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キャプ・ダグド (仏 ふつ : Le Cap d'Agde 、フランス語 ふらんすご 発音 はつおん : [KAPdaɡd] )はフランス のエロー県 けん ・アグド にある地中海 ちちゅうかい に面 めん する港 みなと ・リゾート地 ち 。キャップ・ダグド 、カプ・ダグド などとも表記 ひょうき される。同 どう 地域 ちいき はフランス史上 しじょう 最大 さいだい の国営 こくえい 開発 かいはつ 計画 けいかく の1つとして、建築 けんちく 家 か ジョン・ル・クトゥールによって計画 けいかく された[1] 。 1960年代 ねんだい には週末 しゅうまつ に地元 じもと の人々 ひとびと が通常 つうじょう 使用 しよう する小 ちい さな家 いえ があるだけだったが、現在 げんざい ではフランスの地中海 ちちゅうかい で最大 さいだい のレジャー港 みなと の1つとなっている。世界 せかい 的 てき に有名 ゆうめい なヌーディズム 地域 ちいき である北東 ほくとう のバグナス地区 ちく の海水浴 かいすいよく 場 じょう は、キャンプ場 じょう のみならず、ホテル 、レストラン 、スーパーマーケット などの施設 しせつ が完備 かんび しており、ヌーディストリゾート とも呼 よ ばれる。
バグナス地区 ちく のナチュリスト・ヴィレッジ
キャプ・ダグドの地形 ちけい は、広 ひろ い砂浜 すなはま を有 ゆう する沼地 ぬまち で海 うみ から隔 へだ てられており、その中心 ちゅうしん にはリゾートの名前 なまえ の由来 ゆらい となった岩 いわ の岬 みさき (La Grande Conque; グランド・コンキ)が突 つ き出 で ていた。 海岸 かいがん に建 た てられた家 いえ は当初 とうしょ はほんの数 すう 軒 けん しかなかった。 1960年代 ねんだい に、フランス政府 せいふ はラングドック・ルーション の観光 かんこう 地 ち を開発 かいはつ することを決定 けってい し開発 かいはつ が進 すす められた。 半 はん 公開 こうかい 会社 かいしゃ であるSociétéd' Équipement du Biterrois et de son littoral(SEBLI)(ビテロワと海岸 かいがん の設備 せつび 会社 かいしゃ )が、キャプ・ダグド駅 えき の開発 かいはつ を担当 たんとう し、同社 どうしゃ のジャン・ミケルは、キャプ・ダグドの「父 ちち 」と見 み なされている。1967年 ねん 、マリーナを掘 ほ る作業 さぎょう が始 はじ まり、いくつかの建物 たてもの が建 た てられ。港湾 こうわん エリアには巨大 きょだい な駐車 ちゅうしゃ 場 じょう が作 つく られた。当初 とうしょ は、コンベンション・センター周辺 しゅうへん の市営 しえい サービスの建設 けんせつ のみが存在 そんざい していたが、1975年 ねん にはラクレープのキャンプ場 じょう とモールに向 む かう一般 いっぱん 道路 どうろ がすでに存在 そんざい していた。海辺 うみべ の住居 じゅうきょ は1980年代 ねんだい に建 た てられることが計画 けいかく され、港 みなと はサンマルタン港 こう (Saint-Martin)で商業 しょうぎょう 活動 かつどう を開始 かいし した。建設 けんせつ は加速 かそく し続 つづ け、1970年 ねん に金属 きんぞく 彫刻 ちょうこく の中央 ちゅうおう の塔 とう がランドマークとして置 お かれ、それまでのモジュラー構造 こうぞう からよりソリッドな構造 こうぞう での建築 けんちく が進 すす むと、袋小路 ふくろこうじ だった町 まち の外観 がいかん が都会 とかい 的 てき に変化 へんか した。現在 げんざい では、メイン広場 ひろば の隣接 りんせつ する建物 たてもの の下 した にはショッピングアーケードが作 つく られている。
グランデ・コンキ側 がわ のビーチ 1970年 ねん 以降 いこう に海辺 うみべ の都市 とし 計画 けいかく が進 すす み、ボートを使 つか った遊歩道 ゆうほどう からビーチへのアクセスも可能 かのう となった。1980年 ねん にビーチの端 はし には救急 きゅうきゅう センターやレストランが並 なら ぶようになった。1987年 ねん 、Muséedel'Éphèbe (エフェベ博物館 はくぶつかん )が、この地域 ちいき の考古学 こうこがく 的 てき 発掘 はっくつ (古代 こだい ローマ時代 じだい の別荘 べっそう 等 とう が存在 そんざい していた)を展示 てんじ したフランス国内 こくない 最初 さいしょ の水中 すいちゅう 考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん として発足 ほっそく した。
港 みなと の中心 ちゅうしん で最大 さいだい の島 しま であるロワジール島 とう には、遊 ゆう 園地 えんち 、ナイトクラブが、港 みなと の東南 とうなん 部分 ぶぶん には水族館 すいぞくかん が作 つく られている。2014年 ねん にかつての地元 じもと の廃棄 はいき 物 ぶつ 受付 うけつけ センターがあった場所 ばしょ にゴルフコースが設置 せっち された。
港 みなと のマリーナは約 やく 60ヶ所 かしょ あり、17メートル(56フィート)の移動 いどう 、大型 おおがた ボートのための施設 しせつ となっている。
港 みなと 部分 ぶぶん
キャプ・ダグドの北東 ほくとう 端 はし には、この町 まち の大 おお きな特徴 とくちょう であるナチュリスト・ヴィレッジ(ヌーディスト・ヴィレッジも同 どう 意味 いみ であるが、社会 しゃかい 的 てき 配慮 はいりょ もありナチュリスト・ヴィレッジと表記 ひょうき される事 こと が一般 いっぱん 的 てき となっている)と呼 よ ばれる大 だい 規模 きぼ なファミリースタイルのリゾートがある[1] 。町 まち は2 km(1マイル)のビーチ、大型 おおがた マリーナ、2,500のキャンプ場 じょう 、集合 しゅうごう 住宅 じゅうたく 、ホテル、ショップ、レストラン、ナイトクラブ、バー、郵便 ゆうびん 局 きょく 、銀行 ぎんこう 、ATM(現金 げんきん 自動 じどう 預 あづ け払 ばら い機 き )、コインランドリー 、美容 びよう 院 いん を備 そな えており、自己 じこ 完結 かんけつ 型 がた の機能 きのう を備 そな えた町 まち となっている。毎年 まいとし 夏 なつ には世界中 せかいじゅう から多 おお くのヌーディストが集 あつ まって来 く る。
「裸 はだか の街 まち 」と呼 よ ばれるこの場所 ばしょ では、リゾート全体 ぜんたい で一般 いっぱん 的 てき なようにヌードでの生活 せいかつ が合法 ごうほう となっている。ただし、夕方 ゆうがた や寒 さむ い時期 じき には、より多 おお くの人 ひと が服 ふく を着 き ることもある(そのような時期 じき でも露出 ろしゅつ 度 ど の高 たか い服 ふく を着 き ることもある)。利用 りよう 者 しゃ のリゾート利用 りよう 料金 りょうきん は地元 じもと の重要 じゅうよう な観光 かんこう 税 ぜい 収入 しゅうにゅう となっている。
グランド・コンキの岬 みさき
ヌーディストビーチ (利用 りよう の際 さい にはヌードが必須 ひっす となる場所 ばしょ )の全長 ぜんちょう は約 やく 2 km(1マイル)、幅 はば は約 やく 30 m(100フィート)を誇 ほこ る。砂 すな と水 みず は良質 りょうしつ で、水温 すいおん は16から22°C(61から72°F)の間 あいだ である。2つのセキュリティポストには警察 けいさつ と医療 いりょう 施設 しせつ があり、ライフガードは、一 いち 日 にち のほとんどの間 あいだ 、いくつかのステーションで勤務 きんむ している。ヌードビーチの南端 なんたん には6つのレストランがあり、北端 ほくたん に向 む かって利用 りよう できるレストランは1つだけとなっている。Cap d'Agdeはフランス内 ない にあるが、ほとんどのサービススタッフは英語 えいご を話 はな している。
キャプ・ダグドでのヌーディストリゾートの歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
キャプ・ダグドの長 なが い砂浜 すなはま に隣接 りんせつ する土地 とち は、ビーチに隣接 りんせつ する砂丘 さきゅう の背後 はいご にあるオリーブの木立 こだち を耕作 こうさく したオルトラ家 か によって長年 ながねん 所有 しょゆう されていた。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、オルトラ家 か の兄弟 きょうだい は、自分 じぶん たちの土地 とち にキャンプをする人々 ひとびと が増 ふ えていることに気 き づき、また利用 りよう 者 しゃ の多 おお くは入浴 にゅうよく や裸体 らたい の日光浴 にっこうよく を好 この んでいた。そこで、オルトラ兄弟 きょうだい は土地 とち でキャンパーのための取 と り決 き めを公式 こうしき 化 か し始 はじ め、後 ご のキャラバンとキャンプリゾートであるオルトラクラブの創設 そうせつ につながった。するとキャンプは、特 とく に若 わか い家族 かぞく の利用 りよう 者 しゃ の間 あいだ でますます人気 にんき が高 たか まることとなった。国 くに 別 べつ ではドイツ人 じん とオランダ人 じん の観光 かんこう 客 きゃく が特 とく に多 おお かった。
1970年代 ねんだい 初頭 しょとう 、ジョルジュ・ポンピドゥー 政府 せいふ は、ラングドック・ルーション の海岸 かいがん 線 せん の開発 かいはつ を計画 けいかく していたが、当初 とうしょ 、ヌーディストリゾートの策定 さくてい については関与 かんよ していなかった。オルトラ家 か 兄弟 きょうだい の1人 ひとり であるPaulは、Capd'Agdeにヌーディストリゾートの建設 けんせつ 計画 けいかく を含 ふく めるよう当局 とうきょく を説得 せっとく すると、1973年 ねん 、このビーチは正式 せいしき にヌーディストビーチに指定 してい された[2] 。それに伴 ともな い、新 あたら しいリゾートの規制 きせい も公布 こうふ され、ヌーディスト村 むら における覗 のぞ き・注目 ちゅうもく を浴 あ びる行動 こうどう などは規制 きせい された。
最初 さいしょ の開発 かいはつ では、ショップ、プールが併設 へいせつ されているポートネイチャー(Port Nature)とポートアンボンヌ(Port Ambonne)のアパートが建設 けんせつ された。その後 ご 、ヘリオポリス(Heliopolis)とポートヴィーナス(Port Venus)のアパートが建設 けんせつ され、ポートネイチャーは大幅 おおはば に拡張 かくちょう された。アパートは売 う りに出 だ され、所有 しょゆう 者 しゃ は自分 じぶん で使用 しよう する必要 ひつよう がないときに賃貸 ちんたい を行 おこな うことができた。ナチュリスト・ヴィレッジは、シーズン中 ちゅう はアクセスが規制 きせい された管理 かんり 区域 くいき になっており、入場 にゅうじょう するすべての人 ひと は規制 きせい について知 し らされ、それらを遵守 じゅんしゅ することとされた。
1980年代 ねんだい 初頭 しょとう までに、ナチュリスト・ヴィレッジは発展 はってん の限界 げんかい に達 たっ しており、多 おお くの店 みせ や商業 しょうぎょう 施設 しせつ は空室 くうしつ となり、売却 ばいきゃく またはリースの準備 じゅんび がされる状況 じょうきょう となった。その後 ご 10年 ねん 続 つづ くフランソワ・ミッテラン 政権 せいけん 下 か でのフランス経済 けいざい の冷 ひ え込 こ みの影響 えいきょう を受 う けていたためである。しかし、ナチュリスト・ヴィレッジは利用 りよう の簡便 かんべん さ・快適 かいてき な雰囲気 ふんいき に定評 ていひょう があり、ヌーディストの間 あいだ では人気 にんき のリゾート地 ち であり続 つづ けた。国外 こくがい 別 べつ ではドイツ人 じん の訪問 ほうもん 者 しゃ が非常 ひじょう に多 おお く、郵便 ゆうびん 局 きょく には、ドイツに送 おく る手紙 てがみ ・はがき用 よう の指定 してい 郵便 ゆうびん ポストが用意 ようい されていた。
セートの町 まち を背景 はいけい にした夜 よる のキャプ・ダグドのヌーディストビーチ ビーチの看板 かんばん
近年 きんねん のナチュリスト・ヴィレッジは、風俗 ふうぞく 店 てん やスワッピング・クラブ(スウィンガー・クラブ、セックス・クラブ)があり、スワッピングやリベルタン(放蕩 ほうとう 者 しゃ )のホットスポットにもなりつつある。スウィンガーはヌーディストビーチでも行動 こうどう するため、それを嫌 きら った多 おお くのヌーディスト観光 かんこう 客 きゃく が目的 もくてき 地 ち を別 べつ の家族 かぞく 向 む けヌーディストリゾートに変 か える事態 じたい が起 お きている[3] [4] 。そのような事態 じたい を懸念 けねん し、現地 げんち 自治体 じちたい では写真 しゃしん 撮影 さつえい 、挑発 ちょうはつ 的 てき な服 ふく の着用 ちゃくよう 、下品 げひん なアイテムの展示 てんじ を禁止 きんし する、ヌードを規範 きはん として要求 ようきゅう するといった規則 きそく が設 もう けられ、2008年 ねん には猥褻 わいせつ な行動 こうどう に対 たい して警告 けいこく を発 はっ するビーチの看板 かんばん が設置 せっち された。
Port Richelieuのマリーナ 多 おお くは一 いち 年 ねん の特定 とくてい の時期 じき にのみ営業 えいぎょう しているクラブやショップやバーなどの小 ちい さな会場 かいじょう があり、ナイトライフはクラブや会場 かいじょう が中心 ちゅうしん になっている。
2008年 ねん 11月23日 にち 、3つのスウィンガークラブでの火災 かさい が発生 はっせい した。英国 えいこく の新聞 しんぶん サンデータイムズは、強硬 きょうこう 派 は のヌーディストまたは「ヌーディストのムッラー 」が、エチャンジストまたはリベルタンに反対 はんたい するために起 お こした事件 じけん であることを示唆 しさ した。
2009年 ねん 、リゾートの元々 もともと の所有 しょゆう 者 しゃ オルトラ家 か の名前 なまえ を冠 かん したRené Oltra社 しゃ は、ヌーディストをヌーディスト組織 そしき に所属 しょぞく させるために、キャンプ場 じょう や別荘 べっそう やアパートへの訪問 ほうもん を要求 ようきゅう している。しかし、キャップダグドはFédération Françaisede Naturisme (フランス自然 しぜん 主義 しゅぎ 連盟 れんめい )によって公式 こうしき に合意 ごうい またはサポートされている地域 ちいき ではない。
2009年 ねん 12月、地方自治体 ちほうじちたい は、村 むら をほとんど交通 こうつう のない場所 ばしょ に改修 かいしゅう し、並木道 なみきみち や遊歩道 ゆうほどう 、ビーチ沿 ぞ いの高層 こうそう 遊歩道 ゆうほどう 、ホテルを建設 けんせつ することを提案 ていあん した。工事 こうじ は2012年 ねん 初頭 しょとう に開始 かいし される予定 よてい で、その他 た の計画 けいかく には、建物 たてもの の改修 かいしゅう や新 あたら しいファサードの建設 けんせつ が含 ふく まれていた。ナチュリスト・ヴィレッジは、他 た 地域 ちいき より経済 けいざい 的 てき に裕福 ゆうふく でない地域 ちいき の雇用 こよう と収入 しゅうにゅう を生 う み出 だ しており、固定 こてい 資産 しさん 税 ぜい と入場 にゅうじょう 料 りょう を通 つう じて地方自治体 ちほうじちたい に収入 しゅうにゅう をもたらす経済 けいざい 効果 こうか をもたらしている。
2020年 ねん 9月 がつ 、新型 しんがた コロナウイルス のパンデミック 中 なか に、村 むら の外 そと のステーションで、800人 にん のヌーディストの30%にあたる約 やく 150人 にん の集団 しゅうだん 感染 かんせん (クラスター) が判明 はんめい したと報告 ほうこく された。当時 とうじ の状況 じょうきょう では、パンデミックの際 さい に利用 りよう 者 しゃ は大幅 おおはば に減少 げんしょう したものの、村 むら 自体 じたい には10,000のキャンプ場 じょう ピッチと15,000のベッドがあり、人口 じんこう 密度 みつど は近 ちか くのモンペリエの7倍 ばい となっていた[5] [6] 。
公式 こうしき ウェブサイト(フランス語 ふらんすご ) (英語 えいご )