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ジョンソンM1941けい機関きかんじゅう

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ジョンソンM1941
ジョンソンM1941
概要がいよう
種類しゅるい けい機関きかんじゅう
製造せいぞうこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
設計せっけい製造せいぞう クランストン・アームズしゃ
性能せいのう
口径こうけい 7.62mm
銃身じゅうしんちょう 559mm
使用しよう弾薬だんやく .30-06スプリングフィールドだん(7.62x63mm)
装弾そうだんすう 20はつ着脱ちゃくだつしきはこがた弾倉だんそう
作動さどう方式ほうしき ショートリコイル方式ほうしき
全長ぜんちょう 1,066mm
重量じゅうりょう 6.49kg
発射はっしゃ速度そくど 600はつ/ぶん
銃口じゅうこう初速しょそく 853.6m/びょう
有効ゆうこう射程しゃてい 548m
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ジョンソンM1941けい機関きかんじゅう(ジョンソンM1941けいきかんじゅう、M1941 Johnson machine gun)は、だい世界せかい大戦たいせんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく開発かいはつされたけい機関きかんじゅうである。メルヴィン・ジョンソン英語えいごばん設計せっけいした。アメリカぐんによる制式せいしき採用さいようにはいたらず、一部いちぶ部隊ぶたい比較的ひかくてき少数しょうすう運用うんようされるにとどまった。

特徴とくちょう

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このじゅうは「けい機関きかんじゅう」(light machine gun)とばれていたが、比較的ひかくてき軽量けいりょうたまたいきゅうだん機能きのうそなえていなかったことから、アメリカぐんにおいてはブローニングM1918同等どうとうの「自動じどう小銃しょうじゅう」(automatic rifle)に相当そうとうする自動じどう火器かきなされた[1]設計せっけいしゃジョンソン自身じしんも、けい機関きかんじゅうではなく自動じどう小銃しょうじゅう、あるいは「けい機関きかん小銃しょうじゅう」(light machine rifle)という表現ひょうげんこのんだ。これは必要ひつようおうじ、小銃しょうじゅうのようにかまえて射撃しゃげきすることも可能かのうであるてん強調きょうちょうするためだった[2]

初期しょきモデルにはジョンソン小銃しょうじゅう同型どうけい銃剣じゅうけんけるための着剣ちゃっけんラグがあった[1]。セレクティブファイア機能きのうそなえ、セミオート射撃しゃげきにはクローズドボルト、フルオート射撃しゃげきにはオープンボルトの状態じょうたいから発砲はっぽうおこなわれた。そのためセミオート射撃しゃげきからフルオート射撃しゃげき直接ちょくせつ移行いこうするさいには、ボルトを手動しゅどう後退こうたいさせる必要ひつようがあり、くすりしつ弾薬だんやく一発いっぱつ使つかわないまま排出はいしゅつすることとなった。銃身じゅうしん交換こうかん容易よういで、マニュアルによれば、5-6びょう交換こうかん可能かのうとされていた。ちょく銃床じゅうしょうレイアウトのため、照準しょうじゅん位置いち比較的ひかくてきたかい。きゃく着脱ちゃくだつ可能かのうだった[2]銃身じゅうしん交換こうかんにはきゃくはず必要ひつようがあった。

左側ひだりがわめんから装填そうてんする20連発れんぱつばこがた弾倉だんそうにも独特どくとく設計せっけいれられていた。マガジンリップは機関きかんがわまれており、弾倉だんそうがわにはもうけられておらず、マガジンリリースレバーとうストッパーが弾薬だんやく固定こていする役割やくわりねていた。機関きかんにはジョンソン小銃しょうじゅうどう方式ほうしきの5連発れんぱつロータリーがた弾倉だんそうまれていた。弾倉だんそう交換こうかんせずにクリップで追加ついか装填そうてんおこなうことも可能かのうで、じゅう内部ないぶには25はつ弾薬だんやく保持ほじすることができた。たんれつしきのためなが嵩張かさばったほか、破損はそんもしやすかった[2]

ロータリーがた弾倉だんそうは、ブローニングM1918の弾倉だんそうをそのまま装填そうてんできた初期しょきがたジョンソン小銃しょうじゅう試験しけんさい弾薬だんやくぎゃく装填そうてんして弾倉だんそうのフィードリップを破損はそんさせた兵士へいしがおり、これをM1ガーランドの成績せいせきたかめるための「不正ふせい」の一環いっかんだとかんがえていたジョンソンが、同様どうようの「不正ふせい」をおこなえない機構きこうとして考案こうあんしたものである。ジョンソンけい機関きかんじゅう弾倉だんそうがダブルフィードではなくシングルフィードなのも、やはり「不正ふせい」を警戒けいかいしての設計せっけいであった[3]

歴史れきし

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ジョンソン小銃しょうじゅう

予備よびやく海兵かいへい大尉たいいでもあった弁護士べんごしメルヴィン・ジョンソン英語えいごばんは、当時とうじ次期じき主力しゅりょく小銃しょうじゅう有力ゆうりょく候補こうほされていたはん自動じどう小銃しょうじゅう否定ひていてき評価ひょうかくだした銃器じゅうき設計せっけいしゃ1人ひとりだった。ジョンソンの見解けんかいにおいて、2つの有力ゆうりょく候補こうほ、すなわちジョン・ガーランド設計せっけいあんM1ガーランド)とジョン・ピダーセン英語えいごばん設計せっけいあんピダーセン自動じどう小銃しょうじゅう)は、いずれも欠陥けっかんがあり、大量たいりょう生産せいさんにもかないとされた。こうしてジョンソンは信頼しんらいせい射撃しゃげき精度せいどがよりすぐれ、量産りょうさんにもてきした小銃しょうじゅう設計せっけい着手ちゃくしゅし、1935ねんにスクラップ部品ぶひんもちいて最初さいしょ試作しさくひん完成かんせいさせた。1937ねん9がつ28にちには一連いちれん銃器じゅうき設計せっけい関連かんれんする最初さいしょ特許とっきょアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく特許とっきょだい 2,094,156ごう)を取得しゅとくしている[4]

ジョンソンはみずか設計せっけいした小銃しょうじゅう採用さいようするように軍部ぐんぶへとはたらきかけ、いくつかの試験しけんでは良好りょうこう成績せいせきおさめたものの、すで陸軍りくぐんがガーランド小銃しょうじゅう採用さいよう決定けっていし、量産りょうさん体制たいせいととのえられていたため、部品ぶひん調達ちょうたつなど兵站へいたんうえ理由りゆう背景はいけいに、ジョンソンは1941ねんはじめにガーランド小銃しょうじゅうへの支持しじ表明ひょうめいし、みずからの設計せっけいあん撤回てっかいした[4]

当時とうじ、ジョンソンは小銃しょうじゅう並行へいこうしてけい機関きかんじゅう設計せっけいおこなっていた。これは小銃しょうじゅう同様どうよう動作どうさ機構きこう採用さいようし、部品ぶひんだい部分ぶぶん共通きょうつうで、おな設備せつび容易ようい製造せいぞうすることができた。重量じゅうりょうは12ポンドをわずかに上回うわまわ程度ていどで、ブローニングM1918自動じどう小銃しょうじゅうよりもかるかった。また、交換こうかん容易ようい銃身じゅうしんそなえることは、M1918と比較ひかくしたさいおおきなアドバンテージだった[1]。ジョンソンは21ポンドというおもさ、ガスあつ作動さどう方式ほうしき構造こうぞうじょう火薬かやくのススがまりやすいこと、銃身じゅうしん交換こうかん手間てまかること、使用しよう頻度ひんどたかいので頻繁ひんぱんなオーバーホールがもとめられることをM1918A2のおおきな欠点けってんとらえていた[3]

しかし、いずれにせよジョンソンけい機関きかんじゅう小銃しょうじゅう同様どうよう制式せいしき採用さいよう見送みおくられた。ヨーロッパ各国かっこくめぐってったみでは、いくつかのくにがジョンソンけい機関きかんじゅう興味きょうみしめしたものの、発注はっちゅうおこなわれなかった。これらの銃器じゅうきのさらなる改良かいりょうすすめるべく、ジョンソンはジョンソン・オートマティクスしゃ(Johnson Automatics, Inc.)を設立せつりつし、改良かいりょうくわえた小銃しょうじゅうおよびけい機関きかんじゅうたいし、ぐんでの採用さいよう想定そうていしたM1941という名称めいしょうあたえた[1]

こうして発表はっぴょうされたM1941けい機関きかんじゅう興味きょうみしめしたのが、オランダ購買こうばい委員いいんかい(Netherlands Purchasing Commission , NPC)だった。オランダでは、オランダりょうひがしインド陸軍りくぐんらんしるし陸軍りくぐん)の装備そうび更新こうしんするための近代きんだいてき火器かきもとめられていた。デモンストレーションをて、NPCはジョンソンけい機関きかんじゅうおよびジョンソン小銃しょうじゅう購入こうにゅうした。ジョンソンしゃ製造せいぞう設備せつび保有ほゆうしていなかったため、クランストン繊維せんい工場こうじょう買収ばいしゅうし、オランダとの契約けいやくもとづく銃器じゅうき製造せいぞうになうメーカーとしてクランストン・アームズしゃ(Cranston Arms Company)がげられた[1]。ただし、直後ちょくごはじまった日本にっぽんぐん侵攻しんこうらんしるし作戦さくせん)の影響えいきょうで、現地げんちとどいたジョンソンけい機関きかんじゅうはごくわずかだった。

ドロールM1949

その、M1944としてられる改良かいりょうがた発表はっぴょうされた。しばしば故障こしょう指摘してきされた機関きかんさい設計せっけいおこなわれたほか、銃床じゅうしょう金属きんぞくパイプせい、グリップはプラスチックせいあらためられ、木製もくせい部品ぶひんすべ除去じょきょされた。着脱ちゃくだつしききゃく廃止はいしされ、わりに一体いったいしきたんあし採用さいようされた。たんあしりたたむとフォアグリップとして使用しようできた。銃床じゅうしょうのバッファスプリングを交換こうかんすると、射撃しゃげき速度そくどを350はつ/ぶんから750はつ/ぶんまで変更へんこうすることができた。騎兵きへい空挺くうてい隊員たいいんけのオプションとして、20インチのたん銃身じゅうしん設計せっけいされた[2]

1943ねん12月、10ちょうのM1944がアバディーン試験場しけんじょうまれて審査しんさけた。このさいには悪条件あくじょうけんでの試験しけん問題もんだいきたしたものの、つづけてクアンティコ海兵かいへいたい基地きち英語えいごばんおこなわれた海兵かいへい装備そうび委員いいんかいによる試験しけんではたか評価ひょうかされ、アメリカ海兵かいへいたいにおけるM1918の後継こうけい装備そうびとして推薦すいせんされた。しかし、結局けっきょく陸軍りくぐん採用さいよう見送みおくっていることから、部品ぶひん調達ちょうたつなど兵站へいたんじょう問題もんだいこすおそれがあるとして、制式せいしき採用さいようにはいたらなかった。それでもジョンソンは改良かいりょうすすめ、M1944E1としてられるモデルを開発かいはつした。これはのちにM1945と改称かいしょうされた[5]

M1944E1ではバレルベアリングにガスポートをもうけ、ここから機関きかんのバレルサポーターへとけるガスの圧力あつりょく利用りよう銃身じゅうしん後退こうたい補助ほじょすることで、砂塵さじんとう異物いぶつ混入こんにゅうした場合ばあいでも動作どうさ不良ふりょうきづらくなっていた。同時どうじ発射はっしゃ速度そくどは600 - 700はつ/ぶん程度ていどまでがっており、関連かんれんしてボルト閉鎖へいさシステムも改良かいりょうされている。1945ねん2がつ、M1944E1の試作しさくひん10ちょう陸軍りくぐん購入こうにゅうし、そのうち1ちょうが1945ねん7がつ20日はつかから8がつ6にちにかけての耐久たいきゅう試験しけんもちいられたが、たかすぎる発射はっしゃ速度そくどのため部品ぶひん破損はそん頻発ひんぱつし、試験しけん途中とちゅう中断ちゅうだんされることとなった。以後いご改良かいりょう試験しけんこころみられたが、1945ねん9がつ2にち日本にっぽん降伏ごうぶくによってプロジェクトの重要じゅうようせい大幅おおはば低下ていかし、同年どうねん10がつ終了しゅうりょう宣言せんげんされた[5]

T48

M1945の最後さいご試験しけんおこなわれているころ陸軍りくぐん武器ぶきしょうでは、M1918とM1919A6役割やくわり統合とうごうした銃器じゅうき開発かいはつこころみられていた。武器ぶきしょうはこの火器かきについて、交換こうかん容易ようい銃身じゅうしんたまたいきゅうだんおりたたみしききゃくちょく銃床じゅうしょう、さらにセレクティブファイア機能きのうそなえ、セミオート射撃しゃげきにはクローズドボルト、フルオート射撃しゃげきにはオープンボルトの状態じょうたいから発砲はっぽうおこなうことといった要件ようけんしめした。M1945はこの要件ようけん非常ひじょうちかく、1946ねん8がつにはたまたいきゅうだんへの変換へんかん可能かのうとした試作しさくひん2ちょうがT40なる名称めいしょう陸軍りくぐんへとわたされた。いで設計せっけいされたT48とT53は開発かいはつちゅうしん弾薬だんやくT65だん7.62x51mm NATOだん前身ぜんしん仕様しようのモデルで、きゅうだん機構きこう交換こうかんすれば、20連発れんぱつばこがた弾倉だんそうたまたいのどちらからでもきゅうだんおこなえた。しかし、終戦しゅうせんによってしょう火器かき開発かいはつ重要じゅうようせい低下ていかしたことにくわえ、ジョンソンしゃ財政ざいせいじょう問題もんだいかさなり、1948ねん初頭しょとうには関連かんれんするすべてのプロジェクトが放棄ほうきされた[6]

1950年代ねんだいはいると、イスラエルでM1944を原型げんけいとするドロールけい機関きかんじゅう開発かいはつされた[2]

運用うんよう

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M1941けい機関きかんじゅう射撃しゃげきするパラマリーンズの隊員たいいん(1943ねん

アメリカ海兵かいへいたいでは、1941ねん編成へんせいされた落下傘らっかさん部隊ぶたいパラマリーンズ英語えいごばんけの装備そうびとして、軽量けいりょうかつ火力かりょくすぐれ、銃身じゅうしんおよび銃床じゅうしょうはずしも容易よういなジョンソンけい機関きかんじゅう注目ちゅうもくあつまった。そしてジョンソンしゃとNPCをまじえた協議きょうぎて、パラマリーンズにも必要ひつようなだけのジョンソンけい機関きかんじゅう供給きょうきゅうされることとなった。そのほか、特殊とくしゅ部隊ぶたいマリーン・レイダーズ英語えいごばんでも比較的ひかくてき少数しょうすう調達ちょうたつされた。また、べいぐん合同ごうどう特殊とくしゅ部隊ぶたいである悪魔あくま旅団りょだんもパラマリーンズとおな理由りゆうからジョンソンけい機関きかんじゅう注目ちゅうもくし、1943ねん6がつ29にちには海兵かいへいたいから125ちょうゆずけている[7]

秘密ひみつ活動かつどう部局ぶきょくである戦略せんりゃく情報じょうほうきょく(OSS)でも、分解ぶんかいして隠匿いんとくすることが容易よういであるとして、ジョンソンけい機関きかんじゅうおよびジョンソン小銃しょうじゅう少数しょうすう使用しようした[2]

だい世界せかい大戦たいせんには、フィデル・カストロひきいるゲリラがバティスタ政権せいけんたいするキューバ革命かくめいさい使用しようしたことがられる。皮肉ひにくなことに、カストロがキューバを支配しはいするようになったのちには、反共はんきょうキューバじん部隊ぶたいがカストロにたいする抵抗ていこうのためにジョンソンけい機関きかんじゅう使用しようした[2]

実戦じっせんではたか精度せいど交換こうかん容易ようい銃身じゅうしんなどがこう評価ひょうかされた一方いっぽう、ジャングルではたか照準しょうじゅん側面そくめん弾倉だんそう草木くさきからまることがおおかったほか、弾倉だんそう携行けいこうするためのポーチが十分じゅうぶん供給きょうきゅうされていないことも問題もんだいとして指摘してきされた[1]

試作しさくカービン

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ジョンソン・オートカービンをにするパラマリーンズ隊員たいいん。このオートカービンはトーガソンからされたものである

らんしるし陸軍りくぐんぞくするひがしインドじん兵士へいしは、アメリカじんよりも小柄こがらであり、かれらにとってジョンソン小銃しょうじゅうながすぎてあつかいにくいのではないかとかんがえられた。そこで、よりみじか使つかいやすい小銃しょうじゅうとしてジョンソン・オートカービンの設計せっけいおこなわれた。オートカービンは、基本きほんてきにはジョンソンけい機関きかんじゅうきゅうだん機構きこうをジョンソン小銃しょうじゅうおな固定こていしきの10連発れんぱつロータリーがた弾倉だんそうあらため、小型こがた軽量けいりょうのためのしょう改良かいりょうくわえたものである。けい機関きかんじゅうようの22インチ銃身じゅうしんがそのままけられいるため、十分じゅうぶん射撃しゃげき精度せいどがあるとされた。構造こうぞう共通きょうつうしており、外見がいけんてはいたものの、すくなからぬ部品ぶひんけい機関きかんじゅう小銃しょうじゅう互換ごかんせいのない専用せんよう設計せっけいであった。重量じゅうりょうは8.75 lb (3,970 g)、全長ぜんちょうは38 in (970 mm)であった。試作しさくじゅうは5ちょうつくられたことがられており、いずれも細部さいぶ設計せっけいことなる。オートカービンの設計せっけいにあたり、ジョンソンはけい機関きかんじゅうとオートカービンのみで部隊ぶたい武装ぶそうさせる構想こうそうかたっていた[8]

当時とうじ海兵かいへいたいとジョンソンしゃ連絡れんらくやくつとめていたハリー・L・トーガソン海兵かいへい中尉ちゅうい(Harry L. Torgerson[ちゅう 1])は、ジョンソンが設計せっけいした一連いちれん自動じどう火器かききわめてたか評価ひょうかしていた。トーガソンは1941ねん9がつ海兵かいへいたい装備そうび委員いいんかい要請ようせいのもと落下傘らっかさん降下こうかおよびジョンソンけい機関きかんじゅう射撃しゃげき実演じつえんおこない、このとき検討けんとう設置せっちされたパラマリーンズにも参加さんかしていた。クラクストンの工場こうじょう訪問ほうもんしたさい、トーガソンはオートカービンを実際じっさい射撃しゃげきし、いた感銘かんめいけた。本来ほんらい試作しさくじゅうしはきんじられていたのだが、最終さいしゅうてきにジョンソンはトーガソンに試作しさくじゅうわたすことをみとめた。ブーゲンビルとう野営やえいなどでオートカービンをにするトーガソンの写真しゃしんなんまいのこされており、細部さいぶちがいがみとめられることからすくなくとも2ちょうがトーガソンにわたされていたとかんがえられている。トーガソンは退役たいえき製造せいぞう番号ばんごうS-5の試作しさくじゅう所有しょゆうしていた。このS-5ばん試作しさくじゅうは、オートカービンの唯一ゆいいつ現存げんそんひんである[8]

1946ねん後半こうはんアルゼンチンからの要望ようぼうもとづき、M1947としてられるビン銃びんじゅうが1ちょうのみ試作しさくされたものの、情報じょうほうはほとんどのこされていない。以前いぜんのオートカービンとはことなるが、設計せっけいにはけい機関きかんじゅう共通きょうつうした部分ぶぶんがあったとわれている。アルゼンチンは購入こうにゅう見送みおくり、M1947の追加ついか製造せいぞうおこなわれなかった。1949ねん、ジョンソンしゃ破産はさんした[8]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f GUN, MACHINE - U.S. MACHINE GUN JOHNSON MODEL 1941 .30 SN# 1375”. Springfield Armory Museum - Collection Record. 2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g The Johnson Automatics, Part II: The Johnson Light Machine Gun”. SmallArmsReview.com. 2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ a b Melvin Johnson’s M1941 and M1944: America’s Best Light Machine Guns that the Army Failed to Adopt”. Small Arms Review. 2024ねん2がつ3にち閲覧えつらん
  4. ^ a b History”. Johnson Rifle Site. 2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ a b Johnson M1944E1”. Forgotten Weapons. 2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ Johnson T40/T48/T53”. Forgotten Weapons. 2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  7. ^ GUN, MACHINE - U.S. MACHINE GUN JOHNSON MODEL 1941 .30 SN# 0107”. Springfield Armory Museum - Collection Record. 2019ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c The Johnson Auto-Carbine: A Firearm History Footnote”. American Rifleman. 2024ねん2がつ9にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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