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エヴァ・カリエール

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
エヴァ・カリエールのエクトプラズムとされる写真しゃしん撮影さつえいしゃアルベルト・フォン・シュレンク=ノッチング(1912ねん

エヴァ・カリエール(Eva Carrière、1890ねん - 1943ねん)は、霊媒れいばいれいとの交信こうしん仲介ちゅうかいやくとなる人物じんぶつ)とされるフランスじん女性じょせい一般いっぱんにはエヴァ・Cられる。史上しじょうもっと傑出けっしゅつした霊媒れいばいともいわれる[1]本名ほんみょうマルテ・ベロー(Marthe Béraud)。アルジェリア出身しゅっしん[2]

人物じんぶつれき

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エヴァのれい能力のうりょくは、婚約こんやくしゃぼっしたのち1911ねんから発現はつげんはじめとされ[1]とく物質ぶっしつ現象げんしょうられた。オカルト関連かんれん書籍しょせきのこされている記録きろくによれば、交霊こうれいかいでの実験じっけんでは、エヴァのくちからあらわれたゼリーじょうのものが人間にんげんかお手足てあしかたちになってうごまわったという[2]ドイツ神経しんけい催眠さいみんじゅつ研究けんきゅうアルベルト・フォン・シュレンク=ノッチングらは1909ねんパリでエヴァの調査ちょうさおこない、のちにこうのこしている[3]

霊媒れいばいからだから、なにか未知みち生物せいぶつがくてきプロセスにより、その物質ぶっしつることを我々われわれはしばしば確認かくにんできた。それは最初さいしょはん流動りゅうどうたいだが、きている物質ぶっしつ特性とくせい一部いちぶそなえていた。とくに、変化へんか動作どうさ明確めいかくかたち特性とくせいである。……厳格げんかく各種かくしゅ条件下じょうけんかすうひゃくかいにもおよ実験じっけんみずかわなければ、とても信用しんようできそうにない現実げんじつであった。 — ピクネット 1990, p. 430より引用いんよう関口せきぐちあつしやく

1920年代ねんだい以降いこうにはフランス心霊しんれい研究けんきゅうであるシャルル・ロベール・リシェギュスターヴ・ジュレ研究けんきゅう対象たいしょうとなり、エクトプラズム研究けんきゅうおおきく貢献こうけんした[4][5][6]。ノッチング、リシェ、ジュレらはエヴァの能力のうりょく本物ほんものみとめ、エヴァの能力のうりょくによって物質ぶっしつされたぞうを、彼女かのじょしんなかにあるイメージ、または彼女かのじょべつ人格じんかく、または死霊しりょう解釈かいしゃくしていた[2]

ジュレの実験じっけんではトリックのないことを証明しょうめいするため、エヴァの養母ようぼ国立こくりつパリ病院びょういんパリ大学だいがく心理しんりがく教室きょうしつ医学いがくしゃたちがい、エヴァのみみくち、さらには性器せいきなかまで入念にゅうねん調しらべられた[2]。しかし、そのように慎重しんちょう姿勢しせいいてもなお、エヴァの能力のうりょく猜疑心さいぎしんいだ専門せんもんすくなくなかった[2]実際じっさいアルジェで300ねん以上いじょうまえんだインディアンを物質ぶっしつさせたさいには、彼女かのじょ御者ぎょしゃがその一部いちぶえんじていたことを暴露ばくろしている[1]。また1914ねんには、エヴァが物質ぶっしつさせたというれいかおがファッション雑誌ざっし顔写真かおじゃしん酷似こくじしていたとの報告ほうこくや、彼女かのじょのエクトプラズムとされる物体ぶったい正体しょうたいかみだったとのイギリスの心霊しんれい現象げんしょう研究けんきゅう協会きょうかい調査ちょうさ結果けっかもある[1]

エヴァの物質ぶっしつ現象げんしょう真偽しんぎについては論争ろんそうつづいたが、彼女かのじょ死後しご論争ろんそうもまた真偽しんぎあきらかにならないまま終焉しゅうえんした[2]

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 羽仁はにあやちょうつね現象げんしょうだい事典じてん 永久えいきゅう保存ほぞんばんなりかぶと書房しょぼう、2001ねんISBN 978-4-88086-115-9 
  • リン・ピクネットちょうつね現象げんしょう事典じてん関口せきぐちあつしやく青土おうづちしゃ、1994ねん原著げんちょ1990ねん)。ISBN 978-4-7917-5307-9 
  • 歴史れきし雑学ざつがく探究たんきゅう倶楽部くらぶ世界せかい日本にっぽん怪人かいじんぶつFILE』学研がっけんパブリッシング、2010ねんISBN 978-4-05-404444-9