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ウァース
ヘンリー2世 せい に『ルー物語 ものがたり 』を献上 けんじょう するウァース。1824年 ねん の挿絵 さしえ
誕生 たんじょう
1115年 ねん 頃 ごろ ジャージー島 とう 死没 しぼつ
1183年 ねん 頃 ごろ 代表 だいひょう 作 さく
ブリュ物語 ものがたり ウィキポータル 文学 ぶんがく テンプレートを表示 ひょうじ
ウァース (またはワース 、Wace , 1115年 ねん 頃 ごろ - 1183年 ねん 頃 ころ )は、アングロ=ノルマン人 じん (英語 えいご 版 ばん ) の詩人 しじん 。ジャージー島 とう の生 う まれで、本土 ほんど のノルマンディー で育 そだ った(本人 ほんにん が『ルー物語 ものがたり 』で語 かた っているところでは子供 こども の時 とき にカーン に渡 わた った)。バイユー の律 りつ 修 おさむ 司祭 しさい として生涯 しょうがい を終 お えた。
ウァースの名前 なまえ は「Robert(ロベール)」とされるが、伝統 でんとう 的 てき にそう言 い われるだけで、証拠 しょうこ は何 なに もない。現在 げんざい では名前 なまえ は「ウァース」だけだったと考 かんが えられている。ウァースは「Maistre(師 し 、マスター)」という肩書 かたが きを誇 ほこ りにし、「Maistre Wace」と言及 げんきゅう されることもある。
ウァースの作品 さくひん で現存 げんそん しているものには以下 いか のものがある。
他 た の作品 さくひん も韻文 いんぶん で書 か かれ、その中 なか にはアンティオキアのマルガリタ 、ミラのニコラオス といった聖人 せいじん の生涯 しょうがい を扱 あつか ったものがある。
『ブリュ物語 ものがたり 』(1155年 ねん 頃 ころ )は、ジェフリー・オブ・モンマス の『ブリタニア列 れつ 王 おう 伝 つたえ 』に基 もと づいたものである。現代 げんだい 的 てき な感覚 かんかく からすると、歴史 れきし 書 しょ とは見 み なされないが、ウァースは自分 じぶん の知 し っていることと知 し らないこと、あるいは知 し ることのできないことを区別 くべつ した。
ウァースはトロイのブルータス によるブリテン建国 けんこく を、モンマスの創造 そうぞう した伝説 でんせつ 的 てき なブリテン史 し の最後 さいご まで語 かた った。この作品 さくひん の人気 にんき の理由 りゆう は、その土地 とち 固有 こゆう の言葉 ことば (アングロ・ノルマン語 ご 。アングロ・フランス語 ふらんすご ともいう)でアーサー王 おう 伝説 でんせつ を大衆 たいしゅう にとって近 ちか づきやすいものにしたことである。ウァースは初 はじ めてアーサー王 おう の円卓 えんたく の騎士 きし たちの伝説 でんせつ に言及 げんきゅう し、初 はじ めてアーサー王 おう の剣 けん にエクスカリバー という名前 なまえ を用 もち いた。
しかし、全体 ぜんたい から見 み るとウァースはモンマスのテキストにさして重大 じゅうだい でもないディテールを追加 ついか しただけだった。『ブリュ物語 ものがたり 』はラヤモン (英語 えいご 版 ばん ) の頭韻 とういん を踏 ふ んだ古 こ 英語 えいご 詩 し 『ブルート (英語 えいご 版 ばん ) 』や、ピーター・ラングトフト (英語 えいご 版 ばん ) (またはピエール・ド・ラングトフト)の年代 ねんだい 記 き の基 もと になった。歴史 れきし 家 か マシュー・ベネットは『Wace and Warfare』と題 だい された論文 ろんぶん の中 なか で、ウァースは当時 とうじ の戦術 せんじゅつ をきちんと理解 りかい していて、偽 にせ 史的 してき 戦争 せんそう の描写 びょうしゃ を書 か くために考案 こうあん した戦術 せんじゅつ の詳細 しょうさい はその時代 じだい の戦争 せんそう の概論 がいろん を理解 りかい するうえで価値 かち があると指摘 してき した。
ラヤモンによれば、『ルー物語 ものがたり 』はヘンリー2世 せい の依頼 いらい で書 か かれたものだという。『ルー物語 ものがたり 』の大 だい 部分 ぶぶん はウィリアム1世 せい (征服 せいふく 王 おう )とノルマン・コンクエスト (ノルマン人 じん のイングランド 征服 せいふく )に割 さ かれている。ウァースの言及 げんきゅう する口承 こうしょう の中 なか には家族 かぞく からの情報 じょうほう も含 ふく まれる。とくにノルマン・コンクエストおよびヘイスティングズの戦 たたか い の準備 じゅんび について、記録 きろく のみならず、肉親 にくしん の目撃 もくげき 証言 しょうげん (ウァースが執筆 しっぴつ を始 はじ めた時 とき には目撃 もくげき 者 しゃ はもう生 い きてはいなかったろうが)に依 よ っていたものとうかがえる。さらに『ルー物語 ものがたり 』の中 なか にはハレ はれ ー彗星 すいせい への言及 げんきゅう も含 ふく まれている。『ルー物語 ものがたり 』があまり人気 にんき がないのは、1204年 ねん に本土 ほんど のノルマンディーがフランス に編入 へんにゅう されたことで、ノルマンディー公国 こうこく への関心 かんしん がなかったことを反映 はんえい しているものと思 おも われる。
ジャージー島 とう のウァースの記念 きねん 碑 ひ
ウァースが使 つか ったアングロ・ノルマン語 ご はさまざまな人 ひと によって古 こ フランス語 ふらんすご の方言 ほうげん 、ノルマン語 ご の方言 ほうげん 、とくにJèrriais の先駆 せんく と考 かんが えられている。ジャージー島 とう の作家 さっか たちはウァースをジャージー島 とう 文学 ぶんがく の創設 そうせつ 者 しゃ と見 み なし、Jèrriaisは「the language of Wace(ウァースの原語 げんご )」として言及 げんきゅう されることもあるが、ウァース自身 じしん は文語 ぶんご としてJèrriaisの発展 はってん に先行 せんこう していた。ウァースはジャージー島 とう 作家 さっか の最初 さいしょ 期 き の人物 じんぶつ として知 し られている。
ウァースのノルマンディー海岸 かいがん の軍事 ぐんじ 的 てき 重要 じゅうよう 拠点 きょてん についての描写 びょうしゃ は、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん のノルマンディーの戦 たたか いの初期 しょき 作戦 さくせん 段階 だんかい に利用 りよう されたと言 い われることがある。
ジャージー島 とう のロイヤル・スクエアにある政府 せいふ ビルの側面 そくめん に、花崗岩 かこうがん で作 つく られたウァースの記念 きねん 碑 ひ がある。そこには『ルー物語 ものがたり 』にあるウァースの生地 きじ への誇 ほこ りが引用 いんよう され、刻 きざ まれている。
Jo di e dirai ke jo sui
Wace de l’isle de Gersui
(私 わたし は自分 じぶん がジャージー島 とう 出身 しゅっしん のウァースと言 い うし、言 い いたい)
Charles Foulon, "Wace" in Arthurian Literature in the Middle Ages , Roger S. Loomis (ed.). Clarendon Press: Oxford University. 1959. ISBN 0-19-811588-1
WACE, Roman de Brut , édité par I. Arnold, 2 vols., Paris, 1938-1940.
WEISS, Judith, Wace's Roman de Brut. A History of the British. Text and Translation , Exeter, 2006.
ARNOLD, I., & PELAN, M., La partie arthurienne du Roman de Brut , Paris, 1962.
WACE, Roman de Rou , édité par J. Holden, 3 vols. Paris, 1970-1973.
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