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エセン・ブカ

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エセン・ブカ(Esen-Buqa / Isan-Buqa, ايسن بوقا Īsan Būqā、? - 1320ねん)は、チャガタイだい14だい君主くんしゅで、チャガタイ・ハンこくハン在位ざいい:1309ねん - 1320ねん)。漢語かんご史料しりょうでは也先はな表記ひょうきされる。

生涯しょうがい

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だい11だい君主くんしゅドゥア。チャガタイ・ハンこく君主くんしゅとなったゴンチェクケベクイルジギデイドレ・テムルタルマシリンらは兄弟きょうだい

1305ねん/06ねんにエセン・ブカはドゥアによってアフガニスタン方面ほうめん派遣はけんされる[1]1309ねんにチャガタイ当主とうしゅナリク暗殺あんさつされたのちにエセン・ブカがクリルタイによってハンに選出せんしゅつされ、エセン・ブカはおとうとケベクにマー・ワラー・アンナフル地方ちほうフェルガナ地方ちほう統治とうちゆだねた[2]

エセン・ブカの治世ちせいにチャガタイ・ハンこく元朝がんちょうイルハンあさ関係かんけいふたた悪化あっかする[3]。アフガニスタン方面ほうめん後任こうにん司令しれいかんとして任命にんめいしたダウド・ホージャがイルハンあさ攻撃こうげきけて任地にんちから追放ついほうされ、どう時期じきにイルハンあさオルジェイトゥもと派遣はけんした使節しせつアビシュカのもととイルハンあさによるチャガタイ・ハンこく挟撃きょうげき示唆しさする発言はつげん問題もんだいした[3]。そのエセン・ブカとアルタイ方面ほうめん駐屯ちゅうとんしていたもと将軍しょうぐんトガチとのあいだおこなわれた領域りょういき画定かくてい決裂けつれつし、もととイルハンあさたいする不信ふしんかんつのらせたエセン・ブカは国内こくない通過つうかしようとする両国りょうこく使者ししゃ拘束こうそくした[3]1315ねんにチャガタイぐんもとぐん交戦こうせんする。もとキプチャク軍人ぐんじんチョンウルはチャガタイぐんに2勝利しょうりおさめ、イリ渓谷けいこく東部とうぶのテムル・カガルガ(てつもん)に進軍しんぐんした[4]

エセン・ブカはもと攻撃こうげきによって領土りょうど減少げんしょうすることをおそれ、またダウド・ホージャの報復ほうふくのため、イルハンあさ支配しはいかれていたイランのホラーサーン地方ちほうへの侵入しんにゅう決定けっていしたとつたえられている[5]どう1315ねんにケベクをはじめとする王族おうぞくひきいる軍隊ぐんたいはホラーサーン地方ちほうのイルハンあさ軍隊ぐんたいやぶり、4かげつあいだ掠奪りゃくだつおこなった。もと再度さいど攻撃こうげきそなえて遠征えんせいぐん帰還きかんせざるをなくなるが、帰途きと遠征えんせい従軍じゅうぐんしていた王族おうぞくヤサウルのイルハンあさ亡命ぼうめい計画けいかく発覚はっかくし、ケベクはかれ処罰しょばつもとめた[2]1316ねん/17ねんにヤサウルとかれしたが一派いっぱはイルハンあさ亡命ぼうめいするが、ヤサウルとかれ追随ついずいする王侯おうこう貴族きぞく亡命ぼうめい結果けっかハンに反抗はんこうてき勢力せいりょく国内こくないから一掃いっそうされ、中央ちゅうおう権力けんりょく強化きょうかするところとなった[2]

1320ねんにエセン・ブカはぼっし、ケベクがあといだ[2]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 加藤かとう『ティームールあさ成立せいりつ研究けんきゅう』、34ぺーじ
  2. ^ a b c d 加藤かとう「「モンゴル帝国ていこく」と「チャガタイ・ハーンこく」」『中央ちゅうおうアジア』、127-129ぺーじ
  3. ^ a b c 加藤かとう『ティームールあさ成立せいりつ研究けんきゅう』、52ぺーじ
  4. ^ ドーソン『モンゴル帝国ていこく』3かん、186ぺーじ
  5. ^ 加藤かとう『ティームールあさ成立せいりつ研究けんきゅう』、53ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • C.M.ドーソン『モンゴル帝国ていこく』3かんこうとおる訳注やくちゅう東洋文庫とうようぶんこ平凡社へいぼんしゃ、1971ねん6がつ
  • 加藤かとう和秀かずひで『ティームールあさ成立せいりつ研究けんきゅう』(北海道大学ほっかいどうだいがく図書としょ刊行かんこうかい, 1999ねん2がつ
  • 加藤かとう和秀かずひで「『モンゴル帝国ていこく』と『チャガタイ・ハーンこく』」『中央ちゅうおうアジア収録しゅうろく竺沙まさあきら監修かんしゅう間野まの英二えいじ責任せきにん編集へんしゅう、アジアの歴史れきし文化ぶんか8、同朋どうほうしゃ、1999ねん4がつ
先代せんだい
ケベク
チャガタイ・ハンこく君主くんしゅ
1309ねん - 1320ねん
次代じだい
ケベク