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シモン・マリウス

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Simon Marius

シモン・マリウスラテン語らてんごめい:Simon Marius、1573ねん1がつ10日とおか - 1624ねん12月26にち)は、ドイツ天文学てんもんがくしゃ医師いし。ドイツめいジーモン・マイヤー(Simon Mayer)、または「グンツェンハウゼンのマイヤー」(Mayer von Gunzenhausen)ともいう。ガリレオ独立どくりつして木星もくせいの4つの衛星えいせい発見はっけんしたと主張しゅちょうしていた。

ブランデンブルク=アンスバッハ辺境へんきょうはくりょうのグンツェンハウゼン[1]出身しゅっしん1596ねん彗星すいせい観測かんそくし、同地どうち主任しゅにんすう学者がくしゃになった。1605ねんころまでパドヴァ大学だいがく医学いがくまなんだ。

1610ねんガリレオとどう時期じき望遠鏡ぼうえんきょう木星もくせい観測かんそくした。1614ねんマリウスは『De Mundo Joviali』(木星もくせい世界せかいについて)[2]あらわし、そのなかでガリレオよりも数日すうじつはや木星もくせい主要しゅような4つの衛星えいせい発見はっけんしたと主張しゅちょうした。これがガリレオとの論争ろんそうとなった。マリウスは同書どうしょにおいて1609ねんの11月まつから木星もくせい衛星えいせい観測かんそく開始かいししたと主張しゅちょうしていたが、観測かんそく記録きろく日付ひづけは12月29にちからはじまっている。今日きょうでは、マリウスはユリウスれき使用しようしたとかんがえられており、これをグレゴリオれき換算かんさんすると翌年よくねんの1がつ8にちになる。そのため、ガリレオがさき発見はっけんし、その数日すうじつにマリウスが独立どくりつして発見はっけんしたとされている。

木星もくせいガリレオ衛星えいせい名前なまえは、マリウスがあたえたものである。木星もくせいユピテルギリシア神話しんわのゼウス)にはべっていることから、ギリシア神話しんわからとったゼウスの愛人あいじんたちの名前なまえけられた。

そのに、1612ねんアンドロメダ銀河ぎんが観測かんそくしたことでもられる。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 現在げんざいバイエルン自由じゆうしゅうミッテルフランケン行政ぎょうせい管区かんくヴァイセンブルク=グンツェンハウゼンぐん
  2. ^ 正式せいしき名称めいしょう Mundus Iovialis anno M.DC.IX. Detectus Ope Perspicilli Belgici

外部がいぶリンク

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