(Translated by https://www.hiragana.jp/)
クリスティーナ・カルドーニ - Wikipedia コンテンツにスキップ

クリスティーナ・カルドーニ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリスティーナ・ヴォン・イーリー
クリスティーナ・ヴォン・イーリーの画像
プロフィール
リングネーム クリスティーナ・ヴォン・イーリー
トキシン
本名ほんみょう クリスティーナ・マリア・カルドーニ
ニックネーム パンク・プリンセス
身長しんちょう 163cm
体重たいじゅう 56kg
誕生たんじょう (1989-08-28) 1989ねん8がつ28にち(34さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
カリフォルニアしゅうサクラメント
トレーナー ビッグ・アグリー
ダニー・セクレション
デビュー 2006ねん
テンプレートを表示ひょうじ

クリスティーナ・カルドーニChristina Maria Kardooni1989ねん8がつ28にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレスラーカリフォルニアしゅうサクラメント出身しゅっしん[1]クリスティーナ・ヴォン・イーリーChristina Von Eerie)のリングネームられる。

日本にっぽん女子じょしプロレス団体だんたいスターダムではクリスティーナ・フォン・エリー表記ひょうきになっている。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

キャリア初期しょき[編集へんしゅう]

イランけいちちとイタリアけいははあいだまれる[2]

10代で地元じもとサクラメントのプロレスリング・スクールスプリーム・プロレスリング・トレーニングアカデミーSPW)でトレーニングを開始かいし2006ねんにプロレスラーとしてデビューし、PWRIWLXPWAWSといったインディー団体だんたい参戦さんせんハードコアマッチインタジェンダーマッチなどをおお経験けいけんし、SPWの9周年しゅうねんアニバーサリー興行こうぎょうおこなわれたデスマッチには男性だんせいレスラー6めい相手あいて唯一ゆいいつ女性じょせいレスラーとして出場しゅつじょう。スチールケージ・椅子いす梯子はしご有刺鉄線ゆうしてっせん工業こうぎょうようホッチキス・蛍光けいこうとうなどが使用しようされたなかやぶれはしたものの存在そんざいかんつよさをしめした。

このときから現在げんざいでも使つかわれている奇抜きばつなスタイルをしてパンク・プリンセスばれるようになった。

インディー団体だんたい[編集へんしゅう]

2009ねん

2009ねん9月、PWG参戦さんせん。クリスティーナをふくんで女性じょせいレスラーがたったにんしか所属しょぞくしていなかったが、もう一人ひとり女子じょしレスラー、キャンディス・リレイだけでなく男性だんせいレスラーとも試合しあいおおおこなうようになり、心身しんしんをスケールアップ。

2010ねん3月5にち、メキシコのだいメジャー団体だんたいひとつであるAAA参戦さんせん数々かずかず団体だんたいつちかった荒々あらあらしいハードコアスタイルはAAAの女性じょせいレスラーにはめずらしく、ファンからのはんおう上々じょうじょうであった。入団にゅうだんして7にちしかっていない12にちにはAAAのおおきなイベントのひとつであるレイ・デ・レイエスに6にんタッグながら出場しゅつじょうという破格はかくあつかいをけた。以後いご、パンク・プリンセスらしくあばまわり7がつにAAAのユニットフォーリン・リージョン加入かにゅう。AAA世界せかい混合こんごうタッグ王座おうざせんにて、それまで接点せってんのなかったアレックス・コズロフんで挑戦ちょうせんしたさいに、窮地きゅうちのところをコズロフがていしてクリスティーナをまもったことからクリスティーナがコズロフにこいをするというストーリーラインに発展はってんし、相手あいてであったタッグ王者おうじゃファビー・アパッチェ & エアロスターこうそう開始かいし。ノンタイトルせんふくめ、すうたたかいをひろげて王座おうざ奪取だっしゅすることに成功せいこうした。王座おうざ陥落かんらくも、コズロフとのタッグは継続けいぞくしていたが11月にコズロフがWWEに移籍いせきしてタッグは自然しぜん消滅しょうめつすることとなった。

2013ねん

2011ねん3月、女子じょしプロレス団体だんたいShimmer参戦さんせん。Vol.26、27でプロモーションをおこなっていただけにはつ参戦さんせんであるVol.37からサラ・デル・レイ対戦たいせん以後いごメルセデス・マルチネスチアリーダー・メリッサなどを相手あいて活躍かつやく。しばらくして自身じしんのステップアップするためにチーム3Dアカデミーにてトレーニングを開始かいし

TNA[編集へんしゅう]

TNA所属しょぞくするジェシー・ニール、チーム3Dと関係かんけいっていたおかげかTNAに参戦さんせんすることが決定けってい。2011ねん9がつよりトキシンのリングネームでデビュー。ニールとシャノン・ムーアのタッグ、インク・インクのマネージャーとなり10がつ13にち収録しゅうろくにおいてメキシカン・アメリカおそわれるニールとムーアを救出きゅうしゅつするかたち登場とうじょうした。メキシカン・アメリカとのこうそうにおいてはロシータ & サリータ試合しあいおこなうなどしたが、このりょうユニットのこうそう不良ふりょうわった。以降いこう、インク・インクの3にん出番でばんうしない、クリスティーナは解雇かいこされた。

インディー団体だんたい[編集へんしゅう]

TNA解雇かいこふたたびインディー団体だんたい活動かつどうおこなうようになり、2012ねんよりDRAGON GATE USAShineCZW、Shimmerに参戦さんせん。DGUSAでは戸澤とざわようのマネージャーとして活動かつどう。10月、スターダムはつ来日らいにち木村きむら響子きょうことタッグチーム、キムラモンスターぐん結成けっせいし、タッグリーグであるGODDESSES OF STARDOM出場しゅつじょうするがてん3で予選よせんちとなった。

2015ねん7がつ24にちジェフ・ジャレット主宰しゅさいするGFWのAmpedに参戦さんせん同日どうじつより開始かいしされた初代しょだいGFW女子じょし王者おうじゃ決定けっていトーナメントにエントリー。1回戦かいせんにてミッキー・ジェームス、レイディー・タパと対戦たいせん最後さいごにタパからフォールをうば勝利しょうり。しかし、試合しあいにミッキーもろともタパからサモアンドロップらった[3]。10月23にち、GFW Ampedにて決勝けっしょうおこない、アンバー・ギャローズ対戦たいせんして勝利しょうり初代しょだい王者おうじゃとなった[4]

その[編集へんしゅう]

2010ねんTNA
  • TNAジェシー・ニールとは友好ゆうこう関係かんけいち、参戦さんせんする団体だんたいでの人数にんずうなどにこまったときはおたが試合しあいるようにこえっている。
  • パンク・プリンセスのニックネームどおり、パンクけい音楽おんがくあいし、プロレス以外いがい活動かつどうピューク・アンド・スピット(ギター)とルーキング・テラー(ベース、またはギター)というふたつのパンクバンドをっていた。(2010ねん11月にはふたつのうち、どちらかに専念せんねんしたいということでピューク・アンド・スピットを離脱りだつ。)
  • 2010ねん8がつにTNAのダークマッチに登場とうじょう。パンクキャラとして有名ゆうめいシャノン・ムーアとミックスドパンクタッグを実現じつげんした。(相手あいてオカダ & クッキー
  • 2013ねんCZWにて男女だんじょデスマッチで対戦たいせんしたMASADA婚約こんやく

得意とくいわざ[編集へんしゅう]

場外じょうがいでのパイルドライバー
ティルトワール・フェイスバスター
ストレートジャケット・ダブルニー・バックブリーカー
ダブルニー・アンダーフック・フェイスバスター
ダブルアームロック・シャープシューター

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

GFW
  • GFW女子じょし王座おうざ : 1かい
AAA
w / アレックス・コズロフ
AWS
  • AWS女子じょし王座おうざ : 2かい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Christina Von Eerie”. Online World of Wrestling. 2015ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ パンクロック・プリンセス来日らいにち ロッシー小川おがわブログ 2012ねん11月2にち
  3. ^ GFW Amped TV Taping Results (SPOILERS)”. 411mania.com. 2015ねん7がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ Global Force Wrestling 10/23/15 AMPED TV Tapings Results: Champions Crowned”. PWPonderings.com. 2015ねん10がつ23にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]