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サヒーフ・アル=ブハーリー

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サヒーフ・アル=ブハーリー(Sahih al-Bukhari、アラビア:صحيح البخاري)とは、イスラム教いすらむきょうスンニもちいられる6つの主要しゅようハディースしゅうひとつ。ハディース学者がくしゃブハーリーによって収集しゅうしゅうされた。『サヒーフ・ムスリム』とならび、もっと権威けんいあるハディースとされている。このふたつのハディースにある伝承でんしょう原則げんそくてき真正しんせいであるとみなされている。

伝統でんとうてきなハディースがくにおいて、ハディースはその信憑しんぴょうせいによって、サヒーフ (真正しんせい)、ハサン(良好りょうこう)、ダイーフ(脆弱ぜいじゃく)などの分類ぶんるいがされる。ブハーリーは生涯しょうがいに60まんのハディースを収集しゅうしゅうしたとつたえられているが[1]、これらのなかから真正しんしょう(サヒーフ)とみなした2700あまりのハディースを厳選げんせん編纂へんさんしたものである。「真正しんせいしゅう」ともやくされている。いわゆる「ハディース」は基本きほんてきにイスラームの預言よげんしゃムハンマド言行げんこうにまつわる伝承でんしょうい、ムハンマドとかれ面識めんしきっていただい1世代せだいムスリムサハーバ)たちが直面ちょくめんした問題もんだいについてムハンマドがどう判断はんだんしたか、あるいはそれにもとづいてサハーバたちがどう行動こうどうすべきか意見いけんはっしたことなどがべられており、ムスリム社会しゃかいにおける当時とうじ現状げんじょう問題もんだいにおける指針ししんとなることを意図いとして、これらのハディースしゅう編纂へんさんされた。ブハーリーのきたアッバースあさ時代じだい初期しょきは、預言よげんしゃムハンマドらの時代じだいから2世紀せいき以上いじょう経過けいかしており、虚偽きょぎのハディースをふくおおくの預言よげんしゃムハンマドに由来ゆらいするとされる雑多ざったなハディースがあふれていた。そのため、9-10世紀せいき前後ぜんこうは、実際じっさい預言よげんしゃムハンマドの言動げんどう由来ゆらいする伝承でんしょう取捨しゅしゃ選別せんべつする必要ひつようせいさけばれるようになっていた時代じだいでもあった。

ブハーリーの時代じだい前後ぜんこう主要しゅようウラマーたちによっておおくのハディースしゅう編纂へんさんされたが、この『サヒーフ・アル=ブハーリー』は、伝承でんしょう径路けいろ(イスナード)などの研究けんきゅうって厳選げんせんされていることにくわえ、「信仰しんこうしょ」や「礼拝れいはいしょ」、「ただしいしょかた」「ほふられた動物どうぶつ獲物えもの」「遺産いさん割当わりあて」など、テーマごとにハディースがイスナードきで分類ぶんるいされていて、事項じこうごとの検索けんさく便利べんりである、という利点りてんっていた。同一どういつ形式けいしき編纂へんさんされた『サヒーフ・ムスリム』とならびいわゆるハディース「六書りくしょ」の筆頭ひっとうとしてスンニでは尊重そんちょうされた。初期しょき批判ひはん検証けんしょう対象たいしょうにはなったが、ヒジュラれき4世紀せいきごろには全体ぜんたいてきただしいとみとめられるようになった。

このため、ぜん近代きんだいイスラーム世界せかいにおいて、サヒーフ・アル=ブハーリーと、サヒーフ・ムスリムのりょうしょは、イスラームの信仰しんこうかみロゴスとされるクルアーンぐ、事実じじつじょう聖典せいてんとしての地位ちいあたえられた。

しかし近代きんだいにより、イスラーム諸国しょこくにおける近代きんだいてきハディース批判ひはんこり、イスラーム世界せかいでも、ハディースの真贋しんがんたいするさい評価ひょうかこっている。

またハディースの権威けんい否定ひていする思想しそう潮流ちょうりゅうクルアーン主義しゅぎがある。

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

牧野まきの信也しんやわけ『ハディース イスラーム伝承でんしょう集成しゅうせい
 全訳ぜんやく中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ大判おおばんばこいれ)、中公ちゅうこう文庫ぶんこ改訂かいてい刊行かんこう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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