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ジハード

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ジハードجهادjihād)は、アラビア語根ごこん جهد(J-H-D、努力どりょくする)から派生はせいした動詞どうしجاهد(ジャーハダ、自己じこ犠牲ぎせいしてたたかう)のどう名詞めいしで、「ちがうベクトルのちから拮抗きっこう」を意味いみするが、一般いっぱんてきにイスラームの文脈ぶんみゃくでは「宗教しゅうきょうのために努力どりょくする、たたかう」ことを意味いみする[1]。「だいジハード」と「しょうジハード」がある。

だいジハード」(うちへのジハード)は個人こじん信仰しんこうふかめる内面ないめんてき努力どりょく一方いっぽう、「しょうジハード」(そとへのジハード)は異教徒いきょうとたいしてのたたかいをすため、一般いっぱんてきに「ジハード」というと後者こうしゃ[2]イスラム法学ほうがくうえの「ジハード」は、「イスラムのための異教徒いきょうととの戦闘せんとう」と定義ていぎされる[1]。しばしば「聖戦せいせん」と和訳わやくされるが、ジハードというかたりには「きよし」の意味いみはないため、正確せいかくではない[1]

概要がいよう

ジハードは、『クルアーン(コーラン)』に散見さんけんされる「かみみちのために奮闘ふんとうすることにつとめよ」というのなかの「奮闘ふんとうする」「努力どりょくする」に相当そうとうする動詞どうし語根ごこん jahada (ジャハダ、アラビア: جهد‎)を語源ごげんとしており、アラビアでは「ある目標もくひょうをめざした奮闘ふんとう努力どりょく」という意味いみである[3]。このかたりには本来ほんらい神聖しんせい」ないし「戦争せんそう」の意味いみふくまれていない[4]。しかし、『クルアーン』においてはこの言葉ことばが「異教徒いきょうととのたたかい」「防衛ぼうえいせん」をすことにも使つかわれており、このことから異教徒いきょうと討伐とうばつムスリムとの戦争せんそうをあらわす「聖戦せいせん」(「そとへのジハード」)をもすようになった。したがって、「聖戦せいせん」という訳語やくごは、ジハード本来ほんらい意味いみからすれば狭義きょうぎ訳語やくごということができる[5][注釈ちゅうしゃく 1]

奮闘ふんとう努力どりょく意味いみでのジハードは、ムスリムの主要しゅよう義務ぎむであるぎょういで「だいろく番目ばんめくだり」といわれることがある[3]。ジハードの重要じゅうようせいは、イスラーム聖典せいてん『クルアーン』がかみみちにおいて奮闘ふんとうせよとめいじていることと、あるいはまた、預言よげんしゃムハンマド)と初期しょきのイスラーム共同きょうどうたいウンマ)のありかたざしている[3]

きん現代げんだいにおけるイスラームのはん帝国ていこく主義しゅぎ・イスラーム復古ふっこ主義しゅぎイスラーム原理げんり主義しゅぎにおいては、イスラーム世界せかい防衛ぼうえいのため、「実際じっさい武器ぶきってたたかうジハード」がふたた強調きょうちょうされている[6]。 『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』ではつぎ解説かいせつがある[7]

イスラムほう理念りねんでは,世界せかいはイスラムの主権しゅけん確立かくりつされたダール・アルイスラームでなければならない。まだその主権しゅけん確立かくりつされていない世界せかいは,ダール・アルハルブdār al‐ḥarb(戦争せんそう世界せかい)と定義ていぎされ,そこではイスラムの主権しゅけん確立かくりつされるまでジハードが必要ひつようとなる[7]

ウンマ(イスラーム共同きょうどうたい)の歴史れきしとジハード

イスラームとならび「世界せかい宗教しゅうきょう」としょうされる仏教ぶっきょうキリスト教きりすときょう比較ひかくしたさいの、イスラームきょうきょくだった特徴とくちょうとしては、政教せいきょう一体いったい宗教しゅうきょう共同きょうどうたい存在そんざいがあげられる[8]。この宗教しゅうきょうは、たんなる個人こじんてき内面ないめんてき信仰しんこう体系たいけいというにとどまらず、むしろひとつの確固かっこたる共同きょうどうたいそのもの、ないし共同きょうどうたいてき生活せいかつ全体ぜんたいなのであり、また、それをささえる固有こゆう法律ほうりつ政府せいふ社会しゃかい制度せいど内的ないてき規定きていしているのである[8]。そして、預言よげんしゃとしてムスリムを指導しどうしたムハンマドは、ユダヤきょうキリスト教きりすときょう預言よげんしゃ宗教しゅうきょう指導しどうしゃにもまして、「かみみち」にもとづく理想りそうくにウンマ建設けんせつしようという情熱じょうねつ意欲いよくちあふれていた[9]

ジャーヒリーヤ時代じだい」(無知むち時代じだい無明むみょう時代じだい)すなわちイスラーム成立せいりつ以前いぜんアラビア半島はんとうでは、それぞれの部族ぶぞくは、血縁けつえんにもとづく連帯れんたい意識いしき強弱きょうじゃくかく部族ぶぞく命運めいうん左右さゆうしており、人間にんげん欲望よくぼうにもとづく闘争とうそう(キタール)がひろげられていた[5]。しかし、それはきびしい砂漠さばく気候きこうのなかでは自殺じさつ行為こういであった。イスラームは、この連帯れんたい意識いしき血族けつぞく意識いしき基本きほんとしたものから「アッラーへの絶対ぜったい帰依きえ」というちょう血族けつぞく意識いしき根幹こんかんとしたものへと変革へんかくさせたのであり、その変革へんかくこころみが成功せいこうしたために世界せかい宗教しゅうきょうとして歴史れきしおもて舞台ぶたい登場とうじょうしたということができる[5]血族けつぞくてきでない連帯れんたい意識いしきささえた「信仰しんこう生活せいかつ」そのものは、血族けつぞく意識いしきにくらべればきわめて曖昧あいまいなものであり、それゆえ、唯一ゆいいつかみアッラーから「ろくしんぎょう」というシステムを平等びょうどうけ、日月じつげつ時間じかんさえも同一どういつにして、えるかたちでの連帯れんたい意識いしき同胞どうほう意識いしき醸成じょうせい毎日まいにちはかることとしたのである。ジハードとは、こうして形成けいせいされた宗教しゅうきょう共同きょうどうたいまもろうとする実践じっせんてき営為えいいなのである[5]

イスラーム共同きょうどうたい歴史れきしは、それゆえ、ムハンマドの時代じだいから現代げんだいにいたるまで、『クルアーン』のジハードにかんするおしえをその枠組わくぐみとしててゆくことができる[3]。『クルアーン』だい49しょう部屋へやあきら」15せつ[クルアーン 1] には、

本当ほんとう信者しんじゃとは、一途いっとにアッラーとその使徒しとしんじるものたちで、うたがいをつことなく、アッラーのみちのために、財産ざいさん生命せいめいとをささげて奮闘ふんとう努力どりょくするものである。これらのものこそしん信者しんじゃである。

とあり、「ジハード」とはしたがって、ムスリムのあるべき姿すがたべた、イスラームの代表だいひょうてき言葉ことばでもある[5]

『クルアーン』におけるジハードのおしえは、ムスリムのひとびとの自己じこ認識にんしき、そして、唯一ゆいいつかみアッラーうやましん共同きょうどうたい動員どういん拡大かくだい防衛ぼうえいなどの諸点しょてんにおいて、根本こんぽんてき重要じゅうようなものである[3]。それは、ひとりの人間にんげんとして人生じんせいおくることはけっして容易よういなことではなく、また、けっして単純たんじゅんなことでもないという認識にんしき思念しねんかかわってくるからである[3]。「かみみち」にかなうような、道徳どうとくてき高潔こうけつひととなるためには、みずからの内面ないめんひそあくたたかい、善行ぜんこうによって社会しゃかい改善かいぜんするよう、真剣しんけん奮闘ふんとう努力どりょくしなければならない[3]

それにまた、ジハードは、そのひとかれた環境かんきょうによっては、不正ふせい抑圧よくあつたいするたたかいという意味いみをもつこととなり、宣教せんきょう説得せっとくによって、また場合ばあいによっては、必要ひつようおうじては武器ぶきをとり、「せいなるたたかい」をひろげることによってただしい社会しゃかいをつくらなければならないというかんがえとむすびつくのである[3]

2つのジハード

ジハードは、ろくしんぎょうというムスリムの信仰しんこう義務ぎむ項目こうもくにはふくまれていないが、『クルアーン』では「奮闘ふんとう努力どりょく」という非常ひじょう幅広はばひろ意味いみ登場とうじょうし、したがって、その意味いみからもろくしんぎょうえ、イスラームの信者しんじゃとして当然とうぜんたなければならない基本きほんてき心構こころがまえとして、いっそう重要じゅうよう命令めいれいかんがえられている[5]

ひろ意味いみでのジハードには、つぎの2種類しゅるい存在そんざいするといわれている[3]

  • 個人こじん内面ないめんとのたたかい。うちへのジハード。暴力ぼうりょくてきなジハード
  • 外部がいぶ不義ふぎとのたたかい。そとへのジハード。暴力ぼうりょくてきなジハード

この2つについて、ムハンマドが実際じっさい戦闘せんとうから日常にちじょう生活せいかつもどったときにかたったと伝承でんしょうされる言葉ことばが、その内実ないじつをよく説明せつめいしている。その言葉ことばとは、

わたしたちはちいさなジハード(戦争せんそう)からおおきなジハードにもどる。…

というものである[3]

おおきなジハード」すなわち「うちへのジハード」は、個々人ここじんのムスリムのしんなかにあるあく正義せいぎ欲望よくぼう自我じが利己りこ主義しゅぎたたかって、内面ないめん正義まさよし実現じつげんさせるための行為こういのことであり、それだけに、いっそう困難こんなん重要じゅうようなものとされる[3]。このことにかんして、イスラーム共和きょうわせいをとるイランでは、ラマダーン期間きかん、「ラマダーンがつはジハードのつき」などといった標語ひょうごかかげることによって、弛緩しかんしがちなムスリムたちの規律きりつただし、イスラーム共和きょうわこく理想りそうおもこさせるための行為こういという意味いみで「ジハード」のかたりもちいられる[注釈ちゅうしゃく 2]。イスラームがぎょうのひとつとして1ヶ月かげつにわたる断食だんじき(サウム)を信徒しんとめいじている理由りゆうは、ひとびとに食欲しょくよくという本能ほんのうおさえる訓練くんれんをさせることによって、精神せいしん肉体にくたいよりも強固きょうこなものであると自覚じかくさせ、同時どうじべものへの感謝かんしゃねんこさせるためであるといわれている[10]

現在げんざいおおくの学者がくしゃは「うちへのジハード」を「だいジハード」(الجهاد الأكبرal-jihād l-akbar) とんでおり、それにたいして「そとへのジハード」を「しょうジハード」(الجهاد الأصغر al-jihād l-asghar)とんでいる[3]。どちらも、アッラーの命令めいれい完遂かんすいできないような環境かんきょうがつくられないための「奮闘ふんとう努力どりょく」というてんでは共通きょうつうしている[5]

もっともひろ意味いみでのジハードは、すべてのムスリムにされる義務ぎむしている[3]かみ意志いしにしたがい、かみ意志いし実現じつげんして倫理りんりてき生活せいかついとなむために、説教せっきょう教育きょういく実例じつれいおよび文書ぶんしょなどによってイスラーム共同きょうどうたい拡大かくだいのため、ムスリムいちにんひとりとしても、イスラーム共同きょうどうたいとしても、おこなうべき義務ぎむなのである。また、「ジハード」には、イスラームきょうとイスラーム共同きょうどうたい外部がいぶからの攻撃こうげきからまも権利けんり実際じっさいには義務ぎむ)という意味いみもある[3]。20世紀せいき後半こうはんにあっても、1978ねんからのソ連それんのアフガニスタン紛争ふんそうにおいて、アフガニスタンムジャーヒディーン後述こうじゅつ)が、ソヴィエト連邦れんぽう占領せんりょうたいし、10ねんにおよぶながいジハードをたたかってきた[3]

歴史れきしてきにみれば「だいジハード」は、平和へいわ主義しゅぎ寛容かんようさをむねとするイスラーム神秘しんぴ主義しゅぎ潮流ちょうりゅうのなかでとく支持しじされてきたものであり、その一方いっぽうで、支配しはいしゃ権力けんりょくしゃ領土りょうど拡大かくだい侵略しんりゃく大義名分たいぎめいぶんとして「そとへのジハード」を利用りようしてきた。現代げんだいでもしばしば、テロリストされる過激かげき集団しゅうだんが「そとへのジハード」を大義名分たいぎめいぶんとして行動こうどうし、ムスリムの結集けっしゅうびかけるためにもちいている[3]

うちへのジハード(だいジハード)

うちへのジハード」は、イスラームけんではあまり注目ちゅうもくされていないが、イスラーム世界せかいではきわめて重要じゅうようされている概念がいねんである[3]。これは通常つうじょうかみみち実現じつげんするために、かく個人こじんみずからのしんのなかの堕落だらく怠惰たいだ腐敗ふはいなどの諸悪しょあくたたか克己こっき精神せいしん意味いみしており、つよ意志いし自分じぶんをよりよくしていこうという努力どりょくである[3][5][11]。また、これらのあく増長ぞうちょうさせる外来がいらい文化ぶんか導入どうにゅうなどによる環境かんきょう変化へんかたいする抵抗ていこうもまた、「うちへのジハード」としてのたたかいであるとなされる[5]。『クルアーン』には、各所かくしょに「努力どりょくするものにはかみむくいてくださる」としか解釈かいしゃくできない数多かずおお登場とうじょうする[12]。ムハンマド自身じしんは、しばしばどう時代じだいユダヤじんをその信仰しんこうにおいて「形式けいしき主義しゅぎもの」と非難ひなんし、ムスリムにたいしても、たとえば「形式けいしきだけの礼拝れいはいなら、しないほうがまし」と宣言せんげんしたように、努力どりょくすることそのものをおもんじたのである[12]

うちへのジハード」は「だいジハード」とばれ、社会しゃかい平和へいわてき運営うんえいにはくべからざるものとして法学ほうがくしゃ為政者いせいしゃからも重視じゅうしされる。ジハードを「聖戦せいせん」とやくして、たんなるたたかいという意味いみでこの言葉ことば理解りかいすることはあやまりであり、「布教ふきょうのためのたたかい」と理解りかいすることもまたあやまりであって、「たたかい」の意味いみゆうする場合ばあいでも、あくまでも「防衛ぼうえいせん」をしている[5]現代げんだいにおいては、おおくのイスラーム諸国しょこくにおいて為政者いせいしゃ法学ほうがくしゃ知識ちしきじんともに「うちへのジハード」を重視じゅうしする傾向けいこうつよい。

そとへのジハード(しょうジハード)

そとへのジハード」は一般いっぱんに「聖戦せいせん」とやくされるジハードであり、イスラーム共同きょうどう体外たいがいへの侵略しんりゃく戦争せんそう、あるいはイスラーム共同きょうどう体外たいがいからイスラーム共同きょうどうたいまもるためのたたかいである。このたたかいが「ジハード」のしょうされるためには、法的ほうてき根拠こんきょ必要ひつようとする[5]

そとへのジハード」の古典こてんてき定義ていぎとその内容ないよう

イスラームほうシャリーア)は、正統せいとうカリフ時代じだいのイスラーム共同きょうどうたいウンマ)からアラブ帝国ていこくウマイヤあさ)、イスラーム帝国ていこくアッバースあさ)へと発展はってんしていった8世紀せいきから10世紀せいきころにかけて整備せいびされた。シャリーアは、初期しょきイスラームの拡大かくだい戦争せんそうささえたイデオロギーである「そとへのジハード」を以下いかのような観念かんねんにまとめた。すなわち、

  • 「(そとへの)ジハードとは、イスラーム世界せかい拡大かくだいあるいは防衛ぼうえいするための行為こういたたかい」

というものである。

伝統でんとうてきなシャリーアの理念りねんにおいては、イスラーム共同きょうどうたい主権しゅけん確立かくりつされ、シャリーアが施行しこうされる領域りょういき、"ダール・アル=イスラーム" دار السلام(「イスラームのいえ」=イスラーム世界せかい)にぜん世界せかいとその人民じんみん包摂ほうせつされていなければならない。しかし、現実げんじつには「イスラームのいえ」の外部がいぶには、イスラームのちからがおよばない"ダール・アル=ハルブ" دار الحرب‎(「戦争せんそういえ」=イスラーム世界せかい)が存在そんざいする。したがって、「戦争せんそういえ」を「イスラームのいえ」にれるための努力どりょく、すなわちジハードをおこなうことがムスリムの義務ぎむとされるのである[5]

うえ定義ていぎから、イスラーム共同きょうどうたい支配しはいふくさない異教徒いきょうと討伐とうばつ原則げんそくとしてただしい行為こういであり、極端きょくたんにいえば、イスラーム共同きょうどうたい最終さいしゅうてきにはぜん世界せかい征服せいふくし、異教徒いきょうと屈服くっぷくさせなければならないという論理ろんりさえみちびされる。この論理ろんり根拠こんきょとしては、『クルアーン』だい2しょうだい193せつにある「騒擾そうじょうがすっかりなくなるときまで。宗教しゅうきょうまったくアッラーの(宗教しゅうきょう)ただいちじょうになるときまで、彼等かれら(メッカの多神教たしんきょう)を相手あいてたたかいぬけ」がある[クルアーン 2]。 したがってふたつの世界せかいいえ)のあいだつね戦争せんそう状態じょうたいにあり[13]、ジハードがムスリムの永続えいぞくてき義務ぎむである以上いじょう戦争せんそう状態じょうたいがむしろ常態じょうたいだとの指摘してきがある[14]

しかし同時どうじに『クルアーン』は、戦争せんそう正当せいとうなジハードたりうるのは異教徒いきょうとたたかいをいどんできた場合ばあいかぎられることもしめしており、だい2しょうだい190せつには、「あなたがたにたたかいをいどものがあれば、アッラーのみちのためにたたかえ。だが侵略しんりゃくてきであってはならない。本当ほんとうにアッラーは、侵略しんりゃくしゃあいさない」[クルアーン 3]とある。くわえて前述ぜんじゅつだい2しょうだい193せつ後半こうはん部分ぶぶん[注釈ちゅうしゃく 3]したがえば、異教徒いきょうとからいどまれた戦争せんそうであっても、相手あいてがイスラーム共同きょうどうたい和平わへいむすび、「不義ふぎ戦争せんそう」を停止ていししようとしているならば、イスラーム共同きょうどうたいがわがいてて和平わへいつとめなければならない。つまりイスラーム共同きょうどうたいは、イスラームとのたたかいをのぞまない「戦争せんそういえ勢力せいりょくとならば、条約じょうやくむす外交がいこう関係かんけい樹立じゅりつすることが可能かのうであると理解りかいされる。これら外交がいこう関係かんけいむすんだ諸国しょこくは「和平わへいいえ」とばれ、「戦争せんそういえ」とは区別くべつされる[注釈ちゅうしゃく 4]。 こうしたことから、「戦争せんそういえかん好戦こうせんてきジハード思想しそう古典こてん成立せいりつした法学ほうがく思想しそうぎず、クルアーンのおしえではないとの指摘してきがある[15]

もし、ある戦争せんそう行為こういを「ジハード」として遂行すいこうすることが必要ひつようとなった場合ばあいは、カリフムフティーばれる宗教しゅうきょう指導しどうしゃたいし、その戦争せんそうがジハードとしてみとめられるかどうかを諮問しもんしなければならない。その結果けっか、ムフティーが合法ごうほうであるとするファトワーはっすることで、統治とうちしゃは「ジハード」を宣言せんげんすることができる。

ジハードには、このような法的ほうてき根拠こんきょ必要ひつようであり、その根拠こんきょのないものを「ジハード」とはべない[5]開戦かいせんが「防衛ぼうえいてきジハード」であり、法的ほうてき根拠こんきょゆうする場合ばあいは、ぜんムスリムは、国家こっか民族みんぞくえてぜんイスラーム教徒きょうとが、直接的ちょくせつてきにであれ間接かんせつてきにであれジハードに参加さんかしなくてはならない。ただし、歴史れきしてきには当該とうがい統治とうちしゃ臣民しんみん以外いがいにジハード参加さんか強制きょうせいりょくおよぼすことはむずかしかった。これにたいし、イスラーム共同きょうどうたい拡大かくだいのための侵略しんりゃく戦争せんそう場合ばあい参戦さんせん義務ぎむ統治とうちしゃ家臣かしん臣民しんみんかぎられる[16]

また、イスラームのジハード思想しそうでは、異教徒いきょうと討伐とうばつし、その結果けっかとしてムスリムを服属ふくぞくさせることはみとめられていても、征服せいふく異教徒いきょうとたいする強制きょうせい改宗かいしゅう明確めいかく否定ひていされている。これは、『クルアーン』だい2しょう256せつの「宗教しゅうきょう無理強むりじいは禁物きんもつ」という根拠こんきょにしており、『クルアーン』では、しんじるのもしんじないのも本人ほんにん自由じゆうであることが強調きょうちょうされている[17]。したがって、ジハードは布教ふきょうのための戦争せんそうであってはならない[5]

さらにいえば、「イスラームのいえ」を拡大かくだいする行為こういとはかならずしも戦闘せんとうという手段しゅだん限定げんていされない。中央ちゅうおうアジア東南とうなんアジアでの布教ふきょうのように平和へいわてき方法ほうほうによって「イスラームのいえ」が拡大かくだいされたれいすくなくない。そのになは、これらの地域ちいきおもむいたムスリム商人しょうにんやイスラム神秘しんぴ主義しゅぎしゃスーフィー)の聖人せいじんたちであった。また、「イスラームのいえ」の支配しはいはいった異教徒いきょうとたちは、イスラームの主権しゅけん一定いってい程度ていど人権じんけん保障ほしょうされた隷属れいぞくみん「ズィンミー」たることを強制きょうせいされ[注釈ちゅうしゃく 5]差別さべつ待遇たいぐう甘受かんじゅさぜるをなかったが、信教しんきょう自由じゆうみとめられるなど比較的ひかくてき寛大かんだいあつかわれたこともすくなくなかった。

また、ときには、「戦争せんそういえ」に異教徒いきょうとが、「イスラームのいえ」にたいして戦争せんそう仕掛しかけてくることも当然とうぜんありうる。このような場合ばあい、イスラーム共同きょうどうたい防衛ぼうえいのためのジハードがムスリムの義務ぎむとなる。

防衛ぼうえいせん従事じゅうじするもの聖戦せいせん)を、ムジャーヒド(単数たんすうがた)およびムジャーヒディーン複数ふくすうがた)という。かれらにたいして、唯一ゆいいつかみアッラーは『クルアーン』をつうじて「かみみちたたかうものは、戦死せんししても凱旋がいせんしてもわれらがきっとおおきな褒美ほうびさづけよう」とおしえ、ジハードで戦死せんしすれば殉教者じゅんきょうしゃとして最後さいご審判しんぱんののち、かなら天国てんごくむかえられると約束やくそくする。一方いっぽうで、『クルアーン』は「てきけるものは、たちまちかみいかりを背負しょみ、そのさきはジャハンナム(地獄じごく)である」とかたり、ジハードをおこたることをきびしく非難ひなんしている[注釈ちゅうしゃく 6][注釈ちゅうしゃく 7]

そとへのジハード」とキタール

イスラームでは、世界せかいにおいてひろげられてきた普通ふつうたたかいを、ジハード(聖戦せいせん)とは明確めいかく区別くべつし、それを「キタールقِتَالqitāl)」と呼称こしょうしている[5]。キタールとは、侵略しんりゃく戦争せんそう領土りょうど拡大かくだい戦利せんりひん奴隷どれい獲得かくとく資源しげん確保かくほ植民しょくみん確保かくほなど、人間にんげんのもつ単純たんじゅん欲望よくぼうにもとづいておこなわれる戦争せんそうのことであり、また、憎悪ぞうおからまれる行為こうい復讐ふくしゅう行為こういもキタールであって、いずれも否定ひていされるべき行為こういとされている[5]

キタールは、アラビアの「カタラ(ころした)」という言葉ことば語源ごげんとしており、「世俗せぞくてき欲望よくぼうにもとづいた戦争せんそう」を意味いみするのにたいし、ジハードが想定そうていしている戦争せんそうは、あくまでも、ムスリムから正当せいとう防衛ぼうえい戦争せんそうであり、イスラーム共同きょうどうたい(ウンマ)の利益りえきになるものでなければならない。ゆえに、開戦かいせんさいしては宗教しゅうきょう指導しどうしゃ承認しょうにん必要ひつようとし、「アッラーの御名ぎょめいにおいて」というびかけのもとにおこなわれるのである[5]

しかしながら、後述こうじゅつするように、ときのムスリム政権せいけんがキタールをジハードと詐称さしょうして侵略しんりゃく戦争せんそうおこなったれいおお[18]

イスラーム共同きょうどうたいと「ジハード」

ジハードは、イスラーム共同きょうどうたいそとからの攻撃こうげきからまもることだけではなく、内側うちがわしょうじる崩壊ほうかい要因よういん除去じょきょするための奮闘ふんとう努力どりょくふくんでいる[5]。それを、「生命せいめい財産ざいさんささげてもおこなうべし」としたところから「たたかい」の言葉ことば形容けいようされているものとかんがえられる[5]

そのようにみるならば、ジハード(聖戦せいせん奮闘ふんとう努力どりょく)は、ムスリムにとってもっと重要じゅうよう基本きほんてき命令めいれいということができる[5]。そのため、ムスリムはそと世界せかいたい封鎖ふうさてき環境かんきょうをつくらざるをなくなる。そとからの文化ぶんか導入どうにゅう異質いしつ世界せかいとの交流こうりゅう接触せっしょくことなる価値かちかんとの対立たいりつから「アッラーのみち」をまもらなくてはならないからである[5]。その結果けっか、イスラーム世界せかい採用さいようした方法ほうほうは、周囲しゅういたいし、あたかもおおきくたかへいめぐらすようなものであった、ということができる[5]。イスラーム世界せかいいまなお中世ちゅうせいてき雰囲気ふんいき濃厚のうこうゆうしていると指摘してきされるのもそのためであるが、しかしだからといって、イスラーム世界せかい外界がいかいたいして完全かんぜん閉鎖へいさてきであるというわけではない[5]。ハディースに「もとめることはすべてのムスリムの義務ぎむである」「中国ちゅうごくまでももとめよ」とあるように、イスラーム世界せかい発展はってんさせるための知識ちしき導入どうにゅう歓迎かんげいされており、イスラーム世界せかい発展はってんさせることもまた、ジハードの目的もくてきだからである[5][19]

そとへのジハード」の実際じっさい

上述じょうじゅつしたように、「ジハード」は多義たぎてきなことばであり、イスラームの歴史れきしにあってはそれが善用ぜんようされることもあれば悪用あくようされることもあった[3]

歴史れきしてきにみれば、ぜんイスラーム共同きょうどうたいがジハードの意識いしきたかめ、異教徒いきょうととのたたかいにあたったのは、初期しょきイスラームの時代じだいのビザンツやペルシアへの侵略しんりゃく戦争せんそうであり、ジハード擁護ようごろんからした場合ばあいの、イスラームをひろめるためのせいなるたたかい、であるだい征服せいふく時代じだい、および中世ちゅうせいヨーロッパのキリスト教きりすときょう世界せかいが、聖地せいちイェルサレム奪回だっかい目的もくてきとして7かいにわたって中東ちゅうとう地域ちいき派遣はけんした十字軍じゅうじぐんとのたたかいの時代じだい代表だいひょうれいなものである。

イスラームの拡大かくだいしはじめた時期じきにあっては「アッラーへのみちをはずれることなく」、イスラーム教徒きょうとにとっての異教徒いきょうとたたかってぬことは殉教じゅんきょうとされ、殉教者じゅんきょうしゃには天国てんごく約束やくそくされた[11]。しかし、11世紀せいきすえ十字軍じゅうじぐんエルサレム王国おうこく建国けんこくし、キリスト教徒きりすときょうとパレスチナ占領せんりょうしたころにはジハードの理想りそうはついえており、各所かくしょより散発さんぱつてきに、イスラームの君主くんしゅたちの無気力むきりょく批判ひはんするこえがあがった[11]法学ほうがくしゃアッ=スラミー聖戦せいせん個人こじんせられた義務ぎむであると主張しゅちょうして、これをびかけたのは、このときであった。このびかけにこたえたのは当初とうしょザンギーあさ、そのはムスリムの英雄えいゆうサラーフッディーン(サラディン)がこれにこたえた[11]

だいいち世界せかい大戦たいせんさいには、同盟どうめいこくがわったオスマン帝国ていこくが「ジハード」宣言せんげんはっしているが、しかし、ここではインドのムスリムのたいえい協力きょうりょくアラブじん反乱はんらんめることができなかった。とはいえ、一方いっぽうでは、19世紀せいき以降いこう、いわばイスラーム世界せかいの「辺境へんきょう」にあたる西にしアフリカマグリブスーダン、インドや東南とうなんアジアで「ジハード」がびかけられ、植民しょくみん主義しゅぎ帝国ていこく主義しゅぎたいする抵抗ていこうひろげられたのも事実じじつである。20世紀せいき後半こうはんには、ユダヤきょうくにイスラエル拡大かくだいたたかパレスティナハマースやソヴィエト連邦れんぽう侵攻しんこうたたかうアフガニスタンのムジャーヒディーン運動うんどうがるが、これらの根底こんていには近代きんだいムスリムの抵抗ていこう思想しそう(「防衛ぼうえいジハード」の思想しそう)と同様どうよう性格せいかく見出みいだすことができる。

このように、イスラームてき伝統でんとうのなかでジハードが重要じゅうよう役割やくわりたしてきたのは事実じじつであるが、近年きんねんでは、イスラームきょう改革かいかく推進すいしんするジハードに参加さんかすることは、しんのイスラーム教徒きょうとのすべてにとって神聖しんせい義務ぎむだと主張しゅちょうするひとびともいる[3]。このような立場たちばって現代げんだいイスラーム社会しゃかいとその周辺しゅうへんわたすと、そこには、腐敗ふはいした権威けんい主義しゅぎてき政権せいけん支配しはいする世界せかいや、みずからの経済けいざいてき成功せいこう繁栄はんえいのみに関心かんしん集中しゅうちゅうし、欧米おうべい社会しゃかい文化ぶんか価値かちかんまったいちにぎりのエリートだけが脚光きゃっこうびる世界せかいあらわれてくる、すくなくとも、そのようにとらえるムスリムはすくなくない[3]。そして、欧米おうべい諸国しょこくが、民衆みんしゅうたい抑圧よくあつてき態度たいどをとるイスラームの政権せいけんささえ、地域ちいき人材じんざい天然てんねん資源しげん搾取さくしゅし、イスラーム世界せかいから文化ぶんかうばい、ムスリム自身じしんえらんだ政権せいけんした公正こうせい社会しゃかいきる権利けんりうばっているようにえいじるのである[3]

ひろしイスラーム主義しゅぎ」をとなえてぜんムスリムの団結だんけついたアフガーニー
だつ宗教しゅうきょう主義しゅぎ」「イラク民族みんぞく主義しゅぎ」「イスラームの復興ふっこう」など主張しゅちょうてんさんてんさせたイラクのサッダーム・フセイン

イスラーム主義しゅぎ(イスラーム復興ふっこう主義しゅぎ)に活動かつどうおおくは、ムスリムのちから繁栄はんえいをとりもどすには、「ただしいイスラームのおしえ」に回帰かいきすることが重要じゅうようかんがえており、また、国家こっか社会しゃかいのイスラームつよめるために政治せいじ改革かいかく社会しゃかい改革かいかく必要ひつようだとかんがえている[3]。このようなイスラーム回帰かいき思想しそうは、近代きんだいにおいては、ワッハーブ運動うんどうアフガーニー改革かいかく運動うんどう嚆矢こうしとしており、のちのサウジアラビア建国けんこくひろしアラブ主義しゅぎ台頭たいとう原動力げんどうりょくとなった[20]。そして、一握ひとにぎりではあるが、そのなかの暴力ぼうりょくてき方向ほうこうせい是認ぜにんする一部いちぶ過激かげきは、救世主きゅうせいしゅてき世界せかいかん攻撃こうげきせいわせて国内外こくないがいのイスラームきょう解放かいほうするためのジハードをびかけ、「かみ軍隊ぐんたい」の創設そうせつ主張しゅちょうし、軍事ぐんじてき動員どういんをおこなっている[3][20]上述じょうじゅつのように、ジハードは、侵略しんりゃく戦争せんそう遂行すいこうしてゆくために利用りようすべきものではけっしてないが、それでも実際じっさいには、一部いちぶ支配しはいしゃ政府せいふ個人こじんはそのようにジハードを利用りようしている[3]。たとえば、1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうさいサッダーム・フセイン、アフガニスタンのターリバーン、また、ウサマ・ビンラーディンおよびアルカーイダなどがそれに相当そうとうする[3]

なお、古典こてんてきなシャリーアでは、ムスリムであってもイスラームのおしえから逸脱いつだつする信条しんじょういだくようになったもの不信心ふしんじんしゃ(カーフィル)とばれ、「戦争せんそういえ」に異教徒いきょうと以上いじょうあくであり、すみやかにジハードによって打倒だとうされなくてはならないと規定きていしている。16世紀せいきから17世紀せいきにかけて、たがいに近接きんせつするスンナのオスマン帝国ていこく(トルコ)とシーアサファヴィーあさペルシャ)が領土りょうどをめぐって戦争せんそうするときは、おたがいを「不信心ふしんじんしゃ」とけることによってその戦争せんそうを「ジハード」と位置付いちづけ、みずからの立場たちば正当せいとうしようとはかり、1980ねんから1988ねんまでつづいたイラン・イラク戦争せんそうにおいてルーホッラー・ホメイニーようするイラン・イスラム共和きょうわこくが「世俗せぞく主義しゅぎ」「だつ宗教しゅうきょう主義しゅぎ」を標榜ひょうぼうするバアスとう政権せいけんイラクたいしてはげしい敵意てきい憎悪ぞうおしめしたのは、このような思想しそう背景はいけいとする。

そとへのジハード」とテロリズム
近年きんねんには、政治せいじてき動機どうきによる戦争せんそうテロリズム正当せいとうする標語ひょうごとして「ジハード」のかたり頻繁ひんぱんもちいられ、本来ほんらいジハードの宣言せんげんおこな資格しかくのないものがジハードをとなえる局面きょくめんえつつある。「だつ宗教しゅうきょう主義しゅぎ」から「イラク民族みんぞく主義しゅぎ」へとおおきく方向ほうこう転換てんかんしたイラクのサッダーム・フセイン大統領だいとうりょうは、1990ねんクウェート占領せんりょう反対はんたいするアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくなど西側にしがわ諸国しょこく対抗たいこうするため「異教徒いきょうとたいするジハード」を呼号こごうして1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうへと突入とつにゅうした。この時点じてんではイスラームに「回帰かいき」したかにみえるフセインであったが、しかし、湾岸わんがん戦争せんそう国内こくないでまずこったのがイスラームきょうシーアひとびとによる暴動ぼうどうだったのである[21]
「ジハード」を標榜ひょうぼうする政治せいじテロリスト言葉ことばが、ムスリムの人々ひとびとしんをある程度ていどきつけていることは事実じじつである。これは、アメリカをはじめとする西側にしがわ諸国しょこくがイスラエルに好意こういてきで、パレスティナのムスリムをいやり、弾圧だんあつしていることにたいする同情どうじょうや、アフガニスタンやイラクにたいする空爆くうばく独裁どくさい政権せいけん強権きょうけんてき政府せいふのみならず、ムスリムの民衆みんしゅうまでをもいやっていることにたいする悲憤ひふんがある。侵略しんりゃくしゃ抑圧よくあつしゃとしてのいかりをおおくのムスリムが共有きょうゆうしているため「いまこそがイスラーム共同きょうどうたい防衛ぼうえいするためジハードをおこなうべきときである」という言葉ことばおおかれすくなかれ共感きょうかんをいだくのである。
しかし、インドネシアタイフィリピン、スーダンではイスラームの勢力せいりょく拡大かくだいムスリム弾圧だんあつ、そのムスリム社会しゃかい一部いちぶ権益けんえき擁護ようご拡大かくだいのために利用りようできる場合ばあいに「ジハード」という言葉ことばをテロリズムや武力ぶりょく闘争とうそう正当せいとう利用りようしている組織そしき政府せいふがある。こういった過激かげきは、前述ぜんじゅつ和平わへいすすめるクルアーンのせいを、イスラームの優越ゆうえつ屈服くっぷくするかぎりにいて和平わへいみとめるというものだと解釈かいしゃくする傾向けいこうにある。そのためムスリムから「ムスリムは都合つごう次第しだい殺戮さつりくをジハードとして正当せいとうしている」と批判ひはんされる口実こうじつあたえることにもつながっている。
さらに、エジプトジハードだんのように、シャリーア以外いがいほう施行しこうする為政者いせいしゃはムスリムであろうと「不信心ふしんじんしゃ」であり、ジハードによって排除はいじょしなければならないとして、要人ようじんクラスの暗殺あんさつやテロリズムをおこなう過激かげき組織そしきもある。
そとへのジハード」と天国てんごく
上述じょうじゅつのとおり、ジハードで戦死せんししたものは、このわりに最後さいご審判しんぱんがなされた結果けっか天国てんごくにいけるとされている。イスラームにおける「天国てんごく」はアラビアで(جنّةjannah) とばれ、『クルアーン』ではその様子ようす具体ぐたいてきつづられているが、それによれば、みどりなす木々きぎおおわれ、果実かじつえだもたわわにみのり、きよらかなかわ数多かずおおながれて、快適かいてきふうがつねにきわたっている清浄せいじょうなところであり、天国てんごくきをゆるされたものにたいしては、現世げんせいさけとはことなり、いくらんでもわない美酒びしゅ最上さいじょうべものがあたえられるという[22]。『クルアーン』にはさらに、男性だんせい天国てんごく複数ふくすう処女しょじょフーリー)をはべらせることができると[注釈ちゅうしゃく 8]。これらは『クルアーン』においては抽象ちゅうしょうてき表現ひょうげんにとどまるが、ハディースではより具体ぐたいてきに「フーリーは72にんおり、のぞむだけ性交せいこうをできる」「彼女かのじょたちはなんかい性交せいこうにおよんでも処女しょじょのままである」とうくものもられる[23]
この「処女しょじょ」の表現ひょうげんは、比喩ひゆてきなものにすぎないという意見いけんおおく、あるいはまた、実際じっさいは「処女しょじょ」ではなく「しろ果実かじつ」という意味いみであるというせつもあるが、過激かげき組織そしき自爆じばくテロの人員じんいん募集ぼしゅうするさいに、年少ねんしょうものなどにたいし、このような天国てんごく描写びょうしゃ意図いとてきもちいている場合ばあいすくなくないとされ、問題もんだいとなっている[注釈ちゅうしゃく 9]

世俗せぞくてき意味いみでのジハード

上述じょうじゅつのとおりアラビアでのジハードは本来ほんらい奮闘ふんとうする」「努力どりょくする」という意味いみ言葉ことばであるため、イスラームの文脈ぶんみゃくはなれた世俗せぞくてき意味いみでももちいられる。れいげると、「経済けいざいてき発展はってん目指めざ努力どりょく」「政治せいじてき独立どくりつ目指めざ闘争とうそう」「社会しゃかい改革かいかくへの努力どりょく」「女性じょせい解放かいほうのための闘争とうそう」などにおいてである。

ジハードのイメージ

日本にっぽんおおくのキリスト教きりすときょうけん欧米おうべい先進せんしんこくにおいては、「ジハード」のかたりには異教徒いきょうと武力ぶりょくによって改宗かいしゅうせま行為こうい(いわゆる「コーランかけん」、「右手みぎてにコーラン、左手ひだりてけん」)のイメージがきまとう。これは「聖戦せいせん」という訳語やくごからの影響えいきょうおおきい。しかし、すくなくとも正確せいかくには「コーランかみつものけんか」であり、強制きょうせい改宗かいしゅう含意がんいする「コーランかけんか」ははんイスラーム主義しゅぎによるプロパガンダ性格せいかくつよく、誤解ごかいをまねく表現ひょうげんである。『クルアーン』では改宗かいしゅう強制きょうせい否定ひていされており、また、上述じょうじゅつしたように「ジハード」には「聖戦せいせん以外いがい意味いみもある。

はんイスラーム主義しゅぎしゃは、しばしばムスリムにたいし、ムスリムはタリバーンのアフガニスタンにおけるバーミヤーン大仏だいぶつ爆破ばくはにみられるように、攻撃こうげきしてもいない仏教徒ぶっきょうと信仰しんこう対象たいしょう勝手かって破壊はかいすることをジハードとして正当せいとうしていながら、自分じぶんたちのモスクなどが攻撃こうげきけた場合ばあいはただちに武力ぶりょく闘争とうそう開始かいしし、その闘争とうそう宗教しゅうきょうからの弾圧だんあつたいする抵抗ていこう、すなわちジハードとして規定きていする傾向けいこうにあると批判ひはんする。これは、「ジハード」のかたりじゅう基準きじゅんもちいることにたいする批判ひはんである。ただし、一方いっぽうでは、こうした意見いけんはムスリム全体ぜんたいとムスリムのなかのいち勢力せいりょくとを混同こんどうした結果けっかであるとの見方みかたもある。

しかしながら、2001ねんのウサマ・ビンラーディンによるアメリカ同時どうじ多発たはつテロや、2003ねんイラク戦争せんそうにおけるサッダーム・フセインによる「ジハード宣言せんげん」は、あらためて「イスラームは好戦こうせんてき」「ムスリムは過激かげき暴力ぼうりょくてき」というネガティブイメージを、日本にっぽんふく国際こくさい社会しゃかい流布るふさせる原因げんいんとなっている。

トヨタ自動車とよたじどうしゃピックアップトラックが、過激かげき組織そしきISIL利用りようされている現状げんじょうに、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく独立どくりつけい保守ほしゅ報道ほうどう機関きかん「ザ・ブレイズ」が、パロディ広告こうこくうた文句もんくバクロニム)として「Toyota ISIS: We’re good for jihad !トヨタ・アイシス:ジハードに相応ふさわしいくるまだ!)」とブラックジョークにして、Twitter投稿とうこうされた[24]

また、みずからの宗教しゅうきょうてき思想しそう相反あいはんするものにたいして殺人さつじんやテロさえも正当せいとうする言葉ことばであることからキリスト教きりすときょうにおけるせいぜっオウム真理教おうむしんりきょうポア連合赤軍れんごうせきぐんにおける総括そうかつなどと同一どういつするものもいる。

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 聖戦せいせん」に相当そうとうする用法ようほうとしては、『クルアーン』だい9しょうだい81せつに「居残いのこぐみものどもは、アッラーの使徒しとが(出征しゅっせいした)のこされてだいよろこび。もともと、かれらとしては、おのれ財産ざいさん生命せいめいなげうってアッラーのみちたたかうのはいやだとおもっていた」の「たたかう」の部分ぶぶんにジハードの動詞どうしがた三人称さんにんしょう複数ふくすう活用かつようがたyujāhidū"がもちいられている。
  2. ^ ムハンマドは「ジハードをし、開放かいほうせよ。断食だんじきし、健康けんこうよ。たびもうけよ」とべている。アラブ・イスラーム学院がくいん「ラマダーンQ&A 」
  3. ^ 「しかしもしこうがめたなら、(なんじとうも)がいてねばならぬぞ、悪心あくしんがたものどもだけはべつとして」
  4. ^ ただし、現実げんじつのイスラーム社会しゃかいでは、一回いっかい休戦きゅうせん協定きょうていは10ねん以上いじょう効力こうりょくゆうさないとかんがえる法学ほうがくしゃ多数たすうめ、もし、その恒久こうきゅうてき和平わへい確立かくりつしていこうとするならば、条約じょうやく適宜てきぎ更新こうしん必要ひつようである。
  5. ^ 『クルアーン』だい9しょうだい5せつには「だが、(4かげつの)かみ聖月みづきがあけたなら、多神教たしんきょうつけ次第しだいころしてしまうがい。ひっとらえ、み、いたるところに伏兵ふくへいいてせよ。しかし、もし彼等かれら改悛かいしゅんし、礼拝れいはいつとめをたし、喜捨きしゃよろこんですようなら、そのときは遁がしてやるがよい」という文言もんごん、まただい9しょう29せつに「アッラーも、終末しゅうまつをもしんじないものたちとたたかえ。またアッラーと使徒しとから、きんじられたことをまもらず、けいてんけていながら真理しんりおしえをみとめないものたちには、かれらがすすんでぜいジズヤ)をおさめ、屈服くっぷくするまでたたかえ」という文言もんごんがあるように、当初とうしょ、ムスリムとのたたかいにやぶれた多神教たしんきょう信者しんじゃか、改宗かいしゅうか、もしくはみつぎぜいもとめられた。それにたいし、「けいてんみん」は服従ふくじゅう納税のうぜい強制きょうせいされた。また、「けいてんみん」はのちに拡大かくだい解釈かいしゃくおこなわれ、とくペルシャみなみアジアのしょ地域ちいきでは、ゾロアスターきょうヒンドゥーきょう仏教ぶっきょうほうじるひとびとまで一神教いっしんきょうほうじるみん同様どうようあつかわれるようになった。
  6. ^ 『クルアーン』だい8しょう15せつ信仰しんこうするものよ、あなたがたが不信ふしんしゃ進撃しんげきときは、けっしてかれらにけてはならない」、および16せつ、「そのかれらにけるものは、作戦さくせんじょうまたは(味方みかたの)ぐん合流ごうりゅうするためのそとかならずアッラーのいかりをこうむり、そのまいは地獄じごくである。なんわるかえしょであることよ」。
  7. ^ ジハードにおける献身けんしんをたたえ、その忌避きひいましめる『クルアーン』の章句しょうくは、だい47しょう4せつ「あなたがたが不信心ふしんじんものと(戦場せんじょうで)えるときは、(かれらの)くびれ。かれらのおおくをころすまで(たたかい)、(捕虜ほりょには)なわをしっかりかけなさい。そのたたかいがおわるまでなさけをほどこしてはなすか、または身代金みのしろきんるなりせよ。もしアッラーがのぞみなら、きっと(自分じぶんで)かれらに報復ほうふくされよう。だがかれは、あなたがたをたがいにこころみるために(たたかいをめいじられる)。およそアッラーのみちのために戦死せんししたものには、けっしてそのおこないをむなしいものになされない」、およびだい48しょう16せつ「あと居残いのこった砂漠さばくのアラブたちにってやるがいい。『いまにあなたがたは、強大きょうだい勇武ゆうぶみんたいして(たたかうために)召集しょうしゅうされよう。あなたがたがたたかくのか、またはかれらが服従ふくじゅうするかのいずれかである。だがこの命令めいれいしたがえば、アッラーは見事みごと報奨ほうしょうをあなたがたにあたえよう。だがもし以前いぜんそむいたようにそむるならば、かれはいたましい懲罰ちょうばつであなたがたを処罰しょばつされよう』」などもある。
  8. ^ 『クルアーン』だい56しょう10せつから24せつ「(信仰しんこうの)先頭せんとうものは、(楽園らくえんにおいても)先頭せんとうち、これらのもの先頭せんとうもの)は、(アッラーの)側近そっきんにはべり、至福しふく楽園らくえんなかに(む)。むかしからのもの多数たすうで、後世こうせいものわずかである。(かれらはにしき織物おりものを)いた寝床ねどこうえに、むかってそれにかる。永遠えいえんの(わかさをたもつ)少年しょうねんたちがかれらのあいだめぐり、(に)高坏たかつきや(かがやく)水差みずさし、汲立くみたて飲物のみものさかずき(をささげる)。かれらは、それでさわのこさず、泥酔でいすいすることもない。また果実かじつは、かれらのえらぶにまかせ、種々しゅじゅとりにくは、かれらのこのみのまま。おおきいかがやくまなざしの、うつくしい乙女おとめは、丁度ちょうど秘蔵ひぞう真珠しんじゅのよう。(これらは)かれらのおこないにたいする報奨ほうしょうである」および56しょう27せつから40せつ右手みぎて仲間なかま右手みぎて仲間なかまとはなにであろう。(かれらは)とげのないスィドラ累々るいるいみのるタルフ(のなかみ)、ながびる木陰こかげの、なくながれるみずあいだで、ゆたかな果物くだものえることなく、きんじられることもなく(放題ほうだい)。たかげられた(位階いかいの)臥所ふしどに(く)。本当ほんとうにわれは、かれら(の配偶はいぐうとして乙女おとめ)を特別とくべつつくり、かのおんならを(永遠えいえんよごれない)処女しょじょにした。いとしい、おな年配ねんぱいもの。(これらは)右手みぎて仲間なかまのためである。むかしもの大勢おおぜいいるが、後世こうせいものおおい」。先頭せんとうのものとは最良さいりょうのムスリム、右手みぎてものとは一般いっぱんのムスリムのことである。
  9. ^ 報道ほうどうによれば、少年しょうねん勧誘かんゆうするにたり、「殉教じゅんきょうすれば天国てんごくで72にん処女しょじょとセックスができる」といていた。[1] 朝日新聞あさひしんぶん「14さい自爆じばくテロ未遂みすい報酬ほうしゅう2400えん パレスチナ」

参照さんしょう

  1. ^ a b c 塚田つかだ おさむ (2015ねん3がつ28にち). “イスラム教徒きょうとは、好戦こうせんてきでも排他はいたてきでもない 中田なかたこうにイスラム教徒きょうと死生しせいかんく” (日本語にほんご). 東洋とうよう経済けいざいオンライン. https://toyokeizai.net/articles/-/64017 2020ねん9がつ23にち閲覧えつらん 
  2. ^ JIIA -日本にっぽん国際こくさい問題もんだい研究所けんきゅうじょ-研究けんきゅう活動かつどう”. www2.jiia.or.jp. 2021ねん8がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z エスポジト(2009)pp.198-200
  4. ^ 平凡社へいぼんしゃ 2019a, p. ジハード.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 渥美あつみ(1999)pp.287-291
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  8. ^ a b 岩村いわむら(1975)pp.219-221
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  12. ^ a b 大島おおしま(1981)p.96
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  19. ^ 鎌田かまたしげるちょ『イスラームのとハディースの
  20. ^ a b 『もう一度いちどまなびたい世界せかい宗教しゅうきょう』(2005)pp.84-85
  21. ^ 石川いしかわ(1993)pp.91-95
  22. ^ 大島おおしま(1981)pp.78-79
  23. ^ イブン・カスィールによるクルアーンだい55しょうおよだい56しょうへの言及げんきゅう
  24. ^ Victor Reklaitis (2015ねん10がつ9にち). “ISはなぜトヨタしゃ愛用あいようするのか-まい説明せつめい要求ようきゅう (日本語にほんご). ウォール・ストリート・ジャーナル. http://jp.wsj.com/articles/SB11828848094781684513604581280681440845092 2016ねん10がつ22にち閲覧えつらん 

クルアーンの原典げんてんへの参照さんしょう

  1. ^ だい49しょう15せつ部屋へや”. 2017ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ だい2しょう193せつ雌牛めうし”. 2017ねん5がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ だい2しょう190せつ雌牛めうし”. 2020ねん9がつ23にち閲覧えつらん

出典しゅってん

参考さんこう文献ぶんけん

  • 後藤ごとうあきら飯塚いいづか正人まさと「ジハード」『しんイスラム事典じてん平凡社へいぼんしゃ、2002ねん
  • 鈴木すずきただし『イスラムのいえからバベルばべるとうへ オスマン帝国ていこくにおけるしょ民族みんぞく統合とうごう共存きょうぞん』リブロポート、1993ねん
  • 横田よこた貴之たかゆき「ジハード」『岩波いわなみイスラーム辞典じてん岩波書店いわなみしょてん、2002ねん
  • 池内いけうちめぐみ 『アラブ政治せいじいまむ』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2004ねん ISBN 4120034917
  • 三田みた了一りょういちにち対訳たいやく注解ちゅうかいせいクルアーン』

関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク