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江戸時代、橋の周辺は[[船宿|舟宿]]街として賑わい、[[近松門左衛門]]の戯曲「生玉心中」の舞台ともなった<ref name="city"/>。 |
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このあたりには、大和橋と中橋の二橋が架かっていたが、宝暦年間に大和橋が廃され、道頓堀川にそそぐ東横堀川に、上大和橋が架けられたことにより、中橋が下大和橋となった<ref>[http://www.cvv.jp/CVV2/kengakukai/2016_8th(naniwa%20no%20meikyo)(2017.1.16)/image/(5)shimoyamato_bashi/(12)(J).jpg] </ref>。 |
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この辺りには、大和橋と中橋の二橋が架かっていたが、宝暦年間に大和橋が廃され、道頓堀川に注ぐ東横堀川に、上大和橋が架けられたことにより、中橋が下大和橋となった<ref>[http://www.cvv.jp/CVV2/kengakukai/2016_8th(naniwa%20no%20meikyo)(2017.1.16)/image/(5)shimoyamato_bashi/(12)(J).jpg]</ref>。 |
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架橋以来木橋であったが、1928年(昭和3年)に永久橋に置き換えられ、1987年(昭和62年)に現在の橋に架け替えられた<ref name="city"/>。 |
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架橋以来木橋であったが、1928年(昭和3年)に永久橋に置き換えられ、1987年(昭和62年)に現在の橋に架け替えられた<ref name="city"/>。 |
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2022年3月13日 (日) 05:38時点における最新版
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下大和橋(しもやまとばし)は、大阪市中央区の道頓堀川に架けられた橋(道路橋)。大阪市中央区道頓堀1丁目と中央区島之内2丁目を結んでいる。道頓堀川の最上流に架かる橋梁である[1]。
土木学会関西支部による「浪速の名橋50選」に選定されている[2]。
江戸時代、橋の周辺は舟宿街として賑わい、近松門左衛門の戯曲「生玉心中」の舞台ともなった[1]。
この辺りには、大和橋と中橋の二橋が架かっていたが、宝暦年間に大和橋が廃され、道頓堀川に注ぐ東横堀川に、上大和橋が架けられたことにより、中橋が下大和橋となった[3]。
架橋以来木橋であったが、1928年(昭和3年)に永久橋に置き換えられ、1987年(昭和62年)に現在の橋に架け替えられた[1]。
座標: 北緯34度40分08秒 東経135度30分33秒 / 北緯34.66892度 東経135.50905度 / 34.66892; 135.50905 (下大和橋)