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ゲレールテンシューレ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゲレールテンシューレ学者がくしゃ学校がっこう[1]古典こてん学校がっこう[2]ドイツ: Gelehrtenschule)はドイツの学校がっこう一種いっしゅである[2]

おもに、ルター宗教しゅうきょう改革かいかくのち各地かくち登場とうじょうしたもので、大学だいがくまえ高等こうとう教育きょういくけるために必要ひつよう準備じゅんび教育きょういくおこなうため、各地かくち設立せつりつされた。現代げんだい教育きょういく制度せいどのもとでは中等ちゅうとう教育きょういく機関きかん相当そうとうする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ドイツの「大学だいがく」には、ハイデルベルク大学だいがく(1386ねん設立せつりつ)やライプツィヒ大学だいがく(1409ねん設立せつりつ)など、中世ちゅうせいさかのぼるものがある。これらの大学だいがくでは、伝統でんとうてきに、さい上位じょうい位置いちづけられる学問がくもんとしての神学しんがく哲学てつがくなどが教授きょうじゅされ、がれてきた[ちゅう 1]。これらの大学だいがくでは、学生がくせい神学しんがく哲学てつがくおさめるための下地したじとして、ヘブライ、(古代こだいギリシャラテン語らてんご数学すうがくなどの基礎きそてき素養そよう習得しゅうとくするための期間きかんもうけており、それが大学だいがく在学ざいがく期間きかん長期ちょうきをもたらし、定員ていいん制約せいやくによって大学だいがくはいることをむずかしくしていた[3][4][5]

ルター(1483-1546)が16世紀せいきドイツで宗教しゅうきょう改革かいかくおこない、プロテスタント出現しゅつげんして従来じゅうらいカトリック決別けつべつした。そうなると、プロテスタントは、プロテスタントをひきいていく指導しどうしゃと、次世代じせだい指導しどうしゃ養成ようせいするための必要ひつようとするようになった。神聖しんせいローマ皇帝こうてい影響えいきょうにある旧来きゅうらい大学だいがく神学しんがくからはなれて、各地かくちりょうくに自主じしゅせいによってプロテスタントの教義きょうぎつたひろおしえていくため、プロテスタントの地方ちほうでは学校がっこう改革かいかく急務きゅうむとなった。こうしたうごきはハンザ同盟どうめいしょ都市としはじまり、プロテスタント君主くんしゅ領地りょうち伝播でんぱし、「空前絶後くうぜんぜつご」の学校がっこう設立せつりつブームがきた[3][4][5]

各地かくちでそのための学校がっこうひらかれる一方いっぽうで、ラテン語らてんごやギリシャ習得しゅうとくのための基礎きそてき学問がくもんついやす期間きかん大学だいがくからはなし、それをせんもんになあたらしいタイプの学校がっこうつくられることになった。これがゲレールテンシューレである[3]

これらのしょ学校がっこう全体ぜんたいとして統制とうせいされていたわけではないので、実際じっさい学校がっこうおしえられる内容ないようは、教授きょうじゅ個人こじんてき才覚さいかくって変化へんかした。当初とうしょ古典こてん教育きょういく学校がっこうしゅたる目的もくてきだった。しかし徐々じょじょにではあるが、ラテン語らてんごへの偏重へんちょうたいして異論いろんるようになり、数学すうがく物理ぶつりがくといったあたらしい学問がくもんがより重視じゅうしされるようになっていった[2]

さまざまな呼称こしょう[編集へんしゅう]

このあたらしいタイプの学校がっこうは、規模きぼ名称めいしょうもさまざまであった[3]

りょうくにくんぬしたちが創立そうりつしたものは、「王侯おうこう学校がっこう[3]フュルシュテンシューレドイツ: Fürstenschule)」や「りょうくに学校がっこう[3]りょうくにたて学校がっこう[5]ランデスシューレドイツ: Landesschule)」[ちゅう 2]などとしょうした[3][4][5][6]

また、大学だいがく専門せんもんてき学問がくもんおさめて学者がくしゃになるという観点かんてんから、「学者がくしゃ学校がっこう」を意味いみする「ゲレールテンシューレ」(ドイツ: Gelehrtenschule)、あるいはラテン語らてんごで「ペダゴギウム[1]」(ラテン語らてんご: Pedagogium[ちゅう 3])を名乗なのるところもあった。

また、これらのフュルシュテンシューレ、ランデスシューレ、ペダゴギウム、ギムナジウムなどの総称そうしょうとして「ゲレールテンシューレ」と場合ばあいもある。いずれにせよ学校がっこう目的もくてきは、大学だいがく教育きょういく準備じゅんび教育きょういくである。そのため、大学だいがく高等こうとう教育きょういく機関きかん)のまえ中等ちゅうとう教育きょういく機関きかんとして「ギムナジウム」と同一どういつされる場合ばあいもある[3]

ゲレールテンシューレは卒業そつぎょう大学だいがくすすむことを目的もくてきとした「学者がくしゃ学校がっこう」だったのにたいして、卒業そつぎょう社会しゃかいるためにやく実践じっせんてき学問がくもんおしえる学校がっこうを「レアルシューレ(実科じっか学校がっこう[7])、ドイツ: Realschule[8]」とった[8][1]。このほか、文法ぶんぽう修辞しゅうじがく弁証法べんしょうほうさんがくさづける「さんがく学校がっこう」(ドイツ: Trivialschule[3]上流じょうりゅう階級かいきゅう子弟してい対象たいしょう古典こてん学問がくもんのほか外交がいこう軍事ぐんじのための行政ぎょうせいがく地理ちりがく近代きんだい語学ごがく自然しぜん科学かがく馬術ばじゅつ剣術けんじゅつなどの武芸ぶげい舞踏ぶとうなどの上品じょうひんいなどをさづける「騎士きし学校がっこう」(リッターアカデミー、ドイツ: Ritterakademie[3]などがある[3][7]

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

「ゲレールテンシューレ」の日本語にほんごやくとしては、「学者がくしゃ学校がっこう」などがある。学者がくしゃそだてる準備じゅんび教育きょういく機関きかんとしてはギムナジウムも同様どうようであるため、ギムナジウムにも「学者がくしゃ学校がっこう」の訳語やくごてられる場合ばあいもある[1][3]

神学しんがくのためのヘブライはともかく、ギリシャラテン語らてんご神学しんがく以外いがいでもあらゆる学問がくもんまなぶためには必須ひっすだった。そのためこれらの言語げんご総称そうしょうして「古典こてん」といい、ゲレールテンシューレの訳語やくごとして「古典こてん学校がっこう[2][3]」がてられる場合ばあいもある。外国がいこくおしえるという観点かんてんで、英語えいごけんではグラマースクールGrammar school)とやくされる場合ばあいもある[3]

また、聖職せいしょくしゃのための下地したじとなる基礎きそてき素養そようまなぶという観点かんてんから「教養きょうよう学校がっこう[6]」の訳語やくごあたえられる場合ばあいもある。(教養きょうよう学部がくぶ参照さんしょう。)

時代じだいくだって、ドイツの学校がっこう制度せいど整理せいり体系たいけいされていき、また学問がくもんがドイツフランス語ふらんすご英語えいごなどで教授きょうじゅされる時代じだいになると[ちゅう 4]、ゲレールテンシューレはかならずしも「古典こてん」をおしえるわけではなくなっていった。それらの学校がっこうのなかには、中等ちゅうとう教育きょういく機関きかんとしてより一般いっぱんてきな「ギムナジウム」に改称かいしょうするようなところもある。こうした場合ばあいなど、より普遍ふへんてきな「学院がくいん」が訳語やくごとしてもちいられる場合ばあいもある。

いまでもラテン語らてんごやギリシャおしえる「ゲレールテンシューレ」もある。1529ねん創立そうりつハンブルク最古さいこヨハネウム学院がくいん は、ドイツでの正式せいしき名称めいしょういまでも「Gelehrtenschule des Johanneums」となっている。

れい[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 19世紀せいき以前いぜんは、基本きほんてき大学だいがく学問がくもん教授きょうじゅ継承けいしょうおこなわれるだった。教授きょうじゅ学問がくもん学生がくせいさづけ、その学生がくせいがやがて教授きょうじゅとなって、自分じぶんおそわったことをそのままつぎ世代せだい学生がくせいおしえるのである。これによって学問がくもん変化へんかすることなく連綿れんめん承継しょうけいされていく、というのが中世ちゅうせい以来いらい大学だいがく役割やくわりだった。大学だいがくで、それぞれの教授きょうじゅ学生がくせい自分じぶん自由じゆう研究けんきゅうできるようになるのは、近代きんだいハレ大学だいがく創設そうせつ世界せかい最初さいしょのものとされている。
  2. ^ 「シューレ」は「学校がっこう」(英語えいごのschoolに相当そうとう)を意味いみするかたり。フュルシュテンシューレの「フュルスト」(ドイツ: Fürst)は「侯爵こうしゃく」ないし「公爵こうしゃく」(侯爵こうしゃく公爵こうしゃく訳語やくごちがいについてはフュルスト参照さんしょう。)、ランドシューレの「ランド」はより広義こうぎりょうくに領主りょうしゅ自由じゆう都市としふくみ、「君主くんしゅりつ学校がっこう」のような意味いみとなる。王国おうこくにおける「王立おうりつ」や、「公立こうりつ」に相当そうとうする言葉ことばである。
  3. ^ Pedagogyは教員きょういんのこと。
  4. ^ 学術がくじゅつかいでは、世界せかい言語げんごとしてのラテン語らてんご使用しようは19世紀せいきまで一般いっぱんてきおこなわれていた。英語えいごフランス語ふらんすごは、17世紀せいきから18世紀せいきにかけて、学問がくもん分野ぶんやでもある程度ていど使用しようされるようになっていた。ドイツけんでも学問がくもん分野ぶんやではフランス語ふらんすご重視じゅうしされており、ライプニッツ主要しゅよう著作ちょさくフランス語ふらんすごあらわしている。大学だいがく教育きょういくでドイツもちいるはつこころみは17世紀せいきまつトマジウスさかのぼることができるが、実際じっさいにドイツ許容きょようされるようになるのは18世紀せいき以降いこうのことである。
  5. ^ ドイツばんによる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d ヴァイマー、シェーラー『ドイツ教育きょういく』p80-88
  2. ^ a b c d 世界せかい教育きょういく大系たいけい11 ドイツ教育きょういくI』p160-161「古典こてん学校がっこう(ゲレールテンシューレ)」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 世界せかい教育きょういく大系たいけい11 ドイツ教育きょういくI』p86-89
  4. ^ a b c 世界せかい教育きょういく大系たいけい11 ドイツ教育きょういくI』p89-92
  5. ^ a b c d ヴァイマー、シェーラー『ドイツ教育きょういく』p46-51
  6. ^ a b 『ドイツ・ギムナジウム200ねん:エリート養成ようせい社会しゃかい』p2-11
  7. ^ a b 世界せかい教育きょういく大系たいけい11 ドイツ教育きょういくI』p161-162「実科じっか学校がっこう(レアルシューレ)」
  8. ^ a b ヴァイマー、シェーラー『ドイツ教育きょういく』p101

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 世界せかい教育きょういく大系たいけい11 ドイツ教育きょういくI』,うめさとる監修かんしゅう,世界せかい教育きょういく研究けんきゅうかいへん,講談社こうだんしゃ,1976
  • 『ドイツ教育きょういく』,H・ヴァイマー、W・シェラーちょ,平野ひらの一郎いちろう監訳かんやく,黎明れいめい書房しょぼう,1979
  • 『ドイツ・ギムナジウム200ねん:エリート養成ようせい社会しゃかい』,M・クラウル/ちょ,もち田幸たこうおとこほか/わけ,ミネルみねるァ書房ぁしょぼう,1986,ISBN 4623016617
  • ICU比較ひかく文化ぶんか叢書そうしょ1『ドイツ都市とし宗教しゅうきょう改革かいかく比較ひかくてき考察こうさつ―リューベックとハンブルクを中心ちゅうしんとして―』,むねきょようちょ,国際基督教大学こくさいきりすときょうだいがく比較ひかく文化ぶんか研究けんきゅうかい,1992
  • 啓蒙けいもう都市とし周遊しゅうゆう』,エンゲルハルト・ヴァイグル/ちょ,三島みしま憲一けんいち宮田みやた敦子あつこわけ,岩波書店いわなみしょてん,1997,ISBN 4000006495