(Translated by https://www.hiragana.jp/)
スロボダ - Wikipedia コンテンツにスキップ

スロボダ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

スロボダベラルーシ: слабада́ウクライナ/ロシア: слобода́)とは、ロシアウクライナベラルーシ歴史れきしてき地理ちりてき概念がいねんの1つであり、特定とくてい集落しゅうらくもしくは都市としない地域ちいき言葉ことばである。名称めいしょう由来ゆらいは、スロボダの住人じゅうにんなんらかの納税のうぜい義務ぎむ免除めんじょされていたことによる。(たとえば、ロシアで「свобода」は「自由じゆう」の意味いみである。)

以下いかほんぺーじでは集落しゅうらくのスロボダにかんして記述きじゅつする。都市としないのスロボダにかんしてはru:слобода#слободы в городах、またスロボダの住民じゅうみんかんしてはru:слободские люди参照さんしょう

概念がいねん変遷へんせん

[編集へんしゅう]

スロボダという言葉ことば初出しょしゅつは10世紀せいき-11世紀せいきであり、ひろ普及ふきゅうするのは12世紀せいきからである。12世紀せいきから18世紀せいき前半ぜんはんにおけるスロボダとは、国家こっか封建ほうけん領主りょうしゅへの納税のうぜい義務ぎむ一時いちじてき免除めんじょされた集落しゅうらく要塞ようさいふくむ)を言葉ことばだった。原則げんそくてきには完全かんぜん恒久こうきゅう免除めんじょがなされていたわけではなく、その免除めんじょ内容ないよう状況じょうきょうおうじて変更へんこうされた。

スロボダへの最初さいしょ移住いじゅうしゃにはポダチ兵役へいえき免除めんじょされた。これらのおおくはコサックによる新興しんこう開拓かいたくであり[1]、その出現しゅつげんには免税めんぜい拍車はくしゃをかけていた。

18世紀せいき前半ぜんはんには、スロボダへの免税めんぜい制度せいど廃止はいしされ、スロボダは通常つうじょうむら都市としふう集落しゅうらく言葉ことばとなった。1900ねんごろ百科ひゃっか事典じてん定義ていぎでは[ちゅう 1]、スロボダとは「1つ以上いじょう教会きょうかいがある、もしくはヤルマルカ(ru)定期ていき)のおこなわれる、もしくはぐん役所やくしょのある大村おおむら」であり、また、「農業のうぎょうはほぼおこなわれず、工場こうじょうゆうする工業こうぎょうむら」とされている[2]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ казаки Слободские казаки
  2. ^ Слобода//Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона: В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Снегирёв В. Л. Московские слободы / Художник П. Зубченков. — М.: Московский рабочий, 1947. — 156 с.
  • Романюк С. К. По землям московских сёл и слобод. — М.: Сварог, 1999. публикация
  • Большая Советская Энциклопедия(второе издание)/ Б. А. Введенский. — М: Большая Советская Энциклопедия, 1956 г.
  • Архитектурные ансамбли Москвы XV — начала XX веков/ Т. Ф. Саваренская. — М.: Стройиздат, 1997 г.

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]
  • スロボダ・ウクライナ:ウクライナの歴史れきしてき地域ちいき名称めいしょうはスロボダに由来ゆらいする。
  • ネメツカヤ・スロボダ(ru)帝政ていせいロシアモスクワひとし形成けいせいされていた外国がいこくじん居住きょじゅう。ある程度ていど自治じちけんゆうしていた。
  • めん日本にっぽんにおける租税そぜいおよびそれにもとづく行政ぎょうせい区画くかく地名ちめい