(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アルファロメオ・1750/2000 - Wikipedia コンテンツにスキップ

アルファロメオ・1750/2000

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
2000ベルリーナ
1750GTV(北米ほくべい輸出ゆしゅつ仕様しよう)
2000(Turbinaアルミホイールき)

アルファロメオ・1750/2000イタリア自動車じどうしゃメーカー・アルファロメオ1967ねんから1977ねんまで生産せいさんした乗用車じょうようしゃである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

当初とうしょアルファロメオ・1750シリーズとして、ベルリーナ(4ドアセダン)・GTV(2ドアクーペ)・スパイダー(2ドア2オープン)をそろえて登場とうじょうした。1750のはエンジン排気はいきりょう1,779ccにちなんでいるが、1800とはせず1750と名乗なのったのは、1930年代ねんだい名車めいしゃ6C1750にあやかったためである。

生産せいさん中止ちゅうしとなった大型おおがたしゃ2600」にわり、くるまかくおおきくとされたものの、アルファロメオのトップモデルとしての役割やくわりたすべく登場とうじょうした。構造こうぞうてきにはおおむね、1970年代ねんだいなかばまで並行へいこう生産せいさんされる1,300~1,600ccクラスのジュリア共通きょうつうであった。

車体しゃたいはベルリーナのみホイールベースが2,350mmに延長えんちょうされ、ベルトーネのデザインによるあたらしい車体しゃたい(全長ぜんちょう4,390mm・全幅ぜんはば1,565mm)があたえられたが、ウインドウスクリーンをはじめおおくのパーツはジュリアと共通きょうつうであった。また、ベルリーナとGTVには4とうしきヘッドライトがあたえられ、GTVのフロントノーズは従来じゅうらいの「だんき」とはことなる、やがてジュリアけいにも採用さいようされるあたらしいデザインであった。スパイダーのみはジュリアけいまったおなじボディをもちいていた。

インテリアはダッシュボードがあたらしくされ、おおきなタコメーターとスピードメーターがドライバー正面しょうめんけられた。GTVのシートはヘッドレストしきとなった。

1,779ccのエンジンはジュリア1600ようエンジンのストロークを82mmから88.5mmに延長えんちょうしたもので、DOHCツインキャブレターきで118馬力ばりき(ベルリーナ)・122馬力ばりき(スパイダー・GTV)を発揮はっきした。ジュリア1600と比較ひかくすると、最高さいこう出力しゅつりょくはさしたるものではなかったが、レブリミットが7,000rpmから6,000rpmにげられたことからもあきらかなように、低速ていそくいきでのあつかいやすさがおおいに改善かいぜんされ、高速こうそくクルージングもらくおこなえるようになっていた。なお排気はいきガス規制きせいきびしくなりつつあった北米ほくべい市場いちばでの販売はんばい車種しゃしゅは1750シリーズのみにしぼられ、SPICAせい燃料ねんりょう噴射ふんしゃ装備そうびされた。

増加ぞうかするパワーに対応たいおうして、1750にはホイール・タイヤサイズの拡大かくだい、リアサスペンションへのロールバー追加ついか、そしてブレーキ性能せいのう強化きょうかほどこされ、ロードホールディングや制動せいどうりょく改善かいぜんしていた。

1970ねんにはマイナーチェンジをけて「シリーズ2」となり、ブレーキがけい等式とうしきとなり、従来じゅうらいゆかからえていたペダルがしきとなった(みぎハンドルしゃ従来じゅうらいどおり)、GTVのバンパーがほそいものにえられ、フロントウインカーはバンパー上部じょうぶから車体しゃたいうつされた。

1971ねんにはベルリーナにZFせい3そくオートマチックきが追加ついかされたが、シフトショックがおおきく、ギアレシオがエンジン特性とくせいにマッチしておらず性能せいのう燃費ねんぴ悪影響あくえいきょうおおきかったこともあって、生産せいさん台数だいすうは250だい前後ぜんこうきわめてすくなかった。

1972ねんあたらしいアルフェッタ1.8ベルリーナおよび2000GTV・スパイダーにこうゆずって生産せいさん中止ちゅうしされるまでに、やく10まんだいのベルリーナと44,269だいのGTVが生産せいさんされた。

1971ねん登場とうじょうしたアルファロメオ・2000シリーズは、1750のエンジンのボア・ストロークをともに拡大かくだいして1,962ccとし、最高さいこう出力しゅつりょくを132馬力ばりきたかめたモデルである。ベルリーナでも最高さいこう速度そくど200km/h・0-100km/h加速かそく9びょうという当時とうじとしてはかなりの高性能こうせいのうしゃとなった。ギアボックスは5そくマニュアルで、ベルリーナにのみつづZFせい3そくオートマチックが選択せんたく可能かのうであった。北米ほくべい輸出ゆしゅつしゃにはSPICAせい燃料ねんりょう噴射ふんしゃつづ装備そうびされた。

1750との外観がいかんじょうおも相違そういはフロントグリルで、ベルリーナのグリルは1750のもの横線おうせんこまかくなり、GTVには伝統でんとうたてがたセンターグリルのモチーフを横線おうせんのグリルないにデザインしたあたらしい意匠いしょうのグリルがあたえられた。 GTVのテールライトはたいべい輸出ゆしゅつようの1750GTVの後期こうきモデルに先行せんこう使用しようされていた大型おおがたのものに変更へんこうされた。スパイダーは1750時代じだい同様どうよう、1300/1600との外観がいかんじょう相違そういはテールのエンブレムだけであった。

2000ではホイールキャップが廃止はいしされて、うつくしいデザインのホイールが露出ろしゅつされるようになり、GTVのダッシュボードではメーターるいすべてドライバーまえのクラスターに集約しゅうやくされた。また、モントリオールおなじ"Turbina" とばれるアルミホイールがベルリーナ・GTVともにオプションで用意よういされた。

1976ねんアルフェッタに2000GTVモデルが登場とうじょうしたことにより2000GTVが消滅しょうめつ翌年よくねんアルフェッタ2000ベルリーナが登場とうじょうしたことをけて、2000ベルリーナが生産せいさん終了しゅうりょうとなった。2000ベルリーナは89,840だい、2000GTVは37,459が生産せいさんされた。一方いっぽう、2000スパイダーのみは1990年代ねんだいなかばまで継続けいぞく生産せいさんされた。

ラリー競技きょうぎ

[編集へんしゅう]

FIAによりそれまでの国際こくさいラリーをシリーズせんとしてりまとめるWRCが制定せいていされる1973ねん以前いぜんよりサファリラリーとうへジュリア、アルフェッタ、1750GTVとうでの参戦さんせんから制定せいていはGr.1での2000GTVへのスイッチにより、ラリー・モンテカルロ1000ラリーツール・ド・コルス投入とうにゅうされる。ポイントもそれほどコンスタントにゲットできる範囲はんいではなかったもののよく1974ねんよりアルフェッタもエントリーにくわえられていく。

1975ねん、モンテカルロGr.1でギ・フレクランの2000GTVがクラス優勝ゆうしょうするとアクロポリス・ラリーよりアルフェッタ、アルフェッタGTとスッドtiへバトンタッチしていくとアルフェッタでのポイントゲットが目立めだっていく[1]。1976ねんにもベルナール・ベガンのGr.1エントリーの2000GTVで優勝ゆうしょうする。1977ねん、2000GTVでのエントリーはモンテカルロまでとなった。

日本にっぽんへの輸出ゆしゅつ

[編集へんしゅう]

当時とうじ輸入ゆにゅうそう代理だいりてん伊藤忠いとうちゅうオートによって多数たすうの1750/2000が日本にっぽん輸入ゆにゅうされた。大半たいはんみぎハンドルしゃでフェンダーミラーも装備そうびされ、日本にっぽん路上ろじょうでも使つかいやすい仕様しようであった。当時とうじのライバルしゃBMW・1800/2000(4ドア)2002tii(2ドア)であったが、この時代じだいはまだ販売はんばいめんではアルファロメオがBMWよりも優勢ゆうせいであった。

1970年代ねんだいなかばのアルフェッタ時代じだいになると、イタリアしゃ粗悪そあく品質ひんしつ鋼板こうはんもちいるようになり、車体しゃたいからのはつさび問題もんだい深刻しんこくすると形勢けいせい逆転ぎゃくてんし、アルファロメオのイメージは急速きゅうそく低下ていかしてく。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 1975 World Rally Championship for Manufacturers Final classification-rallybase.nl 2013ねん3がつ22にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Wikipedia英語えいごばん