アナカオナ

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アナカオナ
Anacaona
ハラグア英語えいごばんカシカ
アナカオナ
在位ざいい 1500ねん - 1503ねん

出生しゅっしょう 1474ねん?
イスパニョーラとう
死去しきょ 1504ねん
イスパニョーラとう
配偶はいぐうしゃ カオナボ英語えいごばん
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アナカオナスペイン: Anacaona1474ねん? - 1503ねん)は、ハラグア英語えいごばんイスパニョーラとう南西なんせい出身しゅっしんタイノぞくおんな首長しゅちょうカシカ)、宗教しゅうきょうてき指導しどうしゃ[1]。1492ねんクリストファー・コロンブスひきいるヨーロッパじん到来とうらいするまえ、アイティもしくはキスケヤとばれていたイスパニョーラとう(スペインめい現在げんざいハイチおよびドミニカ共和国どみにかきょうわこく)のタイノぞくは、ハラグア、マグアナ、イグェイ、マグア、マリエンという5つの王国おうこくかれていた。アナカオナは、ハラグアの首長しゅちょうボエチオの姉妹しまいだった[2]

ボエチオの死後しご、アナカオナは首長しゅちょう地位ちい継承けいしょうした[3]彼女かのじょ時代じだい、イスパニョーラとう到来とうらいしたスペインじん入植にゅうしょくしゃはハラグアのタイノぞく共存きょうぞんし、婚姻こんいん関係かんけいむすものもいた。

1503ねん、スペインのイスパニョーラ総督そうとくニコラス・デ・オバンドがハラグアをおとずれた。かれはアナカオナらタイノぞく首長しゅちょうたちがはんスペイン暴動ぼうどうくわだてているのではないかという疑念ぎねんいていた[3]。オバンドのいのちにより、首長しゅちょうたちはらえられてころされ、アナカオナも首吊くびつにより殺害さつがいされた[3]

ぜん半生はんせい家族かぞく[編集へんしゅう]

A map of Hispaniola depicting the five Taíno cacicazgos (chiefdoms) at the time of Christopher Columbus's arrival. The chiefdom of Marién is in the northwest, Jaragua is in the southwest, Maguana is in the center, Maguá is in the northeast, and Higüey is in the southeast.
クリストファー・コロンブス到来とうらいのイスパニョーラとう勢力せいりょく。ハラグアは南西なんせい茶色ちゃいろ領域りょういき

アナカオナはヤグアナ、現在げんざいのハイチのレオガンまれた[4]。この付近ふきんは、のちにイスパニョーラの首都しゅととなる[5]生年せいねんは1474ねんであるというせつがある。「アナ」はタイノで「はな」、「カオナ」は「黄金おうごん黄金おうごんの」を意味いみするので、アナカオナというは「黄金おうごんはな」という意味いみである[2]。アナカオナの兄弟きょうだいボエチオは現地げんち首長しゅちょうで、勢力せいりょく拡大かくだいし1475ねんにはハラグア西部せいぶ支配しはいするようになった。ボエチオは自身じしん権勢けんせいたしかなものとするため、アナカオナをマグアナの首長しゅちょうカオナボにとつがせた[6]。アナカオナとカオナボのあいだには、ヒグエモタというむすめいちにんまれた。

1492ねん12月4にち[7]クリストファー・コロンブススペイン艦隊かんたいひきいてマリエンの、現在げんざいのハイチのモール=サン=ニコラ英語えいごばんにあたる上陸じょうりくした[8]かれはインディアス(インド)に直行ちょっこうできる航路こうろもとめて探検たんけんしていた。タイノぞくは、自分じぶんたちよりおおきな体格たいかくをしたコロンブスら来訪らいほうしゃ歓迎かんげいし、かねやトウモロコシなどをおくってもてなした。しかし1493ねん、スペインはこのかねなど貴金属ききんぞく収奪しゅうだつのみを目当めあてとしてサントドミンゴ植民しょくみん建設けんせつした。タイノぞくはスペインじんたちによって拉致らちされ、奴隷どれいにされた。おおくのタイノぞく女性じょせい強姦ごうかんされ、抵抗ていこうしたもの殺害さつがいされた[2][6][9]

1493ねん、アナカオナのおっとカオナボが、しま北西ほくせいのスペイン植民しょくみんラ・ナビダッド英語えいごばん破壊はかいめいじたというとがめ捕縛ほばくされた[6]かれはスペイン本国ほんごくおくられ、その途上とじょうふね難破なんぱいのちとした[10]。カオナボがらえられたとき、アナカオナはハラグアにかえり、以降いこうボエチオを補佐ほさするようになった[3]

1498ねん、クリストファー・コロンブスのおとうとでサントドミンゴを建設けんせつしたバルトロメ・コロンブス英語えいごばんが、かねをもとめてボエチオのくに侵攻しんこうしてきた。抵抗ていこうできるだけのちからのこっていなかったボエチオは、アナカオナのすすめにしたがい、キリスト教徒きりすときょうとのスペイン国王こくおう宗主そうしゅけんれることにした。戦争せんそう回避かいひされたものの、これ以降いこうボエチオは綿めん、パン、トウモロコシ、さかななどといったみつぎ納品のうひんをスペインじんおさめることになった。

1500ねんにボエチオが死去しきょしてからは、アナカオナが首長しゅちょう地位ちいぎ、1503ねんまで統治とうちをおこなった[11][3]

アナカオナ

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1598ねん出版しゅっぱんされたラス・カサスの『インディアスの破壊はかいについての簡潔かんけつ報告ほうこく』の挿絵さしえヨース・ファン・ヴァインヘン英語えいごばん)。スペインじん虐殺ぎゃくさつされる女王じょおうアナカオナとぞくみんたちをえがいている。

1503ねんあき、イスパニョーラ総督そうとくニコラス・デ・オバンドが300にん歩兵ほへいひきいてハラグアにやってきた[12]かれらはアナカオナや彼女かのじょしたが貴顕きけんたち、そののタイノぞく首長しゅちょうたちから盛大せいだい出迎でむかえもてなした[12]

タイノぞくはスペインじん歓迎かんげいしたつもりだったが、とうのスペインじんたちはこれをんだ偽装ぎそう作戦さくせんだとうたがった[10][13]。すなわち、アナカオナらタイノぞく首長しゅちょうたちが、歓迎かんげいうら反逆はんぎゃくくわだてているとかんがえていたのである[10]。オバンドは首長しゅちょうたちをカネイ英語えいごばん(タイノぞくおおきな小屋こや)におびきせてから、スペインへい合図あいずおくって一網打尽いちもうだじんにした[12]首長しゅちょうたちはカネイごところされ、ひくいタイノぞくそと虐殺ぎゃくさつされた。アナカオナもるしくびにされ、ころされた[3][13]

歴史れきしのトロイ・S・フロイドは、この事件じけんつたえる史料しりょう正確せいかくせい様々さまざまてんからうたがわしいとしている[13]。まず、複数ふくすう文献ぶんけんが、あたかもふたつの人種じんしゅ完全かんぜん隔離かくりされあらそったかのような構図こうず叙述じょじゅつしているものの、実際じっさいには破局はきょくむかえる6ねんまえから両者りょうしゃ共存きょうぞん婚姻こんいん関係かんけいむすばれていたというてんげられる[13]。スペインじんとタイノぞくあいだには、平和へいわてき共存きょうぞん関係かんけいきずかれていた時期じき存在そんざいした。しかしそれゆえに、スペインじんがなぜタイノぞく裏切うらぎわなにはめたのかは不明ふめいなままである[13]。またスペインじんがわにも50にん戦死せんししゃており[13]、これはヨーロッパじんたか軍事ぐんじ技術ぎじゅつゆうしていたことをかんがえるとかなりの犠牲ぎせいしゃしていることになる。そして、ハラグアの首長しゅちょうたちはしまでも最高さいこう賢人けんじんとして尊敬そんけいあつめており、もしかれらが本当ほんとう陰謀いんぼうたくらんでいたなら、不用意ふようい小屋こや誘導ゆうどうされたとはかんがえにくいとフロイドは指摘してきしている[13][12]

後世こうせいへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

カリブ地域ちいき現代げんだい美術びじゅつ文学ぶんがくかいでは、アナカオナは詩人しじん作曲さっきょくでもあったとみなされている[14]。レオガンには、彼女かのじょ記念きねんしててられたぞうがある。ドミニカ共和国どみにかきょうわこくにある、カリブ地域ちいきもっとたか建物たてものであるトーレ・アナカオナ27スペインばんは、彼女かのじょかんしている。アナカオナの生涯しょうがいは、プエルトリコの歌手かしゅチェオ・フェリシアーノがリードボーカルをつとめたうた『アナカオナ』で一般いっぱんにもひろられるようになった[15]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Shriver, Cameron (2017). “Native American Almanac: More Than 5,000 Years of the Cultures and Histories of Indigenous People Yvonne Wakim Dennis, Arlene Hirschfelder, and Shannon Rothenberger Flynnby”. Great Plains Quarterly 37 (3): 242–243. doi:10.1353/gpq.2017.0044. ISSN 2333-5092. 
  2. ^ a b c Dictionary of Caribbean and Afro-Latin American biography. Knight, Franklin W., and Gates, Henry Louis, Jr.. Oxford. (2016). ISBN 978-0-19-993580-2. OCLC 952785428 
  3. ^ a b c d e f Las Casas, Bartolome (1552). A Short Account of the Destruction of the Indies. 
  4. ^ MUSEO ANACAONA - Taino Museum ~ the History of the Queen Anacaona”.[リンク]
  5. ^ Hall, Michael R. (2012). Historical Dictionary of Haiti. Scarecrow Press. pp. 158. ISBN 9780810878105. https://books.google.com/books?id=3RbzX4PjxtgC&dq=yaguana+jaragua&pg=PA158 
  6. ^ a b c Hoeg, Jerry (2015-09-02).
  7. ^ Hispaniola | Genocide Studies Program”. 2023ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  8. ^ Môle Saint-Nicolas | Haiti | Britannica”. 2023ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  9. ^ Medina, P.M.A. (2017). “CARTAS de Pedro de Córdoba y de la Comunidad Dominica, algunas refrendadas por los Franciscanos”. Guaraguao (El Centro de Estudios y Cooperación para América Latina (CECAL)) 21 (54): 155–207. ISSN 1137-2354. JSTOR 44871987. http://www.jstor.org/stable/44871987 2021ねん10がつ7にち閲覧えつらん. 
  10. ^ a b c Las Casas, Bartolome (1552). A Short Account of the Destruction of the Indies 
  11. ^ Foreign Service Journal. 4. (1927). p. 141. https://books.google.com/books?id=4hdKAQAAIAAJ&q=Bohechio+1500 
  12. ^ a b c d Clayton, Lawrence A.. Bartolomé de las Casas : a biography. Cambridge. pp. 34. ISBN 978-1-139-51846-8. OCLC 796803875 
  13. ^ a b c d e f g Floyd, Troy (1973). The Columbus Dynasty in the Caribbean, 1492-1526. Albuquerque: University of New Mexico Press. pp. 61–63 
  14. ^ Danticat, Edwidge, 1969- (2005). Anacaona, Golden Flower (1st ed.). New York, NY: Scholastic. ISBN 0-439-49906-2. OCLC 55671862 
  15. ^ Anacaona: Cheo Feliciano.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]