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オワラハ島 とう (オワラハとう、Owaraha / Owa Raha)、別名 べつめい でサンタ・アナ島 とう (Santa Ana) は、ソロモン諸島 しょとう マキラ・ウラワ州 しゅう の島 しま 。
この島 しま は、比較的 ひかくてき 小 ちい さなサンゴ島 とう (英語 えいご 版 ばん ) で、長 なが さは 5.6km、幅 はば は 4.5km である。マキラ島 とう の東 ひがし 端 はし から海峡 かいきょう を挟 はさ んで 7.5km 沖合 おきあい 、より小 ちい さい島 しま であるオワリキ島 とう (英語 えいご 版 ばん ) (サンタ・カタリナ島 とう )のすぐ北側 きたがわ に位置 いち している。オワラハ島 とう とオワリキ島 とう の間 あいだ の水路 すいろ は、幅 はば 2.5kmしかない。オワラハ島 とう には、ふたつのおもな村 むら 、グプナ (Gupuna / Ghupuna) とナフィノトガ (Nafinotoga) がある。オワラハ島 とう の住民 じゅうみん は、オワ語 ご (英語 えいご 版 ばん ) を話 はな し、オワリキ島 とう や、マキラ島 とう 東部 とうぶ の住民 じゅうみん と共通 きょうつう する文化 ぶんか をもっている。 オワラハ島 とう の部族 ぶぞく であるパゲワ (Pagewa) 族 ぞく 、アイガ・タタリ (Aiga Tatari) 族 ぞく や、その他 た の周辺 しゅうへん の島々 しまじま の諸 しょ 部族 ぶぞく は、かつて水没 すいぼつ したテオニマヌ島 とう (英語 えいご 版 ばん ) から避難 ひなん した人々 ひとびと の子孫 しそん であると主張 しゅちょう している。
ヨーロッパ人 じん がこの島 しま を見 み たとする最初 さいしょ の記録 きろく は、アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ が率 ひき いたスペインの遠征 えんせい 隊 たい によるもので、1568年 ねん 7月 がつ 4日 にち のことであった。より正確 せいかく には、オワラハ島 とう の目視 もくし と上陸 じょうりく は、小 ちい さな船 ふね を使 つか った探索 たんさく の最中 さいちゅう におこなわれたことであり、フランシスコ・ムニョス・リコ (Francisco Muñoz Rico) が指揮 しき し、エルナン・ガレゴ (Hernán Gallego) が水先案内 みずさきあんない 人 じん であったブリガンティン 「サンティアゴ号 ごう (Santiago ) によるものであった。彼 かれ らは、この島 しま サンタ・アナ島 とう として記録 きろく した[ 1] [ 2] 。
1932年 ねん 、オーストリア の人類 じんるい 学者 がくしゃ で写真 しゃしん 家 か であったフーゴー・ベルナツィーク (英語 えいご 版 ばん ) がこの島 しま に入 はい った。ベルナツィークは、島民 とうみん たちの日常 にちじょう 生活 せいかつ を丹念 たんねん に記録 きろく し、数 すう 年 ねん 後 ご に民族 みんぞく 誌 し を出版 しゅっぱん した。彼 かれ はまた、島民 とうみん たちを捉 とら えた最良 さいりょう かつ最 もっと も早 はや い時期 じき の写真 しゃしん を撮影 さつえい し、近代 きんだい 化 か しつつあった世界 せかい の中 なか で滅 ほろ びゆくものと見 み なされた文化 ぶんか を写 うつ し取 と った[ 3] 。
ベルナツィークはオワラハ島 とう への滞在 たいざい 中 ちゅう に、グプナの村 むら に住 す んでいたドイツ人 じん 冒険 ぼうけん 家 か ハインリヒ・キューパー (英語 えいご 版 ばん ) と会 あ った。キューパーは、地元 じもと の有力 ゆうりょく 者 しゃ であった女性 じょせい カファガムリロンゴ (Kafagamurirongo) と結婚 けっこん しており、メラネシア のコミュニティにおいて「アラファ (arafa )」と称 しょう される高 たか い身分 みぶん に上 のぼ った唯一 ゆいいつ の白人 はくじん であった。今 いま もオワラハ島 とう には、キューパーの孫 まご たちがいる[ 4] 。
^ Sharp, Andrew The discovery of the Pacific Islands Oxford 1960 p.47.
^ Brand, Donald D. The Pacific Basin A History of its Geographical Explorations The American Geographical Society , New York, 1967, p.133.
^ Hugo Bernatzik, Owa Raha . Büchergilde Gutenberg, Vienna / Zürich / Prague, 1936
^ Sandra Revolon, Heinrich Küper: le Blanc dont on parle à mi-voix , Centre de Recherche et de Documentation sur l'Océanie (CREDO), Campus Saint Charles, 3 Place Victor Hugo, 13331 Marseille, France, Journal de la Société des Océanistes . ISSN 0300-953X