ダニー・ティアット

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ダニー・ティアット
名前なまえ
本名ほんみょう ダニエレ・アマデオ・ティアット
ラテン文字もじ Danny Tiatto
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき オーストラリアの旗 オーストラリア
イタリアの旗 イタリア
生年月日せいねんがっぴ (1973-05-22) 1973ねん5月22にち(51さい
出身しゅっしん ビクトリアしゅうウェリビー
身長しんちょう 175cm
体重たいじゅう 73kg
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション DF(LB)/MF(LMF)
あし 左足ひだりあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1990-1991 オーストラリアの旗 マリバーノン・ポロニア
1992-1994 オーストラリアの旗 ブリーン・ライオンズ 38 (1)
1994-1996 オーストラリアの旗 メルボルン・ナイツ 43 (3)
1996-1997 イタリアの旗 サレルニターナ 11 (1)
1997-1998 スイスの旗 バーデン 0 (0)
1998 イングランドの旗 ストーク・シティ(loan) 15 (1)
1998-2004 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 139 (3)
2004-2007 イングランドの旗 レスター・シティ 73 (3)
2007-2010 オーストラリアの旗 ブリスベン・ロアー 49 (2)
2010 オーストラリアの旗 メルボルン・ナイツ 11 (0)
2011 オーストラリアの旗 セント・アルバンス・セインツ 2 (1)
2012 オーストラリアの旗 ウェリビー・シティ 3 (0)
2013 オーストラリアの旗 ポイント・クック 10 (1)
代表だいひょうれき
1995-1996  オーストラリア U-23 17 (5)
1995-2005  オーストラリア 23 (1)
1. 国内こくないリーグせんかぎる。
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

ダニエレ・アマデオ・ティアットイタリア: Daniele Amadeo Tiatto1973ねん5月22にち - )は、オーストラリアイタリアもとサッカー選手せんしゅアトランタオリンピックオーストラリア代表だいひょうオーストラリアA代表だいひょう。ポジションはDFまたはMF

クラブれき[編集へんしゅう]

ビクトリアしゅうリーグで結果けっかのこし、1994ねんメルボルン・ナイツFC加入かにゅうひだりウィングとして活躍かつやくし、クラブの黄金おうごん時代じだいささえた。

1996ねんセリエBUSサレルニターナ1919に、そのFCバーデンストーク・シティFC在籍ざいせきした[1]

1998ねんなつに30まんポンドでフットボールリーグ1マンチェスター・シティFC完全かんぜん移籍いせき初年度しょねんど規律きりつまもれず出場しゅつじょう機会きかいすくなかったものの、よくシーズンにレギュラーを確保かくほプレミアリーグ昇格しょうかくまでこぎつけた。1シーズンでふたたフットボールリーグ・チャンピオンシップ降格こうかくとなるも、この2000-01シーズンにはクラブの年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅえらばれる活躍かつやくせた[2]よくシーズンにふたた昇格しょうかくするが、その他方たほうかれ出場しゅつじょう機会きかいっていった。ブラックバーン・ローヴァーズFCせんでは途中とちゅう出場しゅつじょうからわずか6ふん退場たいじょう処分しょぶんとなり、そのはベンチりすらままならなくなった。さらに負傷ふしょうかされることえ、2004ねんなつ契約けいやく満了まんりょう退団たいだんした。

マンチェスター・シティを退団たいだんしたかれレスター・シティFC加入かにゅうひだりサイドと中盤ちゅうばんをどこでもこなすプレーヤーとして活躍かつやくし、2004-05シーズンには加入かにゅう初年度しょねんどにしてクラブの年間ねんかん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅかがやいた。しかし、よくシーズンは怪我けが規律きりつによって活躍かつやく出来できなかった。それでも2005-06シーズンにはマット・エリオット引退いんたいともなって主将しゅしょうつとめたが、1シーズンでパディー・マッカーシーにそのわたした。

2007ねん2がつAリーグブリスベン・ロアーFCと2007-08シーズンからのかり契約けいやくわした。7月1にちおこなわれたスーパースポート・ユナイテッドFCとの親善しんぜん試合しあい移籍いせきはつ出場しゅつじょうとなった。しかしAリーグはつ出場しゅつじょうとなったアデレード・ユナイテッドFCせんリッチー・アラギッチひざ両足りょうあしでタックルをしだい怪我けがわせたものの、まえていた副審ふくしんはプレーをめなかったため大事だいじとなり、最終さいしゅうてきには2試合しあい追加ついか出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんくだされた[3][4]。2009ねんアンジェ・ポステコグルー監督かんとく就任しゅうにんすると見切みきられ、よくなつたずして放出ほうしゅつされた。

2010ねん2がつにメルボルン・ナイツに復帰ふっき[5][6]。その下部かぶリーグのクラブに在籍ざいせき引退いんたいした[7]

代表だいひょうれき[編集へんしゅう]

1995ねん2がつ8にちコロンビア代表だいひょうとの親善しんぜん試合しあい代表だいひょうはつ出場しゅつじょう翌年よくねんにはアトランタオリンピックに参加さんかした。2000ねん6がつ19にちおこなわれたOFCネイションズカップ2000クック諸島しょとう代表だいひょうに17-0で勝利しょうりした試合しあい代表だいひょう唯一ゆいいつ得点とくてん記録きろくした。2005ねん2がつ9にちおこなわれたみなみアフリカ共和きょうわこく代表だいひょうせん代表だいひょう最後さいご試合しあいとなった。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ Lowe, Simon (2000). Stoke City The Modern Era - A Complete Record. Desert Island Books. ISBN 1-874287-39-2 
  2. ^ Webster, Rupert. “TIATTO TO GO?”. Sky Sports. 2021ねん10がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ Tiatto Suspended Over Alagich Tackle”. FTBL (2007ねん8がつ30にち). 2021ねん10がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ Tiatto's tackle haunts Alagich”. fox sports. 2021ねん10がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ Danny Tiatto returns to Melbourne Knights
  6. ^ Knights to gain from Tiatto's poetic homecoming”. The Roar (2010ねん2がつ27にち). 2010ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  7. ^ Tiatto signs with Saints”. Star News. 2012ねん3がつ11にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん4がつ19にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]