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グル・ダット

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Guru Dutt
グル・ダット
グル・ダット
1955ねん
本名ほんみょう Vasanth Kumar Shivashankar Padukone
生年月日せいねんがっぴ (1925-07-09) 1925ねん7がつ9にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1964-10-10) 1964ねん10がつ10日とおか(39さいぼつ
出生しゅっしょう イギリス領インド帝国の旗 イギリスりょうインド帝国ていこく マイソール王国おうこくバンガロール
死没しぼつ インドの旗 インド マハーラーシュトラしゅうムンバイ
職業しょくぎょう 俳優はいゆう映画えいがプロデューサー映画えいが監督かんとくコレオグラファー
活動かつどう期間きかん 1944ねん - 1964ねん
配偶はいぐうしゃ ギーター・ダット (1953ねん - 1964ねん死別しべつ
おも作品さくひん
かわ
かみはな
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グル・ダットGuru Duttコンカニ: ಗುರು ದತ್ತ್、ヒンディー: गुरु दत्त、1925ねん7がつ9にち - 1964ねん10がつ10日とおか)は、インド俳優はいゆう映画えいがプロデューサー映画えいが監督かんとくコレオグラファーである。本名ほんみょうヴァサント・クマール・シヴァシャンカル・パードゥコーネ(Vasanth Kumar Shivashankar Padukone)。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

グル・ダットは、インド映画えいが、とくにヒンディー娯楽ごらく映画えいがかいボリウッド黄金おうごん時代じだいかたさいにはかすことの出来できない人物じんぶつである。ダットは、『かわ』、『かみはな』、『旦那だんなさま奥様おくさま召使めしつか』、『じゅうよんつき』といった不朽ふきゅう名作めいさくを1950~1960年代ねんだい数多かずおおした。とくに、『かわき』と『かみはな』のりょう作品さくひんは、永遠えいえん名作めいさくとのごえたかく、『タイムの「永遠えいえん名作めいさく100せん」(Time magazine's "All-TIME" 100 best movies[1]や『サイト&サウンド』(Sight & Soundでの映画えいが監督かんとく批評ひひょうせん[2]などに選出せんしゅつされている。また後者こうしゃ誌上しじょうにおいては、ダット監督かんとく自身じしんも「永遠えいえん偉大いだい映画えいが監督かんとく」としてえらばれている[3]。まさに「インドのオーソン・ウェルズ」ともひょうされる映画えいが監督かんとくである[4]

1950年代ねんだいには、大衆たいしゅう娯楽ごらく市場いちばけに制作せいさくされたにもかかわらず、すばらしい叙情じょじょうせいった芸術げいじゅつてき作品さくひんをヒンディー映画えいが業界ぎょうかいにおいて数多かずおおおくしたことでられており、そのような娯楽ごらく映画えいが芸術げいじゅつ映画えいが要素ようそ融合ゆうごうさせた作風さくふうを1957ねん代表だいひょうさくかわき』以降いこう発展はってんさせていった。かれ作品さくひんのリバイバル上映じょうえいおりにはホールが満員まんいんになることもおおく、とくにドイツ、フランス、日本にっぽんでは人気にんきたか[5]。ダットにかんしてかれた最近さいきんほんとしては、インドの女性じょせい『フェミナ』の編集へんしゅうしゃサッティヤ・サランによる『Ten Years with Guru Dutt: Abrar Alvi's Journey』(2008ねん)がある。このほんは、ダット監督かんとく作品さくひんおおくをがけた脚本きゃくほんであり、かれ個人こじんてき友人ゆうじんでもあったアブラール・アルヴィーの回想かいそうもとづきかれている[6]

日本にっぽんでは1980年代ねんだい映画えいが批評ひひょう蓮實はすみ重彦しげひこダグラス・サーク成瀬なるせ巳喜男みきおして賞賛しょうさんしている[7]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1925ねん大正たいしょう14ねん7がつ9にちイギリスりょうインド帝国ていこく支配しはいかれたマイソールはん王国おうこくバンガロールにおいて、チトラプル・サラスワト(インド南部なんぶ有力ゆうりょくなバラモン・コミュニティーのいち分派ぶんぱ)の家系かけいまれる。

その父親ちちおや仕事しごと都合つごうで、当時とうじえいりょう植民しょくみん首都しゅとであったカルカッタ(コルカタ)に一家いっかうつむ。ラヴィ・シャンカルおとうとウダイ・シャンカル舞踊ぶよう学校がっこうで2年間ねんかん舞踏ぶとうまなぶ。1944ねん昭和しょうわ19ねん)、伯父おじ紹介しょうかいマハーラーシュトラしゅうプネーのプラバート・フィルム・カンパニーに入社にゅうしゃ、1946ねん昭和しょうわ21ねん)、映画えいがのコレオグラファーとしてデビュー。

俳優はいゆう助監督じょかんとくとして映画えいがかいでのキャリアをみ、1951ねん昭和しょうわ26ねん)にはつ監督かんとくさく』でデビュー。1953ねん昭和しょうわ28ねん)、人気にんき映画えいがソング歌手かしゅギーター・ラーイ(のちのギーター・ダット)と結婚けっこんした。

1964ねん昭和しょうわ39ねん10がつ10日とおか、マハーラーシュトラしゅうムンバイ自宅じたくにてみずかいのちつ。まん39さいぼつ

主要しゅよう作品さくひん[編集へんしゅう]

監督かんとくさく[編集へんしゅう]

プロデュースさく出演しゅつえんさく[編集へんしゅう]

関連かんれん事項じこう[編集へんしゅう]

[編集へんしゅう]

  1. ^ The Complete List、All-Time 100 Movies Time Magazine、2005ねん
  2. ^ 2002 Sight & Sound Top Films Survey of 253 International Critics & Film Directors". Cinemacom. 2002ねん - 2009ねん4がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ Kevin Lee (2002-09-05). "A Slanted Canon". Asian American Film Commentary - 2009ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ Kavita Amarnani (2008ねん3がつ14にち). “Was Guru Dutt India's Orson Welles?”. The Guardian. 2009ねん5がつ9にち閲覧えつらん
  5. ^ Asian Film Series No.9 GURU DUTT Retorospective”. 国際こくさい交流こうりゅう基金ききん (2001ねん). 2009ねん5がつ13にち閲覧えつらん
  6. ^ R. Rajesh Kumar (2008ねん7がつ15にち). “Review of Ten Years with Guru Dutt: Abrar Alvi's Journey”. 2009ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ 季刊きかんリュミエール12 1988なつ』(筑摩書房ちくましょぼう1988ねん6がつ ISBN 4480950125)の記述きじゅつ参照さんしょう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]