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「絶対矛盾的自己同一」(ぜったいむじゅんてきじこどういつ)は、日本の哲学者・西田幾多郎が1939年(昭和14年)に発表した論文のタイトル。後期西田哲学の根本思想。「歴史的実在の世界」の自覚を表現するものとされる。西田独自の「絶対弁証法」において、ヘーゲル弁証法の「媒介」概念に対比されるような位置を占めているが、西田のこの概念は対立の解消を否定しているという点で、ヘーゲルの媒介とは異なる[1]。
「相互否定的な絶対矛盾的自己同一の世界」という表現が『西田幾多郎全集』(岩波書店、1949年初版)第IX巻「絶対矛盾的自己同一」のp.152にあるので、それを、「[相互否定的な]絶対矛盾的自己[間の、相互] 同一[背理]の世界」として補って、そのような世界を西田が詳述していると見れば明解である[要出典]。(なお、ここでの「背理」は二律背反の関係に基づくものである。)
「主と客とは、生か死か、である」(p.201)とか、「自己自身の中に、自己同一を持つことはできない」(p.220)、が重要なポイントである[要出典]。
西田は自己の弁証法を、『西田幾多郎全集』(岩波書店、1949年初版)第XI巻に収められている論文「場所的論理と宗教的世界観」のp399で、誇らしく「絶対弁証法」と呼びながら、ヘーゲルの弁証法を、それが「対象論理的立場を脱していない」として批判している。「対象論理」は同一性や無矛盾、排中律、に基づく形式論理のことであり、ここでそれに相対しているものは西田の場所的論理、背理論理である。
西田はレンマという概念を使っていないが、弟子の山内得立がそれを自著『ロゴスとレンマ』で紹介している。その概念に従えば、絶対矛盾的自己同一における「絶対矛盾」とは四レンマ構成のうちで論理の側をなす第一、第二レンマと、もう一方の(背理の側をなす)第三、第四レンマとの間の矛盾であり、その矛盾を前にしては、自己同一は、それが論理の側のものであるため、安定性を失うというふうに形式化、簡明化できる。
脚注
- ^ 岩波哲学思想事典. 岩波書店. (1998). p. 943
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