イーヴォ・ロビッチは、ザグレブで学びながら、歌手としてのキャリアをラジオ・ザグレブ・オーケストラで始めた。第二次世界大戦中は、ロビッチはザグレブのクルゴヴァルナ・ポスタヤ・ザグレブ(Krugovalna postaja Zagreb)やエスプラネード・ホテル(Esplanade hotel)で歌った。
終戦後、社会主義体制をとるユーゴスラビア社会主義共和国の一部となったクロアチア社会主義共和国でのロビッチのキャリアのなかで、彼は100を超えるレコードを製作し、その多くはシングル盤であった。彼の母国における代表曲は「Vraćam se Zagrebe tebi」(ただいま、我がザグレブよ)、「Ta tvoja ruka mala」(そのあなたの小さな手)、「Tiho plove moje čežnje」(我が熱望の静かな航海)などであった。
ロビッチの初の世界的なヒット曲となった1959年の「Morgen」にちなんで、彼は「ミスター・モルゲン」(Mister Morgen)という愛称がつけられた。 この曲はロビッチとドイツのベルト・ケンプフェルトの初の共作であった。この作品がドイツで成功すると、この曲のドイツ語版がアメリカ合衆国のBillboard Hot 100で13位となり、アルバムはゴールド・アルバムとなった。レズリー・アガムス(Leslie Uggams)が歌った英語版の曲「One More Sunrise」は同じBillboard Hot 100で98位となった。この曲は他にも多くのアーティストによって歌われた。ロビッチはドイツのポリドール・レコードで非常に活発に活動し、数百万枚ものシングル・アルバムを売り上げた。ロビッチはベルト・ケンプフェルトやフレディ・クイン(Freddy Quinn)、ディーン・マーティンなど、多くの有名アーティストと共演した。
ロビッチの他の世界的なヒットには、1960年の「Muli-Song」、「Mit 17 fängt das Leben erst an」、1962年の「Ein ganzes Leben lang」、1966年の「Rot ist der Wein」、1971年の「Ich zeig' dir den Sonnenschein」などがある。