣じゅうけんには、M1905E1M1942M1M5対応たいおうしている。

主力しゅりょく装備そうびとして採用さいようされたおもくに組織そしき[編集へんしゅう]

先代せんだい
U.S.M1カービン
自衛隊じえいたい制式せいしき小銃しょうじゅう
1951-現在げんざい
次代じだい
64しき7.62mm小銃しょうじゅう

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b U.S. Springfield M1 Garand Semi Automatic Rifle”. NRA Museums. 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Garand Vs. Pedersen” (PDF). American Rifleman. NRA (2009ねん6がつ17にち). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ The M1 Garand: Recent Developments in Auto Loaders”. American Rifleman. NRA (2011ねん6がつ10日とおか). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  4. ^ a b The Unknown M1 Garand”. American Rifleman. NRA (2015ねん9がつ15にち). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c d e History of the M1 Garand Rifle”. Garand Collectors Association. 2017ねん6がつ8にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c The En Bloc Clip: Don’t Blame John Garand”. American Rifleman. NRA. 2023ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ RIFLE, MILITARY - U.S. RIFLE M1 .30 SN# 2723026”. Springfield Armory Museum. 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  8. ^ The M1 Garand At Dieppe”. American Rifleman. NRA. 2019ねん3がつ24にち閲覧えつらん
  9. ^ Garands In The King's­ Service”. American Rifleman. NRA (2016ねん6がつ30にち). 2017ねん3がつ24にち閲覧えつらん
  10. ^ a b Post-World War II M1 Garand Rifles”. American Rifleman. NRA (2016ねん5がつ17にち). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  11. ^ a b The M14 Rifle: John Garand’s Final Legacy”. American Rifleman. NRA (2016ねん4がつ28にち). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  12. ^ The M1C Garand Sniper Rifle”. American Rifleman. NRA (2014ねん8がつ29にち). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  13. ^ M1E5: Folding Stock Garand Carbine”. Historical Firearms. 2017ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  14. ^ a b c 'Tanker Garands': The Real Story”. American Rifleman. NRA (2013ねん12月23にち). 2020ねん10がつ27にち閲覧えつらん
  15. ^ RIFLE, MILITARY - U.S. RIFLE T26 .30 SN# 2291873 (AKA: "TANKER GARAND")”. Springfield Armory Museum. 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  16. ^ 7.62x51 mm NATO U.S. Navy Garand Rifles”. American Rifleman. NRA (2013ねん12月23にち). 2017ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  17. ^ 「エリートフォーセス 陸上りくじょう自衛隊じえいたいへん[Part1]」p72
  18. ^ あたらしい「じょうじゅう」がお披露目ひろめ”. 航空こうくう新聞しんぶんしゃWING. 2019ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  19. ^ the M1 Garand in Vietnam”. 2020ねん8がつ22にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]