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アルファロメオ・アルファスッド

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アルファロメオ・アルファスッド
アルファスッド・ベルリーナ前期ぜんきがた
アルファスッド・ベルリーナ後期こうきがた
アルファスッド・スプリント後期こうきがた
概要がいよう
販売はんばい期間きかん 1971ねん - 1989ねん
デザイン イタルデザイン・ジウジアーロ
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 5にん
ボディタイプ 2/4ドアファストバックセダン
3/5ドアハッチバック
3ドアファストバッククーペ
駆動くどう方式ほうしき FF
パワートレイン
エンジン 水平すいへい対向たいこう4気筒きとうSOHC
変速へんそく 4/5そくMT
サスペンション
まえ 独立どくりつ マクファーソンストラット コイル
のち 固定こてい ワッツリンク パナールロッド コイル
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,455mm
全長ぜんちょう 3,890mm(1971ねん4ドア)
全幅ぜんぷく 1,590mm
ぜんこう 1,370mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 830kg
系譜けいふ
後継こうけい アルファロメオ・33
アルファロメオ・アルナ
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アルファスッドAlfasud )はイタリア自動車じどうしゃ製造せいぞう会社かいしゃアルファロメオが1971ねんから89ねんまで製造せいぞう販売はんばいしていた小型こがた大衆たいしゅうしゃ

概要がいよう[編集へんしゅう]

スッドのダッシュボード

イタリアにとって重要じゅうよう国家こっか政策せいさくであった南北なんぼく経済けいざいてき格差かくさ解消かいしょうのため、親会社おやがいしゃたる産業さんぎょう復興ふっこう公社こうしゃ(I.R.I.)がみなみイタリアのナポリ近郊きんこう、ポミリャーノ・ダルコ(Pomigliano d'Arco )に小型こがた大衆たいしゅうしゃ工場こうじょう建設けんせつしてこの地域ちいき雇用こよう創出そうしゅつすることを計画けいかく、そのための生産せいさん車種しゃしゅとして開発かいはつされた。スッド(Sud )とはイタリアで「みなみ」を意味いみする。

主任しゅにん設計せっけいしゃオーストリア出身しゅっしんで、フェルディナント・ポルシェ薫陶くんとうけたルドルフ・ルスカ(en:Rudolf Hruska)であった。1971ねんのトリノ自動車じどうしゃショーでデビューをかざり、ジョルジェット・ジウジアーロによる魅力みりょくてきなスタイリング、てい重心じゅうしん水平すいへい対向たいこうエンジンやとくにフロントはインボードとされた4りんディスクブレーキなどの高度こうどなメカニズムがジャーナリズムからたか賞賛しょうさんけた。こうした設計せっけいランチア・フルヴィアロイト・アラベラ触発しょくはつされた可能かのうせいもあるが、ルスカ自身じしん自動車じどうしゃ雑誌ざっし「スーパーCG」No.29に掲載けいさいされたインタビュー記事きじなかで「これらなどに影響えいきょうされたわけではない」と否定ひていしている。

アルファスッドは1970年代ねんだい初頭しょとう小型こがた大衆たいしゅうしゃにしては傑出けっしゅつした設計せっけい内容ないようっており、シャープなハンドリング、ひろ居住きょじゅうスペース、たかいブレーキ性能せいのうてい重心じゅうしん水平すいへい対向たいこう4気筒きとうエンジン、洗練せんれんされたサスペンションなどそれにふさわしい性能せいのうゆうしており、後年こうねんには「当時とうじ競合きょうごうしゃふるがらせ、まるでジェラートのようにぶようにれた」とひょうされた[1]

しかし、アルファスッドの品質ひんしつ業界ぎょうかい標準ひょうじゅんまったおよんでおらず、ポミリャーノ・ダルコ工場こうじょう生産せいさん技術ぎじゅつ労働ろうどうしゃ技術ぎじゅつひくさ、さらには労働ろうどう争議そうぎなやまされたイタリア鉄鋼てっこう産業さんぎょう生産せいさんりょく不足ふそくおぎなうためにソビエト連邦れんぽうから輸入ゆにゅうしたといわれるボディよう鋼板こうはんぼうさび処理しょり不足ふそくにより、購入こうにゅうしゃはボディ内外ないがい仕上しあげのわるさや、さび大量たいりょう発生はっせいなやまされることになった。また、熱帯ねったい地域ちいきなどでクーラーを装着そうちゃくした場合ばあい冷却れいきゃく不足ふそくオーバーヒートする事例じれいおおられた。

このため、セダン・ワゴンけいだけで1983ねんまでに89まん3,719だいという多数たすう生産せいさんされ、アルファロメオの魅力みりょくをより幅広はばひろそうらしめたにもかかわらず、販売はんばい期間きかん途中とちゅうからアルファスッドはぎゃく酷評こくひょうされるようになった。同時どうじにアルファロメオというメーカー自体じたい品質ひんしつ問題もんだい社会しゃかい一般いっぱん喧伝けんでんされる原因げんいんにもなり、みなみイタリアでのアルファスッド生産せいさんは「アルファロメオ」というブランドの信用しんよう低下ていか、ひいては同社どうしゃ経営けいえい悪化あっか直接ちょくせつ原因げんいんとなってしまった。

品質ひんしつひくさが原因げんいんはや時期じき廃車はいしゃにされる個体こたいおおく、生産せいさん台数だいすうたいして現存げんそんする台数だいすう非常ひじょうすくなくなっている。

モデルの変遷へんせん[編集へんしゅう]

ベルリーナけい[編集へんしゅう]

最初さいしょ登場とうじょうしたのは1,200ccの2ドアおよび4ドアの標準ひょうじゅんがたセダン(ベルリーナ)であったが、1973ねんまつ高性能こうせいのうばんtiTurismo Internazionale)が追加ついかされた。1975ねんには4ドアの上級じょうきゅうグレード「L」と3ドアワゴン「ジャルディネッタ」が追加ついかされた。翌年よくねんには4ドアにtiとおなじ5そくMTを搭載とうさいした「5M」が追加ついかされ、後述こうじゅつの「スプリント」追加ついかともない、tiのエンジンは排気はいきりょうを1,300ccに拡大かくだいした。

前期ぜんきモデル
セカンド・シリーズの警察けいさつ車両しゃりょう仕様しよう

1980ねんには大型おおがたプラスチックバンパーや大型おおがたテールライトを採用さいようするなど外観がいかんおおきく変更へんこうされ、シリーズ2発展はってんする。ぼうさび対策たいさく改善かいぜんされ、内装ないそう一新いっしんされて仕上しあげレベルも向上こうじょうした。エンジンは1,500ccに排気はいきりょうをアップし、1981ねんには3/5ドアのハッチバックばん追加ついかされた。

スプリント[編集へんしゅう]

1976ねんには「アルファスッド・スプリント」が追加ついかされた。おなじくジョルジェット・ジウジアーロによる、より直線ちょくせんてきだが別種べっしゅ魅力みりょくんだスタイリングをつ3ドアスポーツクーペで、エンジンは排気はいきりょう1,300ccに拡大かくだいされていた。1978ねんには1,500ccモデルも追加ついかされた。1983ねんには「アルファロメオ・スプリント」と名称めいしょう変更へんこうされ、ベルリーナけい33およアルナ(日産にっさん・パルサーベース)にバトンタッチしたのちも1989ねんまで生産せいさん継続けいぞくされた。Wikipedia英語えいごばんによると、スプリントの累計るいけい生産せいさん台数だいすうは121,434だいとされる。

ラリー競技きょうぎ[編集へんしゅう]

アルファロメオのレース部門ぶもんであるアウトデルタはWRCグループ2、NAアルフェッタGT、GTV633とともにスッドtiを限定げんていされたスポットラウンドではあるものの1970年代ねんだいまでの1750GTV/2000GTVえるかたちで1979ねんよりラリー・モンテカルロ[2]と1982ねんよりツール・ド・コルス[3]へスプリントでは1985ねんモンテカルロまで参戦さんせんした。 1983ねんより、Gr.Aエントリーとしてスッドtiを投入とうにゅうしている記録きろくがあるが実際じっさいにはスプリントを投入とうにゅうしている[4]。1985ねん、モンテカルロではベルトランド・バラスがGr.Aエントリーのスプリントでクラス優勝ゆうしょうみちびかれる[5]とGTV6へとメインストリームをわたしていくことになる。

スプリント6C[編集へんしゅう]

1982ねんまでにグループB参戦さんせんするためグループ2、4へ参戦さんせんさせるGTV6の2.5LV6エンジンを搭載とうさいした「スプリント6C」を計画けいかくし、リヤルーバーの形状けいじょうちがいのプロトタイプをなんだい製作せいさくしていた。 エンジンユニットをミッドシップたてきにレイアウトしたRWDで、外観がいかんじょう風変ふうがわりなてんとしてラジエータのみフロントにのこし、エンジンの吸気きゅうきインレットをがるかたち拡張かくちょうされたリヤスポイラーにつ。アウトデルタ自体じたいからはなんだい仕様しようちがうGTV6を用意よういしたがGr.2仕様しようのみWRCでの認可にんかりなかったため6Cでの参画さんかくえとなってしまった。

カスタムカー[編集へんしゅう]

ジオキャトロ グループB[編集へんしゅう]

ジオキャトロ グループB

1986ねん、オーストラリアにてポール・ハステッドとF1をはじめとするレースカーデザイナーであるバリー・ロックがジオキャトロ・モトーリを設立せつりつ当初とうしょアウトデルタが構想こうそうしていた「スプリント6C」の理念りねんをベースに、スプリントよりボディパネルをカーボンせいへリファイン。GTV6で使用しようされていた2.5リッターV6エンジンをたてきミッドシップ、リアセクションにZFせいギアボックス、ツインダンパーダブルウィッシュボーンブレンボせいディスクキャリパーとラリー競技きょうぎ意識いしき室内しつないかわり、集中しゅうちゅうロック、電動でんどうまどとう室内しつない装備そうび充実じゅうじつしたスーパースポーツカスタムカーが「ジオキャトロ グループB」である。

やがてこのカスタムエンジンのベースを164で使用しようされている3.0リッターV6エンジンに変更へんこうしようとしたが、コストめん断念だんねん。そこで、オーストラリアでの普及ふきゅう台数だいすうおおホールデン・コモドアの5.0リッターV8エンジンをベースとし、400馬力ばりき仕様しようへチューニングされさい高速度こうそくど260km/hをマーク。これによってオーストラリア国内こくないのラリーイベントではプライベーターがこぞって使用しようするようになっていった。

エンジン種類しゅるい[編集へんしゅう]

  • 1971-1983ねん 1,186cc 63馬力ばりき(標準ひょうじゅんがた) 68馬力ばりき(ti)
  • 1977-1983ねん 1,286cc 75馬力ばりき (スプリントと1300ti)
  • 1978-1983ねん 1,350cc 79馬力ばりき
  • 1978-1983ねん 1,490cc 85馬力ばりき(標準ひょうじゅんがた) 105馬力ばりき(tiとスプリント)
  • 1987-1989ねん 1,712cc 118馬力ばりき

日本にっぽん市場いちばでのアルファスッド[編集へんしゅう]

日本にっぽん市場いちばでは1974ねんから当時とうじのディーラー伊藤忠いとうちゅうオートによって輸入ゆにゅう開始かいしされ、tiも1ねんおくれて1975ねんより導入どうにゅう開始かいしとなった。伊藤忠いとうちゅうオートの方針ほうしんによりほぼすべてがみぎハンドル仕様しようとなったが、排気はいきガス規制きせい対応たいおうできず1976ねん輸入ゆにゅう中断ちゅうだんされた。この初期しょきがたカーグラフィック長期ちょうきテストしゃにも採用さいようされ、傑出けっしゅつした操縦そうじゅうせい機械きかいてき信頼しんらいせいたかさが評価ひょうかされたが、2ねんらずでだい規模きぼさび随所ずいしょ発生はっせいするなどしたため、ボディ内外ないがい仕上しあげと耐久たいきゅうせい酷評こくひょうされた。

その、1978ねんごろから伊藤忠いとうちゅうオートが少数しょうすう限定げんていわく利用りようして本国ほんごく仕様しようのスプリント、シリーズ2の4ドアベルリーナやtiの少数しょうすう輸入ゆにゅう再開さいかいする。当時とうじのカーグラフィック編集へんしゅうちょうであった小林こばやしあきら太郎たろうが1980ねんに4ドア1.5スーパーを購入こうにゅうしたが、購入こうにゅう3ねんらずでタイミングベルト破断はだんしてバルブとピストンが衝突しょうとつし、走行そうこう不能ふのうになるというトラブルに見舞みまわれた。また、フロントガラスが突然とつぜん落下らっかするトラブルにかんして本社ほんしゃ直接ちょくせつ抗議こうぎ手紙てがみおくったものの、「うちのくるまにそんなことはない」と事実じじつ否定ひていされたという。

カーグラフィックかかわりのふか松任谷まつとうや正隆まさたかもかつて購入こうにゅう。そのすうねん、バンドのメンバーにゆずってしいとのぞまれたさいに、さび多発たはつする可能かのうせい指摘してきしたが、それでもいとのことゆずわたした。松任谷まつとうやによれば、その車両しゃりょうのち走行そうこうちゅうにタイミングベルトの破断はだん見舞みまわれたという。

カーグラフィックつうじて、こうした品質ひんしつめん不安ふあん購買こうばいそうであった自動車じどうしゃマニアに周知しゅうちされてしまったこと、オートマチックトランスミッション(AT)や本格ほんかくてきエアコンが1980年代ねんだいになっても選択せんたくできなかったこと、1983ねん伊藤忠いとうちゅうオートがアルファロメオ販売はんばいから撤退てったいし、いだにちえい自動車じどうしゃも1985ねん解散かいさんするなどディーラーがてんさんてんしたことから、輸入ゆにゅう再開さいかいのアルファスッドは市場いちばではきわめてマイナーな存在そんざいわってしまった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ディスカバリーチャンネル『名車めいしゃ再生さいせい!クラシックカー・ディーラーズ』アルファロメオ・アルファスッドの放送ほうそうかい。ディーラーやくであるマイク・ブルーワーによる解説かいせつ
  2. ^ 47ème Rallye Automobile de Monte-Carlo”. rallybase.nl. 2013ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ 26ème Tour de Corse - Rallye de France”. rallybase.nl. 2013ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ Bertrand Balas World Rally Championship Results”. rallybase.nl. 2013ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ L'èxit més gran del Sprint en ral.lies va ser la victòria en Grup A en el Ral.li Montecarlo de 1985”. Sprint MANIA. 2013ねん3がつ21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]