コーラ・パール
コーラ・パール (Cora Pearl 、1835年 ねん ? - 1886年 ねん 7月 がつ 8日 にち )は、19世紀 せいき フランス 第 だい 二 に 帝政 ていせい 期 き の花柳 かりゅう 界 かい ・社交 しゃこう 界 かい で著名 ちょめい だった高級 こうきゅう 娼婦 しょうふ (クルチザンヌ )、舞台 ぶたい 女優 じょゆう 。本名 ほんみょう はエマ・エリザベス・クラッチ (Emma Elizabeth Crouch)。イギリス 生 う まれ。皇帝 こうてい ナポレオン3世 せい の弟 おとうと モルニー公 こう や従兄弟 いとこ ナポレオン公 こう など、フランス宮廷 きゅうてい の要人 ようじん 達 たち の愛人 あいじん となり、豪奢 ごうしゃ な生活 せいかつ を送 おく った女性 じょせい で、エミール・ゾラ の小説 しょうせつ 『ナナ 』のモデルの一人 ひとり とされる
エマの生年月日 せいねんがっぴ および生誕 せいたん 地 ち については諸説 しょせつ あり、1842年 ねん 2月 がつ 23日 にち の日付 ひづけ を持 も つ彼女 かのじょ の出生 しゅっしょう 証明 しょうめい 書 しょ は捏造 ねつぞう されたものとされている。場所 ばしょ についてもプリマス ・イーストストーンハウス (en )・キャロライン地区 ちく となっているが、一説 いっせつ には1835年 ねん にロンドン で生 う まれ、1837年 ねん に家族 かぞく ごとプリマスに移 うつ り住 す んだものともいう。
父 ちち はチェロ 奏者 そうしゃ ・作曲 さっきょく 家 か のフレデリック・ニコル・クラッチ。ある時 とき 「キャサリン・マボニーン」という流行 りゅうこう 歌 か を作 つく り、わずか20ポンドで譲渡 じょうと したところ、この曲 きょく が後 のち に大 だい ヒットし、版権 はんけん を購入 こうにゅう した業者 ぎょうしゃ が15,000ポンド稼 かせ いだと聞 き いたフレデリックは、ショックのあまり仕事 しごと をしなくなり、1849年 ねん に家族 かぞく を残 のこ したままアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく へ渡 わた り永住 えいじゅう 移民 いみん となった(父 ちち から音楽 おんがく の才能 さいのう を受 う け継 つ いだことは、1867年 ねん にオッフェンバック の『天国 てんごく と地獄 じごく 』でウェヌス 役 やく を演 えん ずることに関連 かんれん してくる)。
母 はは はその後 ご エマをフランスのブローニュ=シュル=メール にある修道院 しゅうどういん 附属 ふぞく 校 こう (パンショナ, fr )に入 い れる。エマは8年間 ねんかん ブローニュで学 まな ぶ中 なか で、何 なに とか通用 つうよう するレベルではあったがフランス語 ふらんすご を習得 しゅうとく する(ただし英語 えいご なまりは後 ご まで残 のこ り、女優 じょゆう としてのキャリアに影響 えいきょう を与 あた えた)。
13歳 さい の時 とき 、小児 しょうに 性愛 せいあい 者 しゃ の中年 ちゅうねん 男性 だんせい に薬 くすり を盛 も られ、強姦 ごうかん の被害 ひがい に遭 あ う。19歳 さい の時 とき 、母 はは はエマに英国 えいこく へ帰 かえ り一緒 いっしょ に住 す むよう説得 せっとく したが、エマはそれを拒否 きょひ し、ロンドンの祖母 そぼ の家 いえ に住 す んだ。20歳 さい になったある日曜日 にちようび 、ダイヤモンド 商 しょう の男 おとこ に声 こえ をかけられたエマは、誘 さそ われるままに酒屋 さかや に入 はい り、そのまま泥酔 でいすい した後 のち 姦通 かんつう され、男 おとこ への憎 にく しみと自 みずか らの魅力 みりょく を認識 にんしき するようになったとも言 い われている。この出来事 できごと がエマにとって栄光 えいこう と破滅 はめつ の始 はじ まりとなった。エマはその後 ご 祖母 そぼ の家 いえ を出 で て、しばらくロンドンで自活 じかつ の道 みち を探 さが していたが、やがて娼婦 しょうふ となり、幾 いく 人 にん かの富裕 ふゆう 層 そう の男性 だんせい と出会 であ いを重 かさ ねることになる。彼女 かのじょ はそれなりにかわいらしく、社会 しゃかい 性 せい や機知 きち に富 と み、慎重 しんちょう でもあったため、男 おとこ 達 たち の中 なか には単 たん なる夜 よる の関係 かんけい 以上 いじょう に彼女 かのじょ に興味 きょうみ を抱 いだ く者 もの も現 あらわ れた。
エマはその後 ご 、ロンドンの高級 こうきゅう 娼婦 しょうふ が集 つど うクラブ「アーギルルーム」の経営 けいえい 者 しゃ ロバート・ビッグネルの愛人 あいじん となり、パリ へ渡海 とかい したが、パリの華 はな やかな魅力 みりょく にとりつかれた彼女 かのじょ はロンドンへの帰国 きこく を拒否 きょひ 。パリで「コーラ・パール」と名 な を変 か え、演劇 えんげき 界 かい に乗 の り込 こ む。しかしお色気 いろけ 以外 いがい の技能 ぎのう は発揮 はっき できず、大 たい した役 やく ももらえなかった。ただし、かつて修道院 しゅうどういん で鍛 きた えられた社交 しゃこう 的 てき マナーが身 み に備 そな わっており、富裕 ふゆう 層 そう の男性 だんせい に対 たい するアピールは申 もう し分 ぶん なかった。程 ほど なくコーラは、フランス第 だい 二 に 帝政 ていせい 下 か の富裕 ふゆう 層 そう ・権力 けんりょく 者 しゃ の評判 ひょうばん の的 まと となり、女優 じょゆう としてではなく愛人 あいじん として、彼 かれ らの幾 いく 人 にん かとロマンスに落 お ちる。彼女 かのじょ は金 かね を持 も っていなかったが、当時 とうじ の宮廷 きゅうてい お抱 かか えのデザイナーであるシャルル・フレデリック・ウォルト(en) やラフェリエ(en) といった高級 こうきゅう ブランドの服 ふく で身 み を飾 かざ ることで、富裕 ふゆう 層 そう の男性 だんせい の気 き を引 ひ くことにも成功 せいこう した。
この時期 じき 、第 だい 3代 だい リヴォリ 公爵 こうしゃく ヴィクトル・マセナが、コーラの最初 さいしょ のパトロンとなった。しかしコーラはこの頃 ころ から深刻 しんこく なギャンブル癖 へき ・浪費 ろうひ 癖 へき を呈 てい するようになる。またマセナより11歳 さい も若 わか いアキル・ミュラ公 こう (en 、ジョアシャン・ミュラ の孫 まご )にラブコールを送 おく ったことに嫉妬 しっと した公爵 こうしゃく は激怒 げきど し、彼女 かのじょ の借金 しゃっきん を肩代 かたが わりした後 のち 、愛人 あいじん 関係 かんけい を終 お わらせた。コーラは新 あら たな後援 こうえん 者 しゃ をすぐに開拓 かいたく し、欧州 おうしゅう でも最 もっと も富裕 ふゆう な男 おとこ たちを手玉 てだま に取 と っていく。
絢爛 けんらん にして放埒 ほうらつ なるパリでの生活 せいかつ [ 編集 へんしゅう ]
熟練 じゅくれん 技術 ぎじゅつ 者 しゃ の日当 にっとう が2~4フラン程度 ていど であった当時 とうじ において、コーラは一 いち 晩 ばん で5,000フランを稼 かせ ぐ娼婦 しょうふ となり、生活 せいかつ はどんどん派手 はで になっていった。この莫大 ばくだい な稼 かせ ぎを得 え るため、コーラは蘭 らん 柄 がら の絨毯 じゅうたん の上 うえ でヌードダンスを披露 ひろう したり(後述 こうじゅつ )、シャンパン で満 み たされた銀 ぎん の浴槽 よくそう で大勢 おおぜい の客 きゃく の前 まえ で入浴 にゅうよく することも厭 いと わなかった。コーラの英語 えいご 訛 なま りのフランス語 ふらんすご や、明 あ け透 す けな性格 せいかく も、多 おお くの男 おとこ に受 う け入 い れられているように見 み えた。ド・グラモン・カドゥルース公爵 こうしゃく は、「(当時 とうじ パリの最 さい 高級 こうきゅう レストランであった)フレール・プロヴァンソーがもしダイヤモンド入 い りのオムレツ をメニューで出 だ したら、彼女 かのじょ は毎晩 まいばん 通 かよ うだろう」と評 ひょう した。また、ある男 おとこ がコーラにマロングラッセ 一 いち 箱 はこ をプレゼントしたところ、そのマロングラッセの包 つつ み紙 し がすべて1,000フラン紙幣 しへい だったというエピソードも残 のこ る。またアイルランドの大 だい 地主 じぬし ジェイムズ・ウェルプリーが貢 みつ いだ全 ぜん 財産 ざいさん 200万 まん フランをコーラはわずか8週間 しゅうかん で浪費 ろうひ してしまったという。
彼女 かのじょ のファッションは、第 だい 二 に 帝政 ていせい 期 き の上流 じょうりゅう 貴婦人 きふじん らに影響 えいきょう を与 あた え、ドレス・髪型 かみがた ・乗馬 じょうば 服 ふく など、彼女 かのじょ を追従 ついしょう する女性 じょせい も多 おお かったという。ギュスターヴ・クローダンによれば、コーラ・パールは「フランスに近代 きんだい 的 てき なメイクを紹介 しょうかい した最初 さいしょ の女性 じょせい 」であり、ロンドンから取 と り寄 よ せた化粧 けしょう 品 ひん を惜 お しげもなく使 つか った。まつげや目 め の周 まわ りにペイントを加 くわ えるアイシャドー 、TPOによる髪 かみ の毛 け の染 そ め分 わ け、白 しろ い肌 はだ を至上 しじょう の価値 かち とする時代 じだい にもかかわらず肌 はだ を小麦色 こむぎいろ に焼 や くことなど、当時 とうじ の貴婦人 きふじん らの常識 じょうしき に反 はん する(そして現在 げんざい に通 つう ずる)斬新 ざんしん なメイクは、下品 げひん ・やりすぎという強 つよ い批判 ひはん を受 う けると同時 どうじ に、大 おお きなセンセーションも巻 ま き起 お こしたという。彼女 かのじょ と同 おな じように他国 たこく から来 き た娼婦 しょうふ が、懸命 けんめい にパリジェンヌになろうと努力 どりょく したのに対 たい し、あくまで自然体 しぜんたい に振 ふ る舞 ま ったコーラは、普通 ふつう の美女 びじょ に食傷 しょくしょう していたパリの紳士 しんし の心 しん を捕 と らえた。ピエール・ド・ラノーは『第 だい 二 に 帝政 ていせい 下 か のパリの愛 あい 』で「コーラ・パールはその頃 ころ の高級 こうきゅう 娼婦 しょうふ とは少 すこ しも似 に ていなかった。娼婦 しょうふ が身 み につけるべき完璧 かんぺき な口調 くちょう や矯正 きょうせい を軽蔑 けいべつ し、あるがままに振 ふ る舞 ま ったのである」と述 の べている。英語 えいご なまりのフランス語 ふらんすご も、男性 だんせい 達 たち には魅力 みりょく 的 てき に感 かん じられ「気兼 きが ねしないマドモワゼル(Mademoiselle Sans Gêne)」というあだ名 な がつけられた。
英国 えいこく の文芸 ぶんげい 批評 ひひょう 家 か ウィリアム・フィールドは以下 いか のような逸話 いつわ を伝 つた える。ロシア 出身 しゅっしん のパウロ・ドゥミドフ 大公 たいこう は、コーラ・パールを困 こま らせようと、レストラン「メゾン・ドール」で帽子 ぼうし を脱 ぬ がなかった。彼女 かのじょ は大公 たいこう のステッキを奪 うば うや、彼 かれ の頭 あたま を叩 たた きつけたあげく「ごめんなさい。このステッキとても綺麗 きれい だったのに壊 こわ れてしまったわ」と平然 へいぜん と述 の べたという。大公 たいこう は驚 おどろ くと同時 どうじ にやり込 こ めてやろうと、コーラのネックレス の真珠 しんじゅ が偽物 にせもの であると主張 しゅちょう すると、コーラはいきなりそのネックレスを床 ゆか に投 な げつける。飛 と び散 ち った真珠 しんじゅ を指 さ して「さあ、拾 ひろ い集 あつ めて本物 ほんもの であることを確 たし かめなさい。あなたのネクタイピン 用 よう に一 ひと つ差 さ し上 あ げるわ」とい捨 いす てて去 さ った。大公 たいこう は茫然 ぼうぜん 自失 じしつ のままだったが、レストランで食事 しょくじ をしていた他 ほか の貴族 きぞく たちは、腹 はら ばいになって真珠 しんじゅ をかき集 あつ めたという。
コーラの気性 きしょう は激 はげ しく、女性 じょせい としては珍 めずら しい決闘 けっとう 経験 けいけん 者 しゃ でもある。1863年 ねん にはセルビア 王子 おうじ の容貌 ようぼう をめぐって別 べつ の娼婦 しょうふ マルト・ド・ヴェールと口論 こうろん になった。二人 ふたり とも乗馬 じょうば に自信 じしん を持 も っていたため、乗馬 じょうば 用 よう の鞭 むち を武器 ぶき として決闘 けっとう することになった。双方 そうほう とも顔 かお に多 おお くの傷 きず を受 う け、一 いち 週間 しゅうかん は人前 ひとまえ に出 で られないほどだったという。
彼女 かのじょ は後援 こうえん 者 しゃ からの経済 けいざい 的 てき 支援 しえん に恩義 おんぎ を謝 しゃ するどころか、ほとんど罵倒 ばとう と侮辱 ぶじょく をもって返答 へんとう した。しかし彼女 かのじょ にとっては自然体 しぜんたい でしかないその異常 いじょう な言動 げんどう は、フランス社交 しゃこう 界 かい の男 おとこ 達 たち の間 あいだ で逆 ぎゃく に喝采 かっさい を浴 あ びることになる。女王 じょおう 然 しか と振 ふ る舞 ま ったコーラ・パールに、ナポレオン公 こう はおろか皇帝 こうてい ナポレオン3世 せい すら頭 あたま を垂 しだ れて思 おぼ し召 め しを伺 うかが ったという。ラノーは「彼女 かのじょ は洗練 せんれん されていない本能 ほんのう の粗暴 そぼう さゆえに、また自分 じぶん が奉仕 ほうし している男 おとこ 達 たち への復讐 ふくしゅう のために、閨 ねや 房 ぼう でも彼 かれ らを蔑 さげす み、侮辱 ぶじょく し、行為 こうい の最中 さいちゅう も男 おとこ 達 たち を跪 ひざまず かせてその快楽 かいらく を楽 たの しんだ」と述 の べており、ミュファ伯爵 はくしゃく をなぶりものにする『ナナ』と同様 どうよう である。
しかし彼女 かのじょ は女王 じょおう 扱 あつか いされたとしても、まだ満足 まんぞく できず、女優 じょゆう としての道 みち も諦 あきら めていなかった。1866年 ねん には以前 いぜん の失敗 しっぱい にも懲 こ りずに再 ふたた び舞台 ぶたい に立 た つ。オッフェンバックの『地獄 じごく のオルフェ(天国 てんごく と地獄 じごく )』のウェヌス役 やく を演 えん じ、ほとんど全裸 ぜんら に近 ちか い格好 かっこう で舞台 ぶたい に立 た ったのである。しかしその下品 げひん な振 ふ る舞 ま いや声質 せいしつ の悪 わる さは、閨 ねや 房 ぼう における上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の男性 だんせい とは違 ちが い、全 まった く受 う け入 い れられず、無残 むざん な結果 けっか に終 お わり、彼女 かのじょ を失望 しつぼう させた。娼婦 しょうふ をへて舞台 ぶたい 女優 じょゆう となり、上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の男 おとこ たちをすさまじい浪費 ろうひ で次々 つぎつぎ に破滅 はめつ させてゆく姿 すがた は、まさに『ナナ』そのものであった。
華麗 かれい な男性 だんせい 遍歴 へんれき [ 編集 へんしゅう ]
コーラは、オラニエ公 こう ウィレム(en 、オランダ王 おう ウィレム3世 せい の王 おう 太子 たいし )、アシル・ミュラ(ジョアシャン・ミュラの孫 まご )など、上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の錚々たる面々 めんめん の愛人 あいじん となった。ミュラ公 こう は彼女 かのじょ に馬 うま をプレゼントし続 つづ けた。彼女 かのじょ の自慢 じまん の厩舎 きゅうしゃ には1863年 ねん から68年 ねん まで、乗馬 じょうば 用 よう ・馬車 ばしゃ 用 よう をあわせて60頭 とう 以上 いじょう の馬 うま がおり、英国 えいこく 人 じん の厩 うまや 務 つとむ 員 いん を大勢 おおぜい 雇 やと って、すべての職員 しょくいん に黄色 おうしょく の制服 せいふく を着用 ちゃくよう させたという。その後 ご 、戦争 せんそう に突入 とつにゅう すると厩舎 きゅうしゃ を病院 びょういん に改築 かいちく したといわれている。
彼女 かのじょ と関係 かんけい を結 むす んだ男 おとこ 達 たち の中 なか でも「背 せ が高 たか くハンサムな方 ほう の皇帝 こうてい 」と史家 しか に書 か かれるほどの色男 いろおとこ モルニ公 こう (皇帝 こうてい ナポレオン3世 せい の異父 いふ 弟 おとうと )は、飽 あ くことなき色欲 しきよく ・物欲 ぶつよく を持 も つ彼女 かのじょ にとって、最 もっと も知的 ちてき かつ高貴 こうき な愛人 あいじん だった。1864年 ねん 、彼女 かのじょ は皇 すめらぎ 弟 おとうと の愛人 あいじん という重要 じゅうよう な地位 ちい に見合 みあ うように、オルレアン 郊外 こうがい のロワレ川 がわ に立 た つボーゼジュール館 かん を与 あた えられ、そこでささやかな幸運 こううん の日々 ひび を送 おく る。しかしモルニ公 こう は1865年 ねん に早世 そうせい してしまう。臨終 りんじゅう に立 た ち会 あ った友人 ゆうじん は、後難 こうなん を恐 おそ れてコーラから公爵 こうしゃく に宛 あ てたラブレターをすべてトイレに流 なが したという。
だがその数 すう 年 ねん 後 ご には、コーラはナポレオン公 こう (皇帝 こうてい ナポレオン3世 せい の従兄弟 いとこ 。通称 つうしょう プロン・プロン)の愛人 あいじん となっていた。公 おおやけ はコーラのために、パリにさらに2軒 けん の家 いえ を建 た ててやり、第 だい 二 に 帝政 ていせい 崩壊 ほうかい 後 ご の1874年 ねん まで財政 ざいせい 的 てき な補助 ほじょ をしている。彼女 かのじょ はナポレオン公 こう から月額 げつがく 12,000フランを支給 しきゅう されたうえ、シェロー街 がい 101番地 ばんち の邸宅 ていたく は宮殿 きゅうでん のようであり「プチ・テュイルリー 」とまで呼 よ ばれたという。ナポレオン公 こう がプレゼントした荷馬 にうま 車 しゃ 一 いち 杯 はい の蘭 らん の花 はな をすべて床 ゆか にぶちまけ、水夫 すいふ の服装 ふくそう に着替 きが えて蘭 らん を踏 ふ みつけながらダンスを踊 おど ったという逸話 いつわ も残 のこ る。
醜聞 しゅうぶん から没落 ぼつらく へ[ 編集 へんしゅう ]
彼女 かのじょ は莫大 ばくだい な財産 ざいさん を稼 かせ ぎ、1860年代 ねんだい 後半 こうはん にはいくつもの家 いえ や厩舎 きゅうしゃ を所有 しょゆう し、最 さい 高級 こうきゅう の衣装 いしょう 部屋 へや や贅沢 ぜいたく きわまりない宝石 ほうせき に囲 かこ まれていた。英国 えいこく の口座 こうざ には、パリの店 みせ から取 と り寄 よ せた下着 したぎ に対 たい して18,000ポンド以上 いじょう もの額 がく をつけた請求 せいきゅう 書 しょ が記録 きろく されている。
コーラが彼女 かのじょ なりの生活 せいかつ を楽 たの しんでいくためには、大金 たいきん を惜 お しまぬ愛人 あいじん を必要 ひつよう とした。男 おとこ 達 たち は大枚 たいまい をはたく故 ゆえ に彼女 かのじょ を独占 どくせん しようと試 こころ みる。アレクサンドル・デュヴァルという名 な の20代 だい の若 わか い裕福 ゆうふく な男 おとこ もまた、37歳 さい のコーラを自分 じぶん だけのものにしようとい寄 いよ り、彼女 かのじょ を辟易 へきえき させていた。コーラはデュヴァルと何 なん 度 ど も手 て を切 き ろうとしたが失敗 しっぱい 。デュヴァルはコーラのために大金 たいきん を費 つい やしてきたにもかかわらず、他 た の男 おとこ とコーラがくっついたと聞 き いて嫉妬 しっと に狂 くる った。コーラが関係 かんけい を終 お わらせようとデュヴァルに最終 さいしゅう 宣告 せんこく すると、デュヴァルは1872年 ねん 12月19日 にち 、彼女 かのじょ の屋敷 やしき にやってきて玄関 げんかん 先 さき でピストル自殺 じさつ をはかるという事件 じけん を起 お こした(このときピストルが暴発 ぼうはつ し、デュヴァルは死亡 しぼう には至 いた らなかったものの、重傷 じゅうしょう を負 お った)。しかし文字通 もじどお り命 いのち を懸 か けたこの決死 けっし の行為 こうい に対 たい しても、コーラは誰 だれ の助 たす けも医者 いしゃ も呼 よ ぶこともせず、何事 なにごと もなかったかのように自室 じしつ に戻 もど り、眠 ねむ りについたのである。しかしこの事件 じけん の噂 うわさ は瞬 またた く間 ま に広 ひろ まり、彼女 かのじょ の女優 じょゆう としてのキャリアは突如 とつじょ 終幕 しゅうまく を迎 むか えることになった。コーラは気分 きぶん 転換 てんかん と局面 きょくめん 打開 だかい を兼 か ねて、逃 に げるようにロンドンに渡 わた ったが、例 れい の噂 うわさ はそれよりも早 はや く英国 えいこく に上陸 じょうりく しており、彼女 かのじょ の身 み の置 お き所 しょ はすでになかった。一方 いっぽう 、同年 どうねん 12月26日 にち のフィガロ紙 し には「共和 きょうわ 国 こく となったフランスから2人 にん の大物 おおもの が去 さ った。ナポレオン公 こう とコーラ・パールである」と報 ほう じている。
ロンドンで高級 こうきゅう 娼婦 しょうふ を続 つづ けようとしていたコーラの企 たくら みは失敗 しっぱい に終 お わり、わずかの金持 かねも ちが彼女 かのじょ に興味 きょうみ を示 しめ しただけだった。その後 ご 彼女 かのじょ はモンテカルロ 、ニース 、ミラノ をさまよったが、再 ふたた びパリに戻 もど ると、状況 じょうきょう の変化 へんか に愕然 がくぜん とする。もはや過去 かこ の取 と り巻 ま き連中 れんちゅう はとっくに去 さ っており、富 とみ のない男性 だんせい が彼女 かのじょ に声 こえ をかけるのみだった。
それでも若年 じゃくねん の頃 ころ からのギャンブル癖 へき は直 なお っていない。そもそも彼女 かのじょ にはカジノ や店 みせ から即時 そくじ の支払 しはら いを要求 ようきゅう される事態 じたい に直面 ちょくめん することを想像 そうぞう する能力 のうりょく が欠 か けていた。しかしもはや勘定 かんじょう を肩代 かたが わりしてくれる支援 しえん 者 しゃ はいなかった。自暴自棄 じぼうじき になったコーラは1876年 ねん 以降 いこう 、財産 ざいさん を切 き り売 う りして借金 しゃっきん の返済 へんさい に充 あ てる一方 いっぽう 、時折 ときおり 街角 まちかど に出 で て売春 ばいしゅん 婦 ふ に戻 もど るような生活 せいかつ となった。それでもコーラは借金 しゃっきん がかさむのを気 き にもせず、比較的 ひかくてき 快適 かいてき な暮 く らしを10年 ねん ほど続 つづ けていた。1886年 ねん 春 はる には『コーラ・パール自伝 じでん 』がフランス語 ふらんすご で出版 しゅっぱん された[20] 。同年 どうねん 、パリ16区 く のバッサノ街 がい (Rue de Bassano ) 8番地 ばんち 建物 たてもの 2階 かい の自室 じしつ で大腸 だいちょう 癌 がん により死去 しきょ した[21] 。死去 しきょ した時 とき に埋葬 まいそう するための毛布 もうふ を隣人 りんじん に借 か りなければならなかったという話 はなし も残 のこ る[22] 。訃報 ふほう はロンドン・パリの各 かく 新聞 しんぶん で報 ほう じられ、亡 な くなった時 とき の所有 しょゆう 財産 ざいさん は、同年 どうねん 10月 がつ に売却 ばいきゃく ・整理 せいり された。第 だい 二 に 帝政 ていせい 期 き を奔放 ほんぽう に生 い きた娼婦 しょうふ コーラ・パールは今 いま も、バティニョールの共同 きょうどう 墓地 ぼち 4列 れつ 10番 ばん に、墓石 はかいし もないまま葬 ほうむ られている。
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^ 1983年 ねん にGrand Horizontal: The Erotic Memoirs of a Passionate Lady の書名 しょめい で復刻 ふっこく したウィリアム・ブラッチフォードによれば、あまりに退屈 たいくつ な本 ほん なので100年間 ねんかん フランス語 ふらんすご でも英語 えいご でも再版 さいはん されなかったという。
^ パリ19区 く にあるパリ市立 しりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん の戸籍 こせき -死亡 しぼう 証明 しょうめい 書 しょ 番号 ばんごう 750 (Archives de Paris : État civil - Acte de décès no 750. Cote du Registre : V4E 7324. Archives de Paris, 18 boulevard Sérurier, 75019 Paris.)
^ 但 ただ しHoldenによれば、彼女 かのじょ が極貧 ごくひん の中 なか 薄汚 うすぎたな い一室 いっしつ で、人生 じんせい の最後 さいご の日々 ひび を過 す ごしたなどというよく見 み られる表現 ひょうげん には、かなり誇張 こちょう が入 はい っているという。
Holden, W.H., (1950) The pearl from Plymouth , British Technical and General Press NCID BA04246855
Frayser, Suzanne G. & Whitby, Thomas J. (1995) Studies in Human Sexuality: a Selected Guide , Libraries Unlimited ISBN 1563081318
Hickman, Katie (2003). Courtesans: Money, Sex, and Fame in the Nineteenth Century . New York: HarperCollins. ISBN 0-9657930-8-7
Rounding, Virginia (2003). Les Grandes Horizontales: The Lives and Legends of Four Nineteenth-Century Courtesans . London: Bloomsbury. ISBN 0-7475-6221-0
Pearl, Cora (1983). Blatchford, William. ed. Memoirs of Cora Pearl . Granada. ISBN 978-0246119155 . https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003145945-00
Pearl, Cora (1983). Blatchford, William. ed. Grand Horizontal: The Erotic Memoirs of a Passionate Lady . Stein and Day. ISBN 978-0812829174 . https://books.google.co.jp/books?id=7O-0AAAACAAJ&redir_esc=y
Tannahill, Reay (1982). Sex in History . Scarborough House ISBN 0-8128-8540-6
山田 やまだ 勝 まさる 『ドゥミモンデーヌ パリ・裏 うら 社交 しゃこう 界 かい の女 おんな たち』(早川書房 はやかわしょぼう 〈ハヤカワ文庫 ぶんこ 〉、1994年 ねん )。ISBN 978-4150501808 。
鹿島 かしま 茂 しげる 『怪 かい 帝 みかど ナポレオン三 さん 世 せい 第 だい 二 に 帝政 ていせい 全 ぜん 史 し 』(講談社 こうだんしゃ 〈講談社 こうだんしゃ 学術 がくじゅつ 文庫 ぶんこ 〉、2010年 ねん )。ISBN 978-4062920179 。