シェラ (モロッコ)

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サラ・コロニアから転送てんそう
シェラ
Chellah
شالة
所在地しょざいちモロッコの旗 モロッコラバト
座標ざひょう北緯ほくい340ふん24びょう 西経せいけい649ふん13びょう / 北緯ほくい34.00667 西経せいけい6.82028 / 34.00667; -6.82028座標ざひょう: 北緯ほくい340ふん24びょう 西経せいけい649ふん13びょう / 北緯ほくい34.00667 西経せいけい6.82028 / 34.00667; -6.82028
形成けいせい紀元前きげんぜん7世紀せいき - 紀元前きげんぜん5世紀せいき[1]
建設けんせつ1世紀せいき(サラ・コロニア)
13世紀せいき(シェラ)
登録とうろくめい: 近代きんだいてき首都しゅと歴史れきしてき都市としをあわせもつ遺産いさんラバト
区分くぶん文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく2012ねん
シェラ (モロッコ)の位置(ラバト内)
シェラ (モロッコ)
ラバトにおけるシェラ
Chellah
شالةの位置いち
シェラ (モロッコ)の位置(モロッコ内)
シェラ (モロッコ)
シェラ (モロッコ) (モロッコ)

シェラ(フランス語ふらんすご: Chellah, アラビア: شالة‎)は、モロッコ首都しゅとラバトにある、古代こだいローマ時代じだいマリーンあさ時代じだい遺跡いせき2012ねんに「近代きんだいてき首都しゅと歴史れきしてき都市としをあわせもつ遺産いさんラバト」として世界せかい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされた。別称べっしょうサラ・コロニア

概要がいよう[編集へんしゅう]

ラバト東部とうぶから北部ほくぶながれるアブールグルグがわ英語えいごばん左岸さがん立地りっちする。

シェラ遺跡いせきは1世紀せいきごろ古代こだいローマ時代じだい遺跡いせきうえに13世紀せいきまつごろのマリーンあさ時代じだい墓地ぼちがあり、2つのことなる時代じだい遺跡いせき混在こんざいしている遺跡いせきである。遺跡いせきはマリーンあさ時代じだい城壁じょうへきによってかこまれている[1]現在げんざい、シェラ遺跡いせき考古学こうこがく公園こうえんとして一般いっぱん公開こうかいされている。また、発掘はっくつひんはラバトの考古学こうこがく博物館はくぶつかん英語えいごばん展示てんじされている[2]

また、シェラはラバトに隣接りんせつするサレ名前なまえ由来ゆらいにもなっている[3]

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだいローマ時代じだい遺跡いせき

1世紀せいき、ローマじんによってサラ・コロニアとばれていたまち形成けいせいされる。サラ・コロニアは主要しゅようみなととしてさかえ、商業しょうぎょう中心ちゅうしんとなった。発掘はっくつ調査ちょうさからサラ・コロニアには寺院じいんバシリカフォルムみんかいなどがあったことが判明はんめいしている[1][4]。4世紀せいきごろまでローマぐん駐在ちゅうざいしていた[5]その衰退すいたい

14世紀せいき建設けんせつされた城壁じょうへきもん
マリーンあさ時代じだい建設けんせつされたミナレット

1284ねん、マリーンあさの6だい君主くんしゅアブー・ユースフ・ヤアクーブつま墓所はかしょをこの遺跡いせき建設けんせつ[5]。その1286ねんかれ死後しごおな場所ばしょ埋葬まいそうされる。1339ねんにマリーンあさ11だい君主くんしゅアブー・アルハサン・アリーによって城壁じょうへきやモスクなどが建設けんせつされる。
1755ねんリスボン地震じしんによってシェラはおおきな損傷そんしょう放棄ほうきされる[1][4]

2012ねん、「近代きんだいてき首都しゅと歴史れきしてき都市としをあわせもつ遺産いさんラバト」として世界せかい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされた[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e LE SITE ARCHÉOLOGIQUE DU CHELLAH” (フランス語ふらんすご). ラバト文化ぶんか遺産いさん保護ほご財団ざいだん. 2024ねん6がつ18にち閲覧えつらん
  2. ^ Chellah aujourd'hui” (フランス語ふらんすご). Témoins d'archéologie Africaine. 2024ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ Chellah” (フランス語ふらんすご). doria l'exploratrice. 2024ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ a b CHELLAH,MOROCCO 3RD C. BC - 16TH. AD(Wayback machine、2005ねん9がつ8にち) - http://www.globalheritagefund.org/sites/emea/africa/africa.html[リンク]
  5. ^ a b Chellah dans l'histoire” (フランス語ふらんすご). Témoins d'archéologie Africaine. 2024ねん6がつ19にち閲覧えつらん