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ジェームズ・シンプソン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Sir James Young Simpson
ジェームズ・ヤング・シンプソン
生誕せいたん 1811ねん6月7にち
バスゲイト、ウェスト・ロージアンスコットランド
死没しぼつ 1870ねん5月6にち
冠動脈かんどうみゃく血栓けっせんしょう
研究けんきゅう分野ぶんや 産科さんかがく麻酔ますい科学かがく産科さんか麻酔ますい科学かがく
出身しゅっしんこう エディンバラ大学だいがく
おも業績ぎょうせき クロロホルムによる無痛むつう分娩ぶんべん、シンプソン鉗子敗血症はいけつしょう予防よぼう
影響えいきょう
けた人物じんぶつ
ジョン・トムソン、デイビッド・ウォルディ
おも受賞じゅしょうれき モンティヨンしょう
プロジェクト:人物じんぶつでん
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シンプソンの実験じっけんえがいた挿絵さしえ

ジェームズ・ヤング・シンプソン(Sir James Young Simpson、1811ねん6月7にち - 1870ねん5月6にち)は、スコットランド産科さんかである。クロロホルムによる麻酔ますい医学いがくへの応用おうようはじめてったことでられる。ウェスト・ロージアンのバスゲイト出身しゅっしん。14さいエディンバラ大学だいがく入学にゅうがくし、ロバート・リストン師事しじする。19さい医師いし資格しかくり、1832ねん大学だいがく卒業そつぎょう、エディンバラ大学だいがく産科さんか教授きょうじゅ就任しゅうにん。1847ねんヴィクトリア女王じょおうのスコットランドでの侍医じいにんじられ、1856ねんにはフランス科学かがくアカデミーからモンティヨンしょうを、1886ねんにはじゅん男爵だんしゃく称号しょうごう授与じゅよされた[1]。エディンバラ大学だいがく医科いか産科さんか教授きょうじゅとして産科さんか鉗子の改善かいぜん敗血症はいけつしょう予防よぼうにも貢献こうけんした。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

実家じっかまずしいパンで、両親りょうしんはやくにうしなったが、あにサンディとあねメアリーにささえられ、エディンバラ大学だいがく入学にゅうがく、1932ねんにM.D.の称号しょうごう[2]。8にん兄弟きょうだいすえだったが14さい入学にゅうがくし、ラテン語らてんごギリシア数学すうがく哲学てつがくまなんでいる[3]学生がくせい時代じだい麻酔ますいしの手術しゅじゅつ目撃もくげきし、いち医学いがくみちあきらめるが、ジョン・トムソン助手じょしゅをしていたとき、産科さんかすすめられ、異例いれいわかさで講座こうざ担当たんとうするようになった[2]

外科げか手術しゅじゅつなどへの全身ぜんしん麻酔ますい技術ぎじゅつとしては、18世紀せいきまつハンフリー・デービー笑気しょうきガス(酸化さんか窒素ちっそ)に麻酔ますい作用さようのあることをしめし、1804ねん日本にっぽんはなおかあおしゅうチョウセンアサガオなどの生薬きぐすりによる麻酔ますい使つかった外科げか手術しゅじゅつ成功せいこうしている。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくクロウフォード・ロングウィリアム・T・G・モートンがエーテルによる麻酔ますいほう開発かいはつし、1846ねん公開こうかい実験じっけん成功せいこうしたが、エーテル気管支きかんし刺激しげきするなどの副作用ふくさようがあった。

モートンは1846ねん10がつ16にちにエーテルによる麻酔ますい成功せいこうしており、シンプソンは1847ねん1がつ19にちにエーテルを使用しようした出産しゅっさん成功せいこうしたが[4]、もっといいものがないかと、助手じょしゅ2にんとも自宅じたく様々さまざまなガスをためすことに熱中ねっちゅうし、おとなりジェームズ・ミラー英語えいごばん教授きょうじゅは、毎朝まいあさみんながきているかっていたという[2]1831ねんころ、アメリカ、フランス、ドイツで次々つぎつぎ発見はっけんされたクロロホルムのことをっていたリンリスゴー出身しゅっしんのデイビッド・ウォルディは、シンプソンにこれをすすめ、1847ねん11月4にち、シンプソンらはその効果こうか確認かくにんした[5]。ウォルディは、シンプソンにクロロホルムを提供ていきょうする約束やくそくをしたもののたせなかったという[6][7]。そのため、シンプソンはエジンバラのダンカンとフロックハートから調達ちょうたつしており[6]、シンプソンのめいにもためしている[8]

ミラー教授きょうじゅうで手術しゅじゅつをするさい、シンプソンがクロロホルムで麻酔ますいをかけて成功せいこうすると、すぐに産科さんかれ、はじめてクロロホルム麻酔ますいまれたむすめは、「Anaesthesia(麻酔ますい)」と名付なづけられ、シンプソンは彼女かのじょ守護しゅご聖人せいじんんだという[9]。11月10にち、シンプソンは早速さっそくクロロホルムの麻酔ますい効果こうかについて学会がっかい発表はっぴょうした[9]

またげんたまひけるはわがだいなんじふところ姙の劬勞をすべしなんじにがみて
きゅう新約しんやく聖書せいしょ』より、『旧約きゅうやく聖書せいしょ創世そうせい3.16

12月10にち学会がっかい発表はっぴょうでは50の成功せいこうれいげたが、道徳どうとくてきにも宗教しゅうきょうてきにも、そしてどう業者ぎょうしゃからも非難ひなんけた[4]保守ほしゅてきロンドン医学いがくかい反発はんぱつつよ[1]、クロロホルムによる死亡しぼうれいえるにつれ、安全あんぜんせい疑問ぎもんされるようになったが、ジョン・スノーによって投与とうよりょう厳密げんみつ管理かんりされるようになると[9]1853ねん4がつ7にち、ヴィクトリア女王じょおう出産しゅっさん使用しようされたことで反対はんたい運動うんどう下火したびとなり、さらカンタベリーだい主教しゅきょうむすめ出産しゅっさんにも利用りようされたことで、宗教しゅうきょうかいからの反発はんぱつ収束しゅうそくしたものの、ロンドンでみとめられたのは、実績じっせき慎重しんちょう見極みきわめた1867ねんになってからであった[10]

クロロホルム麻酔ますい使用しようれいえるにつれ、しん停止ていしによる死亡しぼう事故じこれい報告ほうこくされるようになった。つめ手術しゅじゅつけた少女しょうじょにシンプソンがクロロホルムを投与とうよ死亡しぼう事故じこきたさい、クロロホルムが死亡しぼう原因げんいんとして指摘してきされたが、シンプソンは自分じぶん自身じしん安全あんぜんせい証明しょうめいみとして指摘してき退しりぞけた[11]。しかし、調査ちょうさによってエーテルにくらべてクロロホルムを使用しようした手術しゅじゅつ死亡しぼうりつが4.5ばいたかことあきらかになると、麻酔ますいやくはエーテルや笑気しょうきガスに回帰かいきしていった。シンプソンはクロロホルム支持しじ立場たちばかたくなに維持いじしたが、あたらしい麻酔ますいざい発見はっけんするための自己じこ実験じっけんおこなつづけて健康けんこうそこない、1870ねん死亡しぼうした[12]死因しいん冠動脈かんどうみゃく血栓けっせんしょう、59さいだったが、クロロホルム麻酔ますい以外いがいにも、ホメオパシーホスピタリズムなどに興味きょうみち、消毒しょうどくには反対はんたいしていたが、敗血症はいけつしょう予防よぼうのため、結紮けっさつ絹糸けんし使用しようしないようびかけた[13]産科さんかとして、シンプソン鉗子考案こうあん[14]吸引きゅういん分娩ぶんべん概念がいねんかんがした[15]

クロロホルムは現在げんざい麻酔ますいやくとして使用しようされなくなっている。医療いりょう目的もくてきでのクロロホルムの使用しよう原因げんいんとして、10まんにん以上いじょう死亡しぼうしたと推定すいていされている[12]


出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Waserman 1980, p. 158.
  2. ^ a b c Guthrie 1947, p. 701.
  3. ^ Donald 1977, p. 555.
  4. ^ a b Donald 1977, p. 556.
  5. ^ Guthrie 1947, pp. 701–702.
  6. ^ a b BMJ 1912, p. 1861.
  7. ^ AGNEW 1960, pp. 422–423.
  8. ^ H. Laing Gordon, Sir James Young Simpson and Chloroform CHAPTER VI http://www.gutenberg.org/ebooks/34128 https://books.google.co.jp/books?id=pYer05UwKBYC&redir_esc=y&hl=ja
  9. ^ a b c Guthrie 1947, p. 702.
  10. ^ Waserman 1980, p. 161.
  11. ^ ノートン 2016, p. 52.
  12. ^ a b ノートン 2016, p. 53.
  13. ^ Guthrie 1947, p. 703.
  14. ^ Speert 1957, p. 744.
  15. ^ Donald 1977, p. 557.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • “The Discovery Of Chloroform”. The British Medical Journal (BMJ) 2 (2711): 1681-1682. (1912). JSTOR 25299726. 
  • AGNEW, L. R. C. (1960). “Waldie versus Simpson”. Journal of the History of Medicine and Allied Sciences (Oxford University Press) 15 (4): 420-433. JSTOR 24620749. 
  • Donald, Ian (1977). “Superfecundity: Simpson Oration: His Problem And Ours”. The British Medical Journal (BMJ) 1 (6060): 555-560. JSTOR 20413448. 
  • Guthrie, Douglas (1947). “Centenary Of Chloroform Anaesthesia”. The British Medical Journal (BMJ) 2 (4530): 701-703. JSTOR 25361239. 
  • Speert, Harold (1957). “OBSTETRICAL-GYNAECOLOGICAL EPONYMS: JAMES YOUNG SIMPSON AND HIS OBSTETRIC FORCEPS”. BJOG (Royal College of Obstetricians and Gynaecologists) 64 (5): 744-749. doi:10.1111/j.1471-0528.1957.tb08472.x. 
  • Waserman, Manfred (1980). “Sir James Y Simpson And London's "Conservative And So Curiously Prejudiced" Dr Ramsbotham”. The British Medical Journal (BMJ) 280 (6208): 158-161. JSTOR 25438475. 
  • ノートン, トレヴァー ちょ赤根あかね洋子ようこ わけにも奇妙きみょう人体じんたい実験じっけん歴史れきし文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2016ねんISBN 9784167907396 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • ロバート・リストン - イギリス最初さいしょ麻酔ますい手術しゅじゅつ執刀しっとうしゃ