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イスラーム戦争せんそうほう

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イスラーム戦争せんそうほうは、6世紀せいきから18世紀せいきまでのイスラーム世界せかい(ダール・アル=イスラーム)ないでの戦争せんそうおよび、イスラーム世界せかいぞくする国家こっかと、イスラーム世界せかい(ダール・アル=ハルブ)にぞくする国家こっかとの戦争せんそうにおいて、イスラーム世界せかい国家こっか遵守じゅんしゅすることを義務ぎむとされた戦争せんそうほうのことをす。近代きんだい欧州おうしゅう戦争せんそうほうおよびそれをもとにした現代げんだい戦時せんじ国際こくさいほう世俗せぞくてきほうであるのとはちがい、イスラーム戦争せんそうほうはイスラームという宗教しゅうきょうおしえにのっとった宗教しゅうきょうほうである。現在げんざいではイスラーム戦争せんそうほう法的ほうてき次元じげんでは効力こうりょくうしなったが、現代げんだいのイスラーム世界せかい国家こっか戦時せんじ国際こくさいほう運用うんようするとき、イスラーム戦争せんそうほうからの影響えいきょうけることがある。またイスラーム原理げんり主義しゅぎ武装ぶそう組織そしきなどは、現代げんだいでもイスラーム戦争せんそうほうのっとって戦争せんそうおこなっている。

起源きげん

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イスラーム戦争せんそうほうは、6世紀せいきまでにアラブの遊牧民ゆうぼくみんベドウィン都市とし国家こっか傭兵ようへいあいだたたかわれた戦争せんそうにおける慣習かんしゅうてきほうもとに、預言よげんしゃムハンマドとその後継こうけいしゃたちがイスラームという宗教しゅうきょう理念りねん加味かみすることで形成けいせいされ、のイスラームほう学者がくしゃたちによって理論りろんされていった戦争せんそうほうである。

概要がいよう

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開戦かいせん作法さほう

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イスラーム教徒きょうと軍隊ぐんたい異教徒いきょうと軍隊ぐんたい合戦かっせんおよさいには、イスラーム教徒きょうとがわ相手あいて改宗かいしゅうか、恭順きょうじゅんか、それとも戦争せんそうかをえらばせる通告つうこくおこなわなければならないとされる。

捕虜ほりょあつか

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現代げんだい戦時せんじ国際こくさいほうくらべると、イスラーム戦争せんそうほうにおける捕虜ほりょあつかいは一般いっぱん残虐ざんぎゃくである。

まず、戦闘せんとういん捕虜ほりょたいしては、現代げんだい国際こくさいほうにおいては正当せいとう理由りゆうがあり、裁判さいばんとう正当せいとう手続てつづきをふまなければ、処刑しょけいしてはならないとされているのにたいし、イスラーム戦争せんそうほうでは捕虜ほりょがイスラームへの改宗かいしゅうこばんだ場合ばあい司令しれいかん判断はんだん自由じゆう処刑しょけいできる。ただしこれは処刑しょけいする権利けんりがあるだけであり、かなら処刑しょけいしなければならないわけではない。処刑しょけいしない場合ばあいは、奴隷どれい身代金みのしろきん捕虜ほりょ交換こうかんによる釈放しゃくほう恩赦おんしゃのいずれかがえらばれる。また、捕虜ほりょがイスラームに改宗かいしゅうした場合ばあい処刑しょけいしてはならない。

また戦闘せんとういん戦闘せんとういん区別くべつ自体じたいも、現代げんだい戦時せんじ国際こくさいほうとはおおきくことなる。現代げんだい戦時せんじ国際こくさいほう現実げんじつ戦闘せんとう参加さんかしたかかで戦闘せんとういん戦闘せんとういんけるのにたいし、イスラーム戦争せんそうほうしたでは、健康けんこう成人せいじん男子だんしであればたとえまった戦闘せんとうにかかわっていなくとも戦闘せんとういんとして捕虜ほりょにされうる。また、女子じょし場合ばあい現実げんじつ戦闘せんとう従事じゅうじしていても戦闘せんとういん看做みなされることはない。

女子じょしうえべたように戦闘せんとう参加さんかしたかかにかかわらず、戦闘せんとういんとみなされるため、処刑しょけいしてはならない。そのため司令しれいかん女子じょし捕虜ほりょあつかいにかんしては奴隷どれい身代金みのしろきん捕虜ほりょ交換こうかんによる釈放しゃくほう恩赦おんしゃの3つの選択肢せんたくしゆるされている。しかし、女子じょし奴隷どれいにしたうえで、戦闘せんとう参加さんかした兵士へいしたちに報酬ほうしゅうとして分配ぶんぱいし、彼女かのじょらを強姦ごうかんする権利けんりあたえることは、イスラーム戦争せんそうほうによれば合法ごうほうである。9世紀せいきのハディースしゅう真正しんせいしゅう」は、ムハンマド在世ざいせいちゅうからこのような行動こうどうみとめられていたことをしるしている[1]

また男子だんしであっても、老人ろうじん病人びょうにん子供こども、そして隠遁いんとんしゃである場合ばあい戦闘せんとういんとみなされるため、処刑しょけいしてはならない。かれらにたいしても、司令しれいかんには奴隷どれい身代金みのしろきん捕虜ほりょ交換こうかんによる釈放しゃくほう恩赦おんしゃという3つの選択肢せんたくしあたえられる。

現在げんざいのイスラーム戦争せんそうほう

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イスラーム戦争せんそうほううえしるしたとおり現代げんだいでは法的ほうてき拘束こうそくりょくうしなっているが、イスラーム原理げんり主義しゅぎ過激かげきなどは現在げんざいでもかれらなりに解釈かいしゃくされたイスラーム戦争せんそうほうしたがって軍事ぐんじ行動こうどうおこなっており、現代げんだい国際こくさい戦争せんそうほうなどの規範きはん衝突しょうとつすることがある。

れいげると、イラク日本人にっぽんじん青年せいねん人質ひとじち殺害さつがい事件じけんかんしては、現代げんだい国際こくさい戦争せんそうほうでは青年せいねん戦闘せんとうまったくかかわりをたない旅行りょこうしゃであり、戦闘せんとういんであるため捕虜ほりょとしてもその殺害さつがい禁止きんしされているが、イスラーム戦争せんそうほうでは健康けんこう成年せいねん男子だんしである当該とうがい青年せいねん捕虜ほりょとした場合ばあい異教徒いきょうとである以上いじょう処刑しょけいしても問題もんだいない行為こういである。日本にっぽんのイスラーム専門せんもん中田なかたこうも、このてん指摘してきして、イスラーム戦争せんそうほうでは当該とうがい青年せいねん殺害さつがい合法ごうほうであるとみとめた[2]

また上述じょうじゅつとおり、イスラーム戦争せんそうほうでは戦闘せんとう参加さんかしたかかをわず、女子じょし戦闘せんとういんとされるため、その殺害さつがい禁止きんしされている。しかし、カタール著名ちょめいウラマーユースフ・アル=カラダーウィーは、イスラーム戦争せんそうほうにおいて女子じょし無条件むじょうけん戦闘せんとういんとみなしたのは、女子じょし積極せっきょくてき兵士へいしとして従軍じゅうぐんしない当時とうじ時代じだい背景はいけいまえたものであり、現代げんだいイスラエルなどのように女子じょし兵士へいしとして積極せっきょくてき従軍じゅうぐんするような社会しゃかい国家こっかたいする戦争せんそうならば、女子じょし戦闘せんとういんとみなされるため、女子じょしふく民間みんかんじんへの自爆じばくテロもイスラーム戦争せんそうほううえ違法いほうとはいえないとして、民間みんかんじんへの自爆じばくテロにお墨付すみつきをあたえた。ここではイスラーム戦争せんそうほう古典こてんてき解釈かいしゃくにおいて、実際じっさい戦闘せんとう参加さんかせずともその潜在せんざいてき能力のうりょくがあるとして成人せいじん男子だんしすべ戦闘せんとういんとみなしたのとおなかんがえを女子じょしにも拡張かくちょうしていることになる。

参照さんしょう

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  1. ^ ブハーリーちょ真正しんせいしゅう遠征えんせいしょだい61しょう2せつ
  2. ^ 東京とうきょう新聞しんぶん特報とくほう2004ねん11月1にちづけ

関連かんれん項目こうもく

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