(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ケッタウェイズ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ケッタウェイズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ケッタウェイズ(Kettaways)は、日本にっぽんのアマチュアバンドである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1977ねん - 1980年代ねんだいにかけて、静岡放送しずおかほうそう(SBSラジオ)で放送ほうそうされていた若者わかものけラジオ番組ばんぐみ下記かき参照さんしょう)を担当たんとうしていた当時とうじ若手わかてアナウンサーディレクターによって1978ねん7がつ結成けっせいされたバンドである。1984ねん解散かいさんまでやく7年間ねんかん活動かつどうした。

番組ばんぐみ人気にんきをつけられ、イベント出演しゅつえん依頼いらい多数たすうけるようになり、本来ほんらいのトークとう題材だいざいまり「バンド」による演奏えんそう立案りつあん実現じつげんした。メンバーの本来ほんらい業務ぎょうむ終了しゅうりょう深夜しんや練習れんしゅうかさね、それぞれが活動かつどうにのめりこむなか技術ぎじゅつ向上こうじょう作詞さくし作曲さっきょく分担ぶんたんしオリジナル楽曲がっきょく発表はっぴょうするひとし、アマチュアバンドながら本格ほんかくてきなエレキバンドとなっていった。

  • 「1400(いちよんまるまる)デンリクナイター」(1977ねん4がつ - 9月、厳密げんみつにはこの番組ばんぐみ当時とうじはまだバンド活動かつどう開始かいししていない)
  • 「1400デンリクアワー」(1977ねん10がつ - 1978ねん9がつ、1978ねん7がつ22にちのフェスタはままつで『無名むめいバンド』としてはつ公開こうかい。)[1]
  • 「ぶっちゃけスタジオCut in!」(1978ねん10がつ - 1981ねん9がつ
  • フリーステーション1.2.0(ワンツーオー)」(1981ねん10がつ - 1984ねん4がつ、タイトルは120ふん番組ばんぐみとなったことにちなむ。後年こうねんには80ふん番組ばんぐみとなったが「1あいだ20ふん番組ばんぐみだから1.2.0のままでいい」ということでタイトルは変更へんこうされなかった。当時とうじTBSラジオ放送ほうそうされていた「フリーステーション」とは関係かんけいがない。)

命名めいめい由来ゆらい[編集へんしゅう]

映画えいがThe Getaway」のような格好かっこう語感ごかんと、「ケッタイなやつら」という意味いみから。 命名めいめいについては、番組ばんぐみリスナーから募集ぼしゅうしたところ「アニマルメイツ」や「おわらい4人組にんぐみ」などと、本人ほんにんたちが希望きぼうするようなバンド活動かつどうよりもわらいを主軸しゅじくいたような名前なまえばかりであった。当時とうじ國本こくほん荻島おぎしま当時とうじ上司じょうしである神村かみむら敏行としゆきに「どんな名前なまえけたいんだ?」とたずねられたさい格好かっこう名前なまえをと「Gettaway」をれいとしてげたところ、「点々てんてんってしまえ」とわれたことにより「ゲッタウェイズ」が「ケッタウェイズ」となった。おまえたちはばされてもへこたれないだろうとわれたというのと、方言ほうげんてきに「自転車じてんしゃ」のことを「ケッタマシーン」とび、リスナーがイベントにるのに自転車じてんしゃ使つかっていたことも要因よういんであるといわれている(SBS退職たいしょく國本こくほんがFM放送ほうそうへのゲスト出演しゅつえんや、SBSラジオ60周年しゅうねん記念きねん番組ばんぐみないなどで当時とうじのことをかえ説明せつめいしている)。

メンバー[編集へんしゅう]

  • 荻島おぎしまただしおのれ - もと静岡放送しずおかほうそうアナウンサー、メイン・ヴォーカルけんリードギター・12げんギター
  • 國本くにもと良博よしひろ - 同上どうじょう、ヴォーカルけんサイドギター・キーボード
  • 佐藤さとう信雄のぶお - もと静岡放送しずおかほうそうディレクター、ベースギター・パーカッション
  • 鷹森たかもりいずみ - 同上どうじょう、ドラム

楽曲がっきょくによっては担当たんとう楽器がっきえることがあった。ライブでは「現場げんば移動いどう」としょうされ、移動いどう準備じゅんびあいだのトークによるつなぎをおこなった。

うた[編集へんしゅう]

結成けっせい当初とうしょは、グループサウンズ、ビートルズ、ベイシティ・ローラーズとうのカヴァーを中心ちゅうしんに、公募こうぼつのった「しんとびら」などもからめて演奏えんそうおこなっていた。そのメンバーそれぞれが作詞さくし作曲さっきょくとうおこないレパートリーをやし、徐々じょじょにカヴァーきょく比率ひりつげ、オリジナルきょく演奏えんそうえていった。おもなオリジナルきょくは「ふうつばさに」「しんとびら」など。

活動かつどう[編集へんしゅう]

静岡しずおか放送ほうそう(SBS) の主催しゅさいするイベント(フェスタしずおか・ぬまづ・はままつ)や、番組ばんぐみリスナー対象たいしょうとしたデパートとうでの「イベント」ないでのライブ演奏えんそう中心ちゅうしん活動かつどうした。バンドとしての単独たんどくホールコンサートは解散かいさんコンサートをふくめ5かい開催かいさいしている(イベント、ホールコンサートとも入場にゅうじょうりょう無料むりょうであった)。

1979年度ねんどアノンシストしょう「アナウンサー活動かつどう称揚しょうよう部門ぶもん」にて、独自どくじ活動かつどうみとめられ「放送ほうそう活動かつどうしょう」を受賞じゅしょう[1]

結成けっせい当初とうしょはキーボード担当たんとう当時とうじSBSアナウンサーで番組ばんぐみにも出演しゅつえんしていた河野こうのけんりょう(SBS退職たいしょく伊達だてけんとしてフリーアナウンサー)が参加さんかしていたが、のちに脱退だったい。そのは4にん活動かつどうしていたが、おぎしまがSBSからTBS早朝そうちょう番組ばんぐみのメイン司会しかいしゃとして出向しゅっこうすることとなり、ケッタウェイズとして活動かつどうつづけることができなくなった。当初とうしょ半年はんとし予定よていであったが番組ばんぐみ好調こうちょうにより再三さいさん出向しゅっこう期間きかん延長えんちょうされ(1982ねん4がつ - 1985ねん3がつ)、最終さいしゅうてきにはおぎしまはSBSを退社たいしゃしフリーアナウンサーとなる。)。

おぎしま出向しゅっこうに「Kettaways 1st Break Concert」(1982ねん3がつ25にち)をおこない、活動かつどう一旦いったん停止ていしする。そのおぎしまがSBSにもどれたわけではないが、もどれたさい活動かつどう継続けいぞくできるようにと「Kettaways 4th Concert」(1983ねん5がつ1にち)をおこない、「ケッタウェイズは伝説でんせつではない」とたからかにケッタウェイズの復活ふっかつげた。しかし、母体ぼたいとなる番組ばんぐみ終了しゅうりょう荻島おぎしまかえりせい再三さいさんにわたり延期えんきとなったこととう活動かつどう継続けいぞくがさらにむずかしくなったため、その翌年よくねんには「Kettaways Final Concert」(1984ねん10がつ13にち)をおこない、おおくのファンにしまれつつも、7年間ねんかん活動かつどうにピリオドをった。

ライブやコンサートは規模きぼ大小だいしょう、ゲスト出演しゅつえんふくめ、30かい以上いじょうおこなわれたとされる。一回いっかいで2000にんきゃくかる動員どういんしたこともあり、これがもと追加ついか公演こうえんおこなわれたこともあったという[1]。ファイナルコンサートを最後さいご解散かいさんしたが、静岡しずおか青葉あおば公園こうえん開催かいさいされたSBSラジオのイベントで「ケッタウェイズさい結成けっせいコンサート」(1997ねん11月16にち)がおこなわれ、13ねんぶりにファンのまえ姿すがたせた。このコンサートの模様もようは、翌年よくねんにSBSラジオの特別とくべつ番組ばんぐみ「Kettaways Forever」としてOAされた。

近年きんねん動向どうこう[編集へんしゅう]

2011ねんまつに、2012ねん3がつ4にち、「ケッタウェイズ ぶっちゃけ同窓会どうそうかい 〜あのときラジオはわかかった〜」とだいする、静岡しずおかのライブハウスで「同窓会どうそうかいコンサート」を開催かいさいすることが発表はっぴょうされた。当日とうじつは、150めい以上いじょう観客かんきゃくあつめ2構成こうせい、3あいだの「演奏えんそうかい」となった。

2012ねん3がつ24にち青葉あおばシンボルロードにて開催かいさいされた「SBSラジオパーク」ないで「SBSパーソナリティだい集合しゅうごう」(生放送なまほうそうないのコーナーとして「再々さいさい結成けっせいライブ」として、オリジナルきょく6きょく演奏えんそうした(厳密げんみつには1997ねんの「さい結成けっせい以来いらいさい解散かいさん」はしていない)。

2014ねん6がつ21にちおぎしまただしおのれ食道しょくどうがん闘病とうびょうすえ逝去せいきょ、ケッタウェイズのさい結成けっせい可能かのうせい完全かんぜんたれることとなった。

エピソード[編集へんしゅう]

  • 「フリーステーション1.2.0!」最終さいしゅうかいおぎしまただしおのれ発言はつげんによると、バンドのリーダーはつきわりだったそうである(実際じっさいにはリーダーはいていない。ちなみに番組ばんぐみ最終さいしゅうかい当時とうじの「今月こんげつのリーダー」は荻島おぎしまいわく、佐藤さとう信雄のぶおであったという。)。
  • 「4th Concert」では直前ちょくぜんにドラムのディレクターの鷹森たかもりいずみ盲腸もうちょう入院にゅういん中止ちゅうしもできない状況じょうきょうでコンサート開催かいさいあやぶまれたが当時とうじだい2フリステに出演しゅつえんしていた後藤ごとうさとる所属しょぞくする地元じもと静岡しずおかのアマチュアバンド「タランチュラ」のドラマー、矢川やがわよしろうがピンチヒッターをち、コンサートをおこなうことができた。このとき会場かいじょうでは入院にゅういんちゅうのディレクターの鷹森たかもり見舞みまったさい病院びょういん録音ろくおんしたファンにたいするメッセージが公開こうかいされ、「このいたみをあなたにもけてあげたい」という「一言ひとこと」で会場かいじょうだい爆笑ばくしょうおちいるというハプニングもあった。
  • 静岡しずおかけん民放みんぽうテレビ局てれびきょくとしてSBS静岡放送しずおかほうそうとは競合きょうごうするライバルきょくである静岡第一しずおかだいいちテレビ若者わかもの情報じょうほうバラエティ番組ばんぐみJanJanサタデー」に出演しゅつえんしたことがある。これは國本くにもと良博よしひろがJanJanサタデーに出演しゅつえんしていた、当時とうじ静岡第一しずおかだいいちテレビアナウンサーの「ミスターK」こと北嶋きたじまきょう交友こうゆうがあったことから実現じつげんしたもので、競合きょうごうする放送ほうそうきょくのアナウンサーと関係かんけいしゃきょく番組ばんぐみ出演しゅつえんしたことはきわめて異例いれい出来事できごとであった。ちなみにこの出演しゅつえんまえには、國本こくほんが「フリーステーション1.2.0!」に北嶋きたじまをゲストとしてまねいている。
  • のこされていた音源おんげん利用りようし、公式こうしきサイト「KETTAWAYS MUSEUM」管理人かんりにんにより、オリジナルきょく収録しゅうろくしたレコードを自費じひ出版しゅっぱんしたことがある[2]。そのレコードに収録しゅうろくれのきょくや「さい結成けっせいコンサート」つくられた新曲しんきょく「Love is Everywhere」を追加ついか収録しゅうろくしたCD-Rも後年こうねん制作せいさくされた(アナウンサーの國本こくほん退社たいしゃ記念きねん番組ばんぐみ(2009ねん12月31にち)でも聴取ちょうしゅしゃプレゼントとされた)。
  • 2012ねん3がつの「ぶっちゃけ同窓会どうそうかいおよび「再々さいさい結成けっせいコンサート」には、ベース担当たんとう佐藤さとう信雄のぶお都合つごうにより参加さんかできず、國本こくほん現在げんざい活動かつどうしているバンド「THE LEGEND」のベーシスト竹島たけしまおど代理だいりとして演奏えんそうした。
  • 2013ねん4がつ國本こくほん著書ちょしょ「くんちゃんのはなしのはなし」が発売はつばい[3]きょくアナ時代じだいのエピソードなどを回顧かいこ検証けんしょうくわえて記述きじゅつされている。また、付属ふぞくのDVDにてKettawaysのコンサート映像えいぞう(ファーストコンサート、さい結成けっせいコンサート、同窓会どうそうかいコンサートのダイジェスト)、SBSきょくアナとしてSDT「JanJanサタデー」への出演しゅつえん映像えいぞうなどが収録しゅうろくされている。
  • KAWAIで「ケッタウェイズモデル」のエレクトリックギターエレクトリックベース特別とくべつ製作せいさくされ、メンバーにおくられている。ギターはそれぞれおぎとう國本こくほん一本いっぽんずつ製作せいさくされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 月刊げっかんラジオパラダイス 1988ねん5がつごう 88ページ
  2. ^ 月刊げっかんラジオパラダイス 1989ねん8がつごう 8ページ などで紹介しょうかい
  3. ^ 國本くにもと良博よしひろ『くんちゃんのはなしのはなし』(319p; 19cm + DVDビデオディスク(1まい 12cm))マイルスタッフ発行はっこうインプレスコミュニケーションズ刊行かんこう、2013ねん4がつ5にちISBN 978-4844375579 ほんこう掲載けいさいのエピソードのほとんどはこの書籍しょせき検証けんしょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]