1769年、リューゲン島のショーリッツ(出生当時はスウェーデン領)で、富農の息子として生まれた。1787年、家族でシュトラールズントへと移住した。1791年にグライフスヴァルト大学に入り、神学や歴史学を学ぶと、その2年後にはイェーナ大学へと移り、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテに師事した。ここで、フィヒテの思想的影響を受けることになる。学業を修了すると、一時家庭教師を務めたのち、ヨーロッパ各地を遍歴した。その途中でライン川流域に立ち寄った際、フランス軍によって歴史的建造物が破壊されていたのを見て心を痛める。こうした経験は、彼のナショナリズムと反仏感情を育んでいった。この時期に著した『Geschichte der Leibeigenschaft in Pommern und Rügen』(ポンメルンとリューゲンにおける農奴制の歴史、未訳)は、彼の主著の一つである。
ナポレオン軍が本格的に大陸制覇を推進していく中、1806年に『時代の精神』(Geist der Zeit)を著してドイツ・ナショナリズムについて言及したが、これがナポレオンの反発を招き、一時はスウェーデンへの亡命を余儀なくされた。しかし、1809年に英雄的な軍人が対フランス戦争で戦死すると、再びドイツへと帰国した。パンフレットを通じた戦意高揚などに努め、彼が作詞した「Was ist das deutsche Vaterland?」などの様々な作品は、ドイツ・ナショナリズムとドイツ統一を鼓舞した。こうした作品は、のちのブルシェンシャフト運動などでも頻繁に歌われることになる。