出典 しゅってん : フリー百科 ひゃっか 事典 じてん 『ウィキペディア(Wikipedia)』
東側 ひがしがわ のメタセコイア 並木 なみき
どんどんどんの森東 もりひがし 側 がわ に設置 せっち されている案内 あんない 板 ばん
どんどんどんの森 もり (どんどんどんのもり)は、佐賀 さが 市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ にある都市 とし 緑地 りょくち である[1] 。再 さい 開発 かいはつ に伴 ともな い整備 せいび された。「どん3 の森 もり 」と略記 りゃっき することもある。話 はな し言葉 ことば では「どんスリー」や「どんスリーの森 もり 」と略 りゃく す場合 ばあい もある。英語 えいご 名 めい は"Don-Don-Don no Mori"であり、近 ちか くの交差点 こうさてん の交通 こうつう 案内 あんない 板 ばん には「どん3 の森 もり Don-Don-Don no Mori」と表示 ひょうじ されている
名称 めいしょう は佐賀 さが 市 し が行 おこな った公募 こうぼ により決定 けってい したもので、ドンドンという太鼓 たいこ の音 おと 、どんどんと突 つ き進 すす むといった意味 いみ が込 こ められている。「どんどんどん」と3回 かい 繰 く り返 かえ すのは、佐賀 さが 弁 べん にみられる特徴 とくちょう 的 てき な三 さん 連 れん オノマトペ (擬音 ぎおん を3回 かい 繰 く り返 かえ す)の影響 えいきょう によるもの。
1916年 ねん (大正 たいしょう 5年 ねん )に地元 じもと の有志 ゆうし によって設立 せつりつ された佐賀 さが 紡績 ぼうせき は、この地区 ちく に大 だい 規模 きぼ な工場 こうじょう を建設 けんせつ し、事業 じぎょう を展開 てんかい した。佐賀 さが 紡績 ぼうせき は鈴木 すずき 商店 しょうてん 系列 けいれつ に入 はい り、鈴木 すずき 商店 しょうてん の倒産 とうさん により大和 やまと 紡績 ぼうせき に吸収 きゅうしゅう 合併 がっぺい されて、大和 やまと 紡績 ぼうせき 佐賀 さが 工場 こうじょう となった。1987年 ねん (昭和 しょうわ 62年 ねん )4月 がつ に佐賀 さが 工場 こうじょう は閉鎖 へいさ され、この地区 ちく は「大和 やまと 紡績 ぼうせき 佐賀 さが 工場 こうじょう 跡地 あとち 」となった。跡地 あとち 約 やく 97,000m2 は佐賀 さが 市 し に売却 ばいきゃく された。
その後 ご 跡地 あとち の有効 ゆうこう 利用 りよう の議論 ぎろん が活発 かっぱつ 化 か し、1990年 ねん (平成 へいせい 2年 ねん )にその用途 ようと の概要 がいよう が決定 けってい された。公共 こうきょう 施設 しせつ の建設 けんせつ や企業 きぎょう の立地 りっち が決 き まり、移転 いてん や建設 けんせつ が進 すす んだ。また、あわせて道路 どうろ の再 さい 整備 せいび 、バス停 ばすてい の設置 せっち 、周辺 しゅうへん の河川 かせん や緑地 りょくち の再 さい 整備 せいび なども進行 しんこう していた。しかし、依然 いぜん として地区 ちく の名称 めいしょう は「大和 やまと 紡績 ぼうせき 跡地 あとち 」「大和 やまと 紡跡地 ち 」のままであり、さまざまな弊害 へいがい が出 で 始 はじ め、名称 めいしょう 決定 けってい への早期 そうき 着手 ちゃくしゅ を望 のぞ む声 こえ が相次 あいつ ぐようになった。1994年 ねん (平成 へいせい 6年 ねん )12月 に市 し は跡地 あとち 名称 めいしょう の公募 こうぼ を開始 かいし し、1995年 ねん (平成 へいせい 7年 ねん )3月 がつ に決定 けってい した。
再 さい 開発 かいはつ や施設 しせつ 利用 りよう に当 あ たっては、さまざまな試 こころ みも行 おこな われた。佐賀 さが 市立 しりつ 図書館 としょかん の建設 けんせつ に当 あ たっては佐賀 さが 県内 けんない の市町村 しちょうそん としては初 はじ めて一般 いっぱん 競争 きょうそう 入札 にゅうさつ を行 おこな った。また、当時 とうじ としては珍 めずら しい都道府県 とどうふけん 立 りつ の女性 じょせい センター設置 せっち や、「アバンセ」の館長 かんちょう の全国 ぜんこく 公募 こうぼ なども行 おこな われた。
用地 ようち 南側 みなみがわ は施設 しせつ と公園 こうえん が整備 せいび されているが、北側 きたがわ の一部 いちぶ は依然 いぜん として空 あ き地 ち となっている。2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )には佐賀県立病院好生館 さがけんりつびょういんこうせいかん の移転 いてん が検討 けんとう されたが、市民 しみん の間 あいだ で賛成 さんせい と反対 はんたい の意見 いけん が分 わ かれたほか、市 し と県 けん の対立 たいりつ もあり、最終 さいしゅう 的 てき には同市 どうし 南西 なんせい 部 ぶ の嘉瀬 かせ 町 まち に決定 けってい した。
国道 こくどう 264号 ごう のうち、長崎本線 ながさきほんせん 高架 こうか 下 か 付近 ふきん からどんどんどんの森東 もりひがし 側 がわ を通 とお り、辻 つじ の堂 どう 交差点 こうさてん に至 いた るまでの約 やく 1.5kmの区間 くかん が「紡績 ぼうせき 通 どお り」と名付 なづ けられている。また、どんどんどんの森 もり の北東 ほくとう 端 はし には工場 こうじょう で働 はたら いてきた工 こう 女 おんな を模 も した織姫 おりひめ 像 ぞう が建立 こんりゅう されており、工場 こうじょう の名残 なごり が残 のこ されている。
公共 こうきょう 施設 しせつ 群 ぐん 、企業 きぎょう 用地 ようち 、緑地 りょくち 、空 あ き地 ち により構成 こうせい される。
公共 こうきょう 施設 しせつ
佐賀 さが 市立 しりつ 図書館 としょかん
アバンセ(佐賀 さが 県 けん 男女 だんじょ 共同 きょうどう 参画 さんかく センター・佐賀 さが 県立 けんりつ 生涯 しょうがい 学習 がくしゅう センター)
緑地 りょくち ・公園 こうえん
企業 きぎょう 用地 ようち
ふれあい広場 ひろば などでは、市 し に公園 こうえん 内 ない 行為 こうい 許可 きょか 申請 しんせい を行 おこな って許可 きょか が下 お りれば、イベントなどを開催 かいさい することが可能 かのう である。
市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ の公園 こうえん としては最大 さいだい の規模 きぼ であり、文化 ぶんか イベント、市民 しみん 活動 かつどう 、集会 しゅうかい などで公園 こうえん が使用 しよう されることが多 おお い。
^ 佐賀 さが 市 し の都市 とし 計画 けいかく 2015(佐賀 さが 市 し )