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ジョージ・エドワード・コケイン

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ジョージ・エドワード・コケイン

書斎しょさいにて執筆しっぴつちゅうのコケイン。1900ねん
生誕せいたん ジョージ・エドワード・アダムズ
(1825-04-29) 1825ねん4がつ29にち
ロンドンラッセル・スクウェア
死没しぼつ 1911ねん8がつ6にち(1911-08-06)(86さいぼつ
サリーしゅうローハンプトン英語えいごばん
国籍こくせき イギリス
出身しゅっしんこう オックスフォおっくすふぉド大学どだいがくエクセター・カレッジ
職業しょくぎょう 系譜けいふ学者がくしゃ紋章もんしょうかん
著名ちょめい実績じっせき完全かんぜん貴族きぞく名鑑めいかん』の執筆しっぴつ
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ジョージ・エドワード・コケイン英語えいご: George Edward Cokayne FSA、1825ねん4がつ29にち - 1911ねん8がつ6にち)はイギリス系譜けいふ学者がくしゃ紋章もんしょういんづけ紋章もんしょうかんクラレンス統括とうかつ紋章もんしょうかん英語えいごばん。『完全かんぜん貴族きぞく名鑑めいかん』や『完全かんぜんじゅん男爵だんしゃく名鑑めいかん』の執筆しっぴつがけた。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

コケインの紋章もんしょう

ウィリアム・アダムズ(William Adams、1771/2ねん1がつ13にち - 1851ねん6がつ11にち[1])とメアリー・アン・コケイン(Mary Anne Cokayne、1781ねん12月11にち - 1873ねん6がつ16にちだい5だいカレン子爵ししゃく孫娘まごむすめ[1])との長男ちょうなんとしてロンドンラッセル・スクウェアまれた[2][3]出生しゅっしょう当時とうじは「ジョージ・エドワード・アダムス」であったが、はは要望ようぼうにより1873ねん勅許ちょっきょて、母方ははかたせい『コケイン(Cokayne)』に改姓かいせいしている[2][3]

オックスフォおっくすふぉド大学どだいがくエクセター・カレッジまなんで、1848ねん学士がくし、ついで1852ねんには修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょうした[3]。あわせて1850ねんリンカーン法曹ほうそういん就学しゅうがくして、1853ねん法曹ほうそう資格しかくている[3]

卒業そつぎょう紋章もんしょうかんとしてのみちえらび、1859ねん紋章もんしょういんはいった。同年どうねんルージュ・ドラゴン紋章もんしょうかん英語えいごばんいたのち、1870ねんランカスター紋章もんしょうかん英語えいごばんすすんだ。ガーター勲章くんしょう使節しせつだん随行ずいこういんとして、1865ねんポルトガル、1867ねんロシア翌年よくねんにはイタリア、さらに1881ねんから翌年よくねんにかけてスペインおよザクセン派遣はけんされた[3][4]同年どうねんノロイ統括とうかつ紋章もんしょうかん英語えいごばん昇進しょうしん、1894ねんにはクラレンス統括とうかつ紋章もんしょうかん英語えいごばんのぼり、そのまで同職どうしょくにあった[註釈ちゅうしゃく 1][4]

コケインは英国えいこく世俗せぞく貴族きぞく総説そうせつする完全かんぜん貴族きぞく名鑑めいかん執筆しっぴつして、1887ねんから1898ねんあいだぜん8かん上梓じょうしした[3]。また、前年ぜんねん改訂かいていばん出版しゅっぱんしている[3]

1911ねんサリーしゅうローハンプトン英語えいごばんにある自邸じていくなったのち、プットニー・ヴェイル英語えいごばん埋葬まいそうされた[3]

家族かぞく[編集へんしゅう]

1856ねんにメアリー・ドロシア・ギブス(Mary Dorothea Gibbs)と結婚けっこんして、8にん子供こどもをもうけた[3][6]

  • ブランシェ・ドロシア・コケイン(1858ねん6がつ27にち - 1883ねん9がつ17にち
  • キャロライン・ルイーザ・コケイン(1859ねん7がつ20日はつか - 1929ねん9がつ4にち
  • ボーレース・ワーレン・コケイン(1860ねん8がつ3にち - 1875ねん3がつ14にち
  • メアリー・ベアトリス・ジョージアナ・アダムズ(1861ねん12月11にち - 1862ねん10がつ23にち
  • シルヴィア・ベアトリス・コケイン(1863ねん5がつ18にち - 1940ねん8がつ21にち
  • ブライエン・イベリカン・コケイン英語えいごばん(1864ねん7がつ12にち - 1932ねん11月3にち) - 初代しょだいアシュボーンのカレン男爵だんしゃくイングランド銀行いんぐらんどぎんこう総裁そうさい
  • モートン・ウィロビー・コケイン(1866ねん10がつ11にち - 1894ねん11月8にち
  • フランシス・ステュアート・コケイン(1871ねん8がつ7にち - 1945ねん3がつ31にち

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

註釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ノロイ統括とうかつ紋章もんしょうかんトレントがわ以北いほくの、クラレンス統括とうかつ紋章もんしょうかんどうかわ以南いなん紋章もんしょう各々おのおの管轄かんかつする紋章もんしょうかん上級じょうきゅうしょく[5]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b "Cullen, Viscount (I, 1642 - 1810)". Cracroft's Peerage (英語えいご). 2020ねん6がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語えいご). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 564–565.
  3. ^ a b c d e f g h i Woods, Gabriel Stanley (1912). "Cokayne, George Edward" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (2nd supplement) (英語えいご). London: Smith, Elder & Co.
  4. ^ a b "Cullen of Ashbourne, Baron (UK, 1920)". Cracroft's Peerage (英語えいご). 2020ねん6がつ1にち閲覧えつらん
  5. ^ スティーヴン・スレイター ちょ朝治あさじ けいさん やく『【図説ずせつ紋章もんしょうがく事典じてん』(だい1はんそうもとしゃ、2019ねん9がつ30にち、38-39ぺーじISBN 978-4-422-21532-7 
  6. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood. Vol. 1 (107th ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 989. ISBN 0-9711966-2-1

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

紋章もんしょう官職かんしょく
先代せんだい
エドワード・スティーブン・デンディー英語えいごばん
ルージュ・ドラゴン紋章もんしょうかん英語えいごばん
1859ねん – 1870ねん
次代じだい
ウィリアム・ウェルドン英語えいごばん
先代せんだい
サー・アルバート・ウッズ英語えいごばん
ランカスター紋章もんしょうかん英語えいごばん
1870ねん – 1882ねん
次代じだい
エドワード・ベラシス英語えいごばん
先代せんだい
ウォルター・ブロント英語えいごばん
ノロイ統括とうかつ紋章もんしょうかん英語えいごばん
1882ねん – 1894ねん
次代じだい
ウィリアム・ウェルドン英語えいごばん
クラレンス統括とうかつ紋章もんしょうかん英語えいごばん
1894ねん – 1911ねん