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4-2-4

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4-2-4

4-2-4とはサッカーフォーメーションひとつである。4にんディフェンダー2人ふたりミッドフィールダー、4にんフォワード 構成こうせいされる。

概要がいよう

1930年代ねんだいから1958ねんのワールドカップまで、サッカーのフォーメーションはWMフォーメーション隆盛りゅうせいきわめていたが、どう大会たいかいブラジル独創どくそうてきな4-2-4フォーメーションをもちいて優勝ゆうしょうした。これによりWMフォーメーションの時代じだいわり、4-2-4や4-3-3主流しゅりゅうとなっていった。

4-2-4以前いぜん戦術せんじゅつすべヨーロッパ開発かいはつされてきたため、4-2-4は史上しじょうはじめてヨーロッパ以外いがい地域ちいきからまれた戦術せんじゅつとしてもられる。

4-2-4とは4にんディフェンダー2人ふたりミッドフィールダー、4にんフォワード という布陣ふじん意味いみである。WMフォーメーションは攻守こうしゅ完全かんぜん分業ぶんぎょうせいで5にん攻撃こうげき、5にん守備しゅび戦術せんじゅつであったが、4-2-4は中盤ちゅうばん2人ふたり攻守こうしゅ兼業けんぎょうする6にん攻撃こうげき、6にん守備しゅびである。攻守こうしゅども1人ひとりぶんえることになる4-2-4はWMフォーメーションを圧倒あっとうすることとなった。

1958ねんワールドカップブラジル代表だいひょうでこのフォーメーションを説明せつめいすると、まず4にんのディフェンダーは従来じゅうらいのフルバックが4にんならんでいるのではなく、ひだりサイドバックニウトン・サントスみぎサイドバックジャウマ・サントス攻撃こうげきてきであった。2人ふたりともスター選手せんしゅである。ミッドフィールダーの2人ふたり攻守こうしゅ兼業けんぎょうするキーマンで、運動うんどうりょうもとめられた。そのうちジジ当時とうじ世界せかい屈指くっしのテクニシャンで司令塔しれいとう役割やくわりになっていた。4にんのフォワードはりょうサイドがウイングなか2人ふたりセンターフォワードだった。ただひだりウイングのマリオ・ザガロ普段ふだんがり気味ぎみで、ひだりサイドにわざとスペースをけるのがブラジルの戦術せんじゅつであった。みぎウイングには若手わかてガリンシャがいて、かれドリブルめられるものはいなかった。センターフォワードの1人ひとりババはブラジルにしてはめずらしく大型おおがたフォワードであった。そして、もう1人ひとりのセンターフォワードが、この大会たいかい途中とちゅうにレギュラーを獲得かくとくした17さいペレである。ブラジルのスーパースターたち能力のうりょくじゅうふん発揮はっきさせた4-2-4は、ブラジルを悲願ひがんのワールドカップはつ優勝ゆうしょうへとみちびいた。

20世紀せいき中頃なかごろ一世いっせい風靡ふうびしたフォーメーションではあるものの、近年きんねんにおいても一部いちぶのクラブによりもちいられたれいがある。ACシエナASバーリアタランタBCユヴェントスFCなどをひきいたアントニオ・コンテがこのシステムをしゅとして採用さいようし、一種いっしゅのトレードマークとして認知にんちされていた。かれりょうサイドのサイド・ミッドフィールダーともウィング・ハーフともれないミッドフィールダーを大胆だいたんげ、フォワードのウィンガーを兼用けんようさせるこのちょう攻撃こうげきがた4-2-4フォーメーションを中心ちゅうしんとした戦術せんじゅつ就任しゅうにん当時とうじセリエBだったバーリをわずか1ねんセリエAへと昇格しょうかくさせ、ユヴェントスではのシステムもぜつつも23しょう15ふん無敗むはいという快挙かいきょげ、現代げんだいにおいて十分じゅうぶん通用つうようする戦術せんじゅつひとつであること証明しょうめいしてみせた。


4-2-4で特筆とくひつすべきことはWMフォーメーションの完全かんぜん分業ぶんぎょうせいこわしたことである。中盤ちゅうばん攻守こうしゅ兼業けんぎょうすることにくわえて、ブラジルは独特どくとくのラテン気質きしつのせいもあって、ポジションにしばられないサッカーも展開てんかいした。これにより、かくポジションが攻守こうしゅ貢献こうけんすべきというかんがえがまれ、全員ぜんいん攻撃こうげき全員ぜんいん守備しゅびおこなうことが重要じゅうようされることとなった。これはのちにディフェンダーのオーバーラップやフォワードの前線ぜんせんからの守備しゅびなどをすきっかけとなった。また、このながれは1974ねんのワールドカップ全員ぜんいん攻撃こうげき全員ぜんいん守備しゅび戦術せんじゅつしたオランダトータルフットボールにつながったといえるだろう。